10 / 38
第十話 崩れゆく信用
しおりを挟む
第十話 崩れゆく信用
侯爵家の門前に、二台の馬車が止まりました。
紋章のない、実務的な造り。飾り気はないが、確実に“交渉”ではなく“確認”に来た者のそれです。
私は二階の窓からその様子を眺めておりました。
あら、ついに。
「奥様……」
エミリアの声が、かすかに震えます。
「落ち着いて」
私は穏やかに言いました。
「騒ぐほどのことではございません」
騒ぐのは、これからですけれど。
応接室では、義母が必死に取り繕っているはずです。声が少し高くなっているのが、廊下まで届いていました。
「一時的な遅れですわ」
「一時的というには、三度目になります」
低く抑えた男性の声。
侯爵家の信用は、今まで“名”によって支えられてきました。
けれど信用とは、積み重ねです。
一度崩れれば、修復は難しい。
私は静かに席を立ちました。
「奥様、行かれるのですか?」
「ええ。体裁を整えに」
応接室の扉を開けると、視線が一斉にこちらへ向きました。
商会の代表、金融組合の監査役、そして義母。
「失礼いたします」
私は優雅に一礼しました。
「侯爵夫人として、ご挨拶を」
形式は大切。
それだけは守る。
「本日はご足労いただきありがとうございます」
私は席に着き、静かに続けます。
「現在、当家の資金整理を進めております」
義母が目を見開きました。
整理。
その言葉は、否定でも肯定でもない。
「具体的な支払い予定は、当主より改めてご説明いたします」
私はにこやかに言いました。
嘘は言っていない。
ただ、助けないだけ。
代表の男が私をじっと見る。
「奥様は状況をご存じのようですね」
「把握しております」
「それでも動かれない?」
私はわずかに微笑みました。
「最終決定権は当主にございます」
沈黙。
男は小さく頷きました。
「承知いたしました。本日は確認のみで」
彼らが去ると、義母が私を睨みつけました。
「なぜ、あんな言い方を」
「事実を申し上げただけです」
「整理など進んでいないでしょう!」
「これから進むのでしょう?」
私は穏やかに言います。
義母は言葉を失いました。
“進める”のは、私ではない。
夕刻、アレクシスが戻るなり、執務室の扉を強く閉めました。
「君は、何をした」
「体裁を整えました」
「整理中などと言うから、余計に疑われる」
「整理されていないから疑われるのです」
彼は机に手をつき、深く息を吐きました。
「私は……甘く見ていた」
「何を」
「家の信用を」
その言葉は、初めて本音でした。
彼は軍務に集中し、屋敷の経理を義母と義弟に任せてきた。
名門であるという自信が、判断を鈍らせた。
「今からでも立て直せる」
彼は言いました。
「助言をくれ」
私は一瞬、視線を伏せました。
ここで一言言えば、流れは変わる。
穴は塞がる。
信用は完全には失われない。
けれど――
「干渉しない契約です」
静かな拒絶。
彼の肩がわずかに落ちました。
「……そこまで徹底するのか」
「約束ですもの」
彼は苦く笑いました。
「君は、本当に正しい」
「正しさは、選んだ側の責任です」
彼は何も言えない。
夜。
屋敷の廊下で、使用人たちの会話が聞こえました。
「本当に大丈夫なのかしら」
「奥様が何もしないから……」
「何もしないのではなく、できないのよ」
あら。
“できない”と思われているのですね。
それは好都合。
私が有能であると知られれば、頼られる。
頼られれば、干渉になる。
私は自室の椅子に腰を下ろしました。
灯りの下で、帳簿を広げる。
数字は、冷静に未来を示している。
このままでは、信用は半壊。
完全崩壊ではない。
けれど一度落ちた信用は、元には戻らない。
それでも私は動かない。
干渉しないと決めたのは、彼。
私はそれを守っているだけ。
崩れゆく信用は、私の選択ではない。
見ないふりを選び続けた者の代償。
屋敷の灯りが、どこか頼りなく揺れていました。
嵐はまだ、終わっていないのです。
侯爵家の門前に、二台の馬車が止まりました。
紋章のない、実務的な造り。飾り気はないが、確実に“交渉”ではなく“確認”に来た者のそれです。
私は二階の窓からその様子を眺めておりました。
あら、ついに。
「奥様……」
エミリアの声が、かすかに震えます。
「落ち着いて」
私は穏やかに言いました。
「騒ぐほどのことではございません」
騒ぐのは、これからですけれど。
応接室では、義母が必死に取り繕っているはずです。声が少し高くなっているのが、廊下まで届いていました。
「一時的な遅れですわ」
「一時的というには、三度目になります」
低く抑えた男性の声。
侯爵家の信用は、今まで“名”によって支えられてきました。
けれど信用とは、積み重ねです。
一度崩れれば、修復は難しい。
私は静かに席を立ちました。
「奥様、行かれるのですか?」
「ええ。体裁を整えに」
応接室の扉を開けると、視線が一斉にこちらへ向きました。
商会の代表、金融組合の監査役、そして義母。
「失礼いたします」
私は優雅に一礼しました。
「侯爵夫人として、ご挨拶を」
形式は大切。
それだけは守る。
「本日はご足労いただきありがとうございます」
私は席に着き、静かに続けます。
「現在、当家の資金整理を進めております」
義母が目を見開きました。
整理。
その言葉は、否定でも肯定でもない。
「具体的な支払い予定は、当主より改めてご説明いたします」
私はにこやかに言いました。
嘘は言っていない。
ただ、助けないだけ。
代表の男が私をじっと見る。
