水仙の鳥籠

下井理佐

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第六話 初めて

 翌朝。
 珍しく俺が翡翠に起こされた。
 よほど団子屋に行くのが楽しみだったのだろう、薄い手のひらで俺を何度も揺さぶる。

「一郎、起きて」

 うめきながら体を起こす。
 ふと、初めて名前を呼ばれた気がした。

「……お前に名前を呼ばれるのは初めてだな」

 不思議そうに翡翠は首を傾げる。

「そう、だっけ?」
「ああ、嬉しいよ」

 素直に喜びを伝えると、気恥ずかしいのか翡翠は顔を逸らす。

「……早く行こう」
「分かった、支度するから待ってろ」

 翡翠の体に薬を塗り、布を巻く。
 遊女の時の着物は目立つと思い、己の着物を着せてやる。

「流石に大きいか……」
「いいから、行こう」

 丈が余っている袖を振り、翡翠が駄々をこねるように急かす。

「はいはい、ほら掴まれ」

 翡翠を抱き上げ、山を下る。
 鳥の声や草木のざわめきが心地よいのか、翡翠は上機嫌に鼻歌を歌っている。

「機嫌良いな」
「……なんで分かったの?」
「機嫌が良いと鼻歌を歌う癖がある、知らなかった?」
「知らなかった」
「そうか」

 俺も翡翠を真似て、鼻歌を口ずさむ。

「へたくそ」
「うるせぇ!」

 俺は声を荒げながら笑う。
 背後でクスクスと笑い声が聞こえる。
 どんな顔をしているか気になってしまう。
 翡翠のことを知りたいと思うと同時に、己のことも知ってほしいと思った。 
 俺は翡翠に話しかける。
 
「なあ、昔話聞いてくれないか?」

 翡翠は緩慢な動作で俺の肩にもたれると、小さく頷いた。

「いいよ」

 俺は僅かに微笑むと、過去を掻い摘みながら話した。
 姉が二人いたこと、二人が遊郭に売られてこと。
 姉達の借金を少しでも減らすために盗みをしていたこと。
 二人の姉が死んだこと。
 全て話した。
 翡翠は黙って聞いてくれた。
 俺の肩を掴む手が、微かに震えている。

「だから俺はお前を家に帰してあげたいんだ……鶴姉と亀姉は帰れなかったから」

 ずっと黙っていた翡翠が、口を開いた。

「嬉しいけど、俺には必要ないよ」
 
 俺は足を止めて理由を聞く。

「なぜだ、お前が日頃歌っている歌は故郷を思う歌だろう?」
 
「……遊郭に連れてこられた時は、寂しくて辛かったから、よく歌っていた。でも、今はそんなに辛くない」
 
「……寂しくはあるんだろう」
 
「一郎は、泥棒なのに優しいね」
 
「泥棒が優しいわけないだろう」

 翡翠はクスクスと笑う。

「いつか、兄さんが迎えに来てくれるかもしれない」
 
「兄がいたのか?」

「うん。約束してくれたんだけど、まだ来ないの」

 俺の頭の中に姉二人が過ぎり、翡翠を兄に合わせてあげたいという願いが湧く。
 
(兄に会いたい、か……)
 


 遊郭が燃えてからというのも、街には元遊女と思われる人間が多くなった。
 切見世で働いていたと思われる女が、街の路地裏で客引きをしている。
 綺麗に飾られた着物やかんざしが汚れ、痛ましさの方が目立つ。
 仮に翡翠が火事を逃れられたとしても、すぐに命を失っていたかもしれない。 
 翡翠が一郎の肩に顔を埋める。
 
「音、匂い、いっぱい」

「驚いたか?すぐに団子屋に行こう。ここよりは多少静かだ」
 
 翡翠を近くの団子屋に連れて行き、手頃な長椅子に座らせる。
 客がチラチラと珍しそうに翡翠を見ていたが、本人は全く気にせず、団子屋の匂いを堪能していた。

「良い匂い」
「そうだな、何が食べたい?」

 団子屋の品書きを読み上げ、翡翠の反応を伺う。

「三色団子ってなに?」
「桜色、白色、緑の色付けがされた団子だな、中に餡子が入ってるぞ」

「それにする」

 翡翠は食い気味に一郎の迫る。
 俺は苦笑いを浮かべながら、団子屋の娘に注文をした。
 しばらくして熱い茶と三色団子が来る。
 いつものように翡翠の口元に団子を持っていくと、小さな口を開けて団子を食べる。
 
「好き」

「そうか、良かったよ」

 俺は翡翠の頭をわしゃわしゃと撫でた。
 翡翠は心地良さそうに甘受している。
 店先に冷たい風が入ってくる。弱った翡翠の体では堪えるだろう。
 翡翠が食べ終わればすぐにでも山の小屋に帰ろう。
 俺は嬉しそうに目を細めている翡翠の顔を見ながら、茶を啜った。



 団子屋を出たあと、翡翠が街を少し見ていきたいと言ってきた。
 少し渋ったが、翡翠が何かを要望するのが嬉しくて、俺は結局その要望に応えた。
 街をぶらぶらと歩きながら、翡翠に街の様子を伝える。
 街を横切る大きな川。その横に生えている大きな柳。
 店先で呼び込みをしている女と子供。
 風車で遊ぶ子供たち。
 音や匂いにだいぶ慣れたのか、時折鼻歌混じりに俺の話を聞いていた。
 上機嫌な様子に、俺は頬が緩くなる。
 ふと、今なら翡翠の本当の気持ちが聞き出せるのではないかと考えた。
 
「今ならどこにでも行ける、どこに行きたい?」

 背中から翡翠の息を飲む声が聞こえてくる。
 やや間を空けた後、翡翠が遠慮がちに口を開く。
  
「……兄さんのところ」
「分かった」

 それから俺たちは山の小屋に戻った。
 翡翠は疲れたのか、飯もそこそこに横になる。

「お前の故郷について、詳しく教えてくれないか」

「本当に、連れて行ってくれるんだ」

 翡翠は小さく微笑むと、村のことを教えてくれた。
 寒村であること。
 遊郭に来るまでに山をいくつも越えたこと。
 村の中央に一本杉が立っていること。
 手がかりは少なかったが、場所を特定するのは十分な情報だと思った。

「明日から街で聞き込みをする。必ず連れていくから」

「約束、ってこと?」

「ああ、約束だ」

 翡翠は小さく小指を差し出す。
 俺は指を絡める。

「「指切りげんまん 嘘ついたら 針千本 飲ます」」

「「指切った」」

 翡翠はクスクスと笑う。
 その顔はどこか嬉しそうだった。
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