「幼すぎる」と婚約破棄された公爵令嬢ですが、意識不明から目覚めたら絶世の美女になっていました

しおしお

文字の大きさ
6 / 8

第二部 第2章:遠き国からの迎えと、始動する運命

しおりを挟む
 あの長き眠りから目覚めて、まだ日は浅い。
 けれども、シルフィーネ・エルフィンベルクの周囲は日に日に慌ただしくなっていた。ノルディア王国から打診された「王太子エドワルドとの縁談」。それは単なる噂話などではなく、王宮およびエルフィンベルク公爵家双方にとって重要な外交案件として、着実に具体化しつつある。

 シルフィーネ自身は依然として完全な体力を取り戻したわけではなく、日に何度か休息を必要とする身。それでも、一年以上もの時間を失いながらも再び歩み出せることを思えば、少しずつでも前進している実感があった。
 父ルドルフ公爵と母マリア夫人は、彼女に「焦らずゆっくりでいい」と声をかけつつも、一方でノルディア王国との調整を進めざるを得ない立場でもある。公爵家は先の事件で大きく名声を高めたが、同時に国からの期待も増し、「エルフィンベルク家令嬢の政略結婚」は王家が進めたい外交カードの一つとなってしまったのだ。

 こうして、シルフィーネの“第二の人生”は“政略結婚”という形で動き出すこととなる。しかし、まだ実際にエドワルド王太子には会ったこともない。それどころか、彼がどのような人柄か、具体的な情報すら希薄だ。周囲から聞こえてくるのは「容姿端麗で温厚」「国民思いの名君候補」という美辞麗句ばかり。信じたい気持ちはあるが、前婚約者ライオネルの一件を考えれば、鵜呑みにはできない――。

 そんなシルフィーネの心情とは裏腹に、事態は大きく進展しようとしていた。


---

1.ノルディア王国からの使者

 ある日の午前、まだ朝靄(あさもや)のかかったエルフィンベルク公爵家の門前に、大型の馬車と数名の騎士たちが姿を現した。ノルディア王国の紋章が刻まれた旗が翻り、一目で“異国の使節”と分かる出で立ちである。

「ノルディア王国・王太子付近衛隊副長、グレゴール・ヴァルトナー。ただいま参上いたしました。エルフィンベルク公爵殿、ならびにシルフィーネ令嬢に謁見の許可をいただきたく――」

 門番にそう告げる男は、長身で浅黒い肌と鋭い眼光を持つ壮年の騎士。彼の背後には屈強な騎士数名が控えており、明らかにこの国の貴族たちとは違う雰囲気をまとっている。
 急報を受けた公爵家の使用人たちは慌てながらも、ルドルフ公爵の命で彼らを応接室へ案内した。まだ王太子本人が同行しているわけではないが、こうして“公式な使者”が訪れること自体、政略結婚の手続きが具体化している証左に他ならない。

 応接室へ通されたグレゴールは、ルドルフ公爵とマリア夫人、そしてシルフィーネが揃う場で恭しく礼を取り、持参した書簡を差し出した。その封蝋(ふうろう)には確かに“ノルディア王国王太子”の紋章が押されており、厳粛な空気が漂う。

「こちらは、我がノルディア王国第一王太子エドワルド・フォン・ノルディア閣下からの親書でございます。閣下は近々、この国へ公式訪問される予定であり――その際、シルフィーネ令嬢との顔合わせも是非叶えたい、と熱望されております」

 言葉尻こそ丁重だが、どこか揺るぎない自信を感じさせる声音。グレゴールの背筋はまっすぐ伸び、まるで「エドワルド王太子こそが至高の存在」と信じて疑わないような忠義を感じさせる。
 ルドルフ公爵は書簡を受け取り、中身をざっと確認する。隣に座るマリア夫人も、並ぶ文面に目を通してはうなずいた。その間、シルフィーネは少し緊張した様子で固唾を呑む。

