『ポンコツ社員と呼ばれた私、実はエースでした!?』

しおしお

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第1章 ノロマ子の朝は早い

セクション4:小さな火種

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セクション4:小さな火種


---

昼を過ぎたオフィスは、書類とキーボードの音が交錯する戦場のようだった。
第二営業部の島では、電話が鳴り続け、誰かのため息が絶え間なく響いている。

「ノロマ子!この資料、まだか!」
田所部長の怒声が飛ぶ。

真子は静かに顔を上げた。
「……すでにメールでお送りしました」

「は?どこにだ?」
「スケジュール共有フォルダの“クライアント資料・四半期分”にあります」

田所は眉をひそめ、パソコンを開く。
ほんの数秒後――彼の顔が引きつった。

「……ほ、ほんとにあるな……」

「ええ。昨日の夜には完成していましたので」

「な、なんで報告しない!」
「昨日のうちに提出報告のメールをお送りしましたが……」

「……け、けっ、けしからん、そんな深夜に送るな!確認できんだろ!」

オフィスの空気が凍る。
誰も笑わない。
だが、誰も助けようとはしなかった。

(もう、驚かないわ……)

真子は自分のデスクに戻り、
静かにキーボードを叩き始める。
怒鳴られたことにも、理不尽な言葉にも反応せず、
ただ仕事を続ける――それが、彼女の唯一の抵抗だった。


---

時計の針が午後七時を回るころ、
第二営業部のフロアには、すでに真子一人しか残っていなかった。

「今日も……誰の分までやろうかしら」

ため息混じりにパソコンを開き、
共有フォルダから他人の未処理案件を確認する。

“期限:本日17時”
“対応者:田中”
“進捗:未提出”

(……やっぱり)

椅子を引き寄せ、黙々と入力を始める。
数字の整合性、グラフのバランス、データの論理性。
彼女の指先は、まるで精密機械のように動いていた。

1時間後、完成した資料をフォルダに保存し、
提出者名を“田中”のままにしてアップロードする。

「はい、これで今日も誰も怒られずにすみますね」
独り言のように呟き、微かに笑う。
その笑顔は、自嘲とも、慈しみともつかない。


---

その頃、廊下の向こうでは、
第一営業部の神宮寺部長が会議を終えて自分の部署へ戻ろうとしていた。
ふと、コピー室の前で足を止める。

「ん……?」

中からプリンターの音が聞こえる。
深夜のオフィスで、人の気配。

覗いてみると、そこには一人の女性――真子が、
黙々と資料を製本していた。

「……まだ残っていたのか?」

「神宮寺部長……!」
彼女は驚いて頭を下げる。

「す、すみません。もうすぐ終わりますので」

神宮寺は軽く手を振った。
「いや、構わん。……しかし、こんな時間まで?」

「ええ……明日締切の分を、少し手伝っておりまして」

「手伝い?」
「同僚の分です。今日は急ぎの用事があったそうで……」

神宮寺は彼女の手元に視線を落とす。
そこには、取引先別のデータ集計がびっしり。
しかも、構成・数値の整合性が見事に整っていた。

「(……この精度……?)」

彼は思わずページを一枚めくる。
グラフの傾き、注釈の配置、用語の選定。
どれも、プロの分析官顔負けの仕上がりだった。

「これを、君が一人で?」

「はい。少し時間がかかりましたが……」

「少し?」
神宮寺の口元がわずかに動く。
その資料は“少し”では到底終わらない量だった。

(……この量をこなしている。遅い? 違う。むしろ平均以上だ)

彼の胸中に、言葉にならない驚きが広がった。
“ノロマ子”と呼ばれていると聞いていたが、
この完成度を見れば、それが全くの誤解であると分かる。

「……ふむ」

神宮寺は腕を組み、しばらく黙って彼女の背中を見つめた。
蛍光灯の白い光が、真子の黒髪を淡く照らしている。
その横顔には疲れの影があるが、同時に、
どこか凛とした気高さがあった。

「お疲れさま。……無理はしないようにな」

「はい。ありがとうございます」

彼女は振り向いて微笑む。
その笑顔はあまりにも静かで、
しかし、どこか胸を締めつけるほどに優しかった。


---

神宮寺が自分の部署へ戻る途中、
ふと歩みを止め、廊下の窓から外の夜景を見下ろす。
ビル街の灯りが遠くに揺れていた。

(あの子が“ノロマ”ね……)

心の中で小さく苦笑する。
(遅いどころか、誰よりも速く、正確に、誰よりも多く働いているじゃないか)

そして、もう一つの思いが胸をかすめた。
(……それに……かわいいな)

その言葉は声には出さず、
息に混じって消えていった。


---

夜のオフィス。
真子は全ての資料をファイリングし終えると、
そっと椅子を引き、デスクの端に手を添えた。

「これで今日も、みんなが怒られずにすむ……」

パソコンの電源を落とし、
真っ暗な画面を鏡のように見つめる。
そこに映る自分の顔は、
疲れ切っていながらも、どこか穏やかだった。

(……私、ちゃんとやれてるよね)

唇がわずかに動く。
それは誰にも聞こえない独り言。

けれど、そこには確かな決意があった。

「私は、ただ、自分の仕事をしているだけ。
 ――それでいいの。」

蛍光灯がひとつ、チカッと瞬いて消える。
薄暗い室内に、彼女の小さな微笑だけが残った。

その夜、まだ誰も知らない――
この瞬間が、“静かな逆転劇”の始まりだった。

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