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番外編 『いつもの風景・3』

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「さぁさぁ、皆、準備は良いかね!?」

 アリスが広場の真ん中の台から叫ぶと、集まっている人たちがクラッカーを手に歓声を上げた。アリスの頭上にはデカデカと血文字のような『ユアン、おかえりなさい』と書かれた垂れ幕がどんよりとはためいている。

「あれはもうちょっと何とかなりませんでしたか?」

 キリが呆れたように言うと、ノアがそれを聞いて苦笑いを浮かべた。

「もう父さんの恒例行事みたいなもんだよ。にしても大分大掛かりになっちゃったね」
「そんな事はない。ようやく最後の英雄が戻ってきたんだ。本来ならば国をあげて祝っても良かったぐらいだろう」
「そうよ! ユアンのおかえりなさいパーティーだもの。もっと大掛かりでも良かったと思うわ! 戻ってきたらハグとキスしなきゃ!」
「そうだな。朝のキスも結局お預けだったし」
「母さん、父さん、それもうユアンにしてやらないでよ。可哀相だから」

 ジョーが呆れたようにエリザベスとアーロに言うと、二人は真顔で首を傾げる。この二人にとっては、五年間もの間ユアンは可愛い息子だったので、どうやらすぐには切り替える事が難しいらしい。

「まぁまぁ、義兄さん。あまりにもユアンが嫌がったら仕方ないからお義父さんはうちで引き取るよ。とはいえ、あの人は案外どこででも一人でやっていきそうな気がするんだよね。何よりも記憶が戻ったんなら決めるのは彼だ。そこに僕たちは誰も口出しすべきじゃないと思うよ」

 ノアの言葉にアリスも珍しく真剣な顔をして頷いた。

「そうだよ。パパの人生は今度こそパパのものだよ。パパも私達みたいにしたい事して生きるべきだと思うもん。でも……たまには顔見せてくれたら嬉しいな……どこに行っても……」
「アリス……大丈夫だよ。ユアンはアリスの事を忘れたりしない。もちろん子どもたちの事も。あの人はとても愛情深い人だってアリスが一番よく知ってるでしょ?」
「……うん」

 アリスは視線を伏せたままノアに抱きつくと、ノアはそんなアリスの頭を優しく撫でてくれた。そんなアリス達を遠巻きに見ていたルイスとキャロラインは、二人して涙を滲ませている。

「出会いと別れは必然なのだけれど、出来るならここに留まっていて欲しいわね」
「そうだな……いや、だがしかしアリス達の言う通りだ。ユアンの人生はユアンのものだ。誰の言いなりにもならなくて良いんだ、これからは」

 ハンカチでは涙を拭いながらそんな事を言うキャロラインとルイスにカインが白い目を向けてくる。

「いやだからさ、お前ら昔から先走って想像して涙ぐむのなんなの?」
「次期宰相の言う通りだよ。僕はユアンは結局ここに居着くことになると思うけどね」

 相変わらず冷めた目で世の中を見ているリアンが言うと、隣でライラもコクコクと頷いている。

「そうね。私もそう思うわ。見なくても分かる……そう、ユアンはこの土地から離れる事は出来ないって」
「何故そう言い切れる? 私は何となくユアンは放浪の旅に出そうだと思ったのだが」

 ティナがエリスに生まれたばかりの赤ん坊、アルタを預けると首を傾げた。

「考えてもみてよ。ユアンが一人っ子として育てられてたらすぐにでもあの家を出ただろうけどさ、あそこ、まだちっちゃいシェリーがいるんだよ」
「は! ま、まさか……?」

 それを聞いて何かに気付いたようにエリスが言うと、リアンとライラが真顔で頷いた。

「絶対にシェリー置いてどっかに行けないよね? あの人の性格的に」
「言えてるっすね」
「ほんとだな。俺なら絶対に任せらんないもんな」
「その通りだね。リー君とライラちゃんの性格分析は的確だね」
「パパ、面倒見良いからなぁ」
「確かにアーロとエリザベスだけでは不安しか無いしな」
「言いたい放題ね、皆」

 口々にそんな事を言う仲間たちにキャロラインが苦笑いを浮かべたが、確かにその通りである。ユアンはアーロとエリザベスを置いて行くことには躊躇いはないかもしれないが、まだ幼いシェリーを置いて出る事など果たして出来るだろうか?

