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真実のドイツ編
20.カミングアウト ──陽介
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「さて、陽介。そろそろあなたのピアノを聞かせてくれる?」
一通りアルバムを見終わったあと、母親が椅子から立ち上がった。
「長いフライトで疲れているかしら?」
「いや…。一曲弾くぐらいなら、全然」
あれだけ煮詰めてグチャグチャになっていた彼女への憎悪は驚くほど落ち着いてしまっていた。
生きていく原動力にもなっていたっていうのに、俺も意外と単純だな。俺がほしかったのはこんな平凡な幸せだったのか。
亜麻色の表紙を撫で、口の中で小さく「ありがとう」と誰にでもなく呟く。
「陽介、ピアノこっち!」
俺の腕を掴んだ秋人がニコニコ笑って促してくる。
秋人はドイツに来てからずっとご機嫌だな。学校の奴らがこの顔を見たら驚くんだろうなぁ。
「嬉しいなぁ、陽介がここでピアノを弾いてくれるなんて」
連れていかれたのは、リビングの奥にある防音の効いたレッスン室だった。
さっき見た写真の中で何度か見た光景が広がっている。秋人も幼いころにここでレッスンしていたのだろうか。
「陽介、ショパンのワルツ弾いて。とびっきり甘いやつ」
「ふふっ、いいわねぇ」
同じような顔をして笑う二人に見守られながら、緊張と少しの興奮で熱を帯びる身体を落ち着かせて椅子に座る。
「甘いやつ……ノクターンとか?」
ピアノの蓋を開け、鍵盤に指を置く。
子犬のワルツだと軽すぎる。華麗なる大円舞曲……も、好きだけどちょっと明るいな。
夜想曲第2番 変ホ長調 op.9-2。
ここで弾くべきはこの曲だろう。
母親であり、現役のピアニストでもある彼女にこの距離感でピアノを聞かれるのは緊張する。でも精一杯、いまの俺の気持ちをこめて演奏することにした。
幼いころからの積み重ねで大きくなってしまった復讐心はここで完全に葬ってしまおう。秋人にしてしまったことは決して許されることじゃないけど、一生をかけて償っていこう。
「嫌いになれない」と何度も言ってしまった。それよりもたくさんの「愛してる」を伝えていこう。
いつか秋人が教えてくれたドイツ語でも愛を囁けるようになれるといいな。
「……終わり、ましたけど」
噛み締めすぎて普段よりゆっくりしたテンポで弾いてしまった…。聞きにくかっただろうか。
ピアノのそばに立って聞いていた二人を見上げるも、なぜか反応がない。呆然と立ち尽くしている、というか。
「えっと…?」
そんなに酷かっただろうか、いまの演奏は。
「Wunderbar!!(すばらしいわ!!)」
どうしたものかと困惑していると、母親の方が先に口を開いた。おそらくドイツ語でなにかしらを叫んで、俺にはもったいないぐらいの拍手を送ってくれる。
「Wunderbar…! Fantastisch…!(素敵…!) 素晴らしいわ、陽介! どんなピアニストが弾くショパンよりも感動的だったわ!」
「陽介っ!」
「うわっ!?」
母親からの拍手喝采を受けながら恐縮していると、秋人がいきなり飛びついてきた。背中に腕を回して強く抱きしめられる。
「すっごい良かった…! Wunderbar…! いままでの陽介のショパンでいちばん良かったぞ!」
「そ……っ、そう、か?」
「ありがとう、こんな素晴らしい演奏を聞かせてくれて!」
興奮しきっている秋人は周りがよく見えていないようだった。まるで二人きりでいる時みたいに情熱的に抱きしめてきて、素直に甘えてくる時みたいに首筋に擦り寄ってくる。
演奏後の高揚感も手伝って俺も思わず秋人の背中に手を添えたけど、はっとして母親の顔を見上げた。
「あ…っ、あの、これは…。秋人は感情表現が大きいからって言うか…」
俺が必死で言い訳を並べ始めると、擦り寄っていた秋人の動きがピタッと止まった。母親は目を丸くして俺たちのことを見ている。
「よ、陽介……」
耳元で小さく震えた声が俺の名前を呼ぶ。
誤魔化しきれる。まだ兄弟愛で乗り切れる。なんてったってここはドイツだし、日本よりもスキンシップが多くても…。
──いや、違う。違うだろう。
秋人の背中と腰を抱き寄せながら椅子から立ち上がる。バランスを崩した秋人が完全に体重をかけてきたが、それが逆に好都合だとも思った。
「…っあの、……母さん」
生まれてはじめて口にする単語を声にのせる。
抱きしめている秋人の身体が大きく揺れた。目の前にいる彼女もますます目を丸くして、白く細い指先で自分の口元を覆っている。
「ごめん、突然だけど聞いてほしい。……俺と秋人、付き合ってるんだ。恋人なんだ、兄弟だけど」
「陽介っ!」
秋人の責めるような声が聞こえてきたけど、それには応じずに母さんのことだけをじっと見つめた。
軽蔑されるか? 冗談だろうと笑われるか? なんて言われる?
「そんな……本当に? 本当なの?」
「うん…。ごめん、やっと再会できた日にこんなこと言うべきじゃないとも思ってるんだ。でも……」
それでも、俺は。
「母さんに……大事な人に、ちゃんと伝えたいと思った。母さんのことも秋人のこともずっと憎んでて、同じ学校に通い始めた秋人にずっと酷いことをしてしまってて…。それでもいまは秋人のことを世界でいちばん愛してるんだ。大切にしたいって思ってる。だから……できれば母さんにだけは祝福してほしい」
しがみつくように抱きついている秋人の身体が震えている。ごめんな、と口には出さずに背中を撫でた。
もう少しきちんと話し合ってからカミングアウトするべきだっただろうか? 秋人の方から伝えてもらうべきだっただろうか?
後悔の気持ちが身体中をぐるぐると巡っているけど、一度口に出してしまったものは取り消せない。
世界中の人間に祝福されたいなんて贅沢は言わない。
俺は俺の大切な人だけに祝福されて、秋人と二人で世界の片隅でひっそりと幸せに暮らせればそれでいいのだ。
一通りアルバムを見終わったあと、母親が椅子から立ち上がった。
「長いフライトで疲れているかしら?」
「いや…。一曲弾くぐらいなら、全然」
あれだけ煮詰めてグチャグチャになっていた彼女への憎悪は驚くほど落ち着いてしまっていた。
生きていく原動力にもなっていたっていうのに、俺も意外と単純だな。俺がほしかったのはこんな平凡な幸せだったのか。
亜麻色の表紙を撫で、口の中で小さく「ありがとう」と誰にでもなく呟く。
「陽介、ピアノこっち!」
俺の腕を掴んだ秋人がニコニコ笑って促してくる。
秋人はドイツに来てからずっとご機嫌だな。学校の奴らがこの顔を見たら驚くんだろうなぁ。
「嬉しいなぁ、陽介がここでピアノを弾いてくれるなんて」
連れていかれたのは、リビングの奥にある防音の効いたレッスン室だった。
さっき見た写真の中で何度か見た光景が広がっている。秋人も幼いころにここでレッスンしていたのだろうか。
「陽介、ショパンのワルツ弾いて。とびっきり甘いやつ」
「ふふっ、いいわねぇ」
同じような顔をして笑う二人に見守られながら、緊張と少しの興奮で熱を帯びる身体を落ち着かせて椅子に座る。
「甘いやつ……ノクターンとか?」
ピアノの蓋を開け、鍵盤に指を置く。
子犬のワルツだと軽すぎる。華麗なる大円舞曲……も、好きだけどちょっと明るいな。
夜想曲第2番 変ホ長調 op.9-2。
ここで弾くべきはこの曲だろう。
母親であり、現役のピアニストでもある彼女にこの距離感でピアノを聞かれるのは緊張する。でも精一杯、いまの俺の気持ちをこめて演奏することにした。
幼いころからの積み重ねで大きくなってしまった復讐心はここで完全に葬ってしまおう。秋人にしてしまったことは決して許されることじゃないけど、一生をかけて償っていこう。
「嫌いになれない」と何度も言ってしまった。それよりもたくさんの「愛してる」を伝えていこう。
いつか秋人が教えてくれたドイツ語でも愛を囁けるようになれるといいな。
「……終わり、ましたけど」
噛み締めすぎて普段よりゆっくりしたテンポで弾いてしまった…。聞きにくかっただろうか。
ピアノのそばに立って聞いていた二人を見上げるも、なぜか反応がない。呆然と立ち尽くしている、というか。
「えっと…?」
そんなに酷かっただろうか、いまの演奏は。
「Wunderbar!!(すばらしいわ!!)」
どうしたものかと困惑していると、母親の方が先に口を開いた。おそらくドイツ語でなにかしらを叫んで、俺にはもったいないぐらいの拍手を送ってくれる。
「Wunderbar…! Fantastisch…!(素敵…!) 素晴らしいわ、陽介! どんなピアニストが弾くショパンよりも感動的だったわ!」
「陽介っ!」
「うわっ!?」
母親からの拍手喝采を受けながら恐縮していると、秋人がいきなり飛びついてきた。背中に腕を回して強く抱きしめられる。
「すっごい良かった…! Wunderbar…! いままでの陽介のショパンでいちばん良かったぞ!」
「そ……っ、そう、か?」
「ありがとう、こんな素晴らしい演奏を聞かせてくれて!」
興奮しきっている秋人は周りがよく見えていないようだった。まるで二人きりでいる時みたいに情熱的に抱きしめてきて、素直に甘えてくる時みたいに首筋に擦り寄ってくる。
演奏後の高揚感も手伝って俺も思わず秋人の背中に手を添えたけど、はっとして母親の顔を見上げた。
「あ…っ、あの、これは…。秋人は感情表現が大きいからって言うか…」
俺が必死で言い訳を並べ始めると、擦り寄っていた秋人の動きがピタッと止まった。母親は目を丸くして俺たちのことを見ている。
「よ、陽介……」
耳元で小さく震えた声が俺の名前を呼ぶ。
誤魔化しきれる。まだ兄弟愛で乗り切れる。なんてったってここはドイツだし、日本よりもスキンシップが多くても…。
──いや、違う。違うだろう。
秋人の背中と腰を抱き寄せながら椅子から立ち上がる。バランスを崩した秋人が完全に体重をかけてきたが、それが逆に好都合だとも思った。
「…っあの、……母さん」
生まれてはじめて口にする単語を声にのせる。
抱きしめている秋人の身体が大きく揺れた。目の前にいる彼女もますます目を丸くして、白く細い指先で自分の口元を覆っている。
「ごめん、突然だけど聞いてほしい。……俺と秋人、付き合ってるんだ。恋人なんだ、兄弟だけど」
「陽介っ!」
秋人の責めるような声が聞こえてきたけど、それには応じずに母さんのことだけをじっと見つめた。
軽蔑されるか? 冗談だろうと笑われるか? なんて言われる?
「そんな……本当に? 本当なの?」
「うん…。ごめん、やっと再会できた日にこんなこと言うべきじゃないとも思ってるんだ。でも……」
それでも、俺は。
「母さんに……大事な人に、ちゃんと伝えたいと思った。母さんのことも秋人のこともずっと憎んでて、同じ学校に通い始めた秋人にずっと酷いことをしてしまってて…。それでもいまは秋人のことを世界でいちばん愛してるんだ。大切にしたいって思ってる。だから……できれば母さんにだけは祝福してほしい」
しがみつくように抱きついている秋人の身体が震えている。ごめんな、と口には出さずに背中を撫でた。
もう少しきちんと話し合ってからカミングアウトするべきだっただろうか? 秋人の方から伝えてもらうべきだっただろうか?
後悔の気持ちが身体中をぐるぐると巡っているけど、一度口に出してしまったものは取り消せない。
世界中の人間に祝福されたいなんて贅沢は言わない。
俺は俺の大切な人だけに祝福されて、秋人と二人で世界の片隅でひっそりと幸せに暮らせればそれでいいのだ。
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