「……なるほど、正式に“訪問”されるということですね。日程もすでに示されているようだが……思ったより早いな」

 書簡の中には、ざっくりとしたスケジュール案が記されていた。およそ二週間後にエドワルド王太子がノルディアからこの国へ入り、王宮で迎賓式を行ったあと、エルフィンベルク公爵家へも招かれたいとのこと。さらに、もし可能であれば、この国で正式に婚約を結びたい、という意向まで明示されている。

「エドワルド閣下は、我々の国のみならず、こちらの国との関係を深めるためにも、積極的に動いておられます。特に、先の事件――グラント侯爵家の不正を暴かれたエルフィンベルク家には深い敬意を抱いており、“あのお家の令嬢こそ自分に相応しい”とおっしゃっているのです」

 グレゴールは誇らしげに告げるが、その言葉を聞いたシルフィーネは内心で複雑な感情を抱いた。――いまだ直接会ったこともない王太子が、そこまで熱心に“自分を求めている”という事実。嬉しいような、落ち着かないような、戸惑いの方が大きい。

(私は何もしていない。眠っていただけ……。でも、“グラント侯爵家の不正を暴いた”ことになっているのは、周囲がそう評価しているのよね。ライオネルやアメリアを終わらせた事件の中心に、私がいたことは確かだし……)

 シルフィーネが思い返せば、確かに自身の行動や証拠提出が大きく影響して、王家内に巣食っていたロドリゲス公爵の派閥を打ち砕いたのは事実だ。自分では何か大層な英雄的行為をしたつもりはなくても、結果的に「公爵令嬢シルフィーネ」の名声は大いに高まったと聞く。

 こうして使者がやってきた以上、近々エドワルド王太子が自分の目の前に現れることになる。その時、どんな言葉を交わすのか――想像するだけで少し胸が高鳴ると同時に、「本当に政略結婚なんてうまくいくの?」という不安も拭えない。
 ひとまずルドルフ公爵とマリア夫人は、グレゴールら使節団に丁重な歓迎の意を示しつつ、「正式な回答は改めて行うが、我が娘もお会いする気はある」と伝えた。グレゴールたちは満足そうに微笑み、ノルディア王国の王太子エドワルドの素晴らしさを滔々と語ってみせる。

「閣下はとてもお優しく、国を思う志も高く、しかも巧みな政治手腕をお持ちです。ご子息……いえ、令嬢にとっても、最高の伴侶になられることでしょう。我が国の民は皆、閣下を慕っておりますよ」

「そうですか……。娘にとっても、相応しいご縁になるといいのですが」

 ルドルフ公爵は穏やかな声で受け答えする。政略結婚という言葉の響きこそ重いが、ノルディア王国がこちらを本当に高く評価しているならば、それは悪い話ではない。
 こうして、グレゴールら使節は王宮へ向かうため早々に公爵家を辞去し、その場には静かな余韻が残された。


---

2.決意と迷い、そして初めての準備

「二週間後には、エドワルド王太子がこの国へ到着する……か。思ったより時間がないわね」

 グレゴールら使節が去ったあと、マリア夫人はリビングのソファへ沈み込み、深い息をついた。父ルドルフ公爵は机に残された書簡を再確認しながら、渋い表情を浮かべている。
 一方のシルフィーネは、まだ半ば呆然としたまま、ティーカップを両手で握りしめていた。これまでも、貴族令嬢として正式な場へ出る経験はあったが、それが異国の王太子との“婚約前提のお披露目”となると話は別だ。緊張や期待、そして恐怖が入り交じって心を落ち着かせてくれない。

「母様、私……どうしたらいいんでしょう。まだ体力も戻っていないし、心の準備も……」

「大丈夫よ、シルフィーネ。あなたは焦らずに、普段どおり振る舞っていればいいの。相手は王太子とはいえ、一人の人間だもの。きちんとお話をしてみないと、何も分からないわ」

 そう言いながらも、マリア夫人の声にはわずかな緊張が滲んでいた。王家や公爵家の威信が絡む、かつ“ノルディア王国”という大国の相手。失礼な態度を取るわけにはいかないし、娘が不快な思いをしないよう守る義務もある。

