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「どの言葉を口に出して、どれが思っただけで口に出さなかったのか。ちょっと自信がないな。とにかくじゃあ、アナタは何をしてるんだ。そういう感じの事を聞き続けたと思う」

 かつてない程に混乱した正吾は自分でも思い出せなくなる程、湧いた疑問を尋ね続けた。

 そして――

 そんな正吾の言葉に母親は完全にヒステリーを起こした。

 怒りのままに手当たり次第物を投げ付けた。

 ぶつけられた何かで切ったのか、正吾の顔からは所々血が出た。

 それでも元々感覚が鈍っていた上に、混乱の極みにあった正吾は自分の怪我や痛みに気付かないまま、質問を投げ掛け続けた。

「そしたら包丁を持ち出してきてね」

 その時、正吾は怖いと思えず逃げる事もなく包丁を見ていた。

 きっと母にとって自分は役立たずで、だから処分されるんだろう。

 そんな風にどこか納得して事の成り行きを待った。

「目の前でさ。見せ付けるようにして自分の手首を切ったよ」

 その光景を見ていた筈なのに正吾はあまり景色を思い出せない。

 代わりに、はっきりと鮮明に残ったものがある。

 自分の顔に赤い液体が掛かった時の、どこかぬめりとした感触。

 鉄棒を思い出す臭い。

 映像はほとんど思い出せない代わりに、感覚だけは妙に強く残っている。

「これで満足か。人殺し。悪魔。色んな事を叫んでいたかな」

 叩き付けられるように放たれた声は、まるで質量でもあるかのようだった。

 実際に物をぶつけられた時より遥かに確かな衝撃に、正吾は動く事も言い返す事も出来ないまま、ただ怒鳴られ続け――

「怒鳴り声が止まると同時に、母は倒れ込んだよ」

 突然静かになった。

 その時になってようやく理解が追い付き、正吾は母が自殺を試みたのだと認識出来た。

「すぐに救急車を呼んだ」

 事態を把握してからの正吾の行動は素早かった。

 冷静に救急車を呼び、電話の向こうで住所を尋ねられればハキハキ答え、傷口を清潔なタオルで抑えるように言われればすぐにタンスからタオルを出して指示に応じた。

「けどさ。おかしいだろ? 自分の親が目の前で自殺したのにさ。俺は慌てるどころか心配一つしてなかったんだ」

 そこで正吾は気付いてしまった。

 自分の反応や対応のおかしさに。

「普通はもっと慌てるだろうな。心配とかだってすると思う」

 無意識に、それこそ自覚する必要がないほど当たり前に正吾は思っていた。

 自分は変わり者ではあるが、それでももう少し普通の人間なのだと。

 身近な人間が目の前で死に掛けていれば、頭が真っ白になって何も考えられなくなったり、慌てふためく。

 そんな当たり前の反応が出来る人間。

「母の態度とか考えるなら、ざまあみろとか思ったりしたって、それも普通の反応だろうね」

 あるいは母への恐怖や恨みから、暗い喜びや安心感のようなものを抱く。

 決して褒められた事ではないが、それでも納得出来ただろう。

 それはそれで人間らしい、と。

 けれど――

「いきなりだったから驚いた。それは間違いない。けど、そのくらいだ。後どのくらいで救急車来るんだろう、玄関の鍵とか先に開けた方がいいのか。とかそんな事しか考えてなかったよ」

 血ってこんなに出るんだな、と傷口を抑えながらそんな事を考えていたのを正吾は覚えている。

 その後に考えた事といえば――

 これから面倒な事になるんだろうな。

 そんな冷めた事だけだった。

 それ以外の事は何も考えていない。

 思い出せないのではなく、本当に何も考えていなかったのだ。

 自分のせいで親が死ぬかもしれないというのに、正吾の心は驚くほど静かで揺らいでなかった。

「前にもっとロボット染みた人間だと思ってたって言ってたけどさ。それで合ってるよ。確かにそういう部分があるのは否定出来ないから」

 本当にロボットのように心なく、何にも疑問を持たず母親の機嫌を損ねないように居られたなら、正吾の母親が自殺する事も家に居られなくなる事もなかっただろう。

 だけど本物の機械よりは幾分かは人間臭くあったらしい。

 妹に八つ当たりして泣かせ、そこで母親の価値に疑問を持ってしまった。

 食事を貰えて怒鳴られないだけの価値があるのか。役立たずって言うけどじゃあ役に立つって何だろうという疑問に耐えられなかった。

 そして多分生まれて初めて感情の赴くままに行動した結果、正吾の居場所は家からなくなってしまった。

「ロボット染みたじゃなくて本当にロボットだったら楽だったのにな」

 感情豊かに人間らしく生きる事も出来なければ、いっそ感情なんてない機械のようにも生きられない中途半端な存在。

 そんな自分がおかしくて、虚しくて。

「……」

 正吾は声もなく自嘲の笑みを浮かべる。

 今にも消えてしまいそうな力のない笑顔。

 その笑い方よりも――

 そんな楽しさの欠片もない笑い方が似合い過ぎるくらい慣れているのが悲しくて。けれど掛ける言葉が見当たらないのが悔しくて。

「っ……」

 奈緒の口から言葉にならない音が漏れる。

「一番ショックだったのはさ。母が死に掛けているのに何のショックも受けてない自分の心だったよ。反抗とかする心はあるのに、親が死に掛けてるのに痛む心なんてないのかってね……」

 自分がマトモじゃない。

 そう自覚したのもショックだったし、その事に自分の親が死に掛けている事と違って心の底からショックを受けている自分が酷く身勝手で恐ろしい不気味な存在に正吾には思えた。

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