『身代わり花嫁は鍋をかぶり、すりこぎ棒で吸血鬼と向き合う』

しおしお

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第2話: 嫁入り道具は、すりこぎ棒と鍋ヘルメット

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第2話タイトル:嫁入り道具は、すりこぎ棒と鍋ヘルメット

 吸血鬼の屋敷に足を踏み入れた瞬間、私はまず思った。

(……寒い)

 気温の話ではない。空気そのものが、だ。ひんやりとしていて、肌にまとわりつくような静けさがある。音が吸い込まれていく感覚。村のざわざわした日常とは、あまりにも違いすぎた。

 高い天井。黒と金を基調にした重厚な装飾。磨き上げられた床には、緊張でこわばった私の姿がくっきり映り込んでいる。

(……逃げ場、なさそう)

 反射的に、私は抱えていた荷物をぎゅっと胸に引き寄せた。中身を知っているのは、私だけだ。

 すりこぎ棒。
 鍋。
 そして、覚悟。

「こちらへ」

 低く、落ち着いた声が響く。

 声の主――カインと名乗った吸血鬼貴族は、ゆったりとした所作で私を振り返った。近くで見ると、その美貌は本当に現実離れしている。整いすぎていて、逆に怖い。

(だまされるな、リネア……顔がいいからって、安全とは限らない……)

 心の中で何度も自分に言い聞かせながら、私は彼の後をついていった。

 廊下は長く、途中にいくつも扉が並んでいる。どれも分厚く、重そうで――一度閉められたら、簡単には開かなさそうだった。

(ここで追い詰められたら、終わりね……)

「ここが、君の部屋だ」

 そう言われて案内された部屋を見て、私は思わず目を見開いた。

 広い。
 明るい。
 そして、豪華すぎる。

 四柱ベッドに、柔らかそうな絨毯。大きな窓にはレースのカーテンがかかり、花瓶には生花まで活けられている。香りも優しく、牢屋どころか、下手な貴族の客間より立派だった。

(……檻、じゃない)

 拍子抜けしたのは確かだ。だが、それで安心できるほど、私は楽観的じゃない。

 見た目がどれだけ整っていても、相手は吸血鬼。血を吸う存在。夜になったら豹変して、首筋に牙を――なんてことも、十分あり得る。

「しばらく休むといい。長旅だっただろう」

「……は、はい」

 当たり障りのない言葉。それが、逆に怖かった。

 カインはそれ以上何も言わず、静かに部屋を出ていった。扉が閉まる音が、やけに大きく耳に残る。

 私はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。

(……今のうちに、準備しないと)

 深呼吸をして、ようやく荷物を床に下ろす。

 最初に取り出したのは――すりこぎ棒。

 村の家の台所で、ずっと使っていたものだ。木製で、手になじむ。味噌をすり潰すときに、うっかり台をへこませたことがあるくらい、意外と頑丈。

(……武器になる。たぶん)

 次に、鍋。

 普通の鉄鍋だ。少し重いけれど、その分、防御力は高そうだ。頭にかぶれば、牙を立てられても……いや、さすがに無理かもしれないけど、何もしないよりはマシだ。

(ダサいとか言ってる場合じゃない。命がかかってるのよ)

 私は真剣だった。

 すりこぎ棒は枕の下へ。
 鍋は、すぐ手の届く場所に。

 最低限の備えは整った。

 それから私は、部屋の中をうろうろと歩き回り、窓の高さや扉の重さ、家具の配置を確認した。

(……完全に、囲われてる)

 逃げるのは無理だ。ここは腹を括るしかない。

 そう思った、まさにその時。

「リネア」

 ドアの向こうから、声がした。

 心臓が跳ね上がる。

(来た!? もう!?)

「……な、なんでしょう!」

 声が裏返った自覚はある。

「夜食は、必要か?」

「……え?」

 一瞬、意味が理解できなかった。

「長旅で疲れているだろう。無理にとは言わないが」

 夜食。
 血じゃなくて。

「……い、いえ! 大丈夫です!」

 思わず即答してしまった。

「そうか。なら、無理はしないで休むといい」

 それだけ言って、気配は遠ざかっていった。

 ……終わり?

(今のだけ? 本当に?)

 私はしばらく扉を睨み続けていたが、何も起きない。静寂が戻るだけだった。

(……拍子抜け)

 でも、それが逆に怖い。

(これは油断させる作戦よね? きっとそう)

 吸血鬼だって、策略くらい使うはずだ。最初は優しくして、警戒心が解けたところで――。

 私はベッドに腰掛けながら、すりこぎ棒を握り直した。

(油断しない。絶対に)

 やがて夜が更け、私は鍋を頭にかぶったまま布団に潜り込んだ。

 ゴン、と小さな音がして、鍋が枕に当たる。

(……寝づらい)

 それでも、外す勇気はなかった。

 こうして私は、生まれて初めて「鍋ヘルメット装備」で眠ることになったのだった。

 ――この屋敷での生活が、まさかこんな形で始まるなんて。

 まだこの時の私は知らない。

 すりこぎ棒と鍋が、
 ここでの私の“象徴”になることを。

 そして、この優しすぎる吸血鬼が、
 私にとって最も危険な存在になることを。
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