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10 セントウっていいな
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降り立ったのは、小さな石畳の町だった。景観が良く、列車の停車駅があることから、観光が主な産業だと思われる。
足を踏み入れると、やたらと土産物屋が目に付いた。
「公衆浴場はどこかなぁ」
きょろきょろと辺りを見回してみるが、それらしき看板は見当たらない。
「こうしてても始まらないでしょ。そのへんの人間に訊きなさいよ」
自力で飛んでいるセラフィータが正論を吐いた。
「そうだね」
と、セラフィータに気を取られていたナユタは、誰かにぶつかった。
「あ、ご、ごめんなさい」
ぶつかった相手が、か細い声で謝る。随分幼い。
振り返って見ると、ナユタより幼く、五歳くらいだろうか。赤い頭巾を被って、花を詰めた籠を持っている。花売りらしい。
「こっちこそ、ごめんね。前をよく見てなかったよ」
「あの……お花、買ってくれませんか……?」
赤ずきんの幼女が、縋るような目でナユタを見上げてくる。
「君、そんな年でもう働いてるの?」
ナユタの、素朴な疑問だった。
「売り切らないと、お父さんに殴られるの、蹴られるの」
貧しい暮らしをしているのだろう、幼女の頬は灰で汚れていたし、赤い頭巾もコートもすすけている。
「……だったら、それ、全部ちょうだい」
ナユタが言うと、幼女は目を瞠った。大人に暴力を振るわれるのは痛いし、辛いだろう。経験のあるナユタは、幼女を見過ごせなかった。
「ぜんぶ?」
「これで、足りるかな?」
ナユタは銀貨を一枚差し出した。金なら使い切れないほど、ユーリに持たされている。
「こ、こんなに? おつりがいるくらい、です」
「おつりは要らないよ」
ナユタが首を振ると、幼女はいそいそと一枚の化粧紙を取り出し、籠いっぱいの花をブーケにして渡してきた。
「ありがとう」
ナユタはブーケを受け取った。様々な色と種類の混じった、美しいブーケだった。
「セラフィ」
ナユタは背に隠れているセラフィータに、ブーケから一輪の紫のダリアを抜き出し、渡してやった。
「なに? プレゼント?」
「そう。君によく似合うよ」
「そう、かしら?」
セラフィータは少し頬を赤らめて、頭上の花弁を見上げた。セラフィータが花を一輪持つと、まるで大きな傘を差しているように見える。
「わあ、妖精さん……初めて見たぁ」
花売りの幼女がセラフィータの姿を見て、目を輝かせた。
妖精の寓話はいつの時代も、どの土地でも根強い人気がある。姿を隠す鱗粉を出せないセラフィータはどんな人間の目にも見える。例え出せたとしても、希に幼児には見られる場合もある。
羨望の眼差しを向けられたセラフィータは、花も貰ったこともあり、気を良くしたのか、胸を張って幼女の前を行き来した。
四枚の羽根が陽光を受けて、キラキラと光り、セラフィータをより際立たせた。
「ねぇ、君。この辺に、お風呂屋さんってない?」
ナユタは物は試しに、肝心要の質問を幼女にした。
「えーとね、そこの角を曲がって、次を左に行った先に銭湯があるよ」
花が売れて心が軽くなったのか、幼女は明るく身振り手振りでもって教えてくれた。
「セントウ……?」
聞き慣れない単語だ。
「ここからでも、のっぽのエントツが見えるでしょ?」
「あ、ああ、あれ。あれがセントウなの?」
「うん、そう」
確かにここからでも天に向かって伸びる煙突が見て取れる。
銭湯という言葉をナユタは疑問に思ったが、幼女と別れて、教えられた道を進んだ。
「セントウってなにかな?」
「さあ。行ってみれば分かるでしょ」
相変わらず、メルヘンもくそもなく、正論をぶちかます妖精さんは、ずっと花を抱えて宙を飛んでいる。