「ましてやシェリーはユアンにベタ慣れだよ。本当にお兄ちゃんだと思ってる訳じゃん? そもそもシェリーの父親さ、あれもうほぼユアンだよね?」

 呆れたようにリアンが言うと仲間たちは皆、神妙な顔をして頷いた。シェリーが生まれてからというもの、いつバセット領に来てもユアンがシェリーの世話をしていた。むしろアーロとエリザベスはシェリーが2歳頃になるまでは危ないから子育てはユアンとハリーに任せておけとポリーに大目玉を食らったほどだ。

「最悪の場合、シェリーを連れてここを出るという選択肢もありますけどね」

 シャルがポツリと言うと、それを聞いてアランがギョッとしたような顔をする。

「流石にそれは……アーロとエリザべスさんが可哀相ですよ」
「そうですよ、シャル。そういう事は思っていても言うのは止めてあげてください」

 広場でまだキャシーのバターサンドを必死の形相で包んでいるシエラを見つめながらシャルルが言うと、シャルは素直に頭を下げた。

「それにしてもなかなか戻りませんね。まさか、どこかから漏れましたか?」

 広場には既にユアンの帰りを楽しみに待っている人たちで溢れかえっているが、肝心のユアンが一向に姿を現さない。

「まぁラルフ兄さんに足止めしてって言っちゃったからね。でも流石にもうそろそろ戻るでしょ」

 ノアは仲間たちの集うテーブルの脇にバーベキューコンロを組み立てながら言った。そこにキリが炭を入れ、手早く火熾しするのはやっぱりアリスだ。

 ユアンの帰りが待てずに既にあちこちでバーベキューが始まってしまっているが、それを誰も咎めない。あの水晶のおかげで食材が売り切れると言う事が無くなったからだ。

「水晶、大盛況だね」
「ほんとだ。ああ、ジャックさんが管理してくれてるんだね」

 アリスの言葉にノアが広場の端にある水晶に目をやると、そこにはホープキンスがにこやかに皆からの注文を受けて野菜や肉を水晶から取り出している。すっかりバセット領に馴染んでいるホープキンスだ。

 そこへ、ようやくアンソニー達が姿を現した。

「やぁ、ここに居たのか皆。随分探してしまったよ」
「探してしまったって言う割にあんた達、それ何持ってるの?」

 リアンはそう言ってアンソニーとカールが両手に持っている紙袋を見て呆れたように言うと、八重子とレヴェナが申し訳なさそうに頭を下げる。

「遅れてごめんなさい! 何だか広場が楽しそうでつい寄り道をしてしまって」
「メイリングでは見たことない柄の産着があったからつい……」

 そう言ってレヴェナはそっとカールが持っていた紙袋の中から一枚の産着を取り出した。それを見た途端、アリスが目を輝かせる。

「お! レヴェナ様、あの産着の柄気に入った!? 流石お目が高い! あれはね麻の葉模様って言って、子どもの成長を麻の葉に例えて、手をかけなくても真っ直ぐ大きくなるようにって願った柄なんだよ!」
「まぁ、そうなの? それじゃあ他の柄にもそれぞれ意味があるの?」
「ありますとも! よし、後で広場に行って私が解説してまわりますぞ!」

 そんな事を言って胸を張ったアリスに八重子が目を丸くする。

「確かに子どもは結構あん柄ん着物ば着とったばってん、そがん意味があったんね」
「うちも着とったばい!」
「うんうん! だからやっちゃんはこんなにも元気一杯なんだよ!」

