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独占欲とツッコミ
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2-5
翌日の午後遅く、王宮の南庭は晩春を思わせる穏やかな陽射しに包まれていた。
花壇では黄水仙が風に揺れ、遠くの噴水が水鏡に陽を散らす。フェブラリーは日傘を差しながら遊歩道を歩き、傍らに並ぶ長身の影を意識していた。
「庭園散歩は久しぶりですわ。殿下は忙しいのに、よろしかったのですか?」
「公務は午前中に片づけた。君と歩く方が遥かに重要だ」
イシュタルは軽い足取りで言い切った。昨夜の“優しい約束”を守ったためか、どこか晴れやかな顔をしている。
石造りのパーゴラを抜けると、湖面のような大きな池が現れた。白鳥が二羽、羽根を寄せ合って水面を滑っていく。
その姿を眺めながら、王太子はふと立ち止まり、フェブの手を取った。
「フェブ。君を私だけのものにしたい」
「……またですか? 婚姻届に王家の大判印まで押しましたでしょう」
「書類の話ではない。心の奥底まで私だけで満たしたい」
「心まで、ですか」
「そう。君が微笑む理由も、涙をこぼす理由も、すべて私だけであってほしい」
あまりの独占宣言に、フェブは思わず吹き出した。
「殿下、それは子どもが玩具を独り占めする理屈と同じです」
「玩具扱いなどしていない」
「では“宝物”でしょうか?」
「いささか陳腐だが……的確ではある」
「宝物は磨いて鑑賞するだけで満足するのが殿下の流儀?」
「否。常に身につけて鼓動を感じ、共に年月を重ねたい」
真顔で返され、フェブの肩が震えた。笑いを堪える震えだ。
「では、私の心を“奪う”のでなく“共に歩む”と言い換えてはいかがです?」
「言葉遊びではごまかされぬ。君はもう私に心を奪われたと言っただろう?」
「ええ。ただし“全部”とは言っていません。読書に没頭している間は本に心を奪われています」
「む……」
王太子は難しい顔で顎に手を当てた。
「ならば本と私の二択なら?」
「昼間は本、夜は殿下――では不満ですか?」
「夜だけとは寂しい」
「では夕方から夜明けまで延長しましょう」
「今以上に眠らせぬ気か」
「昨日“優しく”とお願いしましたわ。睡眠不足は優しくありません」
言いながらフェブは扇子で王太子の肩を軽く叩いた。こつ、と品のいい音が鳴る。
湖畔を回り込むと、芝生の向こうに薔薇のアーチが見えた。つぼみが色づき始め、淡紅が緑に点在している。
イシュタルは歩調を緩め、アーチの下で立ち止まった。
「心を独占する方法を思いついた」
「また物騒な計画でしょうか」
「簡単なことだ。君の趣味に溶け込む。図書室を頻繁に貸し切り、共に本を読み、感想を語り合う。そうすれば、君の読書時間も私のものになる」
「それは貸し切りという名の占領では――」
「違う。共読だ」
「殿下が私の邪魔にならないなら許可します。……でも感想を語るとき、大袈裟な賛辞は控えてください」
「わかった。では率直に批評しよう。君が選ぶ恋愛小説のヒーローが私より魅力的なら、作者を国宝に認定する」
「はい、賛辞禁止令追加です」
二人で笑いながら歩き出す。その様子を遠巻きに見守る侍女や近衛兵の頬が緩んだ。
すると彼らの視線の先で、王太子が突然立ち止まる。
フェブも引き寄せられるように足を止めた瞬間、視界いっぱいに鮮紅が揺れた。庭師が摘み取って置き忘れたのか、一輪の深紅の薔薇を王太子が拾い上げ、棘を払って差し出す。
「君に似合う色だ」
「私は淡い色の方が……」
「いや、君の内側に燃える炎を象徴している」
「私の炎は、殿下の熱さに比べれば燻り火程度です」
「その火を絶やさぬよう、私が風を送り続けよう」
甘い口説き文句にフェブは薔薇を受け取り、小さな溜息をつく。
「殿下に吹かれたら一気に燃え上がりそうで怖いですわ」
「燃え尽きるまで抱きしめよう」
「抱きつく前に火傷しそうですね」
* * *
散歩を終え、白磁の間へ戻ると時刻は宵。
窓に夜の帳が下りはじめ、遠く鐘楼の音が夕を告げる。
フェブが薔薇を花瓶に挿すと、イシュタルは背後からそっと抱き寄せた。
「逃げずに戻ってくれた」
「元より逃げる気など――」
言いかけた唇を、王太子の指が制す。
「分かっている。だが確かめずにはいられない。君は自由を好むから」
「自由時間は必要です。でも、戻る場所は殿下の隣ですわ」
「それで十分だ」
イシュタルは満足げに目を細め、額を重ねる。
フェブは少しだけ身を預け、途方もない独占欲の奥に潜む純粋さを感じ取った。氷を溶かしたのは自分の存在だという事実が、胸の奥に小さな燈を灯す。
それはまだ頼りない炎だが、確かに温かい。
ランプの灯が揺らめき、二人の影を壁に映す。
薔薇色の影と藍色の影が重なり、やがて一つの輪郭に溶け合った。
――心も身体も独占されるなど、初めは冗談だと思っていた。
だが今は少しだけ、その独占の輪の中が居心地よく感じる。フェブは己の変化に戸惑いながらも、そっと目を閉じた。
外では宵の星が瞬き始める。王宮の長い回廊を行き交う灯火は、やがて二人に続く運命の行先を照らし出す。
