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第40話 運転手
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誘惑に負けた。
「ごめんなさい、ちょっとだけ!」
誰にともなく謝りながら検索したのは、篠塚家夫人についての情報である。他人様の情報を検索なんてと思ってはいても、散々迷って手は止まらなかった。エンターキーを押した瞬間の罪悪感たるや。
「篠塚財閥……総裁……妻……」
結果として情報はあまり出てこなかった。正直、ほっとした。画面をスクロールするたび、ネット記事を開くたび、詳細が書かれていないことに安堵感が増してゆく。私は何を確認したかったのだろうか。
でも最後の最後、これを見て終わりにしようと思ったサイトに一枚だけ写真を見つけた。何年か前の記念式典らしい。夫婦そろって来賓に挨拶する様子が写され、フォーマルな白いツーピース姿の夫人が上品に微笑んでいるところだった。
「この人、どこかで」
知っている気がするのに思い出せない。テレビか新聞にでも出ていただろうか。やっぱり、マスコミに追われて世間の目にさらされる事態も起こるということ?
「うーん」
アイドルみたいに交際しただけで週刊誌に激写されるわけはないだろうが、こうして事実ネットに写真が上がっているのを見ると、あれこれと不安が湧いてきてしまう。私は一般人なのだ。
篠塚さんのことは好き……かもしれない。興味はある。出来ることなら一緒にいたいとも思う。でも、そこに付随するデメリットは? やっぱり無理だって別れたところで、平穏に元の生活へ戻れるの? そもそも内情を知ったあとで別れるって許される家なの?
「もう、分っかんない!」
この日も何一つ解決しないまま、私は冴えた目で義務的に布団をかぶるのだった。
Xデー二回戦がやってきた。すなわち正輝さんの襲来である。ついでに謎の運転手も付属してくることになるが、今日も館内に入ってきたのは被写体本人だけだった。
「やっほー梨代さん。会いたかった?」
リクルートではないスーツ姿に、輝く石付きのネクタイピンがやたら高そうだ。時間的にも仕事終わりで来たのだろうか。
「いらっしゃいませ。答えを聞きたいですか」
「やめとくわ。想像できるし」
前回と同じく挨拶だけして、私は奥へ引っ込もうとした。
「ちょっと待って。あのさ、うちの運転手が迷惑かけたみたいで悪かったよ。ちゃんと怒っといた」
この人にしては珍しく、いくらか真顔に近い顔で謝っている。自分も迷惑かけているのは棚に上げるらしい。
「その運転手の話なんだけどさ」
「気にしないでください。写真館の迷惑にならなければ結構ですので。ではご準備をどうぞ」
今度こそ山東君に押し付けて、私は足早に立ち去った。そろそろ奥では片付けに入っても良いだろう。今から閉館準備に取り掛かっておけば、今日は早く帰れるかもしれない。
事務室では北内さんがホワイトボードを睨みつけていた。スタッフの休みや出張を書いておく予定表だ。
「どうしたの」
「えっ。いや、何でも。明日ハロウィンなんですね」
ハロウィンパーティーの出張撮影依頼が複数件入っている。カメラマンはイベントをハシゴするらしい。
「険しい顔してなかった?」
「はっ、見られてた! お気に入りのカフェでハロウィン限定のドリンク飲みたかったんですけど、明日までなんですよね。仕事終わりに行こうと思った日に残業だったりして」
「明日こそ残業だと思うよ。出張で人手が足りないからね。行くなら今日のうちかなぁ」
「やっぱり」
私が片付け準備に入ったのを期待した目で見ながら、北内さんはドレスを三着抱えて素早く出て行った。明らかに動く速度が速くなっている。小動物は素直だなぁ。
その甲斐あってか明日の準備までスムーズにこなした私たちは、目論見通りに残業なしで帰ることが出来た。
「さっむ」
気づけば十一月目前、朝晩は冷え込むようになった。油断して手袋を置いてきてしまったのを後悔しながら、手をこすり合わせて敷地を出る。
そしたらアレが出た。
「お疲れ、梨代さん。毎日こんな時間まで働いてんの?」
マフラーを巻いた正輝さんが、道に止めてある車の窓から身を乗り出した。え、撮影終わってからずっと待ってたの? そんなに長い時間でもないけど。
「そろそろ通報して良いですかね」
「理由くらい聞いてよ。中で話そうとしたのに、さっさと行っちゃうんだからさぁ」
正輝さんが車から降りてきた。で、なぜか運転手も降りてきた。気まずそうというか気が進まないというか、とりあえず渋い感じの表情に見える。
「この人のことは悪かったよ。でさ、何でそんなことしたかって話なんだけど」
「正輝さんのことを推したいのは聞きましたよ。ご本人から」
「その本人、どうせ自分のことは話してないんでしょ」
正輝さんに前に出るよう促され、中年の運転手が数歩だけ進み出る。
「うちの運転手、金澤邦治。名前で分かる? ……あはは、完全に覚えてないんだ。梨代さんのお父さんだよ」
「ごめんなさい、ちょっとだけ!」
誰にともなく謝りながら検索したのは、篠塚家夫人についての情報である。他人様の情報を検索なんてと思ってはいても、散々迷って手は止まらなかった。エンターキーを押した瞬間の罪悪感たるや。
「篠塚財閥……総裁……妻……」
結果として情報はあまり出てこなかった。正直、ほっとした。画面をスクロールするたび、ネット記事を開くたび、詳細が書かれていないことに安堵感が増してゆく。私は何を確認したかったのだろうか。
でも最後の最後、これを見て終わりにしようと思ったサイトに一枚だけ写真を見つけた。何年か前の記念式典らしい。夫婦そろって来賓に挨拶する様子が写され、フォーマルな白いツーピース姿の夫人が上品に微笑んでいるところだった。
「この人、どこかで」
知っている気がするのに思い出せない。テレビか新聞にでも出ていただろうか。やっぱり、マスコミに追われて世間の目にさらされる事態も起こるということ?
