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ふたりの愛憎編
14.歩み寄り ──秋人
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勢いで感動してしまったけど、「好きになる努力」ってなんだろう?
いつかわかるかなぁなんて呑気に構えてたけど、陽介の行動は予想以上に積極的だった。いや、積極的と言うか…。
「秋人、おはよう。今日も可愛いな、好きだよ」
「……おはよ」
目を開けると、朝日よりも眩しい満面の笑みが広がっていた。
部屋に響くのはショパンのワルツ全集。うん、しかもこれは陽介の演奏だ。
「体調はどう? 今日は午後から雨予報だから一応痛み止め持っとくな。頭が痛くなったらすぐ言って」
「う、うん……ありがとう」
明らかに昨日までの陽介と声色が変わった。でも無理をして作っているというわけじゃない。
なんと言うか、陽介の気持ちが声にのってる…?
「秋人、いっしょに食堂行こう。人多いから気を付けて」
「うん……わかった」
昼休みになってもそれは変わらなかった。わざわざ俺のクラスまで来てくれて、爽やかな笑顔で誘ってくれている。
ほら見ろ、周りの女子がざわついてんじゃんか!やりすぎなんだよ、Dummkopf!!(バカ!!)
「今日もレッスン室の予約してる? あんまり根詰めすぎるなよ、ゆっくりでいいから」
「……陽介」
「ん? なに?」
放課後、いつも俺が独占しているレッスン室に向かう廊下にて。隣を歩く陽介と目を合わせると、不思議そうな顔をされた。
慌てて笑顔を張り付け、どうにかして自分の気持ちを伝えようと口を開いた。
「あのさ、無理しなくてもいいからな? 人の気持ちなんていきなり変わるわけじゃないんだし。……俺、も。陽介の立場だったら同じことしてたかもしれないから、なんと言うか……もう気にしなくてもいいよ」
レッスン室の扉を開け、ピアノを背に陽介と向かい合う。
朝からずっと笑顔だった陽介が表情を固くした。困ったように眉を寄せ、俺の真意を図ろうと目を細めている。
「えっと……あー、昨日の! 昨日の『革命』、弾けてよかった。俺、ショパンをあんな完成度で弾けたのはじめてだったからさ。やっぱり陽介はショパンが上手いから…」
「秋人」
いきなり冷静な声で名前を呼ばれ、無理やり張り付けていた笑顔が崩れた。
陽介の手が俺の右手に触れる。なにをされるのかと思い身構えると、一瞬だけ寂しそうな笑顔を浮かべてすぐに離れていった。
「悪い、まだ怖いよな」
「は…?」
「俺に触られるの。怖いよな?」
「…っ…!」
確信を突かれた気がした。
そんなことないよ、と言おうとして口を開くも声が上手く出てこない。さっきまで普通に話していたのに、喉がヒリついて声帯が震えてくれなかった。
「う……っゃ、ちが…っ!」
必死に声を絞り出しながら首を振ると、陽介がふたたび俺の右腕を掴んだ。
「……っごめん、いまだけ……いまだけ、ちょっとだけ我慢して」
「…っぁ…!」
腕を引っ張られ、陽介の胸の中に閉じ込められる。
久し振りの感覚だった。かつては毎日のようにこの体温を感じていたはずが、もうずいぶんと昔の記憶の中にあるような気がしてくる。
「よっ、陽介…! あの、ちょっと……待って、今日はちょっと……!」
「ごめん、待てない。ごめんな…っ」
「ひっ…! ……っぅ、うぅ~」
背中に回された陽介の腕に力が入り、いよいよ動けなくなってしまった。
なぜか涙が出てくる。身体も震えてる。
なにこれ? 嬉しい? 悲しい? この感情はなに……?
肩口に顔を埋めてどうにか涙を止めようとしていると、背中にある手がなだめるように優しく動いた。
「お願いだから泣かないでくれ…。泣かせたいわけじゃないんだ」
自分こそ泣きそうな声で、悲痛な心の叫びをそのまま俺に突き刺してくる。
でも俺の涙は止まらなかった。自分でもどうして泣いてしまっているのかわからない。
「Ich habe Angst...」
怖い、と。陽介には決して伝わらないドイツ語で小さく口に出す。
俺の背中を必死で撫でていた陽介の動きがぴたりと止まった。
「陽介…?」
「……酷いことをしたっていうのはわかってる。秋人自身にも、だし。ピアノ……ピアノを、奪うことになるとは思わなかった。ごめん、本当にごめん…」
背中にあった手が腰まで下り、ピアノの椅子に座るよう促される。
抵抗せず大人しく座ると、目の前に片膝をついた陽介が俺の右手を両手で包み込んだ。その手を自分の額にあて、目を閉じて……まるで、神に祈りでも捧げるような。
「Vater unser im Himmel...(天にまします我らの父よ…)」
「……え?」
陽介の口から出たのは、日本語じゃなくてドイツ語だった。
目を開けた陽介が、額にあてていた俺の手を胸元まで下ろす。驚くほど真剣な顔をしていた。
「──"あの日"、秋人は祈ってくれてたんだよな?」
寂しくて暗いトイレの個室を思い出す。
確かに俺は祈りの言葉を口にしたことがあった。でも陽介は特に反応しなかったし、もちろん意味を教えたこともない。
「なっ……え、なんで……ドイツ語……?」
「練習した、このフレーズだけ。耳コピしただけだから発音はあんまり上手くないと思うけど」
「…っな、なんで!? なんで最初に覚えるドイツ語がそれなんだよ!?」
「え?」
違う、絶対いまはこんなこと言ってる場合じゃない。他に言わなきゃいけないことがあるはずだ。
でも、それでも。陽介がはじめて口にしたドイツ語が、よりによって祈りの言葉だったという事実に嫉妬してしまったのだ。
誰に? ……そうだな、あえて言うなれば神様に。
「もっと……もっと他にあるだろ、はじめて覚えるドイツ語! 挨拶とか自己紹介とか、...Ähm(えぇーと)..."Musikbegriffe"("音楽記号")……いや、Ich liebe dich!(愛してる!) Ich liebe dichを最初に覚えろよ!」
「え、……は? なに、なんて言ってる?」
マズい、興奮していつもより早口になってるかもしれない。
でも抑えきれなかった。そもそも陽介には俺がドイツ語を教えてあげたかったのに、どこの誰の発音を耳コピしたって言うんだ?
