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真実のドイツ編
23.君の世界 ──陽介
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「俺は早く陽介としたいよ、セックス」
身体を寄せてきた秋人に泣きそうな声で訴えられて、不自然に喉を鳴らしてしまったことを悟られていないことを願った。
たぶん俺は秋人よりももっと強くそれを望んでいると思う。「好きになる努力をさせてほしい」という自分勝手な宣言をしたあと、恋人らしい触れ合いをしたことがなかったから。
秋人のことをなにも考えずに、最低限の愛撫で身体を解して突っ込んで吐き出して…。あの最低な日々を秋人は許してくれたけど、どう触れたらいいのかわからなかったのだ。
「なぁ、陽介。今日はくっついて寝てもいい…?」
「え?」
シャワーを浴びてきた秋人が、まだ濡れた髪をタオルで拭きながら俺に近付いてきた。
「いい、けど…。大丈夫なのか?」
よくない、本当はよくない。秋人とくっついて朝までベッドの中にいるなんて耐えられる気がしない。
でもせっかく秋人の方から歩み寄ってくれているのに無下にするわけにはいかなくて、心配しているよという体で返事をした。すると秋人は、ほっとしたように表情を緩ませてベッドに座る俺の隣に腰を下ろしてくる。
「たぶん大丈夫だと思う。……あの、後ろ向きはちょっと怖いから……前から抱きしめてもらえると嬉しい、かも」
「……わかった」
過去の自分を呪った。向かい合わせなんていちばん誤魔化すのが難しい。
「性欲処理」と称して身体を繋げていたころ、秋人の背中から覆い被さるようにして行為を進めることが多かったのだ。なんとなく秋人の顔を見たくなかったから。
──その夜、俺ははじめて羊を数えながら眠った。
***
なんとか夜を乗り切って迎えた次の日。母さんが家を出ている間、俺たちはミュンヘンの街を散策することにした。
街並み全てが新鮮で、まるで絵葉書の中にいるようだった。
空気は澄んでいて、石畳の道には朝の光が溢れている。建物の色やデザイン、道の角に飾られた花々、何もかもが新鮮で、子どもみたいにきょろきょろと辺りを見回してしまった。
突き当たりまで歩いて角を曲がると、古い教会の前に出た。美しいゴシック様式の建築物だ。
「これが聖ヨハン教会。さすがに知ってるだろ? 小さいけど、内装がすごく綺麗なんだよ」
秋人が教会の説明をしてくれる。俺はただ、その雄大な建築に見惚れていた。
「すごいな、こういう建物を見ると心が落ち着くって言うか…。日本にはない、歴史の重みみたいなものがあるからかな」
「うんうん」
秋人は俺の隣で嬉しそうに笑っていた。
ゆっくり歩きながら秋人の丁寧なガイドを聞き、ミュンヘンの街並みを堪能していく。
「陽介、ほら! あそこの建物、すっごく立派だろ? あれが新市庁舎だよ。ゴシック建築でさ、ほら、塔がすごいんだ」
秋人が興奮気味に腕を引っ張ってくる。
何度もこの道を歩いているはずなのに俺よりもはしゃいでるように見えて、そんな姿が純粋に可愛いと思えた。俺は本当に許されたのか、と改めて実感する。
「あぁ、すごいな。こういうのを見ると、本当に海外に来たんだって実感する」
新市庁舎を見上げる。歴史の重みを感じさせる荘厳な建物だ。
「陽介、さっきからずっと『すごいな』ばっかりだな。そうだ、ドイツ語で褒めてみたらどう?」
秋人が顔を覗き込んできて悪戯っぽく微笑んだ。
こんなふうに笑うんだな、秋人も。……いや、俺には見せてなかっただけか。
「えーっと、ドイツ語か。じゃあ、この市庁舎に合う言葉……『素晴らしい』はなんて言うんだ?」
「"Wunderbar"だよ。陽介のピアノを褒めてくれた時、母さんが叫んでただろ?」
「ああ、あれか。『ヴンダーバー』……」
陽介は少し躊躇してから、秋人の耳元に顔を寄せた。
「……秋人、"Wunderbar"」
小さく囁くと、秋人の顔が一瞬で赤くなる。
「なっ、なんで俺に言うんだよ!?」
「いいだろ、べつに」
俺にとっては新市庁舎よりも秋人の方が"Wunderbar"なのだ。
小競り合いを続けながら人通りの多い通りを避け、路地裏にある静かなカフェに辿り着いた。木製のテーブルと、壁にかかったアンティークな写真が心地いい空間だ。
「Zwei Kaffees und zwei Apfelstrudel, bitte.」
(コーヒー二杯とアップルシュトルーデルを二個お願いします)
席について店員を呼んだ秋人が流暢なドイツ語で注文を済ませてくれた。
様になってるなぁ、ほんとに。日本にいると目立つ秋人の容姿も、ドイツに来ると馴染んでいるから不思議だ。
「秋人、本当にドイツ語すごいな。よく考えたら秋人のドイツ語ってちゃんと聞いたことなかったかも」
「また『すごい』に戻ってるぞ。……でも、そうだな。陽介がドイツ語を羨ましがってくれるのは優越感があるかも」
優越感があると言いながらも、どこか寂しそうにコーヒーカップを回した。
しまった、言葉を間違えたか?
「悪い、からかってるわけじゃないんだ。本当にすごいなと思って。俺が諦めなきゃいけなかったもの全部、おまえが持ってる気がして」
「陽介……」
「でも、もう憎くはない。おまえの才能も、おまえの育った場所も。だって、その全てが秋人の音を作ってるんだから」
テーブルの上に放り出された秋人の手にそっと触れる。
亜麻色の瞳が驚いたように見開かれた。窓から差し込む太陽の光がその瞳を更に輝かせる。
「……じゃあ、陽介に俺の世界を分けてあげる」
「世界を…?」
「俺がドイツ語を教えるよ。二人でいっしょに、ここにあったはずの俺たちの世界を取り戻そう」
胸が熱くなった。憎しみから始まった関係が、いまでは共に未来を築くための共同作業へと変わっている。
「ありがとう、秋人。俺も教えるよ、秋人が知らないような俗っぽいこと」
「ふふっ、なんだそれ」
「早速だけど、これなんて言うんだ? 『俺の可愛い恋人』」
秋人が顔を赤らめる。
少し躊躇するように視線を外して、でもすぐに目を合わせてくれた。世界でいちばん愛おしい亜麻色が俺の心の中を暴くように覗き込んでくる。
「……"Mein süßer Liebhabe"、だよ」
「"Mein süßer Liebhaber"?」
たぶん発音もアクセントも全部間違っていたと思う。
でも秋人は本当に嬉しそうに笑い、俺の手を握りしめた。
「Ja!(うん!)」
身体を寄せてきた秋人に泣きそうな声で訴えられて、不自然に喉を鳴らしてしまったことを悟られていないことを願った。
たぶん俺は秋人よりももっと強くそれを望んでいると思う。「好きになる努力をさせてほしい」という自分勝手な宣言をしたあと、恋人らしい触れ合いをしたことがなかったから。
秋人のことをなにも考えずに、最低限の愛撫で身体を解して突っ込んで吐き出して…。あの最低な日々を秋人は許してくれたけど、どう触れたらいいのかわからなかったのだ。
「なぁ、陽介。今日はくっついて寝てもいい…?」
「え?」
シャワーを浴びてきた秋人が、まだ濡れた髪をタオルで拭きながら俺に近付いてきた。
「いい、けど…。大丈夫なのか?」
よくない、本当はよくない。秋人とくっついて朝までベッドの中にいるなんて耐えられる気がしない。
でもせっかく秋人の方から歩み寄ってくれているのに無下にするわけにはいかなくて、心配しているよという体で返事をした。すると秋人は、ほっとしたように表情を緩ませてベッドに座る俺の隣に腰を下ろしてくる。
「たぶん大丈夫だと思う。……あの、後ろ向きはちょっと怖いから……前から抱きしめてもらえると嬉しい、かも」
「……わかった」
過去の自分を呪った。向かい合わせなんていちばん誤魔化すのが難しい。
「性欲処理」と称して身体を繋げていたころ、秋人の背中から覆い被さるようにして行為を進めることが多かったのだ。なんとなく秋人の顔を見たくなかったから。
──その夜、俺ははじめて羊を数えながら眠った。
***
なんとか夜を乗り切って迎えた次の日。母さんが家を出ている間、俺たちはミュンヘンの街を散策することにした。
街並み全てが新鮮で、まるで絵葉書の中にいるようだった。
空気は澄んでいて、石畳の道には朝の光が溢れている。建物の色やデザイン、道の角に飾られた花々、何もかもが新鮮で、子どもみたいにきょろきょろと辺りを見回してしまった。
突き当たりまで歩いて角を曲がると、古い教会の前に出た。美しいゴシック様式の建築物だ。
「これが聖ヨハン教会。さすがに知ってるだろ? 小さいけど、内装がすごく綺麗なんだよ」
秋人が教会の説明をしてくれる。俺はただ、その雄大な建築に見惚れていた。
「すごいな、こういう建物を見ると心が落ち着くって言うか…。日本にはない、歴史の重みみたいなものがあるからかな」
「うんうん」
秋人は俺の隣で嬉しそうに笑っていた。
ゆっくり歩きながら秋人の丁寧なガイドを聞き、ミュンヘンの街並みを堪能していく。
「陽介、ほら! あそこの建物、すっごく立派だろ? あれが新市庁舎だよ。ゴシック建築でさ、ほら、塔がすごいんだ」
秋人が興奮気味に腕を引っ張ってくる。
何度もこの道を歩いているはずなのに俺よりもはしゃいでるように見えて、そんな姿が純粋に可愛いと思えた。俺は本当に許されたのか、と改めて実感する。
「あぁ、すごいな。こういうのを見ると、本当に海外に来たんだって実感する」
新市庁舎を見上げる。歴史の重みを感じさせる荘厳な建物だ。
「陽介、さっきからずっと『すごいな』ばっかりだな。そうだ、ドイツ語で褒めてみたらどう?」
秋人が顔を覗き込んできて悪戯っぽく微笑んだ。
こんなふうに笑うんだな、秋人も。……いや、俺には見せてなかっただけか。
「えーっと、ドイツ語か。じゃあ、この市庁舎に合う言葉……『素晴らしい』はなんて言うんだ?」
「"Wunderbar"だよ。陽介のピアノを褒めてくれた時、母さんが叫んでただろ?」
「ああ、あれか。『ヴンダーバー』……」
陽介は少し躊躇してから、秋人の耳元に顔を寄せた。
「……秋人、"Wunderbar"」
小さく囁くと、秋人の顔が一瞬で赤くなる。
「なっ、なんで俺に言うんだよ!?」
「いいだろ、べつに」
俺にとっては新市庁舎よりも秋人の方が"Wunderbar"なのだ。
小競り合いを続けながら人通りの多い通りを避け、路地裏にある静かなカフェに辿り着いた。木製のテーブルと、壁にかかったアンティークな写真が心地いい空間だ。
「Zwei Kaffees und zwei Apfelstrudel, bitte.」
(コーヒー二杯とアップルシュトルーデルを二個お願いします)
席について店員を呼んだ秋人が流暢なドイツ語で注文を済ませてくれた。
様になってるなぁ、ほんとに。日本にいると目立つ秋人の容姿も、ドイツに来ると馴染んでいるから不思議だ。
「秋人、本当にドイツ語すごいな。よく考えたら秋人のドイツ語ってちゃんと聞いたことなかったかも」
「また『すごい』に戻ってるぞ。……でも、そうだな。陽介がドイツ語を羨ましがってくれるのは優越感があるかも」
優越感があると言いながらも、どこか寂しそうにコーヒーカップを回した。
しまった、言葉を間違えたか?
「悪い、からかってるわけじゃないんだ。本当にすごいなと思って。俺が諦めなきゃいけなかったもの全部、おまえが持ってる気がして」
「陽介……」
「でも、もう憎くはない。おまえの才能も、おまえの育った場所も。だって、その全てが秋人の音を作ってるんだから」
テーブルの上に放り出された秋人の手にそっと触れる。
亜麻色の瞳が驚いたように見開かれた。窓から差し込む太陽の光がその瞳を更に輝かせる。
「……じゃあ、陽介に俺の世界を分けてあげる」
「世界を…?」
「俺がドイツ語を教えるよ。二人でいっしょに、ここにあったはずの俺たちの世界を取り戻そう」
胸が熱くなった。憎しみから始まった関係が、いまでは共に未来を築くための共同作業へと変わっている。
「ありがとう、秋人。俺も教えるよ、秋人が知らないような俗っぽいこと」
「ふふっ、なんだそれ」
「早速だけど、これなんて言うんだ? 『俺の可愛い恋人』」
秋人が顔を赤らめる。
少し躊躇するように視線を外して、でもすぐに目を合わせてくれた。世界でいちばん愛おしい亜麻色が俺の心の中を暴くように覗き込んでくる。
「……"Mein süßer Liebhabe"、だよ」
「"Mein süßer Liebhaber"?」
たぶん発音もアクセントも全部間違っていたと思う。
でも秋人は本当に嬉しそうに笑い、俺の手を握りしめた。
「Ja!(うん!)」
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