「着るドレスの準備や、最低限のマナーを再確認する時間は取れるが……問題は、体調面だな。あと二週間でそこまで快復するだろうか」

 ルドルフ公爵が心配そうに呟く。シルフィーネは近頃ようやく散歩程度ならできるようになったが、長時間の立ちっぱなしや公式行事への出席となると、まだ負担が大きい。
 しかし、当の本人はここで引き下がるわけにもいかないと感じていた。政略結婚の話がどんな形であれ現実味を帯びてきた以上、それを“自分で確かめる”責務があるように思う。

(ライオネルとの破談、長い眠り……。もう、あんなふうに流されるだけで終わるのは嫌だ。私が私の未来を選ぶために、きちんと向き合わないと)

 そう心に決めると、シルフィーネは両手をきゅっと握りしめ、少し強い声で言った。

「父様、母様。私、頑張って体力を戻します。二週間後にしっかり王太子閣下とお会いして、きちんと話をしてみたいんです。……それから、自分の意志でどうするか決めたいの」

 その言葉に、ルドルフ公爵とマリア夫人は驚いた様子で顔を見合わせた後、微笑んで頷く。

「分かった。お前がそこまで言うのなら、我々も協力しよう。少しでも万全の状態で王太子閣下をお迎えできるよう、リハビリや衣装の準備も進めるとしよう」

「そうね。ドレスの仕立て直しも必要だわ。あなた、随分と背が伸びたもの。昔のドレスは軒並みサイズが合わなくなっているでしょう」

 マリア夫人が苦笑混じりに言う。確かに、目覚めてから初めてクローゼットを開いた時、かつて愛用していたドレスや靴は、どれも小さくなっていた。すでに仕立て直しが間に合わないドレスも多く、新調しなければならないものが山積みだ。

「そう言えば……ドレスを選ぶのも久しぶりですね。昔はあまり好きじゃなかったけれど、今はどうかしら」

「さあ……試してみないと分からないわ。なんだか、自分の体がいまだによく分からなくて。鏡を見るたびに他人みたいなんです」

 シルフィーネは照れ隠しのように笑う。マリア夫人やルドルフ公爵も、そんな娘の姿に少し安心したのか、「まあ、焦らず慣れていきなさい」と声をかける。
 こうして、公爵家全体が二週間後の“迎賓”と“王太子との対面”に向け、準備を加速させることになった。


---

3.急ピッチの“お披露目”準備と蘇る不安

 翌日から、シルフィーネは体調の許す限り、侍女や仕立て職人の指導を受けながら新しい衣装合わせを始めた。外見が大きく変化したことで、サイズ感だけでなく似合う色合いも以前とは違う。かつてはパステル系や淡いトーンが多かったが、今は大人びたエレガントな色も映えると評判だ。

「お嬢様には、深い青や濃いワインレッドもよくお似合いですよ。金色の髪とのコントラストが綺麗ですし、何より背筋のラインが引き立ちます」

 信頼する仕立て職人のオリヴィアが熱心に提案してくる。シルフィーネは試着室の鏡で自分の姿を眺め、少し戸惑いながらも、悪くないと思う自分がいた。
 以前なら「華やかな色は子供っぽさが際立って嫌だ」などと気にしていたが、今の姿ならむしろ落ち着いた濃い色味が様になる。だが、心のどこかで「これが本当に私なの……?」という違和感も拭いきれない。

 同時に、王太子を迎えるためのテーブルセッティングや館の装飾の打ち合わせも進む。エルフィンベルク家は公爵家の中でも屈指の格式を誇り、迎賓に不足はないが、今回の相手は異国の王太子。食事のメニューやしきたりも多少変えねばならず、使用人たちはめまぐるしく働いていた。

「ノルディア王国では、ハーブを多用した料理が好まれるらしいので、我が家でも馴染みのある食材を組み合わせれば、きっと喜んでいただけるでしょう」

「ただし、王太子閣下の体調や嗜好が分からない以上、できるだけ辛味を抑えた方が無難かと思われます」

 料理長と給仕頭があれこれ議論している声が廊下まで聞こえてきて、シルフィーネは微笑ましく思う。皆、自分のために頑張ってくれているのだ、と実感すると同時に、重大な責任を背負っていることも感じる。「もし失敗したら……?」という不安はどうしてもつきまとい、夜になるとふと眠れなくなる。

