見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお

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11-3 ディオール公爵夫妻の葛藤と決意

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11-3 ディオール公爵夫妻の葛藤と決意

 午後の陽光が差し込むディオール邸の執務室に、一通の封書が届けられた。
 王家の紋章が刻まれた封蝋――それが何を意味するか、公爵は見るだけで悟った。

「……王室の使者が、まもなく到着するそうです」
 執事の報告に、公爵は深く息を吐いた。
 机の上にそっと封書を置き、眉間に手を当てる。

「ついに来たか……」

 その声には、誇らしさと、同じくらいの重さが入り混じっていた。
 領主としての誇り。
 そして、父としての戸惑い。

 妻――公爵夫人クラリッサが静かに紅茶を置き、夫の隣に座る。
「王室からの文……まさか、セリカのことね?」
「おそらくな。アコード王子が、再び婚約を望んでいるのだろう」

 夫婦の間に、重い沈黙が落ちた。
 窓の外では、春の風が庭の草花を揺らしている。
 その穏やかさとは裏腹に、二人の胸中は嵐のようだった。


---

「……セリカが、ここまで評価されるようになるとはな」
 公爵は小さく笑みを漏らした。
 娘が領地を任されてから、まだ一年も経っていない。
 それでも彼女は、まるで奇跡のような成果をもたらした。

 新しい灌漑方法を導入し、農作物の収穫量を倍にした。
 教育制度を作り、孤児院に読み書きを広めた。
 さらに商人との連携を強化し、他領からも取引が殺到するほどにまで成長を遂げていた。

 だが――。

「彼女がいなければ、この領地の繁栄は成り立たぬ。
 もし王都へ嫁ぐことになれば……それは、ディオール領の心臓を失うのと同じことだ」

 クラリッサは静かにうなずく。
「そうね。けれど……セリカが王妃になれば、その知恵は王国全体のものになるわ。
 あなた、ディオール家の名だけでなく、リュミエール王国全体を変えられるかもしれないのよ」

 公爵は、唇を結んだまま黙り込んだ。
 妻の言葉が正しいことは、頭では分かっている。
 だが――感情は、そう簡単に割り切れない。

「まだ五歳の娘だ。
 朝は菓子職人と一緒にパンを焼き、夜は領民の帳簿を確認して……
 そんな幼子が、王妃だと? それはあまりに早すぎる」

 クラリッサは、優しく微笑んだ。
「ええ、確かに早すぎるわね。……でも、あの子はもう私たちの想像を超えているの。
 あの子の視線の先には、この領地だけじゃなく、もっと広い世界がある」

 その言葉に、公爵の胸が痛んだ。
 あの小さな娘が、机の上でペンを走らせながら、
 「この村の子どもたちにも学ぶ場所を作りたいんですの」と無邪気に笑っていた日のことを思い出す。

 あの瞳に宿る光は、まるで未来を見据える女神のようだった。


---

 夜。
 夫婦は私室に戻ってもなお、結論を出せずにいた。
 テーブルの上には、開封された王室の正式文書。
 金の縁取りがされた厚紙に、アコード王子の署名と、父王の印。

 ――そこには、確かに書かれていた。

> 「王太子アコード、ディオール家令嬢セリカとの再婚約を正式に希望する」



「……名誉なことだ」
 公爵は低く呟いた。
「ディオール家にとって、王室との縁は確かに大きな恩恵をもたらす。
 だが、その代償は……」

 彼の言葉を、クラリッサが引き継ぐ。
「――セリカの自由と、未来ね」

 公爵は深くうなずいた。
 娘がこの地で笑いながら働き、人々と語り、共に成長していく姿。
 その日々が、彼にとって何よりの誇りだった。

 それを王都に送る――つまり、手放すということ。
 父として、それはあまりに苦しい決断だった。


---

「あなた、もしもセリカがこの話を聞いたら、どう答えると思う?」
 クラリッサが問いかけた。

 公爵はしばし黙考した後、苦笑を浮かべる。
「……きっと、こう言うだろうな。
 “まあ、わたくしまだ五歳ですのに、婚約など早すぎませんこと?” と」

 夫婦は顔を見合わせ、ふっと笑った。
 しかしその笑いは、どこか寂しげでもあった。

「でも、あの子なら……きっと断るわ」
「理由は?」
「今のあの子にとって、王妃よりも領主であることの方が大事だからよ。
 あの子はこの地を“守りたい”と思っている。
 それは、権力よりも強い信念なの」

 クラリッサの声には確信があった。
 母親として、娘の生き方を誰よりも理解している。
 その信念を、たとえ王族でも縛ることはできない。


---

 長い夜が明け、翌朝。
 公爵は決断を下していた。
 夜明けの光が差し込む書斎で、筆を取り、静かに書き始める。

> 「王太子アコード殿下への再婚約の申し入れについて――
ディオール家はこれを辞退申し上げます。」



 その文字に、迷いはなかった。
 父親としての愛と、領主としての覚悟が宿っていた。

 クラリッサが背後でそっと見守りながら、微笑む。
「……よろしいのね?」
「ああ。セリカは、この地の太陽だ。
 王国を照らすよりも、まずこの土地を明るくするべきだろう」

 公爵は封を閉じ、ディオール家の紋章入りの蝋を押した。
 その音が、まるで新たな運命の鐘のように響いた。

「これでいい。――我らは、娘の未来を信じよう」


---

 その日の午後。
 使者を迎える準備が整い、館の門前には王家の旗を掲げた馬車が停まっていた。
 公爵と夫人は並んで立ち、静かにその到着を待つ。

「彼らが何を言おうと、我々の答えは変わらぬ」
「ええ、セリカの道は、セリカが決めるものですもの」

 ディオール家の門が開かれ、王室の使者がゆっくりと降り立つ。
 その瞬間、春風が二人の間を吹き抜けた。

 ――その風の先には、幼い娘の未来が続いている。

 そして公爵夫妻は、揺るぎない決意と共にその場に立ち続けた。
 それは、親としての愛であり、領主としての誇りの証でもあった。


---
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