『身代わり花嫁は鍋をかぶり、すりこぎ棒で吸血鬼と向き合う』

しおしお

文字の大きさ
15 / 32

第15話 同じ速さで、歩くということ

しおりを挟む
第15話 同じ速さで、歩くということ

 雨は、昼過ぎには止んでいた。

 窓の外には、洗われたような空気と、濡れた石畳がきらきらと光る庭が広がっている。私は部屋の中からその様子を眺めながら、静かに息を吐いた。

(……雨、止んだな)

 カインが言っていた言葉を思い出す。

 ――雨が止んだら、庭を歩こう。

 約束、というほど大げさなものじゃない。けれど、私の中では、なぜか少しだけ重みを持っていた。

 コン。

 控えめなノック。

「……準備はいいか」

 扉の向こうから、カインの声がする。

「……はい」

 私は外套を羽織り、扉を開けた。

 そこに立っていたカインは、いつも通り静かで、落ち着いていて――それでも、雨上がりの光を受けて、どこか柔らかく見えた。

「寒くはないか」

「大丈夫です」

 本当だった。少し冷たい空気が、むしろ心地いい。

 私たちは並んで庭に出た。歩き出す前、ほんの一瞬、互いの距離を測るような沈黙があった。

 それから、同時に一歩を踏み出す。

 ――同じ速さで。

 砂利道を踏む音が、ふたり分、並んで響く。

 近すぎない。
 離れすぎない。

 昨日の「触れない距離」が、自然に保たれていた。

「……歩きにくくはないか」

「いえ」

 私は、足元を見ながら答えた。

「……むしろ、落ち着きます」

 カインは、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。

「そうか」

 それだけ言って、歩調を変えない。

(……この人)

 合わせてくれている、というより。
 最初から、合わせようとしていない。

 ただ、同じ速さで歩いているだけ。

「……村では」

 ふと、言葉が口をついた。

「誰かと歩く時って、どちらかが前に出たり、引っ張られたりするのが普通でした」

「人は、無意識に主導権を取りたがる」

「……ここでは、違いますね」

 私がそう言うと、カインはわずかに笑った。

「私は、誰かを引きずる歩き方が嫌いでな」

 その言葉に、胸の奥が静かに鳴る。

「……私もです」

 しばらく、言葉のない時間が続いた。

 でも、気まずくはなかった。雨に洗われた庭の匂い、遠くで鳴く鳥の声、並んで歩く足音。

(……逃げることも、戦うこともしてない)

 ただ、歩いているだけ。

 それが、こんなに安心するなんて思わなかった。

 小さな橋の前で、私たちは足を止めた。雨水が下を流れ、静かに音を立てている。

「……リネア」

 カインが、私の名前を呼ぶ。

「はい」

「君は……急がないな」

「……え?」

「答えも、気持ちも。すべてを、ゆっくり確かめている」

 私は少し考えてから、答えた。

「……急ぐの、怖いんです」

「なぜ」

「急いだら……自分の足で立ってる感じが、なくなりそうで」

 正直な気持ちだった。

 カインは、橋の手すりに手を置き、静かに頷いた。

「それは、正しい」

 きっぱりとした声。

「同じ速さで歩けなくなった関係は、いずれ歪む」

 私は、彼を見上げた。

「……それ、夫婦論ですか」

「生き方論だ」

 思わず、くすっと笑ってしまった。

「……難しい旦那様ですね」

「君が考える相手でいたいだけだ」

 その言葉が、胸にすとんと落ちた。

 触れない。
 縛らない。
 急がせない。

 でも、確かに――
 一緒に、同じ方向を見ている。

 庭の奥まで歩き、私たちは自然と引き返した。

 館が見えてきた時、私は思った。

(……ここに戻ってきてる)

 連れ戻されたわけじゃない。
 逃げ場を失ったわけでもない。

 自分で、戻ってきている。

 玄関前で立ち止まり、私はカインに向き直った。

「……今日は、楽しかったです」

「それは、よかった」

「……また、歩いてもいいですか」

 ほんの少しだけ、勇気を出した問い。

 カインは、穏やかに頷いた。

「君が望むなら、何度でも」

 その答えに、胸が温かくなる。

 この日、私ははっきりと理解した。

 愛とか、契約とか、誓いとか――
 そういう言葉よりも前に。

 同じ速さで歩けること。
 それを大切にしてくれる相手であること。

 それが、どれほど貴重なことなのかを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が

和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」 エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。 けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。 「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」 「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」 ──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。

【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない

ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。 公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。 旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。 そんな私は旦那様に感謝しています。 無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。 そんな二人の日常を書いてみました。 お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m 無事完結しました!

旦那様、離婚してくださいませ!

ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。 まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。 離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。 今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。 夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。 それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。 お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに…… なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!

王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。 しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!? 王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。 訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ―― さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。 「おら、案内させてもらいますけんの」 その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。 王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」 副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」 ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」 そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」 けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。 王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。 訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る―― これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。 ★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。

処理中です...