 ――しかも、寝室のベッドにつくと、どうしても思い出してしまうのだ。あの長い眠りに落ちる前、階段から突き落とされ、失意のまま意識を失った出来事。
 悪夢の中で何度も繰り返される場面――アメリアの憎悪に満ちた叫び声、転落する感覚、そして深い闇。確かに彼女は終身刑を受け、もうこの世界で自由に動けるはずもない。分かっていても、心が完全に解放されることは難しかった。

 だが、目覚めたばかりのころよりはずっと前向きになれている。自分はもうあの日の“幼い令嬢”ではない。今こそ新しい自分として、次の一歩を踏み出す時だ――そう言い聞かせるように、シルフィーネは目を閉じる。

(エドワルド王太子って、どんな方なんだろう。穏やかで聡明という噂は本当なのかしら。私のことを“ふさわしい相手だ”と思っている理由は……?)

 夜の暗闇の中、そんな想像ばかりが頭を巡り、うまく眠れない日々が続いた。嬉しさ、期待、不安、恐怖。それらすべてを抱えながら、彼女は二週間後に迫る運命の日を待つほかなかった。


---

4.王都を揺るがす歓迎の準備と、ささやかな陰謀

 エドワルド王太子の来訪が公になると、王都は急速に活気づき始めた。街道の整備や飾り付けが進み、王宮も迎賓式の準備に追われている。貴族たちもこぞって「王太子との面会」を取りつけようと奔走し、情報が飛び交う。
 中には「エルフィンベルク家の令嬢が、今度こそ“正真正銘の王妃候補”になるのでは?」という噂も流れ始め、シルフィーネは否が応でも注目の的となっていた。

「……まるで私が既に婚約を決めたみたいな噂ね。まだ正式にお会いもしていないのに……」

 そう苦笑するシルフィーネに、侍女たちは「それだけ世間が注目しているということですよ」と言う。確かに、ライオネルとの破談劇は人々の記憶に新しい。あの騒動を経て公爵家の令嬢は意識不明になったが、奇跡的に目覚め、今度は“異国の王太子との縁談”――こんな劇的な展開、下々の者にとっては格好の噂話だろう。

 そうした中、王宮へ出入りする何人かの貴族夫人たちが「王太子の歓迎会」に関して妙な動きを見せ始めているという情報もあった。
 たとえば、「シルフィーネ令嬢は体が不自由なのでは? 本当に王太子閣下のお相手が務まるのか」などと陰口を叩く者もいるらしい。また、自分の娘をエドワルド王太子に売り込もうと画策する貴族が水面下で動いているという噂も絶えない。
 ライオネルの時は「幼くて子供っぽい」と侮られたが、今度は「健康面」に難癖をつけられる可能性がある。元気に振る舞う必要があるのは、その意味でも重要だった。

「……ざまあ、と言いたいわけじゃないけれど……あまりにも勝手なものね。私が眠っていた間に、周囲は本当に好き勝手言っていたんでしょうね」

 誰に聞かせるでもなく呟いたシルフィーネの胸には、ほんの少し苛立ちがあった。だが、まだ負けるわけにはいかない。自分は確かに弱い時期もあったが、今は違う――。


---

5.運命の日、王太子の到着

 そして、ついに当日。
 朝早くから、エルフィンベルク公爵家には落ち着かない空気が漂っていた。まずは王宮での公式な歓迎式が行われ、その後、エドワルド王太子と取り巻きの者たちが公爵家を訪れることになっている。家中の使用人が最終点検を行い、庭の手入れや室内の飾り付けを整える音が響く。

「お嬢様、ご準備はいかがですか? もうすぐお時間が……」

 侍女が遠慮がちに声をかける。シルフィーネは衣装部屋の大きな鏡の前で立ち、最後の仕上げとしてヘアアクセサリーを確認していた。選んだドレスは深いロイヤルブルーに近い色合いで、襟元から胸元にかけて精緻なレースがあしらわれている。腰回りはあまり膨らませず、すっきりとしたシルエットを重視することで、かつての“子供っぽさ”を完全に払拭した形だ。