 アリスはそう言って今日もアリスが送ったワンピースを着ている靖子を見てニカッと笑う。

「ははは、柄に意味を持たせるのは万国共通なのかな。君たちは知らないだろうけど、今はもう無くなってしまった国や文化にも沢山の柄があったんだ。そういうのもいつか復活させてやりたいね」

 嬉しそうな女子たちに目を細めながらアンソニーが言うと、それを聞いていたニコラが後ろから口を出してきた。

「いいんじゃない? それこそディノにそういう授業もしてもらえばいい。出来る? ディノ」

 ニコラが振り返ると、子どもたちと戯れていたディノが少しだけ躊躇ったように曖昧に頷いた。

「失われた歴史か……出来ない事はないが、無くなった過去は果たして必要か?」
「必要だろ。その過去があってこそ今があるんだ。その時代に生きた生物の歴史を、勝手に無かった事にするのは間違いだ」
「うむ、我もオズに賛成だな。我も知らないこの星の歴史を教えられるのはもうそなた達しか居ないのだ」

 オズワルドと妖精王の言葉にディノは納得したように頷いて顔を上げた。

「そうだな。正しい歴史を知る権利は、この星に住む全ての者たちにあるべきだろな」

 そう言ってディノは感慨深そうに息を吸う。ディノの授業に、また一つ科目が増えた瞬間だった。
 

 陽がそろそろ傾きかけてきた頃、ようやく広場にラルフ達が姿を現した。

「なんだ、まだ始まっていなかったのか」
「あれ? 兄さん、ユアンは?」

 ノアが問いかけると、ラルフとオルトとセイは首を傾げる。

「まだ到着していないのか? おかしいな。随分前にレヴィウスを出たんだぞ。うちの子達を連れて」
「え? まさか……皆、大変。お義父さん勘付いて逃げちゃったかも」

 ノアの言葉に仲間たちはギョッとしてお喋りを中断した。

「皆、ごめん! ユアンに逃げられた!」

 そこへ子どもたちを連れて戻ってきたのはハリーだ。そんなハリーを見て仲間たちの顔には「やっぱりな」という落胆の色が浮かぶ。

「とうたま、かあたま、これもらった!」

 エルシーはそう言ってアリスとノアにユアンがくれたお菓子を見せると、そんなエルシーを見てノアとアリスは苦笑いを浮かべる。

 どうやらユアンはエルシーをバセット領に先に帰す為にお菓子を握らせたらしい。

「良かったね、エル。ノエルとアミナスにも分けてあげてきて。独り占めしちゃ駄目だよ」
「うん! にいたん、だっこ」
「ええ? あなた、自分で歩けるでしょう?」
「だっこ!」
「もう……わかりましたよ」

 足にしがみついて来たエルシーを仕方なく抱き上げたシャルは、仲間たちに手を振ってそのまま広場に居る子どもたちの元へ向かってしまった。

「あれ!? アーロは?」

 なんだかんだ言いつつエルシーには甘いシャルに笑いながらアリスがふと周りを見渡すと、何故かアーロが居ない。そんなアリスにエリザベスが手招きしてきた。

「アーロはユアンを探しに行ったわ。少しだけ時間をあげてやってちょうだい」
「そっか、うん。分かった」

 アリスはそう言って何となくエリザベスの手を取ると、エリザベスもそんなアリスの手を握り返してくれた。


 
『挿話・ユアンの帰還』

 アーロはラルフ達が広場に現れたのを見て、一人である場所を訪れていた。

「やっぱりここか」
「……アーロか。なんで分かったんだよ」
「そりゃ分かる。お前が行きそうな所なんて、もうほとんど無いだろ?」
「そりゃ嫌味か? どうせ俺の思い出なんてあって無いようなもんだよ」

 言いながらユアンは膝の上のシェリーを抱え直して、休暇中の学園の監視塔の床に足を投げ出した。その隣にアーロが何の許可もなく座り込んでくる。

 この場所からは学園の屋上がよく見える。ここからユアンは日がなアーロとエリザベスを監視していたのだ。仲睦まじく語り合う二人を、寒くて薄暗いこの塔の中からずっと。

 ユアンは大きなため息をついて昔のように屋上を見下ろした。

「こっからの景色は割と好きだったんだ」
「そうか」
「ああ。言っておくが、お前とエリザベスを見るのがって意味じゃねぇからな?」
「違うのか」
「違う。単純にここらへんで一番高い場所だから好きだっただけだ。知ってるか? こっからうっすらと大陸が見えるんだ」

 そう言ってユアンが指差すと、それをアーロが横から覗き込んでくる。

「本当だな。あんな所まで見えるのか。あれはレヴィウスか」
「ああ。流石にメイリングまでは見えないが、当時の俺はいつかあの大陸に行くって考えてた。まだ家の言いなりだった頃にな」
「大陸に行って何をしたかったんだ?」
「別に何も。こっから逃げられりゃそれで良かったんだ。どっかで野垂れ死のうが、自分で選んだ道を歩きたかった」
「俺たちはずっと家の決めたレールの上を走っていたからな」
「ああ。馬鹿らしいだろ? 世界はこんなに広いのに、俺はこの狭っ苦しい塔の中から、いつでもイチャイチャしている馬鹿みたいな男女の監視するだけの人生なんて」
「それは流石に言いすぎだろう。俺とリサはイチャついた事なんてないぞ」
「十分だったよ。俺には十分だった。お前ら見て馬鹿みたいだってずっと思ってた。
これから起こる未来も知らずに、何の心配も不安も感じてないお前たちは馬鹿以外の何者でもなかった」

 冷めた口調でユアンが言うと、アーロはただ隣で頷いただけだった。

「さっさと行けよ。ついでにシェリーも連れてけ。お前の娘だろ?」

 そう言ってユアンは眠り始めてしまったシェリーをアーロに抱かせると、その場に寝転ぶ。

「お前の妹だ」
「違う。俺とそいつは血なんて繋がってねぇよ」
「血は繋がってはいないが、少なくともシェリーはお前を兄だと思っている」
「知るか。この五年間、俺がどんな生活を送ってきたのかは知らんが、俺には関係ない。ったく、若返った挙げ句に記憶が戻るなんて、一体どんな罰だ」
「それはお前への罰なんかじゃない。むしろ俺たちへの罰だ」

 そう言ってアーロはシェリーの頬を愛おしそうに撫でながら言うと、ユアンはそんなアーロを怪訝な顔をして見つめてくる。

「この五年の間、俺たちはずっとお前の記憶が戻る事に内心怯えていた。口ではいつか思い出せば良いと言いながら、お前の記憶が戻るという事は、それと同時にその時こそ本当にお前との別れになるんじゃないかと思っていたからだ。それは俺だけじゃない。皆だ。お前の記憶が戻った時は今度こそお前はお前の道を歩むべきだとアリスは言っていた。ノアもだ。それは同時に覚悟でもある。お前がどんな道を選ぼうとも俺は止めない。リサは止めるかもしれないな。リサはお前が思っている以上にずっとお前の事を心配して嘆いていたから。それでも、お前はお前の好きな道を選べばいい。名前だけは貸してやるからこれからは好きに生きろ、ユアン。お前はようやく自由になったんだ。もうこんな場所から外を眺めている必要はない。お前の居場所はこの世界のどこにでもある」

 アーロが内心良い事を言ったと思いながらゆっくりと立ち上がると、ユアンはそんなアーロをじっと見上げてきた。

「……なぁ、一つ言っていいか?」
「なんだ?」
「お前らの中でなんで俺は姿を消すことになってんだ?」
「……どういう意味だ?」

 ユアンの言っている意味が分からなくて今度はアーロが首を傾げると、ユアンが呆れたような顔をして口を開いた。

「どういう意味もくそもそのまんまの意味だよ。あのな、そういうのは生き残った時点でこちとら全部覚悟してんだよ。どうせどこに行こうともお前らはなんだかんだ理由つけて俺を追い回すに決まってる。その度に居場所変えるなんて面倒な事するぐらいなら、もういっそ色んな事諦めた方が早いだろうが」
「では何故シェリーを連れて戻れなんて言ったんだ?」

