『ポンコツ社員と呼ばれた私、実はエースでした!?』

しおしお

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第1章 ノロマ子の朝は早い

セクション3:誰も知らない努力

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セクション3:誰も知らない努力


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夜のオフィス。時計の針は、すでに22時を回っていた。
昼間の喧騒が嘘のように消え、蛍光灯の半分だけが灯る空間。
残業時間の終わりを告げるチャイムも、とっくに鳴り止んでいる。

パソコンのモニターが、淡く青白い光を放っていた。
その前に座るのは、ただ一人――野呂真子。

カーペットの上には誰もいないデスクの影が並び、
エアコンの低い唸りと、キーボードの音だけが空間を支配している。

> カチャ、カチャ、カチャ――。



そのリズムは、まるで機械のように正確だった。


---

「……この書式、また違ってる。高橋さんの癖ね。」

独り言のように呟きながら、真子は画面上のセルを修正していく。
同僚が残した書類には、数字のずれ、関数の抜け、誤字脱字。
それらをひとつずつ直していく作業は地味だが、時間を要する。

“山本案件”、“佐藤見積”、“美月資料修正版”。
どのフォルダにも彼女の名前はない。

それでも、誰も彼女に「ありがとう」と言う者はいなかった。


---

フォルダを開けば、デスクトップは他人のファイルで埋め尽くされていた。

> 案件_山本_最終.xlsx
見積_佐藤_修正版.pptx
報告書_美月提出用.docx
顧客管理_第二営業部共通.csv



その一つ一つに、真子の手が入っている。
フォントの統一、グラフの整形、数値の整合性チェック。
すべて彼女の“見えない手”によって支えられていた。

「共通、って言いながら……結局、全部私の共通作業ね。」

微かに苦笑を浮かべながらも、指先は止まらない。
修正、確認、保存、再チェック――。

誰も見ていない場所で、彼女は黙々と部全体の仕事を回していた。


---

オフィスの隅にある観葉植物の影が、蛍光灯の光で揺れる。
その下に置かれた空のマグカップには、
もう冷たくなったコーヒーの香りが微かに残っていた。

「……冷めちゃったわね。」

そう呟く声は、静まり返った室内に溶けていく。
画面の中では、棒グラフが滑らかに動き、
セルの中の数字が規則的に並んでいく。

真子の目は、疲労で赤くなっていた。
それでも、眉ひとつ動かさない。

“完璧”――それが、彼女のささやかな矜持だった。


---

「どうせ、私がやるしかないのよね。」

ぽつりと零れたその言葉は、
誰かに聞かせるためではなく、
自分の心を静めるためのものだった。

それは愚痴ではなく、
もはや“現実”を受け入れた人の、落ち着いた声。

彼女は軽く伸びをしながら、
画面に映る自分の作った資料を見つめる。

見積の整合性チェック、利益率、損益分岐点。
どれもミスなく整っている。
データ検証用のマクロを走らせると、
画面の下に「0件」の文字が並んだ。

> 「よし、完璧。」



短く、しかし確信のこもった一言。


---

時計の針が23時を指した頃、
真子はようやくマウスから手を離した。

パソコンを閉じると、
蛍光灯がタイマーで一斉に消える。

室内は一瞬、闇に包まれた。

モニターの明かりだけが彼女の横顔を照らす。
その光の中で、彼女の表情はどこか穏やかだった。

(今日も終わった……。)

ゆっくりと立ち上がり、
机の上を整える。
他の社員の資料を積み重ね、
付箋に「確認済」と書いて貼り付ける。

それはまるで、誰かの影の代わりに
“明日の自分”へ仕事を引き継ぐような儀式だった。


---

ふと、窓の外に目を向ける。
夜景が静かに広がり、
遠くのビル群の明かりが瞬いている。

街の光の中に、自分の姿が反射して見えた。

(……このまま気づかれなくても、いいのかもね。)

その呟きには、悲しみも、皮肉もなかった。
ただ、淡い決意のようなものが滲んでいた。

彼女はパソコンの電源を落とし、
カーディガンを羽織る。

“ノロマ子”と呼ばれても、
誰よりも速く、正確に、そして誠実に働く。

誰かの影の中で笑われることに慣れてしまったけれど――
それでも、自分の信じるやり方を変えるつもりはなかった。


---

エレベーターを待ちながら、
反射した自分の顔を見つめる。

頬は少しこけ、目の下には薄いクマ。
だけど、その瞳の奥だけは、確かに光を宿していた。

(いつか――ちゃんと見てくれる人が、現れるかもしれない。)

そう思うと、背筋が自然と伸びた。

エレベーターが開く音。
静かに乗り込み、階下へ。


---

外の空気は、少し冷たかった。
夜風が頬を撫で、
街灯が路面に柔らかな光を落とす。

真子は小さく息を吐いて歩き出す。

その背中は華奢で、
けれど確かに“折れてはいなかった”。

彼女の努力はまだ誰にも知られていない。
だけど、確かにそこに“積み重ねた時間”があった。

ビルのガラスに反射する街の光が、
まるで彼女の努力を祝福するようにきらめく。

――そして、その光こそが、
静かに燃え続ける「野呂真子」という名の炎だった。

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