173 / 310
【新妻編】
172 謝罪の嵐
しおりを挟む……将軍の一日のスケジュールはといえば。
朝は明け六つに目覚め、身支度を整え朝食を摂ると、複数の医師の診察を受ける。
その後は御目見え(総触れ)……であるが、現在はパス中だ。
本来ならこの時に御台所と仏間へ赴き、家康の位牌を拝むのだが、家光は孝を無視して独りで行っている(春日局は一緒だが)。
その後、朝四ツ座学と鍛錬の時間となるのだが……、ここまでで将軍に就いたばかりの頃の家光は疲れてしまい、最近漸く慣れてきた所だ。
そして……昼餉を食べた後、ようやっと公務に取り掛かる。
一刻程の時を経た後は夕方まで趣味なんかを楽しむ時間があるのだが、公務が立て込んでいる家光はまだ少々のお茶の時間しか取れていない(それでも正盛と重澄とのブレイクタイムは楽しく、癒しの時である)。
夕方になれば湯殿にて湯浴みをし、暮れ六つ頃夕餉をいただく。
その後は夜四ツの就寝まで自由時間となるのだが……。
……夜になればそれはもう、へとへとなのである。
将軍生活にも慣れてきたとはいえ、ここの所 夕餉を終えた時点で眠くなることが多い。
今日はまだ仕事が少なかったからか若干体力は余っているものの、家光の気持ち的には一刻も早く眠りたかった。
……夜伽が怖いのどうの……と、正直なところ、家光には夜伽なんぞやる元気がそもそもないのだ……。
(いや~……将軍、仕事ぱないわ~……、独りで致す元気もないもん……。)
家光は孝に背を向け早々に掛布団を被る。
……将軍生活に慣れるまでこんなに大変だとは思わなかった。
仕事は出来る方だと自負していた家光だが、前世の仕事とは異なり、決裁権を有する今の自分の裁量如何が民達の生活に関わると思うと、どの案件も慎重にならざるを得ない。
いくら秀忠に「早く」とせっつかれてもいい加減な判断は下せなかった。
もちろん急ぎのものは優先して処理してはいるが、そうでないものはじっくり吟味し決裁する。
将軍は自分だからか、多少遅れても秀忠や大老達にちょっとお小言を言われるくらいで済んでいるのが幸いだ。
……お小言といえば春日局だが、彼は奥の管理で忙しく表の仕事には殆ど首を突っ込んでこないどころか、顔を合せた時は労ってくれたりもする。
家光が忙しくしているのを知っているからだろう。
春日局と会うことは朝の仏間にお参り以外殆どないのだが、彼がいつも仕事の合間遠目で様子を見ていることを家光は知らない。
家光の元服前まで何だかんだとべったりだった春日局も、正勝も、今は違う仕事に従事しているわけで、それぞれの生活リズムに慣れて来た頃か……。
……新しい生活に慣れるまでは とにかく大変なのである。
(あの時、孝と最後までしてたら鬱にでもなって、仕事が出来なかったかもなー……。)
今思えば、初夜があれで良かったような気さえするから不思議だ……。
家光は目を閉じ、一日の疲れでぼーっとしてくる頭で考えていた。
孝を遠ざけたことによって、今日までの間に将軍生活に慣れることが出来た。
午前中の鍛錬の時間を利用し体力を身に付け、夜 布団に入るまで身体がもつ様になったのは大きい。
怪我の功名とでもいうのか……。
孝がやらかしたことはまだ許せないが、あれがあったから春日局に孝を丸投げすることができ、仕事にも集中できたのは確か。
……そこだけは孝に感謝すべきか迷ってしまう程である。
「…………」
家光はちら、と背後を窺う。
家光の身動ぎに衣擦れの音がしたが、孝が動いた様子はなく、先程のまま頭を垂れていた。
様子が変だなと、家光は寝返りを打ち孝の方へと身体を向けてみる。
……孝はやはり動いていないようだ。
さっきと全く形を変えることなく頭を下げ続けていて、何も声を発しない……。
(何か言わんかい……、ちゃんと謝ってよ……。)
家光は頭を下げ続ける孝を布団に包まりながら じっと見ていた。
「…………」
孝は相変わらず黙ったまま、ただ敷布団に頭を擦り付けるように座礼を続けている。
「…………(寝てんの……?)」
――ってか、孝ってこんなに小さな男じゃないよね……?
