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第2章 悪徳貴族の噂と“仮面の令嬢”の誕生
2-1 悪徳貴族の噂
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2-1 悪徳貴族の噂
隠居生活を始めて三日目の朝。
アメリアは庭のハーブ園にしゃがみ込み、収穫したばかりのレモンバームを籠に入れていた。
「……ふふ。いい香りですわ」
陽光は柔らかく、風は爽やかで、鳥の声は穏やか。
まさに理想としていた静かな時間である。
(これぞ隠居の醍醐味ですわね。
お茶を淹れて、本を読んで、お昼寝して……)
心がふわふわと軽くなる。
これまで、小さな自由すらなかったのだから。
そんな時だった。
「……ったく、あの男爵様、またやったらしいぞ」
「娘を屋敷に連れていかれたって話、聞いただろ?」
別邸近くの道を通りかかった商人たちの会話が、アメリアの耳に入った。
アメリアの手が止まる。
(……娘? 連れていかれた?)
彼女は気づかれないようにそっと立ち上がり、庭の木陰から耳を澄ませた。
「もう村じゃ大騒ぎだ。戻ってこない娘が何人もいるって話だし……」
「税も上がりっぱなしだしよ。男たちは強制労働みたいに働かされて――」
「なのに誰も逆らえねぇ。領主の男爵が兵を使って脅してくるからな」
「でもよ、それだけじゃねぇ。金の流れもおかしいらしいぞ」
「おかしい?」
「どうも、あの男爵の後ろに“誰か”いるっぽいんだ」
アメリアの眉がぴくりと動く。
(誰か……?)
「村の役人が言ってたんだけどよ。徴収された金が、一部は別の貴族に流れてるとかなんとか」
「汚職ってやつか?」
「そうそう。でも男爵なんて、小さな領地しか持ってねぇだろ。
あの領地から吸える金なんて、高が知れてるのに……」
「どこかの大物貴族が裏にいるんじゃないかって話だ」
商人たちはそう言いながら、荷馬車を引いて森の奥へ進んでいった。
◆◆◆
アメリアは庭に一人取り残された状態で、しばらく言葉を失っていた。
「…………」
レモンバームの爽やかな香りが、ふと鼻を抜ける。
だが、気持ちはそれに追いつかない。
(女の子が……連れ去られている?
村人が搾取? 税の不正?
強制労働まで……?)
胸の奥に、じわりと黒い怒りが広がる。
(……事実なら、貴族の風上にも置けませんわ)
アメリアは本来、争いや権力争いが嫌いだ。
だからこそ隠居した。
自分の時間を守り、自分の心の安らぎを選んだ。
だが――。
(これは、見逃して良い話ではありませんわね)
次々と浮上する疑念。
裏に大物貴族の影がある、という噂。
そして何より、“民を守るべき貴族”が民を苦しめているという現実。
「嫌ですね……」
アメリアは籠を置き、両手で顔を覆った。
「どうして私、こういう話に弱いのでしょう……?
本当は、静かに暮らしたいだけなのに」
風が小さく草花を揺らす。
それは、まるでアメリアの心が揺さぶられているかのようだった。
(でも……放っておけば、もっと多くの人が苦しむ。
見過ごしたら……きっと後悔しますわ)
アメリアは静かに立ち上がった。
その目には、先ほどとは違う鋭さが宿っている。
「……仕方ありませんわね。
“少しだけ”様子を見に行きましょう。ほんの少しだけ」
だが彼女自身、“少しだけ”では済まないことを薄々分かっていた。
父に鍛えられ、公爵家の政務にも深く関わってきたアメリアには、
ずば抜けた判断力と洞察力がある。
ましてや、民の声を軽視するような貴族は、彼女にとって断じて許せない存在だ。
(男爵だけなら……すぐに解決できますわ。
でも、その“裏”が本当に存在するのなら……)
アメリアは深く息を吸った。
「行くしかありませんわね」
その声には、もう迷いはなかった。
◆◆◆
夕暮れ時、アメリアは屋敷の奥の衣装部屋で一枚の外套を取り出した。
深い紺色――夜の闇に溶けるような色の外套。
そして、小さな箱を開く。
中には、白銀の仮面。
(まさか、これを使う日が来るなんて……父様も思っていなかったでしょうね)
父の若い頃の趣味――悪事を暴くための変装道具だ。
アメリアは手に取り、ゆっくりと顔に当てる。
鏡には、令嬢とは思えぬ冷徹な瞳が映った。
「……ふふ。
“隠居生活”を始めたばかりですのに、どうしてこうなりますの?」
自嘲するように笑い、外套を羽織る。
「でも、誰かがやらなければなりませんわ。
幸い……私は暇ですもの」
仮面の下で、アメリアは静かに微笑んだ。
こうして――
翌夜、村人たちが密かに語り合う存在が生まれる。
“仮面の令嬢”。
その第一歩が、今まさに踏み出された。
隠居生活を始めて三日目の朝。
アメリアは庭のハーブ園にしゃがみ込み、収穫したばかりのレモンバームを籠に入れていた。
「……ふふ。いい香りですわ」
陽光は柔らかく、風は爽やかで、鳥の声は穏やか。
まさに理想としていた静かな時間である。
(これぞ隠居の醍醐味ですわね。
お茶を淹れて、本を読んで、お昼寝して……)
心がふわふわと軽くなる。
これまで、小さな自由すらなかったのだから。
そんな時だった。
「……ったく、あの男爵様、またやったらしいぞ」
「娘を屋敷に連れていかれたって話、聞いただろ?」
別邸近くの道を通りかかった商人たちの会話が、アメリアの耳に入った。
アメリアの手が止まる。
(……娘? 連れていかれた?)
彼女は気づかれないようにそっと立ち上がり、庭の木陰から耳を澄ませた。
「もう村じゃ大騒ぎだ。戻ってこない娘が何人もいるって話だし……」
「税も上がりっぱなしだしよ。男たちは強制労働みたいに働かされて――」
「なのに誰も逆らえねぇ。領主の男爵が兵を使って脅してくるからな」
「でもよ、それだけじゃねぇ。金の流れもおかしいらしいぞ」
「おかしい?」
「どうも、あの男爵の後ろに“誰か”いるっぽいんだ」
アメリアの眉がぴくりと動く。
(誰か……?)
「村の役人が言ってたんだけどよ。徴収された金が、一部は別の貴族に流れてるとかなんとか」
「汚職ってやつか?」
「そうそう。でも男爵なんて、小さな領地しか持ってねぇだろ。
あの領地から吸える金なんて、高が知れてるのに……」
「どこかの大物貴族が裏にいるんじゃないかって話だ」
商人たちはそう言いながら、荷馬車を引いて森の奥へ進んでいった。
◆◆◆
アメリアは庭に一人取り残された状態で、しばらく言葉を失っていた。
「…………」
レモンバームの爽やかな香りが、ふと鼻を抜ける。
だが、気持ちはそれに追いつかない。
(女の子が……連れ去られている?
村人が搾取? 税の不正?
強制労働まで……?)
胸の奥に、じわりと黒い怒りが広がる。
(……事実なら、貴族の風上にも置けませんわ)
アメリアは本来、争いや権力争いが嫌いだ。
だからこそ隠居した。
自分の時間を守り、自分の心の安らぎを選んだ。
だが――。
(これは、見逃して良い話ではありませんわね)
次々と浮上する疑念。
裏に大物貴族の影がある、という噂。
そして何より、“民を守るべき貴族”が民を苦しめているという現実。
「嫌ですね……」
アメリアは籠を置き、両手で顔を覆った。
「どうして私、こういう話に弱いのでしょう……?
本当は、静かに暮らしたいだけなのに」
風が小さく草花を揺らす。
それは、まるでアメリアの心が揺さぶられているかのようだった。
(でも……放っておけば、もっと多くの人が苦しむ。
見過ごしたら……きっと後悔しますわ)
アメリアは静かに立ち上がった。
その目には、先ほどとは違う鋭さが宿っている。
「……仕方ありませんわね。
“少しだけ”様子を見に行きましょう。ほんの少しだけ」
だが彼女自身、“少しだけ”では済まないことを薄々分かっていた。
父に鍛えられ、公爵家の政務にも深く関わってきたアメリアには、
ずば抜けた判断力と洞察力がある。
ましてや、民の声を軽視するような貴族は、彼女にとって断じて許せない存在だ。
(男爵だけなら……すぐに解決できますわ。
でも、その“裏”が本当に存在するのなら……)
アメリアは深く息を吸った。
「行くしかありませんわね」
その声には、もう迷いはなかった。
◆◆◆
夕暮れ時、アメリアは屋敷の奥の衣装部屋で一枚の外套を取り出した。
深い紺色――夜の闇に溶けるような色の外套。
そして、小さな箱を開く。
中には、白銀の仮面。
(まさか、これを使う日が来るなんて……父様も思っていなかったでしょうね)
父の若い頃の趣味――悪事を暴くための変装道具だ。
アメリアは手に取り、ゆっくりと顔に当てる。
鏡には、令嬢とは思えぬ冷徹な瞳が映った。
「……ふふ。
“隠居生活”を始めたばかりですのに、どうしてこうなりますの?」
自嘲するように笑い、外套を羽織る。
「でも、誰かがやらなければなりませんわ。
幸い……私は暇ですもの」
仮面の下で、アメリアは静かに微笑んだ。
こうして――
翌夜、村人たちが密かに語り合う存在が生まれる。
“仮面の令嬢”。
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