王子が気に入られなかったので、茶菓子にお腹が痛くなる薬草を混ぜて食べされたら帰ってこなくなりました。

えるろって

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「セレス、ちょっとそこのテーブルまでお茶を運んでくれない?」

昼下がりの王城食堂は、貴族や騎士たちで賑わっている。セレスは給仕係とともに、慌ただしく紅茶や軽食を提供して回っていた。

「はい、今すぐに!」

軽やかにトレイを持って歩いていくセレス。だが、彼女の姿を見たある貴族がひそひそ声で囁くのが耳に入ってしまった。

「……あれが第一王子に“妙な菓子”を出した娘か。なんでも薬草を入れていたとか」

「さすがに毒ではないらしいが、腹痛を起こす程度には危険だったそうだ。王子が姿を消したのも、そのせいではないかとの噂だよ」

セレスは動揺しつつも表情には出さないように気をつける。だが、聞こえてくる言葉は胸に突き刺さる。周りの客たちにも、似たような噂がじわじわと広がっているのを感じる。

 

「おい、そっちの給仕! お菓子は安全なのか?」

突然、大きな声で呼びかけられた。振り向くと、明らかに上から目線の貴族の男性が腕を組んでセレスを睨んでいる。

「あ、はい。もちろんです。こちらのスコーンは厳選した材料を使って……」

「ふん、本当に大丈夫なのか? お前が作った菓子じゃないんだろうな?」

「……」

一瞬言葉に詰まるセレスを見て、男性は嘲笑するように鼻を鳴らす。

「王子様を腹痛にさせたようなお菓子など、御免被りたいものだ」

周囲の視線が痛い。セレスは必死に耐えながら一礼するしかなかった。その場を取り繕うと、今度は別の貴族が嫌味ったらしく囁く。

 

「怖いわねぇ。お菓子を作るたびに何か入れられたらたまったもんじゃないわ」

「平民の女が城に入り込むからこんなことになるんだ」

一言一句が胸を抉るように響き、セレスはトレイを持つ手が震えそうになる。だが、ここで取り乱せばますます噂は広まってしまう。必死に笑顔を保とうとするが、心は限界に近かった。

 

そんなとき、食堂の入り口からさっそうと現れたのは、第二王子のリヒトだった。彼は騎士に囲まれることもなく、一人で歩いてくる。

「どうした、やけに騒がしいじゃないか」

「リヒト王子様……」

誰かが小さく名前を呼ぶと、食堂にいた人々は一斉に姿勢を正す。リヒトはその場の空気を察し、セレスの方へ目を向ける。そして、貴族たちの嫌味を聞き逃さずに問いかけた。

 

「君たちは、お菓子がどうこうと言っていたね?」

「は、はい。ですが、私たちも安全を確認したいだけで……」

男性は慌てて言い訳を並べる。リヒトは口元にうっすらと笑みを浮かべるものの、その瞳はまるで氷のように冷たい。

「王城の厨房で作られるものすべて、私が保証する。セレスも、ここで正式に仕事を任せている人材だ。無闇に疑うのは失礼だよ」

「も、申し訳ありません……!」

一気に空気が変わった。リヒトが直接保証すると言いきったことで、貴族たちは口ごもる。セレスはほっと胸を撫で下ろすが、同時にリヒトが来なかったらどうなっていたのかと思うと恐ろしい。

 

「セレス、こっちへ」

リヒトはセレスを連れて食堂の隅のテーブルへ移動した。そこで彼女に小声で囁く。

「大丈夫かい? 顔が真っ青だ」

「はい……すみません。噂が広まっているようで、少し参ってしまって」

セレスはその場に崩れ落ちそうなほど安堵していた。リヒトは苦々しげに口を結ぶ。

「やっぱりそうか。兄上の失踪にお菓子が関係しているという話がどんどん広がってる。誰かが意図的に流している可能性もある」

「公爵……かもしれないですね」

セレスは思わず呟く。あの公爵なら、セレスを追い込むことで王子失踪の原因を“外部の問題”として処理しやすくするかもしれない。そうなれば、王家の面子を保ったままリヒトを王太子に据えられるというわけだ。

 

「それでも、君にはここにいてほしい。誹謗中傷を受けても、逃げちゃダメだ。俺ができるだけ守るから」

リヒトの言葉はまるで救いの手のように温かかった。セレスは泣きそうになる自分を必死でこらえる。

「ありがとうございます……。もう少し頑張ってみます」

 

その後、食堂での混乱はリヒトの一喝で収束したが、セレスの心には新たな疑惑が芽生えていた。噂を広めているのは誰なのか。そして、王子失踪の真相をどこまで知っているのか――。

「もしも、私がお菓子に薬草を混ぜたことがばれたら……」

そのときの怖さを考えると、胸が苦しくなる。だが、それと同時に「誤解されるより、本当のことを話すべきでは」という葛藤も生まれていた。

どちらにせよ、マティアスが早く戻らなければ、すべてが取り返しのつかない方向へ進むかもしれない。セレスは不安に駆られながらも、何とか踏みとどまろうと決心するのだった。
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