 そもそもユアンが一人きりでこんな所にやってきてそんな事を言うから誤解したのだが? アーロはそんな事を考えながらもう一度ユアンの隣に腰掛けると、ユアンは呆れたように傾いた太陽を指さした。

「もうじきシェリーの夕飯だからだよ。やっぱ記憶無くしても体は何となく覚えてんだな」
「で、では何故シェリーが妹ではないなどと……血が繋がっていないなどと!」
「実際繋がってねぇだろうが! これだけの事で何をそこまで誤解すんだよ!?」
「では何故こんな所で黄昏れていたんだ! 皆、お前が戻ってくるのを待っているんだぞ!?」
「それこそ知るか! あのな、よく聞けよ? 俺はあの時完全に死んだと思ってて、それなのに気づけば何か知らんがお前の家に居て、気味の悪ぃフリフリの衣装着てお前とエリザベスにおはようのキスを迫られて? 挙句の果てにはまだかろうじて自分で歩くぐらいの子どもが居てな? それが俺がコイツらに子ども出来たら絶対にヤバいだろうなって思ってた奴らの娘だっつうんだ。挙句の果てにユアン・バレンシアに改名しただと!? それがつい今朝の話だ。あれから何時間だ? ん?」
「6時間ぐらいだろうか」
「だよな? そんな短時間でこれだけの情報を俺に処理しろと!? 俺はお前と違って色々処理するのに時間がかかんだよ!」
「なるほど。では俺たちの勘違いだということか」
「そういう事だな。大体お前、出て行くにしてもシェリー放っておけないだろうが」
「それはどういう意味だ?」
「お前とエリザベスの子育てが不安すぎるって言ってんだ! お前らには悪いが俺はポリーに全面的に賛成だ」
「ではシェリーが大きくなるまでは家を出るつもりはない、と?」
「仕方ねぇだろうが。俺がこの五年間どんな生活をしてたか知らんが、乗りかかった船を途中で見放すわけにはいかないし、何よりもお前らを捨てたら今度は違う意味で病みそうだ」

 心を鬼にして家を飛び出してもユアンはきっと生きていく事は出来るだろう。

 けれど、それと同時に絶対にシェリーが心配でリアンのように胃薬がお友達状態になるに違いない。

 それを聞いてアーロがあからさまに顔を輝かせた。

「そうか、ならいい。俺の早とちりだ。ところでユアン、バセット領に戻ろうか」
「なぁ、お前俺の話聞いてたか?」
「聞いていたとも。お前はもうしばらくうちに居るという事だろう?」
「肝心な所が全部抜けてるじゃねぇか! ちょ、こら! 放せよ!」

 おもむろにアーロに抱え上げられたユアンが抵抗するが、大人アーロに子どものユアンが敵うわけもない。 

 シェリーを起こさないようにどうにか下りようとしたユアンにアーロは珍しく微笑んで言った。

「そういう処理は悪いが明日にしてくれ。とりあえず今日は祭りが先だ」
「は? なんだよ、祭りって。いいから下ろせ!」
「駄目だ。それじゃあ戻るぞ」

 そう言って、アーロはユアンとシェリーを抱えたままバセット領に戻った。
 
 
 アリスはエリザベスと手を繋いだまま、ただ過ぎゆく時間だけを感じていた。バセット領では既に皆、ユアンの帰りを待たずに先にバーベキューを始めてしまっている。こうして待っているのはアリスとエリザベスだけだ。

「食べに行かなくていいの? アリス」
「……うん。もうちょっと待ってる」
「そう。大丈夫よ。ユアンはアーロが必ず連れて帰ってくるわ」
「……うん」

 そうだといい。せめてもう一度ユアンに会いたい。アリスはそんな事を考えながらどんどん伸びていく自分の影を見下ろした。この影も共に戦った仲間だ。それがもう随分昔のことのように思える。