家光の目に映る背を丸める孝は、背が縮んでしまったかのように小さく見えた。
この男、こんなに小さかっただろうか。背もかなり高かったはずなのに、こんなに小さく見えるなんて……一体どんな指導を受けたというのか。
孝のことはまだよく知らないが、いつも自信に満ち溢れ、背丈以上に大きく見える男だった気がするのだが……?
「…………ねぇ」
「っ……!? ぁっ、家光様っ、申し訳御座いませんでしたっっ……!!」
気になった家光が声を掛けると、孝の肩がびくりと震えた。
……途端孝は大きな声で謝罪の言葉を発する。
「っ!?(な、なに……!?)」
――孝が喋った……!
以前“悪かったな、許せ”とか上から言ってきた男が今は土下座し、家光様とは……。
……家光は面食らってしまった。
「…………俺……いえ、私は家光様に数々の無礼を働きました。今はこうして反省し、今宵、貴女様の許しを請いに参った次第です。朝までこうして頭を垂れております故、睡眠の妨げとなるやも知れませんがご承知おき下さい」
「……あんた急にどうしちゃったの……」
「……い、家光様におかれましては、公務でお疲れでしょうから、そのままお休み下さい。俺……わ、私はこのまま座礼を続けさせて頂きます」
唖然とする家光に、孝は顔を上げることなく切羽詰まったような声で口上を続ける。
「……孝……」
――らしくない……。
孝のあまりの変わり様に家光は困惑し、彼の名を呟いていた。
……その家光の声に孝は謝罪の言葉を畳み掛けてくる。
「申し訳御座いませんでした……! この通り、私は改心し、家光様を二度と傷付けないことを誓います……!」
「…………」
何度でも謝るつもりなのだろう、孝は平身低頭、頭を上げる様子はない。
いつも自信に満ち溢れた男が、なぜこんなにも小さくなっているのか……。
……家光は閉口してしまう。
孝の謝罪はまだ続くようで……。
「申し訳御座いませんでした……! 俺……あ、私は……家光様に捨てられたら命を断つ所存でおります」
「……はぁ!? なんで死ぬの!? 離縁でいいじゃん!?」
――死ぬとかちょっと聞き捨てならないんだけど!?
まさか孝はメンヘラだった……!?
……なんて思った家光は愕然として半身を起こすと頭を下げる孝の肩を思わず掴んだ。
やにわに孝が顔を上げる。
その表情は眉間に皺を寄せ、苦し気だ。
「っ!! 俺はっ、家光が好きなんだよっっ! 離縁なんかされたら、生きて行けないっ!!」
……急に声を荒立てる孝の瞳に何かがきらりと光って見えた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
残念女子高生、実は伝説の白猫族でした。
具なっしー
恋愛
高校2年生!葉山空が一妻多夫制の男女比が20:1の世界に召喚される話。そしてなんやかんやあって自分が伝説の存在だったことが判明して…て!そんなことしるかぁ!残念女子高生がイケメンに甘やかされながらマイペースにだらだら生きてついでに世界を救っちゃう話。シリアス嫌いです。
※表紙はAI画像です
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
男女比1:15の貞操逆転世界で高校生活(婚活)
大寒波
恋愛
日本で生活していた前世の記憶を持つ主人公、七瀬達也が日本によく似た貞操逆転世界に転生し、高校生活を楽しみながら婚活を頑張るお話。
この世界の法律では、男性は二十歳までに5人と結婚をしなければならない。(高校卒業時点は3人)
そんな法律があるなら、もういっそのこと高校在学中に5人と結婚しよう!となるのが今作の主人公である達也だ!
この世界の経済は基本的に女性のみで回っており、男性に求められることといえば子種、遺伝子だ。
前世の影響かはわからないが、日本屈指のHENTAIである達也は運よく遺伝子も最高ランクになった。
顔もイケメン!遺伝子も優秀!貴重な男!…と、驕らずに自分と関わった女性には少しでも幸せな気持ちを分かち合えるように努力しようと決意する。
どうせなら、WIN-WINの関係でありたいよね!
そうして、別居婚が主流なこの世界では珍しいみんなと同居することを、いや。ハーレムを目標に個性豊かなヒロイン達と織り成す学園ラブコメディがいま始まる!
主人公の通う学校では、少し貞操逆転の要素薄いかもです。男女比に寄っています。
外はその限りではありません。
カクヨムでも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる