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第四話 差し出せるもの
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俺は花街が嫌いだ、大嫌いだ。
俺には二人の姉がいた。
六年前の冬、俺が暮らしていた村が飢饉に陥った。
これでは冬を越せない。だから金を集めて食料を買おうとしたが、どこの村も食料がなく、稗や粟、米の値段は釣り上がるばかりだった。
そこで村で決めたのは、村の若い娘を廓に売りに出すことだった。
選ばれたのは、俺の姉二人だった。
女衒はにやけた顔で姉たちを連れていく。
憎かった。
人の性を切り売りさせて金をせしめる楼主も。
姉たちが涙を堪えているのを横目に、金に目が眩んでいる村人も。
そして何より、こんなことが許される遊郭が憎かった。
姉の一人は年季が明けることなく流行病にかかって死んだ。
死んだ姉の借金をもう一人の姉が背負うことになり、生涯遊郭から出られなくなった。
少しでも姉の負担を減らしたくて、必死に働いたが手の元にある金では焼石に水だった。
結局俺は、盗みに手を出した。
できるだけ金持ちの家から盗みをするようにした。
どうせ高価なものが一つなくなっていたところで、生活に支障が出るとも思えなかった。
ある程度まとまった金が手に入り、俺は姉のいる遊郭へ向かった。
番台に話をしようとしたところ、侮蔑を含んだ目で見られた。
「お前の姉二人は本当にしょうもないな。病に簡単にかかりおって」
「なにを、言ってる?病で死んだのは亀姉だろ……?」
「違う、もう一人の方だ」
番台は恨めしそうな目で煙管をふかしながら、煙を俺の顔に吹きかける。
「鶴は死んだよ」
手に持っていた銭袋が、重い音を立てて落ちる。
信じたくなかった。あんなに優しくて頼もしい姉たちが死んだなど。
俺は銭の袋を置いて、遊郭を出た。
風の噂で聞いたことだが、姉たちが売られた廓はひどい環境だったらしい。
飯も寝床も満足に与えず、病気になっても薬すら与えなかった。
憎しみと悔しさが溢れ、頬を伝う。
それから俺は村には戻らなかった。
いや、戻りたくなかった。
村が飢えるたび、別の誰かが売りに出されるのを見届けなければいけなかったから。
それから俺は各地を流浪しながら盗みを働いた。
金持ちだけでなく、遊郭でも盗みを働いた。
ここで働く人間が困ればいい、そう思った。
◇
一郎は毎日小屋を空けた。
どこからか食料や薬を持ってきては、甲斐甲斐しく世話を焼いた。
火事になってすでに七日経っている。
それなのに一郎は火事が収まった、とは言わなかった。
「まだ、燃えてるの?」
「ああ、燃えてるよ。ありゃ全部灰になっちまうな」
薬を塗りながら、一郎は笑う。
遊郭がなくなれば、褒美がもらえなくなるかもしれないのにとても楽しそうだった。
こんなに時間を感じるのは久々だ。
小屋の外に吹く風や、動物の声、戸の隙間から流れてくる草木の匂いが苛まれた心を癒してくれる。
不意に、何かを口ずさみたくなった。
「ひとつ、柊枯れ果てて ふたつ、札所の門が閉じ」
「みっつ、実らずかれた稲穂たち よっつ、」
「それはお前の故郷の歌か?」
「……違う」
「そうか」
一郎は短く返事し、背中に布を巻いて着物を着せてくれる。
「おい、ちょっとは日に当たれ。お前真っ白だぞ」
「化粧は、してない」
「そうじゃねぇよ、顔色の話だ。ほら、担いでやるから掴まれ」
一郎は優しく腕を掴むと、首に回させる。
力を入れた素振りすら見せず、俺を軽々と抱えた。
戸を引き、外に出る。
土と草木の匂いに、鳥の鳴き声。
そして肌に降る太陽の温かさが、好天の日和なのだと教えてくれる。
「あたたかい……」
「いい天気だな……あの夏もこんな天気だったら」
一郎が悔恨を混じらせた声で呟く。
あの夏、という言葉で故郷の村が思い出される。
そうだ、こんなに良い天気だったら、俺はずっと兄さんと一緒にいられた。
「俺、雨嫌い」
「……そうか、俺もだよ」
まだ、遊郭は燃えているだろうか。
火事など収まらなくていい。
どうせ、どこにも行けないのだ。
ならば、ずっとここにいたい。
冷たい鳥籠より、温かい鳥籠がいい。
◇
火事が起きて十四日が経った。
一郎は俺に柔らかく煮た米を食べさせながら、遊郭のことを話してくれた。
「お前がこの小屋に来て四日目あたりで燃え尽きていた、お前がいた店も跡形もなく焼け落ちたらしい」
「そうなんだ」
「興味ないのか?」
その言葉に俺は首を傾げる。
「それはこちらの台詞。なぜずっと世話をしているの?もう、ご褒美もらえないんだよ?」
一郎は何も答えなかった。
ただ黙って、俺の口に米を運んだ。
しかし、不意に口を開く。
「お前、故郷はどこだ」
「……分からない」
「そうか……」
ただそれだけを言い、一郎は布で俺の口周りを拭く。
小さい頃、兄が口を拭いてくれたのを思い出す。
「少し空ける。陽が沈む頃には帰る」
「分かった、気をつけて」
一郎は俺の頭をわしゃわしゃと撫でると、小屋から出て行った。
店にいた頃に比べて、随分と体調が良くなったように思う。
布団に横になると、足に力を入れてみる。
しかし動きもしなければ、何の感覚もなかった。
「なんで、助けてくれるんだろう」
己が差し出せるものなど、何もない。
強いて言うなら体だけだ。
けれど、一郎は俺を抱く素振りすら見せない。
俺は口下手だから会話だって弾まない。
それなのに、なぜ。
一郎の顔は分からないが、何となく兄に似ている気がする。
故郷の兄を思い浮かべる。
ほんの少しだけ、どんな顔をしていたか思い出すことができた。
俺には二人の姉がいた。
六年前の冬、俺が暮らしていた村が飢饉に陥った。
これでは冬を越せない。だから金を集めて食料を買おうとしたが、どこの村も食料がなく、稗や粟、米の値段は釣り上がるばかりだった。
そこで村で決めたのは、村の若い娘を廓に売りに出すことだった。
選ばれたのは、俺の姉二人だった。
女衒はにやけた顔で姉たちを連れていく。
憎かった。
人の性を切り売りさせて金をせしめる楼主も。
姉たちが涙を堪えているのを横目に、金に目が眩んでいる村人も。
そして何より、こんなことが許される遊郭が憎かった。
姉の一人は年季が明けることなく流行病にかかって死んだ。
死んだ姉の借金をもう一人の姉が背負うことになり、生涯遊郭から出られなくなった。
少しでも姉の負担を減らしたくて、必死に働いたが手の元にある金では焼石に水だった。
結局俺は、盗みに手を出した。
できるだけ金持ちの家から盗みをするようにした。
どうせ高価なものが一つなくなっていたところで、生活に支障が出るとも思えなかった。
ある程度まとまった金が手に入り、俺は姉のいる遊郭へ向かった。
番台に話をしようとしたところ、侮蔑を含んだ目で見られた。
「お前の姉二人は本当にしょうもないな。病に簡単にかかりおって」
「なにを、言ってる?病で死んだのは亀姉だろ……?」
「違う、もう一人の方だ」
番台は恨めしそうな目で煙管をふかしながら、煙を俺の顔に吹きかける。
「鶴は死んだよ」
手に持っていた銭袋が、重い音を立てて落ちる。
信じたくなかった。あんなに優しくて頼もしい姉たちが死んだなど。
俺は銭の袋を置いて、遊郭を出た。
風の噂で聞いたことだが、姉たちが売られた廓はひどい環境だったらしい。
飯も寝床も満足に与えず、病気になっても薬すら与えなかった。
憎しみと悔しさが溢れ、頬を伝う。
それから俺は村には戻らなかった。
いや、戻りたくなかった。
村が飢えるたび、別の誰かが売りに出されるのを見届けなければいけなかったから。
それから俺は各地を流浪しながら盗みを働いた。
金持ちだけでなく、遊郭でも盗みを働いた。
ここで働く人間が困ればいい、そう思った。
◇
一郎は毎日小屋を空けた。
どこからか食料や薬を持ってきては、甲斐甲斐しく世話を焼いた。
火事になってすでに七日経っている。
それなのに一郎は火事が収まった、とは言わなかった。
「まだ、燃えてるの?」
「ああ、燃えてるよ。ありゃ全部灰になっちまうな」
薬を塗りながら、一郎は笑う。
遊郭がなくなれば、褒美がもらえなくなるかもしれないのにとても楽しそうだった。
こんなに時間を感じるのは久々だ。
小屋の外に吹く風や、動物の声、戸の隙間から流れてくる草木の匂いが苛まれた心を癒してくれる。
不意に、何かを口ずさみたくなった。
「ひとつ、柊枯れ果てて ふたつ、札所の門が閉じ」
「みっつ、実らずかれた稲穂たち よっつ、」
「それはお前の故郷の歌か?」
「……違う」
「そうか」
一郎は短く返事し、背中に布を巻いて着物を着せてくれる。
「おい、ちょっとは日に当たれ。お前真っ白だぞ」
「化粧は、してない」
「そうじゃねぇよ、顔色の話だ。ほら、担いでやるから掴まれ」
一郎は優しく腕を掴むと、首に回させる。
力を入れた素振りすら見せず、俺を軽々と抱えた。
戸を引き、外に出る。
土と草木の匂いに、鳥の鳴き声。
そして肌に降る太陽の温かさが、好天の日和なのだと教えてくれる。
「あたたかい……」
「いい天気だな……あの夏もこんな天気だったら」
一郎が悔恨を混じらせた声で呟く。
あの夏、という言葉で故郷の村が思い出される。
そうだ、こんなに良い天気だったら、俺はずっと兄さんと一緒にいられた。
「俺、雨嫌い」
「……そうか、俺もだよ」
まだ、遊郭は燃えているだろうか。
火事など収まらなくていい。
どうせ、どこにも行けないのだ。
ならば、ずっとここにいたい。
冷たい鳥籠より、温かい鳥籠がいい。
◇
火事が起きて十四日が経った。
一郎は俺に柔らかく煮た米を食べさせながら、遊郭のことを話してくれた。
「お前がこの小屋に来て四日目あたりで燃え尽きていた、お前がいた店も跡形もなく焼け落ちたらしい」
「そうなんだ」
「興味ないのか?」
その言葉に俺は首を傾げる。
「それはこちらの台詞。なぜずっと世話をしているの?もう、ご褒美もらえないんだよ?」
一郎は何も答えなかった。
ただ黙って、俺の口に米を運んだ。
しかし、不意に口を開く。
「お前、故郷はどこだ」
「……分からない」
「そうか……」
ただそれだけを言い、一郎は布で俺の口周りを拭く。
小さい頃、兄が口を拭いてくれたのを思い出す。
「少し空ける。陽が沈む頃には帰る」
「分かった、気をつけて」
一郎は俺の頭をわしゃわしゃと撫でると、小屋から出て行った。
店にいた頃に比べて、随分と体調が良くなったように思う。
布団に横になると、足に力を入れてみる。
しかし動きもしなければ、何の感覚もなかった。
「なんで、助けてくれるんだろう」
己が差し出せるものなど、何もない。
強いて言うなら体だけだ。
けれど、一郎は俺を抱く素振りすら見せない。
俺は口下手だから会話だって弾まない。
それなのに、なぜ。
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