 髪はゆるやかにアップにまとめ、金色の髪が艶やかに光を反射している。鏡に映る自分の姿は、あの眠りにつく前の“自分”とはまるで別人。しばし唖然と見つめてしまったが、もう慣れるしかない。これが今のシルフィーネなのだ。

(私は、もう幼くない。大丈夫。堂々としていればいい)

 そう自分を励まし、最後にほんのり色づいたリップを指先でなじませる。すると扉がノックされ、マリア夫人の声がした。

「シルフィーネ、もう馬車の行列がこちらに近づいているそうよ。大丈夫?」

「ええ、行きましょう。……少し緊張するけど、ちゃんと歩いてみせるわ」

 そう答え、扉を開いて廊下へ出る。すると、そこには父ルドルフ公爵の姿もあった。彼は娘の姿を見るなり、短く息を呑む。
 一瞬の沈黙のあと、微かにほほ笑んで言う。

「……本当に綺麗だな。見違えたよ、シルフィーネ」

「ありがとう、父様。……私、頑張るから」

 言葉は短くとも、そこに込められた想いは大きい。ルドルフ公爵は頷き、娘をエスコートするように腕を差し出す。シルフィーネはそれをとって歩き出した。
 玄関ホールには既に使用人が整列し、外からは騎士たちの馬蹄の音が近づいてくる。やがて、屋敷の門が開け放たれ、幾台もの馬車と多くの護衛兵が続々と入ってくる様子が見えた。

「まもなく、ノルディア王太子閣下がお越しになります!」

 門番の声が響き、きらびやかな装飾の施された馬車が最後尾で止まる。その扉が開かれ、一人の青年が姿を現した。
 金の刺繍があしらわれた濃紺のタキシードに身を包み、背は高く、柔らかそうな茶色の髪をきっちりとセットしている。ややシャープな面差しで、瞳は深い青――まるで海の色を思わせる。堂々とした立ち姿には気品が漂い、周囲の空気を一変させるカリスマを感じさせる。

 シルフィーネは玄関ホールでその姿を見つめ、胸が高鳴った。――これが、エドワルド王太子……。先ほどまで感じていた不安と期待が、一気に大きな緊張感となって押し寄せる。

 エドワルド王太子はルドルフ公爵とマリア夫人に迎えられ、静かに頭を下げる。

「エルフィンベルク公爵殿、夫人。ノルディア王国第一王太子、エドワルド・フォン・ノルディアです。貴国の温かい歓迎に感謝いたします。こうして貴家へ伺える日を、ずっと待ち望んでおりました」

 穏やかで落ち着いた声。はっきりとした口調からは、自信と優雅さが感じられる。公爵夫妻も礼を返し、ルドルフ公爵が娘を紹介する。

「こちらが、私の娘、シルフィーネ・エルフィンベルクです。長い間、病に伏せっておりましたが、今はこうして元気に過ごしております」

「……はじめまして。シルフィーネ・エルフィンベルクと申します。ノルディア王国へようこそ……」

 シルフィーネがドレスの裾を軽く摘みながら、最上級の礼儀作法でお辞儀をする。視線を上げると、エドワルドの瞳が自分を見つめていた。その青い瞳には、驚きと興味がうかがえる。

「……これは……噂にたがわぬ、いえ、それ以上に美しいお方だ。まさか、ここまでとは」

 エドワルドは自分でも思わず漏らしたという体で、静かに感嘆する。周囲の護衛や使用人たちも息を呑むほどの“見初め”のようなシーン。シルフィーネは顔が熱くなるのを感じ、うつむき加減になる。だが、王太子は優しい声で言葉を続ける。

「お会いできて光栄です、シルフィーネ令嬢。お身体の方はいかがですか? ご無理なさらないよう、ゆっくりお話できれば嬉しいのですが」

 その気遣わしげな視線に、シルフィーネは少し救われる思いがした。政略結婚の相手というだけでなく、人としての優しさを感じる。表情は柔らかく、余計な緊張を強いない雰囲気がある。

