【悪役令嬢】転ぶ令嬢と暗躍メイドの完璧なる逆襲劇

第3話 お茶会で紅茶頭からかぶり事件

第3話　お茶会で紅茶頭からかぶり事件

　王宮の庭園に設けられた優雅なお茶会。  
　白いクロスのテーブルが並び、湯気の立つ紅茶と可憐な菓子が並んでいる。  
　集まった令嬢たちは扇子を優雅に揺らし、互いに微笑みを交わしながら談笑していた。

　その中心に、クラリッサ・フォン・ローゼンベルクが座っていた。  
　分厚い眼鏡をかけ、アホ毛が天を突く髪をなんとか押さえつけ、ドレスを整えている。  
　周囲の令嬢たちは、彼女を「伝説級のポンコツ令嬢」と陰で囁きながらも、表面上は丁寧に接していた。

「クラリッサ様、今日のお召し物も素敵ですわね」

　隣の令嬢が、明らかに嘲るような笑みを浮かべて言う。  
　クラリッサは眼鏡の奥で少し困ったように微笑んだ。

「ありがとうございますわ。今日は……なんとか失敗しないように気をつけていますの」

　彼女は慎重に紅茶のカップを手に取った。  
　熱い湯気を避けるように、そっと口に近づける。  
　――ところが。

「では、わたくし……」

　立ち上がった瞬間、裾がテーブルの脚に引っかかった。  
　バランスを崩したクラリッサは、前のめりに倒れ込む。

「きゃあああっ！」

　手をついたはずみで、テーブルクロスをぐいっと引っ張ってしまった。  
　――ガシャーン！

　紅茶のポットが倒れ、湯気が立ち上る紅茶が頭から一気に降り注ぐ。  
　さらにティーカップがひとつ、頭の上にちょこんと乗っかったまま。

「ひゃ、ひゃああ……！　め、メガネが……メガネが見えませんわ！」

　頭にカップをのせたまま、クラリッサは床を這い回って眼鏡を探す。  
　紅茶でびしょ濡れになったドレスが、茶色く染まり、髪はさらに爆発したように広がっている。

　周囲の令嬢たちは、肩を震わせ、唇を噛みしめて笑いを堪えていた。  
　一部の者は扇子で顔を隠し、くすくすと漏れ出す笑い声を抑えきれなかった。

「まあ……クラリッサ様ったら、また……」

「紅茶を頭から浴びるなんて、初めて見ましたわ」

「本当に……伝説級ですわね」

　嘲笑の声が飛び交う中、クラリッサは必死に眼鏡を探し続ける。

「どこ……どこに……」

　ようやく眼鏡を見つけ、かけ直す。  
　しかし、視界が紅茶で曇り、涙目になっている。

「うぅ……もう、嫌ですわ……」

　その時、庭園の端から足音が近づいてきた。

「お嬢様、こちらのタオルを」

　ソフィアだった。  
　いつものように冷静な表情で、タオルを差し出す。  
　クラリッサは半泣きで受け取り、「ありがとう……」と呟く。

　ソフィアはクラリッサの背後に立ち、紅茶で濡れた髪を優しく拭き始めた。  
　しかし――拭きながら、ふと視線を伏せ、そっと笑みを浮かべた。

　それは、冷たい嘲笑のようにも見えた。  
　あるいは、あまりにも愛らしいお嬢様の姿に、こぼれてしまった微笑みにも思える。

「……」

　クラリッサがタオルで必死に髪を拭いている間、ソフィアはその笑みを見せまいと背を向けた。  
　誰も気づかぬはずのその表情は、後に数多の憶測を呼ぶことになる――。

　お茶会は、クラリッサの惨劇で一時騒然となったが、すぐに再開された。  
　令嬢たちは「またクラリッサ様が……」と囁き合いながら、菓子を口に運ぶ。

　クラリッサは席に戻り、濡れたドレスを気にしながら紅茶を一口。  
　――今度はカップを倒さぬよう、極度に慎重に。

「もう……失敗しないように……」

　そう呟きながら、紅茶を飲む。  
　しかし、熱すぎてまた舌を火傷。

「あっ、つっ！」

　小さく声を上げ、カップを置く。  
　周囲の令嬢たちが、再びくすくすと笑う。

　ソフィアはテーブルの後ろで、静かに立っていた。  
　彼女の瞳には、誰も知らない確信が宿っている。

（お嬢様……今日の失敗も、完璧ですわ）

　庭園の風が、紅茶の香りを運んでいく。  
　お茶会は、クラリッサの「伝説」をまた一つ増やした。

　しかし――  
　そのすべてが、彼女たちの計画の布石であることを、誰も知らなかった。

　夜、公爵邸に戻ったクラリッサは、自室でドレスを脱ぎ、鏡台の前に座った。  
　濡れた髪を拭きながら、眼鏡を外す。

「今日も……大失敗でしたわね」

　鏡に映る自分を見つめ、苦笑する。  
　しかし、その瞳の奥には、冷たい光が一瞬だけ輝いた。

「でも……これでいいの」

　クラリッサは小さく呟き、眼鏡をかけ直した。  
　――魔法の眼鏡は、外からは瞳を隠すが、本人にはすべてが見える。

　扉の外で、ソフィアが静かに待っていた。

「お嬢様、お風呂の準備ができましたわ」

「ありがとう、ソフィア」

　クラリッサは立ち上がり、扉を開ける。  
　二人は顔を見合わせ、ほんの一瞬、互いに微笑んだ。

　それは、ポンコツ令嬢と忠実なメイドの、誰も知らない秘密の笑みだった。

　お茶会の惨劇は、王宮中に瞬く間に広まった。  
　「クラリッサ様が紅茶を頭から浴びた」「伝説級の失敗」と、笑い話になる。

　しかし――  
　その笑い話こそが、彼女たちの計画の重要な一部だった。