『反省だけなら猿でもできるので、王子は王家を追放されました。』

しおしお

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第6章-1:外交問題の回避と舞踏会の招待

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 第6章-1:外交問題の回避と舞踏会の招待

アインヘリヤル王国の王都には、春の兆しが静かに訪れていた。

白く染まっていた屋根はすっかり乾き、石畳の通りには色とりどりの花を売る露店が立ち並ぶ。人々の表情にも、厳しい冬を越えた穏やかな空気が戻っていた。

だが、その裏で王宮には重苦しい緊張が流れていた。


王立謁見の間。

国王レオポルト三世は王座に腰掛け、参内している宰相や外務卿を前に、静かに一枚の書状を見つめていた。

それは、ラファール王国から届いた文書。

正式な抗議状ではないものの、そこに綴られていた言葉の一つひとつには、冷たい怒気がにじんでいた。


「王子の謝罪をもって、外交問題そのものは回避された……が」

レオポルトは、重々しい口調で口を開いた。


「それはあくまで、“形式上の収束”にすぎぬ。実際には、我らが王家の顔は、泥に塗れたままだ」


一同は黙して頷くしかなかった。


「このままでは、我が国の威信に関わる。王家として、誠意ある謝意を示さねばならぬ」


そう語った王の目には、深い苦悩が宿っていた。


「ラファール王国の第二王女、クレハ・アルフェリア・ラファール殿下を、公式に宮廷へお招きし、舞踏会を催す」


その一言に、謁見の間が静まり返る。

「舞踏会、ですか……?」

重臣の一人が、おずおずと確認する。


「うむ。国家間の友好の証として、そして“国王直々の謝罪”の場としてだ」


王は決意のこもった口調で続けた。


「我が王子の非礼は、国の不徳。よって、国家の威信を持ってこれを償う」


その言葉に、誰一人として異を唱えることはなかった。


そして数日後。

ラファール王国の在王都使節団を通じて、クレハ王女に正式な招待状が届けられた。

それは、アインヘリヤル王国の威信をかけた最大規模の社交行事。王族・貴族、外交使節に至るまで、数百名が参加する一大舞踏会だった。


クレハ王女は、その招待に対し――

「礼を失するつもりはありません」

とだけ返し、出席の意向を示した。


そして、舞踏会の開催日が決定された。

城下には華やかな準備の気配が満ち、街路には花が飾られ、王宮では給仕たちが料理と酒の用意に追われていた。


その中心には、再び姿を現すことになるクレハ王女――

かつて侮辱された立場から、今や“国を動かす王女”として招かれる存在へと変わっていた。


そして、もう一人。

彼女の登場を、複雑な思いで迎えようとしている男がいた。


エルマー・フォン・アインヘリヤル。

王子としての地位はまだ失っていなかったが、王城から遠ざけられ、王命により都の一角に設けられた小宮殿にて“自省”の名目で謹慎していた。


「……舞踏会……か」

彼は窓から差し込む光を見つめながら呟いた。


「もう一度、彼女に……謝罪できるのだろうか」

王子は知らなかった。

この舞踏会こそが、全ての終わりであり、決して“再出発”ではないことを。

この夜のために、クレハ王女がどれほど冷静に“終止符”を用意しているのかを、彼はまだ理解していなかった。



第6章-2:謝罪を超えた“復縁”を試みる王子

舞踏会当日――

アインヘリヤル王国の王城は、まるで天上の宮殿のような輝きを放っていた。

王宮の大広間には無数の燭台が灯され、天井からは純白の花々が吊るされている。

紅と金に彩られた絨毯を踏みしめ、各国の貴族や使節たちが次々と入場してくる中、エルマーは静かに会場の片隅に立っていた。


彼は、華やかさの中心からはあえて距離を取っていた。

以前の自分なら、舞踏会の主役として中央に立ち、誰よりも目立ちたがっていたはずだった。

だが今、彼の顔にはどこか緊張と戸惑いが浮かんでいた。


「……来るのだろうか」

その言葉を呟いた時、入口にどよめきが走った。


群衆が自然に左右へと割れ、一人の女性がゆっくりと姿を現した。


クレハ・アルフェリア・ラファール王女。

淡い青のドレスをまとい、宝石のような瞳をまっすぐ前へ向けたその姿は、静謐でありながらも圧倒的な存在感を放っていた。


「お美しい……」「あれが、ラファールの姫か……」

人々が囁き、道を開ける。

クレハは、周囲の反応などまるで気にかける素振りも見せず、ただ粛々と歩を進めていた。


その様子を遠くから見ていたエルマーは、拳をぎゅっと握りしめる。

(……今しかない)


今宵の舞踏会は、王が直接彼女に詫び、正式な友好の再構築を宣言する場だ。

だが、エルマーはそれだけでは足りないと考えていた。


あれだけの非礼を働き、そして謝罪を済ませた今――

次は、未来に向けて話すべきことがある。


そう思っていた。


やがて、王のスピーチが終わり、舞踏会は自由時間へと移る。

音楽が鳴り始め、人々が次々とペアを作って舞踏を始める中、エルマーは意を決してクレハの元へと向かう。


「……クレハ殿下」

「……」

クレハは振り向き、彼を一瞥した。

その視線は、冷たいわけではない。
だが、そこに“感情”と呼べるものが一切見えないことに、エルマーは一瞬たじろいだ。


「少し、お時間を頂けませんか」

「ご用件は?」

その淡々とした口調に、彼は一瞬言葉を選んだ。


「……あの日の非礼を、改めてお詫びします。
そして……もし許されるなら、改めて、あなたと婚約の話を……」


その瞬間、空気が凍った。


周囲で踊っていた貴族たちが、そのまま動きを止めたように感じられた。

クレハは、しばし沈黙の後、静かに口を開いた。


「……謝罪を受け入れたのは、礼を重んじる外交儀礼の一環です」

「……え?」

「私個人の感情を交えて、貴国との関係を悪化させることを望まなかっただけ。
あなたが誰であろうと、私にとっては“対処すべき対象”にすぎません」


エルマーは、胸の奥に冷水を流し込まれたような気分だった。

「……でも、俺は、心から……」

「……反省だけなら、猿でもできますわね」

クレハの口調は終始穏やかだった。

だが、その言葉はエルマーの心を鋭く突き刺した。


「……っ」

「お話は以上です。
あとは、王宮の皆さまとお楽しみください」

そう言い残し、クレハはくるりと背を向けた。


その姿を、エルマーは追うことができなかった。


ただ、その場に立ち尽くし、遠ざかっていく背中を黙って見送った。


舞踏会の熱気はそのまま続いていたが、彼にとっては、もう世界の音すら届かなくなっていた。


第6章-3:クレハの中座と帰国

クレハがエルマーの元を離れ、舞踏会の会場の出口へ向かっていく。

その背中は、まるで一度たりとも振り返るつもりなどないと、誰の目にも明らかだった。


彼女の姿が扉の向こうに消えた瞬間、会場の空気がふっと緩んだ。

だが、その場にいた誰もが、たった今見たものの意味を理解していた。


ラファール王国の王女が、アインヘリヤル王国の王子からの復縁の申し出を拒絶し、さらにその場を中座して立ち去った。

それが、どれほど大きな外交的意味を持つか。

それを理解できない者は、この場には一人もいなかった。


「……まさか、あそこまで冷たく……」

貴族の一人が小声で呟き、それに隣の者が首を横に振る。

「当然だろう。
第二王子が何をしでかしたのか、今や王都の市場の子供ですら知ってる。
あれは、むしろ“穏当な処理”だった」

「……だが、断交まではいかんよな?」

その問いには、誰も答えなかった。



一方、王の座の前。

レオポルト三世は、厳しい表情で事の一部始終を見届けていた。

その横に立つ宰相が、小声で言う。

「陛下。王女は舞踏会を中座されました。
おそらく、このまま……」

「帰国するだろうな」

レオポルトは静かに頷いた。


舞踏会の式次第を崩さぬよう、次なる演目が粛々と進む中、王の胸にはひとつの予感が渦巻いていた。

それは、外交の“終焉”だった。



翌日未明。

王宮の裏門から、一台の馬車が静かに出発した。

馬車には、クレハ王女とその近侍たちが乗っていた。


「本当に、よろしいのですか?」

側に座る侍女が小さく問いかける。

「もっと話し合えば、あるいは……」


クレハは窓の外を眺めながら、首を横に振った。

「時間と気持ちを浪費するのは、外交官の仕事ではありません」


「……王女様」


「これ以上、私情を混ぜた“処理”を行えば、我が国の立場が損なわれる。
私は一国の王女として、任務を果たしただけです」


クレハの声音は、冷静で、どこまでも平坦だった。


その瞳には、怒りも哀しみもなかった。

あったのは、ただ“終わった”という事実への冷徹な受容だけだった。


そしてその日の午後。

ラファール王国の王宮から、アインヘリヤル王国宛に正式な通達が届けられた。

文面は簡潔にして、明快だった。

『ラファール王国は、アインヘリヤル王国に対する外交関係の一時凍結を宣言する』

『姫君への侮辱的扱いは、王家に対する重大な非礼と見なされた』

『今後の再協議には“態度の根本的見直し”が必要とされる』


その通達が届いた瞬間、王宮全体が凍り付いた。

すでに一部の貴族たちの間では“断交”の噂が広がり始めていたが、それが現実となった形だ。


外交官たちは顔を青ざめさせ、宰相は机を拳で打ちつけ、レオポルト王はただ静かに、深くため息をついた。


「……これが、わが息子の選んだ道か」

その言葉には、怒りよりも深い絶望の響きがあった。



そしてその翌朝。

エルマーは、王宮に呼び出された。

謁見の間ではなく、王族の私室――

すなわち、非公開の場での裁定。


王の前に立ったエルマーは、静かに頭を下げた。

「……お待ちしておりました、父上」


レオポルトは椅子に腰掛けたまま、一言だけ告げた。


「エルマー・フォン・アインヘリヤル。
貴様に、王位継承権の剥奪を言い渡す」


その宣言に、エルマーは顔を上げることなく、ただ小さく頷いた。

「……承知しました」


「また、本日をもって王族としての籍も抹消する。
今後、王城への立ち入りは一切禁ずる」


それが、すべてだった。

その場にいたのは、王と王子の二人きり。

栄光の舞踏会の夜から一転――

エルマーの王子としての人生は、こうして幕を下ろした。



第6章-4:風の噂と、ひとり残された男

都の外れ、旧貴族街の片隅にひっそりと佇む館がある。

一時は、ラファール王国の王女――クレハ・アルフェリア・ラファールの“仮の住まい”として、政界・社交界でも注目の的だったその邸宅は、今や静寂に包まれていた。

庭に咲き乱れていた花々も、手入れされぬまま少しずつ枯れ、噴水も水を湛えることなく苔むしている。

そして、その屋敷に、ただ一人住まう男がいた。


エルマー・フォン・アインヘリヤル。

かつてはアインヘリヤル王国の第二王子。

今は、王族の名を剥奪され、ただの“元王子”として、静かに暮らしていた。


「……今日は、風が強いな」

彼は広間の窓辺に腰掛け、庭の木々が揺れる音に耳を傾けていた。

毎日が同じだった。

朝は簡素な食事。
昼は館内の掃除と、庭の散策。
夜は読書。

誰も来ず、誰も訪ねてこない。

だが、それで良かった。

ここは、自分の“罪”を風化させないための場所。

愚かだった過去を繰り返さぬよう、自分で選んだ隠遁の日々。


「……もうすぐ春、か」

冬枯れの庭に、わずかな緑が芽吹き始めているのが見えた。

その時だった。

扉をノックする音が響いた。

珍しいことだった。

この邸に客など、もう何ヶ月もなかった。


「失礼します、殿下……いえ、エルマー様」

顔を覗かせたのは、王宮でかつて書記官を務めていた男だった。

彼は、やや気まずそうに扉を閉め、懐から一通の便箋を取り出す。

「最近の報せでして。……これは“ただの噂”ですが」


エルマーは、黙って便箋を受け取る。


“ラファール王国、王女クレハ・アルフェリア、正式にアステラ公国の第一王子との婚約を発表”


それは、簡潔な文面だった。

でも、それで充分だった。


「……そうか」

彼は静かに便箋を折り畳み、机の上に置いた。

顔には、怒りも、焦りもなかった。

ただ、少しだけ目を閉じた。


「お悔やみを……とは申しませんが、何かお言葉でも……?」

書記官が尋ねる。


「いや……」

エルマーは首を横に振った。

「もう、彼女は俺にとって遠い人だ。
……王女として、責任を全うしただけの人間。
そして俺は、彼女に見切られて当然の男だった」


かつての彼ならば、噂に動揺し、何か行動を起こそうとしたかもしれない。

だが今の彼には、それをする権利も理由もなかった。


「俺は……ただ、失敗を学ぶだけの存在だ」

エルマーはゆっくりと立ち上がり、書棚から一冊の本を取った。

読みかけのままになっていた、政治学の古書。

その表紙には、彼が学生時代、クレハと討論を交わした記憶が刻まれている。


「教えてくれたんだ、彼女は。
言葉じゃない。態度で、姿勢で」


春の風が、再び窓から吹き込む。

エルマーはその風を、まるで過去の自分を清めるように、黙って受け入れた。


書記官が、そっと会釈して退出する。

そして館には、再び静寂が戻った。


彼は本を開き、ページをめくる。

過去を悔い、未来を築くには遅すぎるかもしれない。

けれどせめて、“愚かだった自分”を忘れないために。


「……反省だけなら猿でもできる。
そうだったな、クレハ」

呟く声は、誰にも届かない。

けれどそれは、彼にとって確かな節目だった。

誰の王子でもない、ただのエルマーとして。

彼は今日も、ひとり、静かに生きていた。


承知しました。以下に、この物語にふさわしいエピローグをご用意しました。


エピローグ:春の向こうに

アインヘリヤル王国の都にも、やがて春が訪れた。

街路樹のつぼみは一斉に花を咲かせ、市場には陽気な笑い声が戻る。けれど、どれほど季節がめぐろうと、王宮の一角にある古びた記録室の棚の奥には、ひっそりと一冊の報告書が眠っていた。

『アインヘリヤル王国とラファール王国、友好外交報告』

そこには、かつて学園での留学を通じて観察された、第二王子・エルマーの資質と態度が記録されていた。

「王子としての資質は未熟。だが、人としての変化は認められる余地あり」

その一文には、ほんのわずかにインクのにじみがあった。誰の手によるものかは、もはや誰も知らない。

時は流れ、ラファール王国とアインヘリヤル王国は、一時の断絶を経て、再び緩やかな交渉を始めていた。

けれど、王女クレハが再びこの地を訪れることはない。

彼女は今や、アステラ公国の第一王子妃として、各国の王室とも渡り合う存在になっていた。彼女の名は外交の場で語られ、政務と慈善に力を注ぐ気高き王妃として人々に讃えられている。

そして、都の片隅――

古い屋敷の小さな書斎で、男が一人、今日も本を読みながらペンを走らせる。

それは、かつて王子と呼ばれた男が、誰に命じられるでもなく綴っている記録。

自らの失敗、傲慢さ、後悔、そして学び。

誰に読まれることもなく、それでも書き続ける。

まるで、自分の存在をひとつずつ清算するかのように。

「彼女に届く言葉ではない。けれど――」

彼は小さく笑った。

「自分には必要だったんだ。ようやく、ほんの少しだけ“まっとうな人間”になれた気がする」

外では春風が吹いている。

窓辺には新しいつぼみが芽吹いていた。

そして静かに幕が下りる。

これは、とある国の、名を失った王子の物語。

そして、もう二度と交わらない、二つの人生の物語。


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