「パパ、私の事思い出したの後悔してないかな?」
「どうして?」
「だって、私こんなだもん……」

 人とは違う。小さい頃からそう言われてきたアリスだ。キャロラインやライラのように良い淑女ではない。それはちゃんと自覚している。そんなアリスを常識人のユアンが本当はどう思っているかを考えると不安でしかない。

「馬鹿ね。そんな事ある訳ないでしょ? どんな娘でも思い出さなければ良かっただなんて絶対にあの人は思わないわ」
「そうかな」
「そうよ。アリスからしたら確かに複雑ではあるわよね。私とユアンの間に恋愛感情なんて少しも無かったもの。でもね、アリス。今の私達の繋がりはあなたが繋いでいるのよ。あなたが居るから、私もユアンも互いに愛情を持っていられるの。そしてその繋がりがアーロとユアンの間も繋いだの。あなたが居なければ私達はバラバラだったわ、きっとずっと」
「……うん」

 愛情には色んな形がある。それを体現したかのようなエリザベスとユアンとアーロの関係は、アリスから見てもとても不思議だ。

 けれど、この三人の関係はそれがベストなのだと言う事も流石に理解している。 アリスは頷いてエリザベスに抱きつくと、エリザベスはそんなアリスを強く抱きしめてくれた。それはずっと焦がれていた母親の温もりだ。ハンナとはやはりどこか少しだけ違う不思議な感じにアリスの胸が詰まる。

 どれぐらいそこで二人で抱き合っていたのか、突然領地の入り口が光り、そこからアーロとアーロに担がれたユアンとシェリーが姿を現した。

 ユアンはアーロに担がれたままアーサー渾身の垂れ幕に引きつっている。

「な、なんだこれ!?」

 ユアンはバセット領の入り口にデカデカと掲げられた血文字を見て息を呑んだ。

「アーサーさんが書いたんだ」
「よ、読めねぇんだけど」
「ユアン、おかえりなさい、だな」
「はあ?」

 一体何がなんだか分からないが、とりあえずあちこちから良い匂いがしている上にやたらと騒がしいバセット領にユアンが首を傾げていると、そこにアリスが駆け寄ってくる。

「パパ!」
「アリスか。なんだよ、お前。泣いてたのか?」
「ううん! もう大丈夫だよ!」

 少年の姿のままのユアンの前にアリスはしゃがみこんで涙を拭うと、いつものように笑顔を浮かべる。そんなアリスを見てユアンは怪訝な顔をして言った。

「そうか? 誰かに何か言われたらすぐ言えよ? お前は口下手だから俺が代わりにちゃんと言い返してやるよ」
「うん!」
「それは別に必要ないんじゃないか? アリスは何か言われたらその場ですぐにボカ! を発動するし、そもそも嫌味が通じないだろう?」
「お前、他人の娘捕まえてバカだみたいに言うの止めてくんねぇか? そりゃアリスは多少ゴリラっ気があるかもしれんが、嫌味が通じないのは心が広い証拠だ。いつまでもしょうもない事をブチブチ言うお前と違ってな」
「俺は別にブチブチなど言わないが。どちらかと言うと、それはお前だろう?」
「それはそうね。昔はユアンの方が文句ばかり言ってた印象だわ」
「それはお前らがあまりにもアンポンタンだったからだよ! お前らは気づかなかったんだろうが、クラスの中でお前らほんっと浮きまくりだったんだからな!」

 おまけにそんな二人が監視対象だったユアンも浮いていた。

 あまり学園で波風を立てたくなかったユアンだったが、この二人と接触しなければならなかったせいで、気づけばいつの間にか自分もその環の中に入れられていたのは悲しい思い出だ。