「ありがとうございます、王太子閣下。私は……まだ完調とは言えませんが、こうして挨拶できるほどには回復しています。どうぞ、こちらへ……」

 シルフィーネは両親と共に、彼を館内の応接室へと案内した。ノルディアの家臣や護衛は控室へ通され、一部の側近のみが同席する形。柔らかな日差しが差し込む応接室で、テーブルの上には上等な茶葉を使った温かい紅茶と菓子が並べられている。


---

6.初めての対話と、にじみ出る“溺愛”の気配

 ソファに腰掛けたエドワルド王太子は、改めてシルフィーネの容姿を見つめていた。失礼にならない程度ではあるが、彼の瞳には隠しきれない興味と admiration(称賛)がある。

「公爵殿、夫人、そしてシルフィーネ令嬢。先の事件……グラント侯爵家の不正を暴き、国を救った働きには、私も深い敬意を抱いております。異国のことながら、その話はノルディア王宮にも届いておりました。令嬢の強さと聡明さに感銘を受け、ぜひお会いしたいと考えていたのです」

 言葉尻だけを取れば社交辞令のようにも聞こえるが、エドワルドの眼差しは真摯だった。そこに嘘や誇張は感じられない。ルドルフ公爵も胸を張りながら、「娘は立派に立ち回ったわけではありませんが……」と謙遜を交えて話す。

「閣下にそこまで言っていただくのは、娘としても光栄でしょう。しかし、娘はまだ怪我の後遺症もあり、本来の力を出し切れない状態です。どうかご理解いただきたい」

「ええ、もちろんです。私はただ、こうして直接お姿を拝見し、お話できるだけで充分。――実は、私自身、貴女の“勇気”というか、“強さ”に憧れていたんですよ」

 エドワルド王太子が穏やかな笑みを浮かべる。その笑顔は不思議と見る者を和ませ、嫌味を感じさせない。シルフィーネは一瞬、動揺を覚える。――自分のことを“勇気ある”とか“強さ”があるとか言われても、ピンとこないのだ。
 けれど、あの婚約破棄騒動やライオネルとの決闘(実際に剣を交わしたのは事実)を外側から見れば、確かに“大変な修羅場を乗り越えた公爵令嬢”と映るのだろう。

「そ、そうでしょうか……私は、自分が何をしたか、まだ整理もできていないんです。気づいたら、長い眠りについていて……」

「聞いております。大怪我を負われたとか。実際、その容態でよくぞご無事に戻られた。まさに奇跡だと思いますよ」

 エドワルドの口から“奇跡”という言葉が出ると、シルフィーネの胸は微妙に締めつけられた。――確かに、自分の生存は奇跡かもしれない。しかし、それは多くの苦しみや失った時間を伴っている。すべてを“奇跡”で片付けるのは酷かもしれないが、今は言うまい。

 その後、軽い雑談が続く中でエドワルド王太子は笑顔を絶やさず、シルフィーネに積極的に話を振ってくる。例えば、ノルディア王国の風景や気候、王城の様子などを興味深そうに語り、「いつか貴女に見せたい」とすら言ってのける。その言葉に、シルフィーネは少なからず胸が高鳴るのを感じる。――まだ初対面というのに、彼は明らかに“好意”を示しているのだ。

(これが、政略結婚の相手としてだけでなく、私自身を見てくれているということ……?)