「うーん」
アイドルみたいに交際しただけで週刊誌に激写されるわけはないだろうが、こうして事実ネットに写真が上がっているのを見ると、あれこれと不安が湧いてきてしまう。私は一般人なのだ。
篠塚さんのことは好き……かもしれない。興味はある。出来ることなら一緒にいたいとも思う。でも、そこに付随するデメリットは? やっぱり無理だって別れたところで、平穏に元の生活へ戻れるの? そもそも内情を知ったあとで別れるって許される家なの?
「もう、分っかんない!」
この日も何一つ解決しないまま、私は冴えた目で義務的に布団をかぶるのだった。
Xデー二回戦がやってきた。すなわち正輝さんの襲来である。ついでに謎の運転手も付属してくることになるが、今日も館内に入ってきたのは被写体本人だけだった。
「やっほー梨代さん。会いたかった?」
リクルートではないスーツ姿に、輝く石付きのネクタイピンがやたら高そうだ。時間的にも仕事終わりで来たのだろうか。
「いらっしゃいませ。答えを聞きたいですか」
「やめとくわ。想像できるし」
前回と同じく挨拶だけして、私は奥へ引っ込もうとした。
「ちょっと待って。あのさ、うちの運転手が迷惑かけたみたいで悪かったよ。ちゃんと怒っといた」
この人にしては珍しく、いくらか真顔に近い顔で謝っている。自分も迷惑かけているのは棚に上げるらしい。
「その運転手の話なんだけどさ」
「気にしないでください。写真館の迷惑にならなければ結構ですので。ではご準備をどうぞ」
今度こそ山東君に押し付けて、私は足早に立ち去った。そろそろ奥では片付けに入っても良いだろう。今から閉館準備に取り掛かっておけば、今日は早く帰れるかもしれない。
事務室では北内さんがホワイトボードを睨みつけていた。スタッフの休みや出張を書いておく予定表だ。
「どうしたの」
「えっ。いや、何でも。明日ハロウィンなんですね」
ハロウィンパーティーの出張撮影依頼が複数件入っている。カメラマンはイベントをハシゴするらしい。
「険しい顔してなかった?」
「はっ、見られてた! お気に入りのカフェでハロウィン限定のドリンク飲みたかったんですけど、明日までなんですよね。仕事終わりに行こうと思った日に残業だったりして」
「明日こそ残業だと思うよ。出張で人手が足りないからね。行くなら今日のうちかなぁ」
「やっぱり」
私が片付け準備に入ったのを期待した目で見ながら、北内さんはドレスを三着抱えて素早く出て行った。明らかに動く速度が速くなっている。小動物は素直だなぁ。
その甲斐あってか明日の準備までスムーズにこなした私たちは、目論見通りに残業なしで帰ることが出来た。
「さっむ」
気づけば十一月目前、朝晩は冷え込むようになった。油断して手袋を置いてきてしまったのを後悔しながら、手をこすり合わせて敷地を出る。
そしたらアレが出た。
「お疲れ、梨代さん。毎日こんな時間まで働いてんの?」
マフラーを巻いた正輝さんが、道に止めてある車の窓から身を乗り出した。え、撮影終わってからずっと待ってたの? そんなに長い時間でもないけど。
「そろそろ通報して良いですかね」
「理由くらい聞いてよ。中で話そうとしたのに、さっさと行っちゃうんだからさぁ」
正輝さんが車から降りてきた。で、なぜか運転手も降りてきた。気まずそうというか気が進まないというか、とりあえず渋い感じの表情に見える。
「この人のことは悪かったよ。でさ、何でそんなことしたかって話なんだけど」
「正輝さんのことを推したいのは聞きましたよ。ご本人から」
「その本人、どうせ自分のことは話してないんでしょ」
正輝さんに前に出るよう促され、中年の運転手が数歩だけ進み出る。
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