花の贈り物は喜んでいるらしい。
そのうち、大きな煙突を抱えた、瓦屋根の建物が目の前に現れた。
大きく『湯』と書かれたのれんが、入り口にででんと掛けられている。
「ここだ」
のれんをくぐって中へ入ると、番台に老婆が座っていた。
「こんにちは。ここは、大衆浴場ですか?」
「そうだよ。坊や、一人かい」
老婆がまんじりともせず言った。
「はい」
「だったら、男湯に入んな」
「どういうこと?」
「十歳までなら保護者と一緒に女湯に入れるんだよ」
「へー。男女別になってるんだ」
「銅貨三枚だよ」
「はーい」
ナユタは金を支払って、男湯ののれんをくぐった。
脱衣所にロッカーが並んでいる。色々観察してみると、ロッカーの札を抜くと、鍵がかかる仕組みらしい。札は手首に掛けて、中に持って入るようだ。ナユタは着衣を脱いで、ロッカーの中に仕舞い、札を抜いて腕に掛けた。
「セラフィも入る?」
タオルで前を隠しながら、セラフィータに問うた。
「もっちろーん!」
セラフィータはドレスを脱ぎ去り、タオルハンカチを胸から下に巻いていた。羽根が閉じてしまい、飛べないので、ナユタの肩に乗っている。
ガラガラと引き戸を開けて中に入ると、はしゃぐ子供の声が響き、老人率がやけに高い。
ずらりと並んだシャワー台の一つに陣取り、ナユタは真っ先に頭を洗った。銭湯にはボディーソープとシャンプーとコンディショナーが常備されているのがマストらしい。
垢もフケも洗い流して、スッキリした。
セラフィータはナユタが置いてやった桶の中に、お湯とボディーソープを攪拌して作った泡風呂で、優雅に身体を磨いている。
「僕のヌード見る?」
「見ないわよ! ちゃんと、前隠しなさいよ!」
ナユタがちょっとからかうと、セラフィータは面白いように反応を返す。
湯船は幾つかのゾーンに別れており、ジェットバスや水風呂や、電気風呂があるらしかった。
ともかく、普通の湯船に身を浸して、ほっこりする。
「はぁぁー……」
極楽とはこのことを言うのだ。
ナユタは周りの老人に習って、前を隠していたタオルを、頭の上に乗せた。湯船にタオルを浸けてはいけないようだ。
「あの山の画はなんだろうね」
ナユタは壁面のタイルに描かれた赤い山を見た。
「さぁ。この辺の有名な山なんじゃないのぉ」
セラフィータはかぽーんと、お湯を張った桶の中に入って、湯船を漂っている。
「銭湯っていいねぇ」
「いいわねぇ」
二人して、ちょっと高めに設定されたお湯の中で、溶けそうになっている。
のぼせる前に湯船から出て、脱衣所に行くと、
「婆ちゃん、牛乳ちょーだい!」
「おれ、コーヒー牛乳!」
「おれは、フルーツ牛乳!」
地元の子供たちが裸のまま、牛乳瓶を右手に、左手を腰に当ててグビグビ飲み出した。
「ははぁ…」
あれが銭湯の流儀か。
ちょうど、喉が渇いていたところだ。
ナユタも子供たちの真似をして、
「お婆さん、コーヒー牛乳ください!」
「銅貨一枚だよ」
「ハイ」
ナユタは硬貨と引き換えに、冷えた牛乳瓶を手に入れた。
キャップを抜いて、グビグビとやる。冷たい牛乳が、渇いた喉を潤して、食道を通り、胃へと落ちていくのが分かる。これは、何たる快感か。
「ぷはーっ」
ナユタはコーヒー牛乳を一気に飲み干した。
「ナユタ、ずるーい! あたしも喉渇いたー」
「しょうがないなぁ」
ナユタは牛乳瓶をひっくり返すと、セラフィータの口もとに残った一滴を垂らした。
それを、セラフィータは器用に飲み込んだ。彼女には、それで事足りる。
「くはーーっ!」
焼酎を一口付けたオヤジのような声を、妖精が出す。何ともミスマッチな光景だった。
身なりを整え、のれんをくぐって再び外に出た。
大通りに出ると、人形の服をディスプレーした店を見つけた。
セラフィータはお洒落さんだし、もう少し着替えに余裕があってもいいかと、店に入ってセラフィータの気に入ったものを何点か買い求めた。
