『身代わり花嫁は鍋をかぶり、すりこぎ棒で吸血鬼と向き合う』

しおしお

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第15話 同じ速さで、歩くということ

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第15話 同じ速さで、歩くということ

 雨は、昼過ぎには止んでいた。

 窓の外には、洗われたような空気と、濡れた石畳がきらきらと光る庭が広がっている。私は部屋の中からその様子を眺めながら、静かに息を吐いた。

(……雨、止んだな)

 カインが言っていた言葉を思い出す。

 ――雨が止んだら、庭を歩こう。

 約束、というほど大げさなものじゃない。けれど、私の中では、なぜか少しだけ重みを持っていた。

 コン。

 控えめなノック。

「……準備はいいか」

 扉の向こうから、カインの声がする。

「……はい」

 私は外套を羽織り、扉を開けた。

 そこに立っていたカインは、いつも通り静かで、落ち着いていて――それでも、雨上がりの光を受けて、どこか柔らかく見えた。

「寒くはないか」

「大丈夫です」

 本当だった。少し冷たい空気が、むしろ心地いい。

 私たちは並んで庭に出た。歩き出す前、ほんの一瞬、互いの距離を測るような沈黙があった。

 それから、同時に一歩を踏み出す。

 ――同じ速さで。

 砂利道を踏む音が、ふたり分、並んで響く。

 近すぎない。
 離れすぎない。

 昨日の「触れない距離」が、自然に保たれていた。

「……歩きにくくはないか」

「いえ」

 私は、足元を見ながら答えた。

「……むしろ、落ち着きます」

 カインは、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。

「そうか」

 それだけ言って、歩調を変えない。

(……この人)

 合わせてくれている、というより。
 最初から、合わせようとしていない。

 ただ、同じ速さで歩いているだけ。

「……村では」

 ふと、言葉が口をついた。

「誰かと歩く時って、どちらかが前に出たり、引っ張られたりするのが普通でした」

「人は、無意識に主導権を取りたがる」

「……ここでは、違いますね」

 私がそう言うと、カインはわずかに笑った。

「私は、誰かを引きずる歩き方が嫌いでな」

 その言葉に、胸の奥が静かに鳴る。

「……私もです」

 しばらく、言葉のない時間が続いた。

 でも、気まずくはなかった。雨に洗われた庭の匂い、遠くで鳴く鳥の声、並んで歩く足音。

(……逃げることも、戦うこともしてない)

 ただ、歩いているだけ。

 それが、こんなに安心するなんて思わなかった。

 小さな橋の前で、私たちは足を止めた。雨水が下を流れ、静かに音を立てている。

「……リネア」

 カインが、私の名前を呼ぶ。

「はい」

「君は……急がないな」

「……え?」

「答えも、気持ちも。すべてを、ゆっくり確かめている」

 私は少し考えてから、答えた。

「……急ぐの、怖いんです」

「なぜ」

「急いだら……自分の足で立ってる感じが、なくなりそうで」

 正直な気持ちだった。

 カインは、橋の手すりに手を置き、静かに頷いた。

「それは、正しい」

 きっぱりとした声。

「同じ速さで歩けなくなった関係は、いずれ歪む」

 私は、彼を見上げた。

「……それ、夫婦論ですか」

「生き方論だ」

 思わず、くすっと笑ってしまった。

「……難しい旦那様ですね」

「君が考える相手でいたいだけだ」

 その言葉が、胸にすとんと落ちた。

 触れない。
 縛らない。
 急がせない。

 でも、確かに――
 一緒に、同じ方向を見ている。

 庭の奥まで歩き、私たちは自然と引き返した。

 館が見えてきた時、私は思った。

(……ここに戻ってきてる)

 連れ戻されたわけじゃない。
 逃げ場を失ったわけでもない。

 自分で、戻ってきている。

 玄関前で立ち止まり、私はカインに向き直った。

「……今日は、楽しかったです」

「それは、よかった」

「……また、歩いてもいいですか」

 ほんの少しだけ、勇気を出した問い。

 カインは、穏やかに頷いた。

「君が望むなら、何度でも」

 その答えに、胸が温かくなる。

 この日、私ははっきりと理解した。

 愛とか、契約とか、誓いとか――
 そういう言葉よりも前に。

 同じ速さで歩けること。
 それを大切にしてくれる相手であること。

 それが、どれほど貴重なことなのかを。
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