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第9話 血よりも先に、奪われていたもの
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第9話 血よりも先に、奪われていたもの
その朝、私は妙な夢を見て目を覚ました。
暗闇の中で、誰かに名前を呼ばれていた気がする。怖い夢ではなかった。むしろ――あたたかくて、少しだけ切ない夢。
(……誰だっけ)
ぼんやりと天井を見上げながら、私は額に手を当てた。
夢の内容は思い出せない。ただ、目が覚めたあとも胸の奥に残る、じんわりとした感覚だけが消えなかった。
寝返りを打とうとして、気づく。
――首元が、少しだけ熱い。
「……?」
反射的に触れてみると、痛みはない。ただ、ほんのりとした違和感があるだけだった。
(……まさか)
私は跳ね起き、鏡の前に立った。
首筋。
そこには――ごく薄く、小さな痕が残っていた。
「……吸われた?」
思わず声が漏れる。
いつ?
いつの間に?
慌てて記憶を辿るが、昨夜は確か、扉越しに話をしただけだったはずだ。部屋に入ってきていない。物音もなかった。
(……じゃあ、これ、なに)
じっと見つめるうちに、胸がざわつき始める。
怖い。
……はずなのに。
なぜか、嫌じゃなかった。
「だめだめだめ……!」
私は首元を隠すように服を引き上げ、深呼吸を繰り返した。
(油断したわけじゃない。油断したわけじゃないのよ……!)
自分に言い聞かせながら、朝の支度を整える。
朝食の席に着くと、すでにカインがいた。
「おはよう、リネア」
「……お、おはようございます」
自然に挨拶できてしまう自分が、少し怖い。
カインは、紅茶を一口飲んでから、ふと私の首元に視線を向けた。
「……気づいたか」
心臓が、どくんと鳴った。
「……やっぱり」
「驚かせるつもりはなかった。だが……少しだけ、抑えきれなかった」
私は、ぎゅっとナプキンを握りしめる。
「……いつですか」
「君が眠っている間だ。目覚めさせないよう、細心の注意は払った」
「……」
怒るべきか、怖がるべきか、判断がつかない。
でも。
「……どうして、ですか」
問いかけると、カインは少しだけ視線を伏せた。
「吸いたかったからだ。だがそれ以上に――確かめたかった」
「確かめる?」
「君が、ここを拒んでいないかどうか」
私は言葉を失った。
「血は、嘘をつかない。恐怖に満ちた血は、刃のように痛い。だが君の血は……違った」
静かな声。
「拒絶はなかった。恐怖も、なかった」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……勝手ですね」
絞り出すように言うと、カインは頷いた。
「否定はしない。だから、こうして話している」
「……怒っていいんですよね、私」
「もちろんだ」
私は、少しだけ考えてから、口を開いた。
「……正直に言うと」
視線を逸らす。
「……怖かったです。でも、それより……嫌じゃなかった自分の方が、もっと怖かった」
沈黙。
カインは、ゆっくりと立ち上がり、私から距離を取った。
「それ以上、進むつもりはない」
「……」
「君が混乱しているうちは、私は踏み込まない」
その態度に、胸の奥がちくりと痛む。
(……あれ)
安心したはずなのに。
少し、寂しい。
その感情に気づいた瞬間、私は愕然とした。
(……私)
血を吸われたからじゃない。
命を脅かされたからでもない。
私はもう――
この吸血鬼の旦那様に、心の一部を預けてしまっている。
血よりも先に。
――もっと厄介なものを。
その朝、私は妙な夢を見て目を覚ました。
暗闇の中で、誰かに名前を呼ばれていた気がする。怖い夢ではなかった。むしろ――あたたかくて、少しだけ切ない夢。
(……誰だっけ)
ぼんやりと天井を見上げながら、私は額に手を当てた。
夢の内容は思い出せない。ただ、目が覚めたあとも胸の奥に残る、じんわりとした感覚だけが消えなかった。
寝返りを打とうとして、気づく。
――首元が、少しだけ熱い。
「……?」
反射的に触れてみると、痛みはない。ただ、ほんのりとした違和感があるだけだった。
(……まさか)
私は跳ね起き、鏡の前に立った。
首筋。
そこには――ごく薄く、小さな痕が残っていた。
「……吸われた?」
思わず声が漏れる。
いつ?
いつの間に?
慌てて記憶を辿るが、昨夜は確か、扉越しに話をしただけだったはずだ。部屋に入ってきていない。物音もなかった。
(……じゃあ、これ、なに)
じっと見つめるうちに、胸がざわつき始める。
怖い。
……はずなのに。
なぜか、嫌じゃなかった。
「だめだめだめ……!」
私は首元を隠すように服を引き上げ、深呼吸を繰り返した。
(油断したわけじゃない。油断したわけじゃないのよ……!)
自分に言い聞かせながら、朝の支度を整える。
朝食の席に着くと、すでにカインがいた。
「おはよう、リネア」
「……お、おはようございます」
自然に挨拶できてしまう自分が、少し怖い。
カインは、紅茶を一口飲んでから、ふと私の首元に視線を向けた。
「……気づいたか」
心臓が、どくんと鳴った。
「……やっぱり」
「驚かせるつもりはなかった。だが……少しだけ、抑えきれなかった」
私は、ぎゅっとナプキンを握りしめる。
「……いつですか」
「君が眠っている間だ。目覚めさせないよう、細心の注意は払った」
「……」
怒るべきか、怖がるべきか、判断がつかない。
でも。
「……どうして、ですか」
問いかけると、カインは少しだけ視線を伏せた。
「吸いたかったからだ。だがそれ以上に――確かめたかった」
「確かめる?」
「君が、ここを拒んでいないかどうか」
私は言葉を失った。
「血は、嘘をつかない。恐怖に満ちた血は、刃のように痛い。だが君の血は……違った」
静かな声。
「拒絶はなかった。恐怖も、なかった」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……勝手ですね」
絞り出すように言うと、カインは頷いた。
「否定はしない。だから、こうして話している」
「……怒っていいんですよね、私」
「もちろんだ」
私は、少しだけ考えてから、口を開いた。
「……正直に言うと」
視線を逸らす。
「……怖かったです。でも、それより……嫌じゃなかった自分の方が、もっと怖かった」
沈黙。
カインは、ゆっくりと立ち上がり、私から距離を取った。
「それ以上、進むつもりはない」
「……」
「君が混乱しているうちは、私は踏み込まない」
その態度に、胸の奥がちくりと痛む。
(……あれ)
安心したはずなのに。
少し、寂しい。
その感情に気づいた瞬間、私は愕然とした。
(……私)
血を吸われたからじゃない。
命を脅かされたからでもない。
私はもう――
この吸血鬼の旦那様に、心の一部を預けてしまっている。
血よりも先に。
――もっと厄介なものを。
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