「さっきのもなんだよ、なんか中途半端な……accent français?(フランス訛り?) せめて綺麗なドイツ語で覚えてこいよ!」
「う、うん…? ごめん?」
「NEIN!!(違う!!)」
強い否定の言葉を口にしながら、陽介の手を振り払って逆にこっちから掴み直す。
落ち着け、落ち着け。日本語じゃないと伝わらないんだ、ゆっくり……ゆっくり。
「Ich liebe dich(愛してる)……最初に、これ覚えてほしかった」
なるべくゆっくり、わかりやすいように発音する。
陽介が大きく目を見開いた。俺が知らない陽介の表情だ。
「……愛してる。最初に秋人が教えてくれたやつ?」
「そう…」
両手で掴んだ陽介の右手に、そっと唇を押し付ける。好きだよ、って気持ちをこめてみる。
陽介の身体が小さく震えた。……嫌だったかな。
「そっか……うん、そうだよな。神に祈っても仕方ないか、俺はどこの神様も信じてないし」
苦笑いした陽介が、空いた左手で俺の髪を撫でてくる。
優しい手つきだ。憎しみも嫌悪感もない、純粋な優しさだけしかない、大きなてのひら。
「わかった、次に覚えるドイツ語はそれにするよ」
「……っ、約束だからな!」
いつかわかるかなぁなんて呑気に構えてたけど、陽介の行動は予想以上に積極的だった。いや、積極的と言うか…。
「秋人、おはよう。今日も可愛いな、好きだよ」
「……おはよ」
目を開けると、朝日よりも眩しい満面の笑みが広がっていた。
部屋に響くのはショパンのワルツ全集。うん、しかもこれは陽介の演奏だ。
「体調はどう? 今日は午後から雨予報だから一応痛み止め持っとくな。頭が痛くなったらすぐ言って」
「う、うん……ありがとう」
明らかに昨日までの陽介と声色が変わった。でも無理をして作っているというわけじゃない。
なんと言うか、陽介の気持ちが声にのってる…?
「秋人、いっしょに食堂行こう。人多いから気を付けて」
「うん……わかった」
昼休みになってもそれは変わらなかった。わざわざ俺のクラスまで来てくれて、爽やかな笑顔で誘ってくれている。
ほら見ろ、周りの女子がざわついてんじゃんか!やりすぎなんだよ、Dummkopf!!(バカ!!)
「今日もレッスン室の予約してる? あんまり根詰めすぎるなよ、ゆっくりでいいから」
「……陽介」
「ん? なに?」
放課後、いつも俺が独占しているレッスン室に向かう廊下にて。隣を歩く陽介と目を合わせると、不思議そうな顔をされた。
慌てて笑顔を張り付け、どうにかして自分の気持ちを伝えようと口を開いた。
「あのさ、無理しなくてもいいからな? 人の気持ちなんていきなり変わるわけじゃないんだし。……俺、も。陽介の立場だったら同じことしてたかもしれないから、なんと言うか……もう気にしなくてもいいよ」
レッスン室の扉を開け、ピアノを背に陽介と向かい合う。
朝からずっと笑顔だった陽介が表情を固くした。困ったように眉を寄せ、俺の真意を図ろうと目を細めている。
「えっと……あー、昨日の! 昨日の『革命』、弾けてよかった。俺、ショパンをあんな完成度で弾けたのはじめてだったからさ。やっぱり陽介はショパンが上手いから…」
「秋人」
いきなり冷静な声で名前を呼ばれ、無理やり張り付けていた笑顔が崩れた。
陽介の手が俺の右手に触れる。なにをされるのかと思い身構えると、一瞬だけ寂しそうな笑顔を浮かべてすぐに離れていった。
「悪い、まだ怖いよな」
「は…?」
「俺に触られるの。怖いよな?」
「…っ…!」
確信を突かれた気がした。
そんなことないよ、と言おうとして口を開くも声が上手く出てこない。さっきまで普通に話していたのに、喉がヒリついて声帯が震えてくれなかった。
「う……っゃ、ちが…っ!」
必死に声を絞り出しながら首を振ると、陽介がふたたび俺の右腕を掴んだ。
「……っごめん、いまだけ……いまだけ、ちょっとだけ我慢して」
「…っぁ…!」
腕を引っ張られ、陽介の胸の中に閉じ込められる。
久し振りの感覚だった。かつては毎日のようにこの体温を感じていたはずが、もうずいぶんと昔の記憶の中にあるような気がしてくる。
「よっ、陽介…! あの、ちょっと……待って、今日はちょっと……!」
「ごめん、待てない。ごめんな…っ」
「ひっ…! ……っぅ、うぅ~」
背中に回された陽介の腕に力が入り、いよいよ動けなくなってしまった。
なぜか涙が出てくる。身体も震えてる。
なにこれ? 嬉しい? 悲しい? この感情はなに……?
肩口に顔を埋めてどうにか涙を止めようとしていると、背中にある手がなだめるように優しく動いた。
「お願いだから泣かないでくれ…。泣かせたいわけじゃないんだ」
自分こそ泣きそうな声で、悲痛な心の叫びをそのまま俺に突き刺してくる。
でも俺の涙は止まらなかった。自分でもどうして泣いてしまっているのかわからない。
「Ich habe Angst...」
怖い、と。陽介には決して伝わらないドイツ語で小さく口に出す。
俺の背中を必死で撫でていた陽介の動きがぴたりと止まった。
「陽介…?」
「……酷いことをしたっていうのはわかってる。秋人自身にも、だし。ピアノ……ピアノを、奪うことになるとは思わなかった。ごめん、本当にごめん…」
背中にあった手が腰まで下り、ピアノの椅子に座るよう促される。
抵抗せず大人しく座ると、目の前に片膝をついた陽介が俺の右手を両手で包み込んだ。その手を自分の額にあて、目を閉じて……まるで、神に祈りでも捧げるような。
「Vater unser im Himmel...(天にまします我らの父よ…)」
「……え?」
陽介の口から出たのは、日本語じゃなくてドイツ語だった。
目を開けた陽介が、額にあてていた俺の手を胸元まで下ろす。驚くほど真剣な顔をしていた。
「──"あの日"、秋人は祈ってくれてたんだよな?」
寂しくて暗いトイレの個室を思い出す。
確かに俺は祈りの言葉を口にしたことがあった。でも陽介は特に反応しなかったし、もちろん意味を教えたこともない。
「なっ……え、なんで……ドイツ語……?」
「練習した、このフレーズだけ。耳コピしただけだから発音はあんまり上手くないと思うけど」
「…っな、なんで!? なんで最初に覚えるドイツ語がそれなんだよ!?」
「え?」
違う、絶対いまはこんなこと言ってる場合じゃない。他に言わなきゃいけないことがあるはずだ。
でも、それでも。陽介がはじめて口にしたドイツ語が、よりによって祈りの言葉だったという事実に嫉妬してしまったのだ。
誰に? ……そうだな、あえて言うなれば神様に。
「もっと……もっと他にあるだろ、はじめて覚えるドイツ語! 挨拶とか自己紹介とか、...Ähm(えぇーと)..."Musikbegriffe"("音楽記号")……いや、Ich liebe dich!(愛してる!) Ich liebe dichを最初に覚えろよ!」
「え、……は? なに、なんて言ってる?」
マズい、興奮していつもより早口になってるかもしれない。
でも抑えきれなかった。そもそも陽介には俺がドイツ語を教えてあげたかったのに、どこの誰の発音を耳コピしたって言うんだ?
「さっきのもなんだよ、なんか中途半端な……accent français?(フランス訛り?) せめて綺麗なドイツ語で覚えてこいよ!」
「う、うん…? ごめん?」
「NEIN!!(違う!!)」
強い否定の言葉を口にしながら、陽介の手を振り払って逆にこっちから掴み直す。
落ち着け、落ち着け。日本語じゃないと伝わらないんだ、ゆっくり……ゆっくり。
「Ich liebe dich(愛してる)……最初に、これ覚えてほしかった」
なるべくゆっくり、わかりやすいように発音する。
陽介が大きく目を見開いた。俺が知らない陽介の表情だ。
「……愛してる。最初に秋人が教えてくれたやつ?」
「そう…」
両手で掴んだ陽介の右手に、そっと唇を押し付ける。好きだよ、って気持ちをこめてみる。
陽介の身体が小さく震えた。……嫌だったかな。
「そっか……うん、そうだよな。神に祈っても仕方ないか、俺はどこの神様も信じてないし」
苦笑いした陽介が、空いた左手で俺の髪を撫でてくる。
優しい手つきだ。憎しみも嫌悪感もない、純粋な優しさだけしかない、大きなてのひら。
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「……っ、約束だからな!」
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