「なに? 俺のどこがアンポンタンだ」
「そうよ! 私達は至極真っ当よ!」
「よく言う。どこの世界に口開きゃズレた天気の話しかしない男と月に最低でも一回は教室ぶち壊す女がいるんだよ! 俺が上手く立ち回ってズレた男を孤高の存在、教室爆破女をちょっとお転婆な下級貴族にしてやったの感謝しろよ!?」
「なるほどぉ……パパはアーロとママのリー君的存在だったって事?」

 三人の話を聞いてすっかり涙が引っ込んだアリスが言うと、ユアンは真顔で首を振る。

「いや、流石に俺はあそこまでこいつらの世話焼いてねぇけどな。お前、リー君はかなり貴重な人材だぞ? 困らせてばっかじゃなくてちゃんと大事にすんだぞ?」
「うん!」

 アリスは笑顔で頷いてユアンに抱きついた。そんなアリスをユアンもしっかりと抱き返してくれる。

「ほら、もう離れろ。それで、これは一体何の騒ぎだ?」
「パパがね、戻ってきたからお祝いだよ! 最後の英雄の帰還だって皆喜んでる!」

 それを聞いてユアンは何とも言えない顔をしてアリスを見上げると、フンと鼻を鳴らした。

「最後の英雄な。そんな良いもんじゃねぇんだけどな」

 結局ユアンは自分の好きに生きただけだ。アンソニー達の計画に乗ったのもスチュアート家から逃げ出したかっただけだし、アーロを助けたのだってそうしたかったからだ。あの話を今更美談として語られても複雑である。

「パパがどう思ってても、皆は違う。パパの事ずっと待ってた。私も、子どもたちも皆」

 アリスが鼻をすすりながら言うと、ユアンは困ったように眉尻を下げて言った。

「そうだな。それはただの俺の感想だ。皆がどう思っていても俺はそれを否定する事は出来ない。少なくとも最後の瞬間、思い出したのはお前の事だったよ、アリス」
「……うん」

 その一言にアリスはとうとう泣きながらユアンにしがみついた。そんなアリスとユアンを見て後ろからエリザベスの鼻をすする音が聞こえてくる。アリスには見えないが、きっとそんなエリザベスをアーロが慰めてくれているのだろう。

「パパ、アーロ達の所にいるの辛い?」

 アリスがユアンの肩口に顔を埋めながら言うと、ユアンはそっとアーロが抱いているシェリーを指さして言った。

「俺が辛いかどうかは置いておいて、あいつがそこそこデカくなるまではどこにも行かねぇよ。てか、行けないだろ?」
「シェリーってばパパにべったりだもんね」

 だがアリスの心配はそこではない。ずっと片思いしていた相手と一緒に暮らすのは、ユアンの気持ち的にはどうなのだろうか?

 そんなアリスの心を読んだみたいにユアンは珍しく微笑む。

「困った事にな。それに別に辛かねぇよ。お前はきっとアーロの事を言ってんだろうが、それはもうとっくの昔に精算した。俺の中ではあいつを庇った時にケジメはつけた。それでいい。ただ、今までみたいなおはようのキスとかそういうのは勘弁してほしいな。別にまだ未練があるとかそういうのじゃなくて、単純に気持ち悪ぃ」
「それは……うん、きつーく言っとく! 最悪ボカ! する」
「ああ、頼むよ。ほら、皆待ってんだろ? 行くぞ、アリス」
「うん。ねぇパパ、手、繋いでもいい?」
「ん? ああ、別に構わねぇけど」

 ユアンはそう言って小さな手をアリスに差し出すと、アリスはその手を泣きそうな笑顔で掴んだ。まるであべこべみたいな手のサイズだが、そんなでもアリスは嬉しそうに笑う。

「へへ! 行こ!」

 アリスはユアンの手を掴んで走り出した。ユアンは引きずられるように走りながら文句を言ってくるが、それでもアリスは止まらない。

 ユアンの手はノエル達と変わらない小さな子どもの手のはずなのに、不思議とアリスには大きく温かく感じた。
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