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第一話 不審な男と奴隷の娘

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 ぼろぼろのフードを頭からすっぽりと被った男は、さっきから何かを確認するかのように足元ばかりを見て歩いていた。

 男がふと一軒の露天商の前で足を止めて顔を上げると、露天商の柱に一人の少女が半裸で鎖に繋がれている。

 肩の所にはバラのような痣があり、一目でその娘が奴隷だと言う事が男にもすぐに分かった。

 男はポケットに仕舞ってあった本を取り出してページをめくりながら店主に言う。

「この娘、いくら?」

 伸びやかな美しい声で男が言うと、店主は男を不躾に見てフンと鼻を鳴らす。

「お前みたいな奴隷もどきに売るような商品はうちにはねぇよ。悔しかったら成り上がって出直してきな」

 店主は男の恰好を見て声を出して笑った。

 この娘は店主にとって最後の商品だった。

 長かった戦争が終わって隣の大国レヴィウスに王政が戻った今、このメイリングの情勢は非常に危うい。恐らくこのままではレヴィウスに吸収されてしまうだろう。

 そうなってしまえば奴隷商と言う仕事自体が無くなる事は必須だ。今でも既に奴隷の売買はあちこちで禁止され、つい最近とうとうメイリングの王、アンソニー王も奴隷解放条約に調印してしまった。

 手っ取り早く売りさばかなければならないが、店主はこの娘だけはどうしても簡単に手放したくなかった。

 理由は簡単だ。娘はとても珍しかったからだ。

  肌なんて妖精よりも白く静脈が透けるほどで、薄いピンク色の髪は驚くほど美しいし顔立ちも整っている。

 店主は少女の鎖を引っ張って奥に引っ込ませると男を睨みつけた。何故こんな上物を襤褸を着た小汚い男に売らなければならないのか! 

 そう怒鳴ってやろうと思って店主が立ち上がったその時、男と目が合った。

「そういう事、言わない方がいいんじゃない? 殺すよ?」
「!?」

 店主が息を飲んだ瞬間、目の前に男の手がスッと翳された。それと同時に店主はその場に泡を噴いて崩れ落ちる。

 殺してはいないが店主が目覚めたらきっと全ての記憶を失くしてしまっているだろう。

 そんな店主を無視して男は屈んで店の奥を覗き込んで手を差し伸べた。

「さあ、おいで。お前の飼い主は今日から俺だ」
「……」

 少女はおずおずと店から這い出て来て倒れた店主を跨いで、男を見上げて無言でその手を取った――。




「お嬢様! どうしていつもいつも取り込んだ洗濯物の上にダイブするんですか!」

 キリとミアの自慢の息子のレオは今日も元気過ぎるアリス、ノア夫妻の長女、アミナスに怒鳴っていた。

 そんなレオとアミナスを横目にさっきからずっと無言で洗濯物を片づけていくのはアリス達の長男ノエルとレオの双子の弟、カイだ。

「だーって、フカフカでお日様の匂いがして気持ちいいんだも~ん! ぎゃん!」

 フガフガと洗い上がりの洗濯物に顔を突っ込んだアミナスは、首根っこをレオに子猫のように掴まれてそのまま絨毯の上にポイっと転がされてしまう。

「手伝わないなら邪魔です。あちらの部屋でお一人で遊んでいてください」
「まぁまぁ、レオ。アミナス、ちゃんと手伝うよね? 父さまと母さまとそういう約束したもんね?」

 ニコッと笑ったノエルを見てアミナスはゴクリと息を飲んで大人しく手伝い始めた。

 アリスがよく言うのだ。ノエルはノアにそっくりだ、と。そんなノアはあのアリスが唯一敵わない人物である。つまり、アミナスもノエルには敵わないという事である!

「ノエル様が居るとお嬢さまが多少大人しくなるのでいいですね」
「全くです。俺達の言う事はお嬢様は全く聞きませんから。本当に、どうやったらこんなに言う事を聞かないバカ子になるのでしょうか?」
「……酷くない? 二人とも」
「本当の事です。父さんもよく言ってます」
「そうです。あなたのおバカはもう領内中の噂です」
「う……うぅ……兄さまぁ!」

 真顔でじっとアミナスを見て容赦なくそんな事を言って来るレオとカイ。

 アミナスは目に涙を浮かべてノエルに抱き着いたが、そんなアミナスをよしよしと撫でるノエルは苦笑いを浮かべて言う。

「アミナス仕方ないよ。半分ぐらいは本当の事だもん。分かったら、もうちょっと言う事聞こうね?」
「……はぁい」




 その頃、庭では。

「お嬢様! どうしてそうやっていつも手を抜こうとするんですか! 返って面倒な事になると、何故いい加減学習しないんです!?」
「仕方ないじゃん! こうした方が早いと思ったんだもん!」
「その結果がこれですよ! 誰がこれを片付けるんです? 俺達ですよね!?」

 キリはそう言って庭中に散らばった木っ端を見て、もううんざりだと言いたげに大きなため息を落とした。

 そんなキリを見てノアはいつもの様にニコッと笑う。

「アリス? アリスは確かに凄い力もあるし、地面も素手で割っちゃうゴリラだけど、薪割してるのに素手でいくのはアウトじゃない?」
「で、でもね、手刀だよ? だからこう、イメージではスパッといけるかなって……思っちゃうよね?」

 上目遣いでノアを見上げるとノアはまだニコニコしているが、少しも目が笑っていない。

「思わないよ? そんなね、漫画みたいな事は起こらないの。ていうかアリスが本気出したら斧も折れちゃうの。そうやって今までに何本斧駄目にしたの? だから僕とキリがやるって言ったんだよ?」
「う……や、やりたかったんだもん……私も……奥さんだから……キメ」

 しょぼくれながらキメッ! のポーズをするアリスを見てノアとキリは仕方ないとでも言う様にため息を落とした。

「気持ちは嬉しいよ、ありがとう。じゃあ奥さんはそろそろ晩御飯の支度してきてくれる? ここは僕達に任せて。あ、あとキャシーのミルクがもう少なくなってるよ」

 ノアの言葉にアリスはパッと顔を上げた。全く単純なアリスである。

「何ですと!? そりゃ大変だ! 買いに行かなきゃ! 卵も少なくなってたような気がする! キリ、レオかカイ連れっていい?」
「ええ、構いませんよ」
「ありがと! じゃ、ちょっと行って来る! 今日はグラタンだぞ~! ついでにキャシーのミルクちょっぴり失敬してこよ~っと!」

 そう言って走り出したアリスの背中にノアは慌てて声をかけた。

「アリス! ダイレクトミルクは禁止だからね! アリス~~~!」
「……もう居ませんね」
「うん……相変わらず足速いなぁ……」

 がっくりと項垂れた二人の耳にカイの叫び声が聞こえて来る。きっと無理やり抱きかかえられて連れて行かれたに違いない。

「お嬢様だけは本当に……」
「いつまで経ってもあのままだねぇ」

 互いに顔を見合わせたノアとキリはそう言ってアリスが手刀で粉々にした木っ端を拾い始めたのだった。
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