そうして、列車に戻った。
コンパートメントのドアを開けると、ユーリが本から顔を上げた。今の今まで読書をしていたらしい。
「ただいま、ユーリ!」
「ああ。どうだった、風呂は」
「銭湯って言ってね、男湯と女湯があって、十歳までなら女湯にも入れるんだって。ユーリと一緒に行っても、どっちでもいけるから、だいじょうぶだったよ」
「そうか」
「でね、これ、プレゼント!」
ナユタは後ろ手に隠していたブーケをユーリに差し出した。
「私に、花を……?」
ユーリは目を丸くした。
「どう? 嬉しい?」
「ああ。花は好きだ。美しいな」
ユーリはこれまでになく、柔和な表情を見せた。
それに、ナユタは驚いた。
ブーケを買ったのは全くの偶然だったが、何でもやってみるものだ。
ユーリに銭湯の場所を教えて、その背中を見送った。今度はナユタたちが荷物番をする役割だ。
ナユタは銭湯の余韻が冷めやらず、ほわほわとしてユーリが戻るのを待ったのだった。
「やはり、風呂はいいな」
帰ったユーリは、開口一番そう言った。
風呂上がりで顔の血色が良く、また、銭湯が気に入ったのか、上機嫌である。
果たして、ユーリは女湯と男湯のどちらに入ったのか、そこが気になるところだが、あえてナユタは触れなかった。
「銭湯、良かったでしょ」
二段ベッドの上に寝そべりながら、ナユタはそうユーリに話しかけた。
「ああ、あれは存外いいシステムだ」
答えたユーリは、借りてきたという列車の備品である花瓶に、ナユタが幼女から買ったブーケを生けて窓際に飾っていた。
やがて列車が走り出す。
「風呂はまた、三日後だな」
「アースシアに着くまで、お預けだね」
「ああ」
現地に着いたとき、それが即ち、次の風呂が待っているときだ。
列車は走る。
アースシアを目指して。
花の命は短い。
花瓶の花がしおれてきた頃。
「あーあ。せっかくの花が枯れちゃった」
「しょうがあるまい」
ユーリは動じない。あくまで冷静だ。
そうして、花瓶越しに外の景色を見たナユタは、
「あーー、あの大きな橋が、そうかな?」
間近に見えてきた、巨大な鉄橋の先には、離れ小島のような島の姿もある。
なだらかなカーブを描きながら、列車は鉄橋に差し掛かった。
「うわわ」
列車がひどく揺れた。
ナユタは台から滑り落ちそうになった花瓶を押さえた。
ユーリも座席に座りながら、両足で踏ん張っている。
「ねぇ、ナユタ。完全に枯れちゃう前に、このお花、押し花にしましょうよ」
宙を飛んでいるセラフィータは揺れなど知らん顔だ。
「押し花か、いいね」
ナユタは比較的きれいな、腐食の進んでいない花を一輪見繕って羊皮紙で上下から挟み込み、分厚い本の間に閉じた。
これで、初銭湯の思い出の証が出来た。
「わー、これ、海かなぁ。ねぇ、ユーリ」
ナユタは眼下に広がる水の景色に、そう呟いた。
「そうだな、巨大な湾の中だからな。海に数えて良いだろう」
「これが、海かぁ」
海は青く深く、日の光を反射して、キラキラと輝いている。
海の上を走る列車だ。
そのうち、揺れが収まり、ナユタはほっと花瓶を押さえる手を離した。
「もうすぐ、着くぞ。降りる準備をしろ」
列車はアースシア本島に進入したのだ。ナユタは押し花を挟んだ本を手に、二段ベッドの上に上がって、荷物をまとめた。
「準備、かんりょう!」
ベッドから降りたナユタは、ユーリに向かって敬礼のポーズを取った。
「よし」
ユーリが気を付けをした。
と、外の景色が変わって、列車が駅に滑り込んだ。
ブレーキが掛かって、列車が大きく揺れた。そして、ゆっくりと停車する。
七日間の旅を終えて、列車から降りたナユタは、行きとは全く違う光景に目を奪われた。
足を踏み入れると、やたらと土産物屋が目に付いた。
「公衆浴場はどこかなぁ」
きょろきょろと辺りを見回してみるが、それらしき看板は見当たらない。
「こうしてても始まらないでしょ。そのへんの人間に訊きなさいよ」
自力で飛んでいるセラフィータが正論を吐いた。
「そうだね」
と、セラフィータに気を取られていたナユタは、誰かにぶつかった。
「あ、ご、ごめんなさい」
ぶつかった相手が、か細い声で謝る。随分幼い。
振り返って見ると、ナユタより幼く、五歳くらいだろうか。赤い頭巾を被って、花を詰めた籠を持っている。花売りらしい。
「こっちこそ、ごめんね。前をよく見てなかったよ」
「あの……お花、買ってくれませんか……?」
赤ずきんの幼女が、縋るような目でナユタを見上げてくる。
「君、そんな年でもう働いてるの?」
ナユタの、素朴な疑問だった。
「売り切らないと、お父さんに殴られるの、蹴られるの」
貧しい暮らしをしているのだろう、幼女の頬は灰で汚れていたし、赤い頭巾もコートもすすけている。
「……だったら、それ、全部ちょうだい」
ナユタが言うと、幼女は目を瞠った。大人に暴力を振るわれるのは痛いし、辛いだろう。経験のあるナユタは、幼女を見過ごせなかった。
「ぜんぶ?」
「これで、足りるかな?」
ナユタは銀貨を一枚差し出した。金なら使い切れないほど、ユーリに持たされている。
「こ、こんなに? おつりがいるくらい、です」
「おつりは要らないよ」
ナユタが首を振ると、幼女はいそいそと一枚の化粧紙を取り出し、籠いっぱいの花をブーケにして渡してきた。
「ありがとう」
ナユタはブーケを受け取った。様々な色と種類の混じった、美しいブーケだった。
「セラフィ」
ナユタは背に隠れているセラフィータに、ブーケから一輪の紫のダリアを抜き出し、渡してやった。
「なに? プレゼント?」
「そう。君によく似合うよ」
「そう、かしら?」
セラフィータは少し頬を赤らめて、頭上の花弁を見上げた。セラフィータが花を一輪持つと、まるで大きな傘を差しているように見える。
「わあ、妖精さん……初めて見たぁ」
花売りの幼女がセラフィータの姿を見て、目を輝かせた。
妖精の寓話はいつの時代も、どの土地でも根強い人気がある。姿を隠す鱗粉を出せないセラフィータはどんな人間の目にも見える。例え出せたとしても、希に幼児には見られる場合もある。
羨望の眼差しを向けられたセラフィータは、花も貰ったこともあり、気を良くしたのか、胸を張って幼女の前を行き来した。
四枚の羽根が陽光を受けて、キラキラと光り、セラフィータをより際立たせた。
「ねぇ、君。この辺に、お風呂屋さんってない?」
ナユタは物は試しに、肝心要の質問を幼女にした。
「えーとね、そこの角を曲がって、次を左に行った先に銭湯があるよ」
花が売れて心が軽くなったのか、幼女は明るく身振り手振りでもって教えてくれた。
「セントウ……?」
聞き慣れない単語だ。
「ここからでも、のっぽのエントツが見えるでしょ?」
「あ、ああ、あれ。あれがセントウなの?」
「うん、そう」
確かにここからでも天に向かって伸びる煙突が見て取れる。
銭湯という言葉をナユタは疑問に思ったが、幼女と別れて、教えられた道を進んだ。
「セントウってなにかな?」
「さあ。行ってみれば分かるでしょ」
相変わらず、メルヘンもくそもなく、正論をぶちかます妖精さんは、ずっと花を抱えて宙を飛んでいる。
花の贈り物は喜んでいるらしい。
そのうち、大きな煙突を抱えた、瓦屋根の建物が目の前に現れた。
大きく『湯』と書かれたのれんが、入り口にででんと掛けられている。
「ここだ」
のれんをくぐって中へ入ると、番台に老婆が座っていた。
「こんにちは。ここは、大衆浴場ですか?」
「そうだよ。坊や、一人かい」
老婆がまんじりともせず言った。
「はい」
「だったら、男湯に入んな」
「どういうこと?」
「十歳までなら保護者と一緒に女湯に入れるんだよ」
「へー。男女別になってるんだ」
「銅貨三枚だよ」
「はーい」
ナユタは金を支払って、男湯ののれんをくぐった。
脱衣所にロッカーが並んでいる。色々観察してみると、ロッカーの札を抜くと、鍵がかかる仕組みらしい。札は手首に掛けて、中に持って入るようだ。ナユタは着衣を脱いで、ロッカーの中に仕舞い、札を抜いて腕に掛けた。
「セラフィも入る?」
タオルで前を隠しながら、セラフィータに問うた。
「もっちろーん!」
セラフィータはドレスを脱ぎ去り、タオルハンカチを胸から下に巻いていた。羽根が閉じてしまい、飛べないので、ナユタの肩に乗っている。
ガラガラと引き戸を開けて中に入ると、はしゃぐ子供の声が響き、老人率がやけに高い。
ずらりと並んだシャワー台の一つに陣取り、ナユタは真っ先に頭を洗った。銭湯にはボディーソープとシャンプーとコンディショナーが常備されているのがマストらしい。
垢もフケも洗い流して、スッキリした。
セラフィータはナユタが置いてやった桶の中に、お湯とボディーソープを攪拌して作った泡風呂で、優雅に身体を磨いている。
「僕のヌード見る?」
「見ないわよ! ちゃんと、前隠しなさいよ!」
ナユタがちょっとからかうと、セラフィータは面白いように反応を返す。
湯船は幾つかのゾーンに別れており、ジェットバスや水風呂や、電気風呂があるらしかった。
ともかく、普通の湯船に身を浸して、ほっこりする。
「はぁぁー……」
極楽とはこのことを言うのだ。
ナユタは周りの老人に習って、前を隠していたタオルを、頭の上に乗せた。湯船にタオルを浸けてはいけないようだ。
「あの山の画はなんだろうね」
ナユタは壁面のタイルに描かれた赤い山を見た。
「さぁ。この辺の有名な山なんじゃないのぉ」
セラフィータはかぽーんと、お湯を張った桶の中に入って、湯船を漂っている。
「銭湯っていいねぇ」
「いいわねぇ」
二人して、ちょっと高めに設定されたお湯の中で、溶けそうになっている。
のぼせる前に湯船から出て、脱衣所に行くと、
「婆ちゃん、牛乳ちょーだい!」
「おれ、コーヒー牛乳!」
「おれは、フルーツ牛乳!」
地元の子供たちが裸のまま、牛乳瓶を右手に、左手を腰に当ててグビグビ飲み出した。
「ははぁ…」
あれが銭湯の流儀か。
ちょうど、喉が渇いていたところだ。
ナユタも子供たちの真似をして、
「お婆さん、コーヒー牛乳ください!」
「銅貨一枚だよ」
「ハイ」
ナユタは硬貨と引き換えに、冷えた牛乳瓶を手に入れた。
キャップを抜いて、グビグビとやる。冷たい牛乳が、渇いた喉を潤して、食道を通り、胃へと落ちていくのが分かる。これは、何たる快感か。
「ぷはーっ」
ナユタはコーヒー牛乳を一気に飲み干した。
「ナユタ、ずるーい! あたしも喉渇いたー」
「しょうがないなぁ」
ナユタは牛乳瓶をひっくり返すと、セラフィータの口もとに残った一滴を垂らした。
それを、セラフィータは器用に飲み込んだ。彼女には、それで事足りる。
「くはーーっ!」
焼酎を一口付けたオヤジのような声を、妖精が出す。何ともミスマッチな光景だった。
身なりを整え、のれんをくぐって再び外に出た。
大通りに出ると、人形の服をディスプレーした店を見つけた。
セラフィータはお洒落さんだし、もう少し着替えに余裕があってもいいかと、店に入ってセラフィータの気に入ったものを何点か買い求めた。
そうして、列車に戻った。
コンパートメントのドアを開けると、ユーリが本から顔を上げた。今の今まで読書をしていたらしい。
「ただいま、ユーリ!」
「ああ。どうだった、風呂は」
「銭湯って言ってね、男湯と女湯があって、十歳までなら女湯にも入れるんだって。ユーリと一緒に行っても、どっちでもいけるから、だいじょうぶだったよ」
「そうか」
「でね、これ、プレゼント!」
ナユタは後ろ手に隠していたブーケをユーリに差し出した。
「私に、花を……?」
ユーリは目を丸くした。
「どう? 嬉しい?」
「ああ。花は好きだ。美しいな」
ユーリはこれまでになく、柔和な表情を見せた。
それに、ナユタは驚いた。
ブーケを買ったのは全くの偶然だったが、何でもやってみるものだ。
ユーリに銭湯の場所を教えて、その背中を見送った。今度はナユタたちが荷物番をする役割だ。
ナユタは銭湯の余韻が冷めやらず、ほわほわとしてユーリが戻るのを待ったのだった。
「やはり、風呂はいいな」
帰ったユーリは、開口一番そう言った。
風呂上がりで顔の血色が良く、また、銭湯が気に入ったのか、上機嫌である。
果たして、ユーリは女湯と男湯のどちらに入ったのか、そこが気になるところだが、あえてナユタは触れなかった。
「銭湯、良かったでしょ」
二段ベッドの上に寝そべりながら、ナユタはそうユーリに話しかけた。
「ああ、あれは存外いいシステムだ」
答えたユーリは、借りてきたという列車の備品である花瓶に、ナユタが幼女から買ったブーケを生けて窓際に飾っていた。
やがて列車が走り出す。
「風呂はまた、三日後だな」
「アースシアに着くまで、お預けだね」
「ああ」
現地に着いたとき、それが即ち、次の風呂が待っているときだ。
列車は走る。
アースシアを目指して。
花の命は短い。
花瓶の花がしおれてきた頃。
「あーあ。せっかくの花が枯れちゃった」
「しょうがあるまい」
ユーリは動じない。あくまで冷静だ。
そうして、花瓶越しに外の景色を見たナユタは、
「あーー、あの大きな橋が、そうかな?」
間近に見えてきた、巨大な鉄橋の先には、離れ小島のような島の姿もある。
なだらかなカーブを描きながら、列車は鉄橋に差し掛かった。
「うわわ」
列車がひどく揺れた。
ナユタは台から滑り落ちそうになった花瓶を押さえた。
ユーリも座席に座りながら、両足で踏ん張っている。
「ねぇ、ナユタ。完全に枯れちゃう前に、このお花、押し花にしましょうよ」
宙を飛んでいるセラフィータは揺れなど知らん顔だ。
「押し花か、いいね」
ナユタは比較的きれいな、腐食の進んでいない花を一輪見繕って羊皮紙で上下から挟み込み、分厚い本の間に閉じた。
これで、初銭湯の思い出の証が出来た。
「わー、これ、海かなぁ。ねぇ、ユーリ」
ナユタは眼下に広がる水の景色に、そう呟いた。
「そうだな、巨大な湾の中だからな。海に数えて良いだろう」
「これが、海かぁ」
海は青く深く、日の光を反射して、キラキラと輝いている。
海の上を走る列車だ。
そのうち、揺れが収まり、ナユタはほっと花瓶を押さえる手を離した。
「もうすぐ、着くぞ。降りる準備をしろ」
列車はアースシア本島に進入したのだ。ナユタは押し花を挟んだ本を手に、二段ベッドの上に上がって、荷物をまとめた。
「準備、かんりょう!」
ベッドから降りたナユタは、ユーリに向かって敬礼のポーズを取った。
「よし」
ユーリが気を付けをした。
と、外の景色が変わって、列車が駅に滑り込んだ。
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だが、ある夜。
仲間のひとりは、決定的な違和感に気づいてしまう。
――勇者は、男ではなかった。
女であることを隠し、勇者として剣を振るうマルク。
そして、その秘密を知りながら「知らないふり」を選んだ仲間。
正体を隠す者と、真実を抱え込む者。
交わらぬはずの想いを抱えたまま、旅は続いていく。
これは、
「勇者であること」と
「自分であること」のあいだで揺れる物語。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
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