独占欲とツッコミ――奇妙に釣り合った力学が、新たな物語を編み始めていた。
翌日の午後遅く、王宮の南庭は晩春を思わせる穏やかな陽射しに包まれていた。
花壇では黄水仙が風に揺れ、遠くの噴水が水鏡に陽を散らす。フェブラリーは日傘を差しながら遊歩道を歩き、傍らに並ぶ長身の影を意識していた。
「庭園散歩は久しぶりですわ。殿下は忙しいのに、よろしかったのですか?」
「公務は午前中に片づけた。君と歩く方が遥かに重要だ」
イシュタルは軽い足取りで言い切った。昨夜の“優しい約束”を守ったためか、どこか晴れやかな顔をしている。
石造りのパーゴラを抜けると、湖面のような大きな池が現れた。白鳥が二羽、羽根を寄せ合って水面を滑っていく。
その姿を眺めながら、王太子はふと立ち止まり、フェブの手を取った。
「フェブ。君を私だけのものにしたい」
「……またですか? 婚姻届に王家の大判印まで押しましたでしょう」
「書類の話ではない。心の奥底まで私だけで満たしたい」
「心まで、ですか」
「そう。君が微笑む理由も、涙をこぼす理由も、すべて私だけであってほしい」
あまりの独占宣言に、フェブは思わず吹き出した。
「殿下、それは子どもが玩具を独り占めする理屈と同じです」
「玩具扱いなどしていない」
「では“宝物”でしょうか?」
「いささか陳腐だが……的確ではある」
「宝物は磨いて鑑賞するだけで満足するのが殿下の流儀?」
「否。常に身につけて鼓動を感じ、共に年月を重ねたい」
真顔で返され、フェブの肩が震えた。笑いを堪える震えだ。
「では、私の心を“奪う”のでなく“共に歩む”と言い換えてはいかがです?」
「言葉遊びではごまかされぬ。君はもう私に心を奪われたと言っただろう?」
「ええ。ただし“全部”とは言っていません。読書に没頭している間は本に心を奪われています」
「む……」
王太子は難しい顔で顎に手を当てた。
「ならば本と私の二択なら?」
「昼間は本、夜は殿下――では不満ですか?」
「夜だけとは寂しい」
「では夕方から夜明けまで延長しましょう」
「今以上に眠らせぬ気か」
「昨日“優しく”とお願いしましたわ。睡眠不足は優しくありません」
言いながらフェブは扇子で王太子の肩を軽く叩いた。こつ、と品のいい音が鳴る。
湖畔を回り込むと、芝生の向こうに薔薇のアーチが見えた。つぼみが色づき始め、淡紅が緑に点在している。
イシュタルは歩調を緩め、アーチの下で立ち止まった。
「心を独占する方法を思いついた」
「また物騒な計画でしょうか」
「簡単なことだ。君の趣味に溶け込む。図書室を頻繁に貸し切り、共に本を読み、感想を語り合う。そうすれば、君の読書時間も私のものになる」
「それは貸し切りという名の占領では――」
「違う。共読だ」
「殿下が私の邪魔にならないなら許可します。……でも感想を語るとき、大袈裟な賛辞は控えてください」
「わかった。では率直に批評しよう。君が選ぶ恋愛小説のヒーローが私より魅力的なら、作者を国宝に認定する」
「はい、賛辞禁止令追加です」
二人で笑いながら歩き出す。その様子を遠巻きに見守る侍女や近衛兵の頬が緩んだ。
すると彼らの視線の先で、王太子が突然立ち止まる。
フェブも引き寄せられるように足を止めた瞬間、視界いっぱいに鮮紅が揺れた。庭師が摘み取って置き忘れたのか、一輪の深紅の薔薇を王太子が拾い上げ、棘を払って差し出す。
「君に似合う色だ」
「私は淡い色の方が……」
「いや、君の内側に燃える炎を象徴している」
「私の炎は、殿下の熱さに比べれば燻り火程度です」
「その火を絶やさぬよう、私が風を送り続けよう」
甘い口説き文句にフェブは薔薇を受け取り、小さな溜息をつく。
「殿下に吹かれたら一気に燃え上がりそうで怖いですわ」
「燃え尽きるまで抱きしめよう」
「抱きつく前に火傷しそうですね」
* * *
散歩を終え、白磁の間へ戻ると時刻は宵。
窓に夜の帳が下りはじめ、遠く鐘楼の音が夕を告げる。
フェブが薔薇を花瓶に挿すと、イシュタルは背後からそっと抱き寄せた。
「逃げずに戻ってくれた」
「元より逃げる気など――」
言いかけた唇を、王太子の指が制す。
「分かっている。だが確かめずにはいられない。君は自由を好むから」
「自由時間は必要です。でも、戻る場所は殿下の隣ですわ」
「それで十分だ」
イシュタルは満足げに目を細め、額を重ねる。
フェブは少しだけ身を預け、途方もない独占欲の奥に潜む純粋さを感じ取った。氷を溶かしたのは自分の存在だという事実が、胸の奥に小さな燈を灯す。
それはまだ頼りない炎だが、確かに温かい。
ランプの灯が揺らめき、二人の影を壁に映す。
薔薇色の影と藍色の影が重なり、やがて一つの輪郭に溶け合った。
――心も身体も独占されるなど、初めは冗談だと思っていた。
だが今は少しだけ、その独占の輪の中が居心地よく感じる。フェブは己の変化に戸惑いながらも、そっと目を閉じた。
外では宵の星が瞬き始める。王宮の長い回廊を行き交う灯火は、やがて二人に続く運命の行先を照らし出す。
独占欲とツッコミ――奇妙に釣り合った力学が、新たな物語を編み始めていた。
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