公爵令嬢、爵位を弟に譲って隠居したのにどうして悪党狩りなんてしているのでしょう?

しおしお

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第2章 悪徳貴族の噂と“仮面の令嬢”の誕生

2-2 調査開始

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2-2 調査開始

 夜の帳が森を包み込む頃、アメリアは静かに別邸を出た。
 月は雲に隠れ、星の光もかすかにしか見えない――潜入には最適の夜である。

 深い紺色の外套をまとい、白銀の仮面をつけた姿は、
 昼間の公爵令嬢とは別人のようだった。

(……父様の仮面を借りることになるなんて思いませんでしたけれど)

 鏡の前で顔を覆った時、アメリアは奇妙な感覚を覚えた。
 仮面の下では、恐れや迷いといった感情が薄れ、
 代わりに“やるべきこと”だけが鮮明に浮かび上がる。

(ほんの少しだけ……ほんの少しだけ様子を見るだけ。
 隠居の邪魔になるほど深入りするつもりはありませんわ)

 そう自分に言い聞かせながら、馬に跨り、静かに森を抜けた。

◆◆◆

 男爵領マルシェン――
 アメリアの別邸から半日ほどの距離にある、小さな領地である。

 しかし、到着した夜の街は妙な雰囲気に包まれていた。

 家々の燭台の灯りはやけに暗く、
 人々が怯えるように家へ閉じこもっている気配がある。

(……空気が悪いですわね)

 アメリアは馬を街外れに停め、徒歩でゆっくりと様子を伺いながら街へ入った。

 夜の路地に人影はほとんどない。
 遠くで男達が怒鳴り散らす声が響く。

「さっさと働け! 明日の朝までに運び終わらなかったら許さんぞ!」

「ひ、ひいっ……!」

 アメリアは物陰からそっと覗き込んだ。
 小さな倉庫前で、男爵家の兵士と思われる男たちが、村人を無理やり働かせている。

(言葉通り“強制労働”をしているようですわね)

 作業している村人の顔は青ざめ、疲労困憊している。
 年寄りまで酷使されているのを見て、アメリアのこめかみがぴくりと動く。

(働かなければ飢える。
 しかし、働けば働くほど搾取される……
 そんな悪循環を作り出したのが領主だとすれば……)

 アメリアは外套の袖を握り締めた。

(許せませんわね)

◆◆◆

 次にアメリアが向かったのは、男爵家の屋敷周辺だ。

 もちろん、正面から入るつもりなどない。

 屋敷の周囲には兵が巡回し、門は閉じられている。
 しかし、アメリアは迷わなかった。
 父譲りの洞察力と、政務に携わってきた経験がある。

(この塀……古い構造ですわね。
 こちら側の角、石がわずかに凹んで……足を掛けられそう)

 アメリアは石壁に手をかけ、軽い身のこなしで塀の上に登る。

(ふぅ……昔、侍女と木登りをした経験がこんなところで役に立つなんて)

 塀の内側には、護衛の陰を避けて移動できる広い庭がある。
 アメリアは影と影の間を縫うように進んだ。

(この時間なら、書斎か地下倉庫……どちらかに“証拠”が残っているはず)

 アメリアは父がよく言っていた言葉を思い出す。

『悪事を働く者は、必ず帳簿を隠す。
 だが帳簿を隠す者ほど帳簿に頼るものだ』

(お父様……あなたの教えを使う日が来ましたわ)

◆◆◆

 屋敷裏の古びた扉を見つけ、アメリアは耳を寄せた。

(……人の気配はなし)

 錠前を調べ、細い針金を取り出す。
 これはアメリアが趣味でつくった道具であり、侍女には「なぜそんなものを……」と呆れられた。

 だが今は役に立つ。

「……はい、開きましたわ」

 小さく呟き、中へと滑り込む。

 薄暗い地下へ続く階段。
 アメリアは灯りを探り、壁に掛けられたランプに火を灯した。

(ここの……奥ですわね)

 ランプの光が照らした先には、古い木箱が積み重ねられている。

 アメリアは片っ端から蓋を開けた。

「これは……食糧?
 大量の保存肉と小麦……村から搾り取ったものですわね」

 別の箱には――。

「娘の髪飾り……?
 これは……酷い」

 さらに奥の棚には帳簿がずらりと並んでいる。

 アメリアは素早く一冊取り出し、内容を確認した。

(……やはり不正は真実でしたわね)

 税の不正徴収。
 支援物資の横流し。
 村の娘を屋敷へ連れこむ記録まで――細かく、悪びれず、記されている。

(証拠としては十分すぎますわ)

 しかし、アメリアの目が止まったのは別の箇所だった。

「……これは?」

 帳簿の一角に、奇妙な支出欄があった。

『匿名の大貴族へ送金 金額:二十万グラウン』

「匿名……?
 通常、貴族同士の送金は匿名にはできないはず。
 偽名にしても……これは手が込みすぎていますわね」

 しかも、送金額は尋常ではない。

(男爵領の財政規模なら……あり得ない額ですわ)

 アメリアは胸の奥がざわつくのを感じた。

(やはり……裏に“誰か”いますわね)

 薄暗い地下で、アメリアは静かに息を吸い込んだ。

「……この手口。
 小物貴族の男爵が思いつくとは思えませんわ」

 帳簿以外にも、男爵が使っていた“契約書”や“覚書”を探り、いくつかを袋に収めた。

(この証拠があれば、明日にでも男爵を追い詰められますわね)

 だが、それだけでは終わらない。

(問題は……この先にいる“大物”。
 その正体がわからなければ、同じことが繰り返されますわ)

 ランプの炎が揺れ、アメリアの仮面に光が反射する。

 その瞳には、先ほどまでの優雅な令嬢の面影はない。

「――とことん調べて差し上げましょう」

◆◆◆

 屋敷を出て馬に戻った頃には、夜明け前の薄明かりが森を照らし始めていた。

(ふぅ……明日は男爵の処理をしましょう。
 でも、その後はまた隠居に戻れるはずですわね)

 そう思っていた。

 本気でそう信じていた。

 だが――。

(この“匿名の大貴族”……何者かしら)

 その答えが、アメリアの想像を遥かに超えた人物であることを、
 この時の彼女はまだ知らなかった。
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