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第2章 悪徳貴族の噂と“仮面の令嬢”の誕生
2-4 黒幕の影
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第2章 2-4 黒幕の影
――静かなる隠居令嬢、巨悪の匂いを嗅ぎつける
夜明け前の冷たさが、屋敷の廃墟に残る埃と血の気配を薄めていく頃――アメリアは、男爵邸の奥深くにある書庫へ足を踏み入れた。
すでに男爵は捕縛し、村人たちの安全も確保した。
本来なら「仕事終わり」とばかりに帰って、熱い紅茶を淹れて、分厚い恋愛小説の続きを読む時間であるはずだった。
だが、彼女の足は書庫で止まり、小さくため息を落とした。
「こんな時間に……。
わたくし、なぜ隠居しているはずなのに、まだ働いているのでしょう……?」
誰に聞かせるでもない愚痴をこぼしながらも、アメリアの手つきは実に手慣れている。
書棚から帳簿、封書、金庫に入った文書束——次々に取り出していく。
男爵本人は尋問でほとんど白状したが、アメリアは確証が欲しかった。
“裏”の仕事に手を染めている貴族は、たいてい口より証拠のほうが正直なのだ。
「さて……」
机に並べた帳簿には、酔いどれの男爵がつけたとは思えないほど几帳面な出納が書かれていた。
収穫税の上前、労働者からの不当徴収、違法売買まで……薄汚れた金の流れは、あらゆる数値に赤裸々に刻まれている。
アメリアは目を細めた。
「……妙ですわね。これほど規模が大きいのに、男爵領の財務には“盗賊団”のような粗さがない」
そして、最も奇妙なのは――
記載されている“金の行き先”の欄だった。
◆
「“匿名子爵家”……?
いいえ、これは……明らかに偽名ですわね」
帳簿の一番下に記されていたのは、“アデルマン子爵”という名。
だが、アメリアは貴族名簿をすべて覚えている。
四年前まで宮廷で働いていたため、王都の貴族構成は頭に叩き込んであった。
「そんな子爵家、王国には存在しません。……つまり偽名」
そして一枚の書簡を開いた瞬間、アメリアの肩がぴくりと動いた。
精密な字、法的な抜け穴をつくように書かれた契約書の文言。
そして何より——
「……この筆跡。見覚えがありますわ」
アメリアは眉間を押さえる。
嫌な予感。
けれど無視できない、決して。
机の端に置いた蝋燭の火が、紙の角を照らし出す。
『納品の件は滞りなく処理せよ。
例の“伯爵家の令嬢”の件も、こちらで調整を進めている。
お前は黙って金だけ運べばよい。
——S・G』
――S・G。
アメリアの心臓が一瞬止まったような感覚に陥った。
「S・G……。
スティーヴン・グレイソン……侯爵家の跡取り。わたくしの……元婚約者」
思った以上に声が震えていた。
彼との婚約期間は一年。
その間に何度も彼の署名や文書を目にした。
私的な手紙も、政務の書類も。
すべて、今目の前にある“契約書”の筆跡と一致していた。
「……まさか、本当にあなたが黒幕だったとは。
けれど、これは状況証拠。
確たる証拠を王宮へ持っていくには、もっと核心に迫らなくてはなりませんわね」
アメリアの視線は冷たく鋭い。
隠居生活でぼんやりしているように見えても、もとは公爵家の長女。
優秀な弟を育て上げるほどの才覚を持つ。
ただの“隠居令嬢”ではない。
「……はぁ……。
本当にわたくし、どうして隠居しているのに、悪党の尻ぬぐいを……?」
ぶつぶつ文句を言いながらも、手は止まらない。
◆
屋敷を後にし、馬にまたがる。
村の灯りは遠く、森の奥へ向かう道は薄闇に包まれている。
アメリアは夜風にさらされながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(スティーヴン……)
彼は常に「慈悲深い貴族」「次代の侯爵家を背負う若き俊才」と称えられていた。
アメリア自身も、婚約者時代はその言葉を信じていた。
——だが、彼が見せた素顔は
「爵位を持たないお前に価値はない」
と吐き捨てる男。
その醜さを思い出し、胸が冷える。
「……あなたの言葉、忘れてなどおりませんわ。
けれどまさか、公的な悪事まで働いているなんて……」
月明かりに照らされた道を駆けながら、アメリアは決意を固めていく。
「こうなった以上……真っ直ぐあなたの喉元に刃を突き立てに行くしかありませんわね」
比喩的な意味で。
だが、彼女の眼差しは抜き身の剣のように鋭かった。
◆
自宅の隠居小屋へ戻ると、彼女はすぐに机へ向かい、証拠資料を整える。
だが夜半過ぎ、彼女はふと動きを止めた。
「……スティーヴン。
貴方、あの程度の小物男爵を使って何を企んでいるの?」
書簡に記された金額は、男爵一人の贅沢にしては明らかに桁が違う。
大規模な資金洗浄。
労働力の搾取。
そして“伯爵家の令嬢の調整”——恐ろしい言葉。
その計画の中心に、かつての婚約者がいる。
「あなたの狙い……わたくし自身なのかしら?」
仮面の令嬢として悪徳貴族を潰したことが、すでに“向こう側”に気づかれている可能性。
胸が微かにざわつく。
「面倒ごとは嫌いなのですけれど……。
でも、これは許せませんわ」
アメリアは静かに椅子から立ち上がった。
そして、仮面と外套をかけた壁のフックに手を伸ばす。
「隠居令嬢は、平穏を守るためにも……もうひと仕事、必要ですわね」
月明かりが、仮面の片側を照らした。
その光は、まるでこれから始まる嵐の前触れのように、青白く輝いていた。
――静かなる隠居令嬢、巨悪の匂いを嗅ぎつける
夜明け前の冷たさが、屋敷の廃墟に残る埃と血の気配を薄めていく頃――アメリアは、男爵邸の奥深くにある書庫へ足を踏み入れた。
すでに男爵は捕縛し、村人たちの安全も確保した。
本来なら「仕事終わり」とばかりに帰って、熱い紅茶を淹れて、分厚い恋愛小説の続きを読む時間であるはずだった。
だが、彼女の足は書庫で止まり、小さくため息を落とした。
「こんな時間に……。
わたくし、なぜ隠居しているはずなのに、まだ働いているのでしょう……?」
誰に聞かせるでもない愚痴をこぼしながらも、アメリアの手つきは実に手慣れている。
書棚から帳簿、封書、金庫に入った文書束——次々に取り出していく。
男爵本人は尋問でほとんど白状したが、アメリアは確証が欲しかった。
“裏”の仕事に手を染めている貴族は、たいてい口より証拠のほうが正直なのだ。
「さて……」
机に並べた帳簿には、酔いどれの男爵がつけたとは思えないほど几帳面な出納が書かれていた。
収穫税の上前、労働者からの不当徴収、違法売買まで……薄汚れた金の流れは、あらゆる数値に赤裸々に刻まれている。
アメリアは目を細めた。
「……妙ですわね。これほど規模が大きいのに、男爵領の財務には“盗賊団”のような粗さがない」
そして、最も奇妙なのは――
記載されている“金の行き先”の欄だった。
◆
「“匿名子爵家”……?
いいえ、これは……明らかに偽名ですわね」
帳簿の一番下に記されていたのは、“アデルマン子爵”という名。
だが、アメリアは貴族名簿をすべて覚えている。
四年前まで宮廷で働いていたため、王都の貴族構成は頭に叩き込んであった。
「そんな子爵家、王国には存在しません。……つまり偽名」
そして一枚の書簡を開いた瞬間、アメリアの肩がぴくりと動いた。
精密な字、法的な抜け穴をつくように書かれた契約書の文言。
そして何より——
「……この筆跡。見覚えがありますわ」
アメリアは眉間を押さえる。
嫌な予感。
けれど無視できない、決して。
机の端に置いた蝋燭の火が、紙の角を照らし出す。
『納品の件は滞りなく処理せよ。
例の“伯爵家の令嬢”の件も、こちらで調整を進めている。
お前は黙って金だけ運べばよい。
——S・G』
――S・G。
アメリアの心臓が一瞬止まったような感覚に陥った。
「S・G……。
スティーヴン・グレイソン……侯爵家の跡取り。わたくしの……元婚約者」
思った以上に声が震えていた。
彼との婚約期間は一年。
その間に何度も彼の署名や文書を目にした。
私的な手紙も、政務の書類も。
すべて、今目の前にある“契約書”の筆跡と一致していた。
「……まさか、本当にあなたが黒幕だったとは。
けれど、これは状況証拠。
確たる証拠を王宮へ持っていくには、もっと核心に迫らなくてはなりませんわね」
アメリアの視線は冷たく鋭い。
隠居生活でぼんやりしているように見えても、もとは公爵家の長女。
優秀な弟を育て上げるほどの才覚を持つ。
ただの“隠居令嬢”ではない。
「……はぁ……。
本当にわたくし、どうして隠居しているのに、悪党の尻ぬぐいを……?」
ぶつぶつ文句を言いながらも、手は止まらない。
◆
屋敷を後にし、馬にまたがる。
村の灯りは遠く、森の奥へ向かう道は薄闇に包まれている。
アメリアは夜風にさらされながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(スティーヴン……)
彼は常に「慈悲深い貴族」「次代の侯爵家を背負う若き俊才」と称えられていた。
アメリア自身も、婚約者時代はその言葉を信じていた。
——だが、彼が見せた素顔は
「爵位を持たないお前に価値はない」
と吐き捨てる男。
その醜さを思い出し、胸が冷える。
「……あなたの言葉、忘れてなどおりませんわ。
けれどまさか、公的な悪事まで働いているなんて……」
月明かりに照らされた道を駆けながら、アメリアは決意を固めていく。
「こうなった以上……真っ直ぐあなたの喉元に刃を突き立てに行くしかありませんわね」
比喩的な意味で。
だが、彼女の眼差しは抜き身の剣のように鋭かった。
◆
自宅の隠居小屋へ戻ると、彼女はすぐに机へ向かい、証拠資料を整える。
だが夜半過ぎ、彼女はふと動きを止めた。
「……スティーヴン。
貴方、あの程度の小物男爵を使って何を企んでいるの?」
書簡に記された金額は、男爵一人の贅沢にしては明らかに桁が違う。
大規模な資金洗浄。
労働力の搾取。
そして“伯爵家の令嬢の調整”——恐ろしい言葉。
その計画の中心に、かつての婚約者がいる。
「あなたの狙い……わたくし自身なのかしら?」
仮面の令嬢として悪徳貴族を潰したことが、すでに“向こう側”に気づかれている可能性。
胸が微かにざわつく。
「面倒ごとは嫌いなのですけれど……。
でも、これは許せませんわ」
アメリアは静かに椅子から立ち上がった。
そして、仮面と外套をかけた壁のフックに手を伸ばす。
「隠居令嬢は、平穏を守るためにも……もうひと仕事、必要ですわね」
月明かりが、仮面の片側を照らした。
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