 ライオネルの時は、最初こそ優しかったが、最終的には「子供っぽい」と突き放された。あの苦い記憶があるからこそ、エドワルド王太子の“溺愛”とも受け取れる言動には戸惑いと嬉しさが同時に押し寄せる。こんなにも率直に褒められ、優しく気遣われる経験は、これまでなかったからだ。

 しばらく会話を交わしたところで、ルドルフ公爵が「娘の体調もありますし、あまり長くは……」と遠慮気味に水を向ける。すると、エドワルドはすぐに理解を示し、「もちろん、今日は無理をさせるつもりはありません」と頷いた。

「とはいえ、私はしばらくこの国に滞在します。王宮での行事だけでなく、エルフィンベルク公爵家とも何度かお会いしたい。もし可能なら、シルフィーネ令嬢にも、無理のない範囲でいろいろとお話を……」

「ええ、喜んで。私も閣下のことをもっと知りたいです。……あの、私、あまり外出をしてこなかったので、よければノルディアの文化や風習など、いろいろ教えていただけませんか?」

 シルフィーネが勇気を出してそう口にすると、エドワルドは目を輝かせる。まるで「なんと嬉しい言葉だ」とでも言わんばかりに軽く身を乗り出し、柔らかな声で答えた。

「もちろん。私でよければ、いくらでも。……実は、こう見えて旅行好きなんですよ。ノルディア王国の各地を巡るのが好きで、この国にも興味があって……。だからこそ、エルフィンベルク令嬢のことを知った時、強く惹かれたのかもしれません」

 これを聞いたルドルフ公爵とマリア夫人は少し複雑な表情ながらも、王太子が娘に好感を持っているらしいことが分かって安心する。もしエドワルドが強引な人物なら、初対面の今日から婚約を押し付けるような態度を取るかもしれないが、彼はあくまで「令嬢の体調を尊重したい」と繰り返すだけ。そこに押し付けがましさは感じられない。

(この人なら……と、今はまだ断言できないけれど、少なくとも以前のような苦痛な“結婚”にはならなさそう)

 シルフィーネはほっと胸をなで下ろす。その一方で、エドワルドの振る舞いの端々から見え隠れする“積極的な好意”に、少し戸惑いがあった。政略結婚のはずが、彼自身が本気で惚れ込んでいるかのような雰囲気――これは本当に“溺愛”という展開に繋がるのだろうか。


---

7.予感と、動き出す歯車

 エドワルド王太子の初訪問は、シルフィーネへの過度な負担を避けるため、短時間で切り上げられた。彼は名残惜しそうに再訪を約束し、豪華な馬車の列を率いていったんだが、その後ろ姿には確かに“また会いたい”という強い思いがにじんでいた。

 玄関で見送った後、シルフィーネは小さく息をつく。両親に促されるまま応接室へ戻り、腰掛けてティーカップを取り上げると、指先が微かに震えているのに気づく。それは決して嫌悪や恐怖ではなく、むしろ高揚感や安堵によるものだった。

「どうだった、シルフィーネ?」

 ルドルフ公爵がやや興奮気味に尋ねる。あまりに好意的なエドワルド王太子の態度に、公爵としては驚きもありつつ、ほっと胸を撫で下ろしているようだ。マリア夫人も「感じの良いお方だったわね」と笑顔を見せる。

「はい……とても優しい印象でした。まだ短い時間でしたけど、私の体を気遣ってくださって……。あの、政略結婚という形を抜きにしても、悪い方ではなさそうです」

 大人びた言い回しをしながらも、顔が赤くなるのを自覚して恥ずかしくなる。両親はそんな娘の様子に、軽く目を細めている。もしかすると、本当に良縁なのかもしれない、と彼らは思っているようだ。

「とはいえ、まだ何も決まったわけじゃない。これから閣下と何度か言葉を交わし、お互いを知って、その上で正式に婚約するかどうかが決まるだろう。焦らずにいこう」

「ええ、そうですね。私もできるだけ彼とお話をしてみます。自分の人生を左右する相手ですから……」

 そう言いながら、シルフィーネは心の奥に小さな疑問を抱いていた。――エドワルド王太子は“溺愛”とも言える熱を持って自分に好意を示しているように見えるが、その裏側に何もないだろうか。
 かつて、ライオネルが“表向きの優しさ”で接しながら裏ではアメリアやロドリゲス公爵と手を組んでいたように、人間は必ずしも表裏が一致するわけではない。もちろん、エドワルドは明らかに誠実そうだし、第一印象でライオネルとは段違いだった。だが、その不安は完全には拭えない。

(私が邪推しすぎなのかもしれない。けれども、もう痛い目は見たくない。……慎重になりすぎてもいいくらいよね)

