25 / 48
真実のドイツ編
25.神様と二股 ──陽介
しおりを挟む
ドイツ旅行の最終日は日曜日だった。
「いやー、ほんとによかった。ギリギリだったけど写真撮ってもらえて」
「あぁ…。ほんとにプロのカメラマンに頼むとは思ってなかったけど」
「ふふっ、そうなのか? カッコよかったよ、陽介」
昨日は母さんもいっしょに三人でプロのカメラマンに写真を撮ってもらった。母さんが仕事で付き合いのあるカメラマンだったらしい。
三人で、母さんと秋人、母さんと俺。そして最後に俺と秋人。
一人ずつでも写真を撮ってもらったんだけど、ガッチガチになっていた俺とは違って母さんと秋人は妙に手馴れていた。
「ほら陽介、着いたよ」
「……ここが例の?」
「うん」
秋人と二人で歩いて森を抜けた先に現れたのは、屋根が崩れ落ちて壁が蔦に覆われた石造りの廃教会だった。
神に見捨てられ、人々から忘れ去られた少し寂しい場所。
「……綺麗だな」
「だろ? ドイツに住んでたころさ、しょっちゅう一人でここに来てピアノの練習をサボってたんだ」
悪戯っぽく笑った秋人は、重厚な扉があったはずのアーチをくぐって俺の手を引き中へと進んだ。
祭壇だった場所にはいまは何も残っていない。
石造りのゴシック建築は荒廃し、ステンドグラスの多くは割れている。屋根の一部が抜け落ち、差し込む光が床に積もった埃を照らしていた。しかしその静寂は厳かで、かつて人々が祈りを捧げた場所としての神聖さが残っている。
「この先にもう少し立派な教会があるんだけど、そっちには母さんとよく行ってたんだ。日曜日にはミサに参加したりして」
「へぇ…」
秋人が静かに呟いた。言葉を間違えないように、気持ちをこめるように。丁寧にゆっくりと発音される秋人の日本語は、今日もきちんと芯が通って美しい。
どこかの教会から鐘の音が聞こえた。
秋人が行っていた教会からの音だろうか。
鐘の音を遠くに聞きながら秋人の横顔を見ていると、シャツの衿元から小さなものを取り出した。それは彼が常に肌身離さず身に着けている象牙細工のロザリオだった。
「……なぁ、陽介」
「なに?」
秋人がロザリオを持っていることは知っていた。なんとなくそれを俺に見せないようにしていたことも。
双子の兄弟であり、男同士。聖書に照らし合わせれば、俺たちの愛は間違いなく「罪」だ。あの煌びやかなステンドグラスの下に、俺たちの居場所はない。
「俺はね、神様を裏切ることはできないんだ。信仰心が強い……かどうかは自分ではわからないけど、物心がついたころには習慣になってたから。ピアノを弾くことも、神様に祈ることも」
「……うん」
「俺たちの間にちゃんと愛があるかどうかもわからない時に何度も身体を重ねただろ? あの時、ほんとに怖かったんだ。いよいよ神様に見捨てられるなって。だから必死で祈ってたっていうのもある」
俺がお粗末な耳コピで覚えた祈りの言葉。それが秋人にとってここまで大きな意味のあるものだったと思わなくて、どう返事をしていいものかと迷った。
顔を見上げて目を合わせてきた秋人が、なにかを見定めるように緩やかに目を細める。
「でも俺は陽介のことを愛していて…。神様にやめろって言われてもやめられる気がしない。だから……俺はもう神様に愛される権利がないんだろうな」
「……愛されたいのかよ、神様なんかに。俺が愛してるのに?」
必死で絞り出した言葉は、情けないほど掠れた声で空気を震わせてしまった。
日本で生まれ育った俺は、ヨーロッパで育った秋人の宗教観を上手く理解することなんてできないだろう。彼がいま、どんな気持ちで俺をここに連れてきてロザリオを晒してくれているかなんて一生わからないのかもしれない。
でも、それでも。俺の気持ちが神様に負けてしまうなんて思いたくなかった。
「……いいね、神様に喧嘩でも売るつもりか?」
俺の言葉をしっかり飲み飲んで咀嚼した秋人は、脱力するように肩口に顔を埋めてきた。
秋人の体温を、鼓動を感じる。申し訳ないけれど、俺には神様の気配なんてものは微塵も感じない。