「奥様は状況をご存じのようですね」
「把握しております」
「それでも動かれない?」
私はわずかに微笑みました。
「最終決定権は当主にございます」
沈黙。
男は小さく頷きました。
「承知いたしました。本日は確認のみで」
彼らが去ると、義母が私を睨みつけました。
「なぜ、あんな言い方を」
「事実を申し上げただけです」
「整理など進んでいないでしょう!」
「これから進むのでしょう?」
私は穏やかに言います。
義母は言葉を失いました。
“進める”のは、私ではない。
夕刻、アレクシスが戻るなり、執務室の扉を強く閉めました。
「君は、何をした」
「体裁を整えました」
「整理中などと言うから、余計に疑われる」
「整理されていないから疑われるのです」
彼は机に手をつき、深く息を吐きました。
「私は……甘く見ていた」
「何を」
「家の信用を」
その言葉は、初めて本音でした。
彼は軍務に集中し、屋敷の経理を義母と義弟に任せてきた。
名門であるという自信が、判断を鈍らせた。
「今からでも立て直せる」
彼は言いました。
「助言をくれ」
私は一瞬、視線を伏せました。
ここで一言言えば、流れは変わる。
穴は塞がる。
信用は完全には失われない。
けれど――
「干渉しない契約です」
静かな拒絶。
彼の肩がわずかに落ちました。
「……そこまで徹底するのか」
「約束ですもの」
彼は苦く笑いました。
「君は、本当に正しい」
「正しさは、選んだ側の責任です」
彼は何も言えない。
夜。
屋敷の廊下で、使用人たちの会話が聞こえました。
「本当に大丈夫なのかしら」
「奥様が何もしないから……」
「何もしないのではなく、できないのよ」
あら。
“できない”と思われているのですね。
それは好都合。
私が有能であると知られれば、頼られる。
頼られれば、干渉になる。
私は自室の椅子に腰を下ろしました。
灯りの下で、帳簿を広げる。
数字は、冷静に未来を示している。
このままでは、信用は半壊。
完全崩壊ではない。
けれど一度落ちた信用は、元には戻らない。
それでも私は動かない。
干渉しないと決めたのは、彼。
私はそれを守っているだけ。
崩れゆく信用は、私の選択ではない。
見ないふりを選び続けた者の代償。
屋敷の灯りが、どこか頼りなく揺れていました。
嵐はまだ、終わっていないのです。
0
あなたにおすすめの小説
白い結婚なので無効にします。持参金は全額回収いたします
鷹 綾
恋愛
「白い結婚」であることを理由に、夫から離縁を突きつけられた公爵夫人エリシア。
だが彼女は泣かなかった。
なぜなら――その結婚は、最初から“成立していなかった”から。
教会法に基づき婚姻無効を申請。持参金を全額回収し、彼女が選んだ新たな居場所は修道院だった。
それは逃避ではない。
男の支配から離れ、国家の外側に立つという戦略的選択。
やがて彼女は修道院長として、教育制度の整備、女性領主の育成、商業と医療の再編に関わり、王と王妃を外から支える存在となる。
王冠を欲さず、しかし王冠に影響を与える――白の領域。
一方、かつての夫は地位を失い、制度の中で静かに贖罪の道を歩む。
これは、愛を巡る物語ではない。
「選ばなかった未来」を守り続けた一人の女性の物語。
白は弱さではない。
白は、均衡を保つ力。
白い結婚から始まる、静かなリーガル・リベンジと国家再編の物語。
出て行けと言ったものの、本当に出て行かれるとは思っていなかった旦那様
睡蓮
恋愛
ジーク伯爵は、溺愛する自身の妹レイアと共謀する形で、婚約者であるユフィーナの事を追放することを決めた。ただその理由は、ユフィーナが婚約破棄を素直に受け入れることはないであろうと油断していたためだった。しかしユフィーナは二人の予想を裏切り、婚約破棄を受け入れるそぶりを見せる。予想外の行動をとられたことで焦りの色を隠せない二人は、ユフィーナを呼び戻すべく様々な手段を講じるのであったが…。
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから
ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。
彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました
よどら文鳥
恋愛
ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。
ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。
ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。
更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。
再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。
ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。
後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。
ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろう、カクヨムにも掲載中です)
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる