水仙の鳥籠

下井理佐

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第三話 一郎

 遊郭が火事に見舞われた。
 まるで街を舐めるように炎が広がっていく。
 いつも閉ざされている街の門が開き、皆我先にと逃げ出している。
 だから、好機だった。
 遊女のかんざしや着物を盗めば、いくらか金になると思った。
 火を避けながら適当な店に入り、金目のものを持ち出せるだけ持って行った。
 炎に包まれつつある街を横目で見ながら、薄暗い裏通りを通って街の外へ出ようと考えていた時、不意に歌が聞こえてきた。

「いつつ、凍てる雨が降り止んで むっつ、村人お見送り」

 聞いたことのない童歌だった。
 この大火の中取り残されている遊女がいるとは思えなかったが、俺はその歌の元に駆けて行った。

「ななつ、涙を飲んでお別れ」

「おい、逃げないのか」

 そこには格子にもたれながら歌を歌う少年がいた。
 火を怖がる様子もなく笑っている。

「やっつ、山越え谷越え日が暮れて」

 少年は俺の声に反応することなく、空を見つめながら歌っている。

「おい!逃げるぞ」

 話が通じない少年に痺れを切らした俺は、ボロくなった格子を蹴り壊し、少年を担いで走り出した。
 まるで綿でも担いでるのかと思うほど、少年の体は軽かった。
 門を潜り抜け、人混みに紛れて街を離れる。
 山の中腹から遊郭を眺める。
 火事が遊郭を飲み込んでいく。
 このまま燃え尽きてしまえばいい。
 俺はそんなことを考える。

「……んで」

「ん?なんか言ったか?」

「なんで、助けた?」

 腕に抱えた少年が口を開く。

「……お前を助けて送り届ければ、褒美がもらえると思ってな」

「……そう」

「しかし、男の遊女といえばいいのか?珍しいな」

「……ここはどこ?」

 少年は視線を彷徨わせながら辺りを見回す。

「遊郭の外だ。そろそろ立て」

 俺は少年を下ろそうとしたが、首に腕を巻きつかれて下ろせなくなる。

「足が悪くて、立てない」

「は?……そうか」

 足の付け根に触れると、確かに違和感がある。
 少年は所在なさげに視線を彷徨わせる。
 もしかして目が見えていないのかもしれない。

「面倒なら、置いていって」

 無感情に告げられた言葉は、本当に自分の命がどうでも良いものなのだと思っている声だった。

「盗みはしても、殺しはしないと決めてるんだ」

「ここで俺を置いて行っても、殺しにはならない」

「あのな、歩けねぇ奴を山に置いて行ったら死ぬだろ、殺しと何が変わらないんだよ」

「……泥棒なのに、いい人なの?」

「なわけあるか。行くぞ、奉行にバレたら面倒だ」

 俺は少年を担ぎ直すと、根城としている山小屋に走って行った。
 

  
 俺を抱えていると言うのに、男の足は軽やかだった。
 音を聞くに、山の中を走っているのだろう。
 遠くで夜鳥の鳴き声が聞こえる。
 久しぶりに草木の匂いを嗅いだ。
 遊郭の甘ったるい匂いとは違う、澄んだ香りに故郷の山々が思い出される。
 そうだ、兄さんが昔よく山からアケビを取って来てくれた。
 甘くて、美味しかった。
 そんなことを思い出して、胸が痛くなる。

「おい着いたぞ」

 男が足がゆっくりになり、戸を引く音がする。

「火が収まるまでここにいろ、小屋は好きに使っていい」

 男は俺を布団に横たえると、帯を外し出した。
 ああ、この男もそうなのか、と思っていたが、いつまでたっても男のものが中に入ってこない。

「……入れないの?」

「は、何を言っている?」

 男は不服そうな声を出した後、手際良く傷を洗うと、体中にある傷に薬を塗り、布を巻いていく。
 男は何も言わなかったが、時々詰まるような息遣いをしていた。

「なんで、薬」

 男はため息をつく。

「お前、自分がどういう状態か分かっているのか?このまま放置すれば死ぬぞ」

「別に、構わない」

「死体を楼主に届けても意味ないだろ」
 
 傷が洗われる度、薬を塗られる度激痛が走る。
 奥歯を噛み締めて耐える。
 俺の足を持ち上げ粘着質なものを後孔に塗り出した。

「これは化膿止めだ。冷たいと思うが我慢しろよ」

 息を詰まらせ、耐える。
 しかし、今まで俺を抱いてきた男たちとは比べものにならないくらい、その手つきは優しかった。

「終わったぞ、お前を抱いていた男は軒並み最低だな」

「泥棒が、そんなこという?」

 息も絶え絶えになりながら僅かに毒を吐く。

「はは、それもそうか」

 男は俺を布団に横たえると、名前を告げてきた。

「俺は一郎、お前は?」

「水仙」

「それは遊女の名だろう、本当の名前は?」

 その問いに、思わず喉を引き攣らせた。
 そんなことを聞いてくる客などいなかったからだ。

「……翡翠」

 出した声は震えていた。

「翡翠か、珍しい名前だな……ひとまず寝ろ、ひどい顔だぞ」

 男にそう促され、目を閉じる。
 暗闇の中にいることに変わりはなかったが、なぜかとても明るく感じた。
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