水仙の鳥籠

下井理佐

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最終話 鳥籠から出て

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 それから俺は街での聞き込みを始めた。
 最初は皆取り合わなかったが、遊郭に売られた子供が故郷に帰りたいことを伝えると、皆興味を持ち、協力してくれるようになった。
 それから三日が経ち、俺はすっかり馴染みとなった街に訪れた。
 
「一郎!あの子の村の話だけど!」

 店の呼び込みをしていたお菊が急いで一郎を呼び止める。
 
「もしかして、何か分かったか?!」

「さっき来たお客さんが親戚が嫁いだ村かもしれないって!漬物屋の八兵衛のところに行くって言ってたよ!」

 俺はその言葉に心の臓が波打つ。

「ありがとう!早速行ってみる!」

 俺は人をかき分けながら八兵衛のところに向かった。
 そこには八兵衛と少し背の低い男がいた。

「おお、一郎!お菊さんから聞いたかい!」
「聞いたぞ!……もしかして、その人が」

 背の低い男は俺に軽く頭を下げる。

「寒村で村の中央に一本杉があるところだろ?あそこは村が小さくて貧しいから名前らしい名前がないんだ。俺の親戚に松って女が嫁いでたはずだ。その女がいたかどうか聞いてみてくれ」

 俺は男の手を取ると頭を下げた。
 
「ありがとう、ありがとう……あの子を故郷に帰せるかもしれねぇ」

 俺は何度も頭を下げると、急いで山小屋に戻った。



「おい翡翠、お前の故郷が……」

 勢いよく引き戸を開け、翡翠の名前を呼ぶ。
 そこには布団の上でぐったりとしながら息を荒げている翡翠がいた。

「翡翠!おいどうした?!」
 
 呼吸が浅く、意識も朦朧としている。
 体に触れると、まるで火がついていると思うほど熱かった。
 急いで水を汲み、濡れた布を額に乗せる。
 すぐに熱くなる布を何度も濡らし、翡翠の額に乗せる。
 翡翠は身震いをしながら、時折誰かを探すように手を彷徨わせていた。
 翡翠の手を握り、呼びかける。

「しっかりしろ!お前の故郷が分かったんだ、兄に会えるんだぞ!」

「……あ、に?、にいさん?」

「そうだ、会えるんだ、頑張れ」

 翡翠は薄く笑うと、気を失った。
 俺は翡翠があの世に逝かないように、強く手を握りしめた。 
 それから三日三晩、寝ずに看病を続けた。
 意識が一瞬でも戻れば、村に帰れることを話し、兄との再会を考えさせた。
 翡翠はこくこくと小さく頷きながら、俺の手を握り返した。

「兄さん、に会える……やくそく」

「ああ、約束だ」

 俺は翡翠の小指に自分の小指を絡めると、ゆびきりげんまんの歌を歌う。
 調子の外れた歌を翡翠に下手くそと笑われたかったが、翡翠は薄く笑うだけだった。


 
 必死の看病と翡翠の意志により熱は下がった。
 しかし、もう起き上がる力すら残っておらず、力無く布団に横になりながら翡翠は俺の手を握っている。
 翡翠はか細い声で俺に話しかける。

「あのね……こんなに優しくしてくれた人、兄さん以外初めて」

「そうか、でもこれからお前の兄さんにあって、好きなだけ甘えさせてもらえよ、だから」

「嬉しかった、お団子、初めて食べた」

「これからいくらでも食えるよ、なあ諦めるなよ」

 翡翠の手から少しずつ体温がなくなっていく。

「俺を抱かなかった人、初めて」

「……当たり前だろ、だって、お前を愛してるから」

 翡翠の両目から涙が伝う。

「嬉しい、一郎……好き」

 翡翠の手が最後の力を振り絞るように、俺の手を強く握る。

「俺を……助けてくれてありがとう、俺を抱かないでくれて、ありがとう」

 俺も翡翠の手を強く握る。

「俺を看取ってくれて、ありがとう」

 翡翠は初めて笑顔を向ける。
 十六歳にしてはちょっとだけ幼い笑顔だった。
 翡翠の手から力が抜け、床に落ちる。

「翡翠……?」

 床に落ちた翡翠の手を握るが、冷えた手が命が尽きたことを残酷に知らせるだけだった。
 俺は翡翠の小さい体に縋り、一晩中泣いた。


 
 俺は山の小屋近く翡翠を埋めて墓を建てた。
 翡翠の少ない遺品を持って、山を下る。
 翡翠の故郷にいる兄に遺品を渡したかったからだ。
 俯きながら灰となった遊郭を通りすぎる。
 翡翠との約束を守れなかった自分に、前を向いて歩く資格がないように感じた。
 突然、一人の男に声をかけられる。
 
「ここの遊郭は、火に見舞われたのか?!」

 男は焦りが滲んだ声で一郎に説明をする。
 昨日この遊郭まで借金を返しにきたが、店どころか遊郭全体が焼け落ちていて途方に暮れていたと言う。
 自分と似た境遇の男に共感を覚え、一郎は顔を上げる。
 その男の顔を見て、目を見開く。
 翡翠の面影があったからだ。

「……翡翠の、兄か?」
「翡翠を知ってるのか!?」

 一郎はその場で崩れ落ちる。
 あと一日、翡翠の命を長らえていれば、兄に会えていたかもしれない。
 一日早く、兄が街についていたら翡翠と会えていたかもしれない。
 火事さえなければ、翡翠は兄と故郷に帰れていたかもしれない。
 翡翠の兄は苦労と疲労が滲んだをしており、爪は全て不揃いで、左手の薬指が不自然に欠けていた。
 これまでの苦労が窺い知れ、なんでもっと早く来なかったとは、とてもじゃないが言えなかった。

「……翡翠は、死んだ」

「……うそ、だろ」

 翡翠の兄は、荷物を取り落としながらその場に膝を折る。
 俺達は人目も憚らず焼け落ちた遊郭の前で泣いた。
 俺も兄も、翡翠との約束を守れなかったのだ。
 大声で喚く俺たちの前に一羽の翡翠かわせみが降り立つ。
 水場から遠いこの場所で、翡翠かわせみがいるのを不思議に思い、俺たちは顔を上げる。
 まるで励ますように小さく鳴いたかと思うと、遊郭から立ち去るように青い空に飛び立って行った。

「翡翠、なのか……?」
「ごめん、遅くなって……」

 まるで翡翠に顔を上げろと、言われているような気がした。


 
 その後俺たちはは、灰となったかつての遊郭の復興を始めた。
 かつての遊郭の面影はもうない。
 診療所と薬師がおり、子供の笑い声が絶えない街を作った。
 軒を連ねる大通りは、「翡翠ひすい通り」と名付けた。
 今日もどこかで翡翠が鳴く。
 とても、楽しそうに。
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