 そんな決意を新たに、彼女は立ち上がる。まだ体に重みを感じ、少しめまいがするが、ゆっくり深呼吸をすれば落ち着く。横に立つマリア夫人が心配そうに手を添えてくれる。

「シルフィーネ、あなたも少し休んだ方がいいわ。今日は色々と頑張ったでしょう」

「はい、そうします……」

 階段を上がる途中で、ふと1階の廊下の窓から外を見やると、エドワルド王太子の馬車が既に見えなくなっていた。その代わり、どこか遠くから複数の視線を感じるような気がしてならない。何かがちらりと光ったようにも思えたが、気のせいかもしれない。

 そう――実は、王都に潜むいくつかの派閥が、「シルフィーネとエドワルド王太子の縁談」を快く思っていないという噂もある。ある者は“自分の娘を推したかった”と僻(ひが)み、ある者は“公爵家ばかりが得をする”と妬む。表立って動くほどの力はないとしても、陰湿な嫌がらせ程度なら仕掛けてくる可能性も充分あり得る。

(まだ第二部は始まったばかり……私が再び苦しむようなことが起きないといいのだけれど)

 階段を上りきる頃には、少し息が上がってしまう。フロランス夫人が慌てて手を貸しながら、寝室へとシルフィーネを誘導した。布団の上に腰を下ろし、心を落ち着けるように呼吸を整えると、まぶたが重くなってくる。

「お嬢様、本当に無理しないでくださいね。すぐにお茶をお持ちしますから、少し横になっては?」

「……そうします。ありがとう、フロランス」

 こうしてシルフィーネは、初めての“王太子との対面”を終え、安堵と戸惑いの入り混じるまま休息を取る。彼女自身はまだ気づいていないが、すでにエドワルド王太子の中には“強い思い”が芽生え始めていた。そう、文字どおりの“溺愛”と言ってもいいほどの興味と執着が。
 次に会う時、どんな言葉をかけられるのか。あるいは、王太子の取り巻きや、この国の貴族たちの間でどういう波乱が巻き起こるのか――シルフィーネの運命の歯車は、ますます回転を早めていく。


---
-

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します

けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」 婚約者として五年間尽くしたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。 他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。 だが、彼らは知らなかった――。 ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。 そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。 「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」 逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。 「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」 ブチギレるお兄様。 貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!? 「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!? 果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか? 「私の未来は、私が決めます!」 皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!

婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています

ゆっこ
恋愛
 「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」  王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。  「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」  本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。  王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。  「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することはない!」「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! 最っ低!」 仕事大好き女が「お飾りの妻最高!」と恋愛感情無しで結婚したらこうなるよね、というお話。

夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。

古森真朝
ファンタジー
 「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。  俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」  新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは―― ※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。

『あなたを捨てたのは、私です』 〜冷酷公爵を追い出した元恋人ですが、隠し子ごと溺愛されています〜

ria_alphapolis
恋愛
「あなたを捨てたのは、私です」 そう告げて、公爵である彼を追い出した日から数年。 私は一人で、彼との子どもを育てていた。 愛していた。 だからこそ、彼の未来とこの子を守るために、 “嫌われ役”になることを選んだ――その真実を、彼は知らない。 再会した彼は、冷酷公爵と噂されるほど別人のようだった。 けれど、私と子どもを見るその瞳だけは、昔と変わらない。 「今度こそ、離さない」 父親だと気づいた瞬間から始まる、後悔と執着。 拒み続ける私と、手放す気のない彼。 そして、何も知らないはずの子どもが抱える“秘密”。 これは、 愛していたからこそ別れを選んだ女と、 捨てられたと思い続けてきた男が、 “家族になるまで”の物語。

婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています

由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、 悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。 王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。 だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、 冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。 再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。 広場で語られる真実。 そして、無自覚に人を惹きつけてしまう リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。 これは、 悪役令嬢として断罪された少女が、 「誰かの物語の脇役」ではなく、 自分自身の人生を取り戻す物語。 過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、 彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

処理中です...