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第十一話 揺らぎ始めた均衡
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第十一話 揺らぎ始めた均衡
侯爵家の門前に並ぶ馬車の数は、昨日より一台少なくなっていました。
来客が減ったのではありません。
“訪れる必要がない”と判断されたのです。
それは、信用の最初の喪失。
私は窓辺に立ち、その静かな変化を眺めていました。
噂はすでに広がりつつあります。
夜会での視線。商会の催告。支払い遅延。
侯爵家は揺らいでいる――
そう囁く声が、社交界の端から端へと流れていることでしょう。
「奥様」
エミリアがそっと告げました。
「本日の招待状、三件取り消しが届いております」
「まあ」
私は静かに振り返ります。
「理由は?」
「急用とのことですが……」
「急用とは便利な言葉ですわね」
私は淡く笑いました。
信用とは、目に見えない均衡。
支払いが滞り、説明が曖昧になり、噂が増えれば――
人は距離を置く。
自然な流れ。
午前中、義弟レナードが執務室から出てきました。
顔色が悪い。
「義姉上」
「何かしら」
「商会が、条件を厳しくすると言ってきた」
「そうでしょうね」
「冷静だな」
「想定内ですもの」
彼は苛立ちを隠せない。
「助言くらいできるだろう」
私は彼を見つめました。
「干渉しない契約です」
彼は舌打ちをしました。
「契約、契約と……」
「軽く扱うと、後で重くなりますわ」
それだけ告げて、私は歩き去ります。
午後、義母に呼ばれました。
応接室には緊張が張りつめている。
「あなた、本当に何もしないつもり?」
「約束を守っております」
「家が危ういのよ」
「原因を正すのが先決ですわ」
義母の目が鋭くなる。
「原因とは何だと?」
私は一瞬、沈黙しました。
言えば、干渉になる。
けれど――
「帳簿をご覧になれば分かります」
それ以上は踏み込まない。
義母は拳を握りしめました。
「あなたは、この家がどうなってもいいのね」
「私が崩すわけではございません」
静かな返答。
それが余計に彼女を苛立たせる。
夕刻、アレクシスが帰宅しました。
軍務の疲れよりも、屋敷の空気の重さが彼の表情を曇らせています。
「今日、条件変更の通達が来た」
「存じております」
「君は本当に何も言わないのだな」
「選んだのは、あなたです」
彼は椅子に腰を下ろし、額に手を当てました。
「私は、干渉しないことが、ここまで重いとは思わなかった」
「言葉は重いものです」
私はゆっくりと答えます。
「約束とは、そういうもの」
彼は顔を上げました。
「……助けてほしいと言えば?」
わずかな沈黙。
胸の奥がかすかに揺れる。
けれど私は首を横に振りました。
「契約を破ることになります」
「それでも」
「約束を軽く扱えば、次も軽くなります」
彼は苦笑しました。
「君は容赦がない」
「正確です」
夜。
屋敷の灯りが、いつもより暗く感じられる。
使用人たちの動きも、どこかぎこちない。
信用は、ゆっくりと削られている。
まだ半壊ではない。
けれど均衡は崩れ始めている。
私は自室で帳簿を閉じました。
このまま進めば、資金は回らなくなる。
是正すれば立て直せる段階。
けれど私は動かない。
干渉しない。
助けない。
見ているだけ。
それが選ばれた形。
均衡が崩れる音は、まだ小さい。
けれど確実に、響いている。
そしてその重みは、少しずつ――
彼の肩へとのしかかり始めているのでした。
侯爵家の門前に並ぶ馬車の数は、昨日より一台少なくなっていました。
来客が減ったのではありません。
“訪れる必要がない”と判断されたのです。
それは、信用の最初の喪失。
私は窓辺に立ち、その静かな変化を眺めていました。
噂はすでに広がりつつあります。
夜会での視線。商会の催告。支払い遅延。
侯爵家は揺らいでいる――
そう囁く声が、社交界の端から端へと流れていることでしょう。
「奥様」
エミリアがそっと告げました。
「本日の招待状、三件取り消しが届いております」
「まあ」
私は静かに振り返ります。
「理由は?」
「急用とのことですが……」
「急用とは便利な言葉ですわね」
私は淡く笑いました。
信用とは、目に見えない均衡。
支払いが滞り、説明が曖昧になり、噂が増えれば――
人は距離を置く。
自然な流れ。
午前中、義弟レナードが執務室から出てきました。
顔色が悪い。
「義姉上」
「何かしら」
「商会が、条件を厳しくすると言ってきた」
「そうでしょうね」
「冷静だな」
「想定内ですもの」
彼は苛立ちを隠せない。
「助言くらいできるだろう」
私は彼を見つめました。
「干渉しない契約です」
彼は舌打ちをしました。
「契約、契約と……」
「軽く扱うと、後で重くなりますわ」
それだけ告げて、私は歩き去ります。
午後、義母に呼ばれました。
応接室には緊張が張りつめている。
「あなた、本当に何もしないつもり?」
「約束を守っております」
「家が危ういのよ」
「原因を正すのが先決ですわ」
義母の目が鋭くなる。
「原因とは何だと?」
私は一瞬、沈黙しました。
言えば、干渉になる。
けれど――
「帳簿をご覧になれば分かります」
それ以上は踏み込まない。
義母は拳を握りしめました。
「あなたは、この家がどうなってもいいのね」
「私が崩すわけではございません」
静かな返答。
それが余計に彼女を苛立たせる。
夕刻、アレクシスが帰宅しました。
軍務の疲れよりも、屋敷の空気の重さが彼の表情を曇らせています。
「今日、条件変更の通達が来た」
「存じております」
「君は本当に何も言わないのだな」
「選んだのは、あなたです」
彼は椅子に腰を下ろし、額に手を当てました。
「私は、干渉しないことが、ここまで重いとは思わなかった」
「言葉は重いものです」
私はゆっくりと答えます。
「約束とは、そういうもの」
彼は顔を上げました。
「……助けてほしいと言えば?」
わずかな沈黙。
胸の奥がかすかに揺れる。
けれど私は首を横に振りました。
「契約を破ることになります」
「それでも」
「約束を軽く扱えば、次も軽くなります」
彼は苦笑しました。
「君は容赦がない」
「正確です」
夜。
屋敷の灯りが、いつもより暗く感じられる。
使用人たちの動きも、どこかぎこちない。
信用は、ゆっくりと削られている。
まだ半壊ではない。
けれど均衡は崩れ始めている。
私は自室で帳簿を閉じました。
このまま進めば、資金は回らなくなる。
是正すれば立て直せる段階。
けれど私は動かない。
干渉しない。
助けない。
見ているだけ。
それが選ばれた形。
均衡が崩れる音は、まだ小さい。
けれど確実に、響いている。
そしてその重みは、少しずつ――
彼の肩へとのしかかり始めているのでした。
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