21 / 32
第21話 静けさが、約束になる夜
しおりを挟む
第21話 静けさが、約束になる夜
その夜は、やけに音が少なかった。
風もなく、廊下を歩く足音も聞こえない。館全体が、深く息を潜めているようだった。
私はベッドに腰掛け、膝の上で手を組んだまま、しばらく動けずにいた。
(……約束)
言葉にしたわけでも、誓いを交わしたわけでもない。
けれど確かに、あの扉越しのやり取りは――
約束だった。
触れない。
越えない。
言葉があるまで、待つ。
その静かな取り決めが、胸の奥で、ゆっくりと形を持ち始めている。
私は、灯りを少し落とした。
暗闇が完全に訪れる前の、あいまいな明るさ。
ここでは、何も隠さなくていい気がした。
(……不思議)
怖さが消えたわけじゃない。
むしろ、はっきりと残っている。
それでも、心は落ち着いていた。
――コン。
控えめなノック。
身体が、自然に反応する。
「……起きています」
声は、思ったよりも静かだった。
「私だ」
カインの声。
「今日は……確認ではない」
その一言に、少しだけ胸が跳ねる。
「……どうしましたか」
「何も、起きていないか」
言い換えれば――
“大丈夫か”という問い。
「……何も、起きていません」
私は正直に答えた。
「ただ……考えていました」
「何を」
「……この静けさのことを」
扉の向こうで、わずかな気配。
「静けさは、嫌いか」
「……いいえ」
私は、扉に手を触れないまま、続けた。
「ここでは……静けさが、怖くないです」
沈黙が落ちる。
けれど、それは拒絶ではなかった。
「それは……君が、ここを安全だと感じ始めている証だ」
穏やかな声。
「……自分でも、そう思います」
認めるのは、少し勇気が要った。
「だから……約束みたいに、感じるんです」
「約束?」
「はい」
私は、胸に手を当てた。
「何も起きない、っていう約束」
しばらく、返事がなかった。
やがて、低く落ち着いた声が返ってくる。
「……それは、守る」
短く、しかし迷いのない言葉。
「私は、何も起こさないことを選んでいる」
胸が、静かに満たされていく。
「……ありがとう」
「感謝は、いらない」
カインは、ほんの少し間を置いて言った。
「君が安心して眠れるなら、それが答えだ」
私は、ゆっくりとベッドに横になった。
鍋も、すりこぎ棒も、そこにある。
でも、触れない。
今夜は――
触れなくていい。
「……おやすみなさい」
「おやすみ、リネア」
名前を呼ばれた。
それだけで、胸の奥が温かくなる。
足音が遠ざかり、完全な静けさが戻る。
私は、目を閉じた。
静けさは、空白じゃない。
不安でもない。
互いに踏み込まないことを、同じ意思で選んでいる――
その証。
この夜、私は知った。
言葉よりも、触れ合いよりも。
何も起こらない夜が、
どれほど強い約束になり得るのかを。
その夜は、やけに音が少なかった。
風もなく、廊下を歩く足音も聞こえない。館全体が、深く息を潜めているようだった。
私はベッドに腰掛け、膝の上で手を組んだまま、しばらく動けずにいた。
(……約束)
言葉にしたわけでも、誓いを交わしたわけでもない。
けれど確かに、あの扉越しのやり取りは――
約束だった。
触れない。
越えない。
言葉があるまで、待つ。
その静かな取り決めが、胸の奥で、ゆっくりと形を持ち始めている。
私は、灯りを少し落とした。
暗闇が完全に訪れる前の、あいまいな明るさ。
ここでは、何も隠さなくていい気がした。
(……不思議)
怖さが消えたわけじゃない。
むしろ、はっきりと残っている。
それでも、心は落ち着いていた。
――コン。
控えめなノック。
身体が、自然に反応する。
「……起きています」
声は、思ったよりも静かだった。
「私だ」
カインの声。
「今日は……確認ではない」
その一言に、少しだけ胸が跳ねる。
「……どうしましたか」
「何も、起きていないか」
言い換えれば――
“大丈夫か”という問い。
「……何も、起きていません」
私は正直に答えた。
「ただ……考えていました」
「何を」
「……この静けさのことを」
扉の向こうで、わずかな気配。
「静けさは、嫌いか」
「……いいえ」
私は、扉に手を触れないまま、続けた。
「ここでは……静けさが、怖くないです」
沈黙が落ちる。
けれど、それは拒絶ではなかった。
「それは……君が、ここを安全だと感じ始めている証だ」
穏やかな声。
「……自分でも、そう思います」
認めるのは、少し勇気が要った。
「だから……約束みたいに、感じるんです」
「約束?」
「はい」
私は、胸に手を当てた。
「何も起きない、っていう約束」
しばらく、返事がなかった。
やがて、低く落ち着いた声が返ってくる。
「……それは、守る」
短く、しかし迷いのない言葉。
「私は、何も起こさないことを選んでいる」
胸が、静かに満たされていく。
「……ありがとう」
「感謝は、いらない」
カインは、ほんの少し間を置いて言った。
「君が安心して眠れるなら、それが答えだ」
私は、ゆっくりとベッドに横になった。
鍋も、すりこぎ棒も、そこにある。
でも、触れない。
今夜は――
触れなくていい。
「……おやすみなさい」
「おやすみ、リネア」
名前を呼ばれた。
それだけで、胸の奥が温かくなる。
足音が遠ざかり、完全な静けさが戻る。
私は、目を閉じた。
静けさは、空白じゃない。
不安でもない。
互いに踏み込まないことを、同じ意思で選んでいる――
その証。
この夜、私は知った。
言葉よりも、触れ合いよりも。
何も起こらない夜が、
どれほど強い約束になり得るのかを。
0
あなたにおすすめの小説
離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない
柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。
バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。
カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。
そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。
愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。
契約妻に「愛さない」と言い放った冷酷騎士、一分後に彼女の健気さが性癖に刺さって理性が崩壊した件
水月
恋愛
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件の旦那様視点短編となります。
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
告白相手を間違えた令嬢に待っていたのは、暴君皇帝からの寵愛でした。
槙村まき
恋愛
イヴェール伯爵令嬢ラシェルは、婚約前の最後の思い出として、ずっと憧れていた騎士団長に告白をすることにした。
ところが、間違えて暴君と恐れられている皇帝に告白をしてしまった。
怯えるラシェルに、皇帝は口角を上げると、告白を受け入れてくれて――。
告白相手を間違えたことから始まる恋愛ストーリー。
全24話です。
2月5日木曜日の昼頃に完結します。
※小説家になろうに掲載している作品を改題の上、連載しています。
「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」
イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。
ある日、夢をみた。
この国の未来を。
それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
噂の聖女と国王陛下 ―婚約破棄を願った令嬢は、溺愛される
柴田はつみ
恋愛
幼い頃から共に育った国王アランは、私にとって憧れであり、唯一の婚約者だった。
だが、最近になって「陛下は聖女殿と親しいらしい」という噂が宮廷中に広まる。
聖女は誰もが認める美しい女性で、陛下の隣に立つ姿は絵のようにお似合い――私など必要ないのではないか。
胸を締め付ける不安に耐えかねた私は、ついにアランへ婚約破棄を申し出る。
「……私では、陛下の隣に立つ資格がありません」
けれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「お前は俺の妻になる。誰が何と言おうと、それは変わらない」
噂の裏に隠された真実、幼馴染が密かに抱き続けていた深い愛情――
一度手放そうとした運命の絆は、より強く絡み合い、私を逃がさなくなる。
【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる