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第6話 夜の訪問は、毛布とホットミルクでした
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第6話 夜の訪問は、毛布とホットミルクでした
その夜、私は少しだけ油断していた。
鍋ヘルメットは、もうかぶっていない。
すりこぎ棒も、枕の下ではなく、ベッド脇のテーブルに立てかけたまま。
(……だって、何も起きてないし)
そう思ってしまった自分が、悔しい。
部屋の灯りを落とし、布団に潜り込む。柔らかいシーツと、ちょうどいい重さの掛け布団が、体を包み込んだ。
(……あ、だめだ)
これは、完全に“寝るやつ”だ。
目を閉じると、今日一日のことが頭に浮かぶ。庭、図書室、紅茶、穏やかな会話。どれも、命の危険とは程遠い。
(……ほんとに、吸血鬼の館?)
疑問が浮かんだ、そのとき。
――コン、コン。
控えめなノック音。
心臓が、跳ねた。
(来た……!)
反射的に体を起こし、すりこぎ棒を掴む。ついでに鍋を探して、慌ててベッドの下を覗いた。
(しまった、遠い!)
「リネア。起きているか?」
聞き覚えのある声。カインだ。
(……落ち着け。昨日も、何もされてない)
「……起きてます」
声が少し高くなったのは、気のせいだと思いたい。
扉が静かに開き、カインが顔を覗かせた。手には、小さな盆。湯気が立っている。
「眠れないのではないかと思ってな」
「……え?」
彼は部屋に入ると、テーブルに盆を置いた。そこには、白いカップと、小さな菓子皿。
「ホットミルクだ。人間には、いいと聞いた」
……吸血鬼が、ホットミルクを勧めてくる世界線、聞いてない。
「……毒とか、入ってませんよね?」
つい口にしてしまう。
カインは、一瞬きょとんとした顔をしてから、苦笑した。
「信用が低いな」
「命がかかってるので」
「もっともだ」
彼は否定しなかった。
「無理に飲まなくていい。ただ、夜は冷える」
そう言って、もう一つ、盆から取り出したものがある。
――毛布。
しかも、ふわふわで、明らかに高級そうなやつ。
「……毛布?」
「少し、薄着に見えた」
私は自分の姿を見下ろした。確かに、部屋着は簡素だ。寒くはないけれど、言われてみれば、少し心許ない。
「……吸血より先に、防寒対策ですか」
「体調を崩される方が、困る」
当然のように言われて、言葉に詰まる。
カインは、私の返事を待たず、そっと毛布を肩にかけた。距離が近い。吐息が触れそうなくらい。
どくん、と心臓が鳴る。
(……やばい)
怖い、より先に、別の感情が胸に広がるのが、もっとやばい。
「……ありがとうございます」
小さく礼を言うと、彼は満足そうに頷いた。
「少しは、楽になったか?」
「……はい」
本当だ。毛布の重みが、安心感に変わっていく。
カインは椅子に腰掛け、私から少し距離を取った。近づきすぎない、その配慮が、余計に心を乱す。
「君は、ここに来てから、ずっと緊張している」
「……そりゃ、しますよ」
「当然だ」
彼は、カップを指さした。
「それでも、少しずつでいい。ここを“敵地”だと思わなくなるまで」
私は、迷った末にホットミルクを口にした。
――甘い。
優しい味。
喉を通るたび、体の奥が温まっていく。
(……なにこれ。普通に、おいしい)
「どうだ?」
「……悔しいですけど、おいしいです」
カインは、くすりと笑った。
「それは良かった」
沈黙が落ちる。
でも、昨日までのような重さはない。
「……カイン様」
「なんだ?」
「どうして、そこまで……」
言葉を選びながら、続ける。
「私に、気を遣うんですか?」
彼は、すぐには答えなかった。少しだけ視線を伏せ、それから静かに言う。
「君は、ここに“差し出された”」
胸が、ちくりとした。
「ならば、せめて――ここでの時間が、苦痛であってはならない」
その声は、低く、誠実だった。
私は、何も言えなくなった。
(……ずるい)
こんなの、心が先に負ける。
「無理はするな。眠くなったら、寝るといい」
カインは立ち上がり、扉へ向かった。
「おやすみ、リネア」
「……おやすみなさい」
扉が閉まり、静寂が戻る。
私は毛布にくるまり、カップを見つめた。
――吸血はされていない。
――代わりに、心が温められている。
(……これ、どっちが危険なんだろう)
ホットミルクの余韻と、毛布の温もりに包まれながら、私はそのまま、静かに眠りに落ちた。
鍋も、すりこぎ棒も、
この夜は、必要なかった。
その夜、私は少しだけ油断していた。
鍋ヘルメットは、もうかぶっていない。
すりこぎ棒も、枕の下ではなく、ベッド脇のテーブルに立てかけたまま。
(……だって、何も起きてないし)
そう思ってしまった自分が、悔しい。
部屋の灯りを落とし、布団に潜り込む。柔らかいシーツと、ちょうどいい重さの掛け布団が、体を包み込んだ。
(……あ、だめだ)
これは、完全に“寝るやつ”だ。
目を閉じると、今日一日のことが頭に浮かぶ。庭、図書室、紅茶、穏やかな会話。どれも、命の危険とは程遠い。
(……ほんとに、吸血鬼の館?)
疑問が浮かんだ、そのとき。
――コン、コン。
控えめなノック音。
心臓が、跳ねた。
(来た……!)
反射的に体を起こし、すりこぎ棒を掴む。ついでに鍋を探して、慌ててベッドの下を覗いた。
(しまった、遠い!)
「リネア。起きているか?」
聞き覚えのある声。カインだ。
(……落ち着け。昨日も、何もされてない)
「……起きてます」
声が少し高くなったのは、気のせいだと思いたい。
扉が静かに開き、カインが顔を覗かせた。手には、小さな盆。湯気が立っている。
「眠れないのではないかと思ってな」
「……え?」
彼は部屋に入ると、テーブルに盆を置いた。そこには、白いカップと、小さな菓子皿。
「ホットミルクだ。人間には、いいと聞いた」
……吸血鬼が、ホットミルクを勧めてくる世界線、聞いてない。
「……毒とか、入ってませんよね?」
つい口にしてしまう。
カインは、一瞬きょとんとした顔をしてから、苦笑した。
「信用が低いな」
「命がかかってるので」
「もっともだ」
彼は否定しなかった。
「無理に飲まなくていい。ただ、夜は冷える」
そう言って、もう一つ、盆から取り出したものがある。
――毛布。
しかも、ふわふわで、明らかに高級そうなやつ。
「……毛布?」
「少し、薄着に見えた」
私は自分の姿を見下ろした。確かに、部屋着は簡素だ。寒くはないけれど、言われてみれば、少し心許ない。
「……吸血より先に、防寒対策ですか」
「体調を崩される方が、困る」
当然のように言われて、言葉に詰まる。
カインは、私の返事を待たず、そっと毛布を肩にかけた。距離が近い。吐息が触れそうなくらい。
どくん、と心臓が鳴る。
(……やばい)
怖い、より先に、別の感情が胸に広がるのが、もっとやばい。
「……ありがとうございます」
小さく礼を言うと、彼は満足そうに頷いた。
「少しは、楽になったか?」
「……はい」
本当だ。毛布の重みが、安心感に変わっていく。
カインは椅子に腰掛け、私から少し距離を取った。近づきすぎない、その配慮が、余計に心を乱す。
「君は、ここに来てから、ずっと緊張している」
「……そりゃ、しますよ」
「当然だ」
彼は、カップを指さした。
「それでも、少しずつでいい。ここを“敵地”だと思わなくなるまで」
私は、迷った末にホットミルクを口にした。
――甘い。
優しい味。
喉を通るたび、体の奥が温まっていく。
(……なにこれ。普通に、おいしい)
「どうだ?」
「……悔しいですけど、おいしいです」
カインは、くすりと笑った。
「それは良かった」
沈黙が落ちる。
でも、昨日までのような重さはない。
「……カイン様」
「なんだ?」
「どうして、そこまで……」
言葉を選びながら、続ける。
「私に、気を遣うんですか?」
彼は、すぐには答えなかった。少しだけ視線を伏せ、それから静かに言う。
「君は、ここに“差し出された”」
胸が、ちくりとした。
「ならば、せめて――ここでの時間が、苦痛であってはならない」
その声は、低く、誠実だった。
私は、何も言えなくなった。
(……ずるい)
こんなの、心が先に負ける。
「無理はするな。眠くなったら、寝るといい」
カインは立ち上がり、扉へ向かった。
「おやすみ、リネア」
「……おやすみなさい」
扉が閉まり、静寂が戻る。
私は毛布にくるまり、カップを見つめた。
――吸血はされていない。
――代わりに、心が温められている。
(……これ、どっちが危険なんだろう)
ホットミルクの余韻と、毛布の温もりに包まれながら、私はそのまま、静かに眠りに落ちた。
鍋も、すりこぎ棒も、
この夜は、必要なかった。
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