「売れるもんなら売ってやるよ。俺はもう秋人のことを手離すつもりなんかないからな?」
ロザリオを握る秋人の手に自分の手を重ねる。
神様を裏切れないって言うんなら、それよりももっと愛せばいい。祈りの言葉を忘れられないって言うんなら、いくらでもいっしょに祈ってやってもいい。
「俺は……どっちも手離したくないな。陽介も、神様も」
「……贅沢なヤツ」
だけど、それでこそ月島秋人だという気もする。傲慢で高貴で、でもすごく可愛い俺の恋人はそういう男なのだ。
そんなことを言ったら怒らせてしまうだろうから言わないでおくけれど。
「まぁでも、二股っていうのはあんまりよくないな。神様に諦めがついたらまたここに連れてきてくれよ、いつまでも待ってるからさ」
「……いつになるかわかんないけど?」
「いいよ、それでも」
低い声でドイツ語の悪態を吐き出された気がしたが、無理やり顔を覗き込むと可愛い顔をしていたのでそのままキスをした。
教会でのキスなんて禁忌を何重にも犯している気がしたが、ここにはもう神様がいないだろうと仮定して更に唇を深める。ロザリオを握ったままの秋人の手が背中に回ってきて、うっすらと感じる罪悪感や背徳感に無理やり目を瞑った。
こうして俺のはじめてのドイツ旅行は静かに幕を閉じたのである。
「いやー、ほんとによかった。ギリギリだったけど写真撮ってもらえて」
「あぁ…。ほんとにプロのカメラマンに頼むとは思ってなかったけど」
「ふふっ、そうなのか? カッコよかったよ、陽介」
昨日は母さんもいっしょに三人でプロのカメラマンに写真を撮ってもらった。母さんが仕事で付き合いのあるカメラマンだったらしい。
三人で、母さんと秋人、母さんと俺。そして最後に俺と秋人。
一人ずつでも写真を撮ってもらったんだけど、ガッチガチになっていた俺とは違って母さんと秋人は妙に手馴れていた。
「ほら陽介、着いたよ」
「……ここが例の?」
「うん」
秋人と二人で歩いて森を抜けた先に現れたのは、屋根が崩れ落ちて壁が蔦に覆われた石造りの廃教会だった。
神に見捨てられ、人々から忘れ去られた少し寂しい場所。
「……綺麗だな」
「だろ? ドイツに住んでたころさ、しょっちゅう一人でここに来てピアノの練習をサボってたんだ」
悪戯っぽく笑った秋人は、重厚な扉があったはずのアーチをくぐって俺の手を引き中へと進んだ。
祭壇だった場所にはいまは何も残っていない。
石造りのゴシック建築は荒廃し、ステンドグラスの多くは割れている。屋根の一部が抜け落ち、差し込む光が床に積もった埃を照らしていた。しかしその静寂は厳かで、かつて人々が祈りを捧げた場所としての神聖さが残っている。
「この先にもう少し立派な教会があるんだけど、そっちには母さんとよく行ってたんだ。日曜日にはミサに参加したりして」
「へぇ…」
秋人が静かに呟いた。言葉を間違えないように、気持ちをこめるように。丁寧にゆっくりと発音される秋人の日本語は、今日もきちんと芯が通って美しい。
どこかの教会から鐘の音が聞こえた。
秋人が行っていた教会からの音だろうか。
鐘の音を遠くに聞きながら秋人の横顔を見ていると、シャツの衿元から小さなものを取り出した。それは彼が常に肌身離さず身に着けている象牙細工のロザリオだった。
「……なぁ、陽介」
「なに?」
秋人がロザリオを持っていることは知っていた。なんとなくそれを俺に見せないようにしていたことも。
双子の兄弟であり、男同士。聖書に照らし合わせれば、俺たちの愛は間違いなく「罪」だ。あの煌びやかなステンドグラスの下に、俺たちの居場所はない。
「俺はね、神様を裏切ることはできないんだ。信仰心が強い……かどうかは自分ではわからないけど、物心がついたころには習慣になってたから。ピアノを弾くことも、神様に祈ることも」
「……うん」
「俺たちの間にちゃんと愛があるかどうかもわからない時に何度も身体を重ねただろ? あの時、ほんとに怖かったんだ。いよいよ神様に見捨てられるなって。だから必死で祈ってたっていうのもある」
俺がお粗末な耳コピで覚えた祈りの言葉。それが秋人にとってここまで大きな意味のあるものだったと思わなくて、どう返事をしていいものかと迷った。
顔を見上げて目を合わせてきた秋人が、なにかを見定めるように緩やかに目を細める。
「でも俺は陽介のことを愛していて…。神様にやめろって言われてもやめられる気がしない。だから……俺はもう神様に愛される権利がないんだろうな」
「……愛されたいのかよ、神様なんかに。俺が愛してるのに?」
必死で絞り出した言葉は、情けないほど掠れた声で空気を震わせてしまった。
日本で生まれ育った俺は、ヨーロッパで育った秋人の宗教観を上手く理解することなんてできないだろう。彼がいま、どんな気持ちで俺をここに連れてきてロザリオを晒してくれているかなんて一生わからないのかもしれない。
でも、それでも。俺の気持ちが神様に負けてしまうなんて思いたくなかった。
「……いいね、神様に喧嘩でも売るつもりか?」
俺の言葉をしっかり飲み飲んで咀嚼した秋人は、脱力するように肩口に顔を埋めてきた。
秋人の体温を、鼓動を感じる。申し訳ないけれど、俺には神様の気配なんてものは微塵も感じない。
「売れるもんなら売ってやるよ。俺はもう秋人のことを手離すつもりなんかないからな?」
ロザリオを握る秋人の手に自分の手を重ねる。
神様を裏切れないって言うんなら、それよりももっと愛せばいい。祈りの言葉を忘れられないって言うんなら、いくらでもいっしょに祈ってやってもいい。
「俺は……どっちも手離したくないな。陽介も、神様も」
「……贅沢なヤツ」
だけど、それでこそ月島秋人だという気もする。傲慢で高貴で、でもすごく可愛い俺の恋人はそういう男なのだ。
そんなことを言ったら怒らせてしまうだろうから言わないでおくけれど。
「まぁでも、二股っていうのはあんまりよくないな。神様に諦めがついたらまたここに連れてきてくれよ、いつまでも待ってるからさ」
「……いつになるかわかんないけど?」
「いいよ、それでも」
低い声でドイツ語の悪態を吐き出された気がしたが、無理やり顔を覗き込むと可愛い顔をしていたのでそのままキスをした。
教会でのキスなんて禁忌を何重にも犯している気がしたが、ここにはもう神様がいないだろうと仮定して更に唇を深める。ロザリオを握ったままの秋人の手が背中に回ってきて、うっすらと感じる罪悪感や背徳感に無理やり目を瞑った。
こうして俺のはじめてのドイツ旅行は静かに幕を閉じたのである。
0
あなたにおすすめの小説
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
【本編完結】水曜日の迷いごと
咲月千日月
BL
人知れず…心に抱えているもの、ありますか?
【 准教授(弁護士) × 法科大学院生 】
純粋で不器用なゆえに生き辛さを感じている二人の、主人公目線からの等身大ピュア系ラブストーリーです。
*現代が舞台ですが、もちろんフィクションです。
*性的表現過多の回には※マークがついています。
僕の目があなたを遠ざけてしまった
紫野楓
BL
受験に失敗して「一番バカの一高校」に入学した佐藤二葉。
人と目が合わせられず、元来病弱で体調は気持ちに振り回されがち。自分に後ろめたさを感じていて、人付き合いを避けるために前髪で目を覆って過ごしていた。医者になるのが夢で、熱心に勉強しているせいで周囲から「ガリ勉メデューサ」とからかわれ、いじめられている。
しかし、別クラスの同級生の北見耀士に「勉強を教えてほしい」と懇願される。彼は高校球児で、期末考査の成績次第で部活動停止になるという。
二葉は耀士の甲子園に行きたいという熱い夢を知って……?
______
BOOTHにて同人誌を頒布しています。(下記)
https://shinokaede.booth.pm/items/7444815
その後の短編を収録しています。
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く
夕凪
BL
(本編完結。番外編追加中)
サーリーク王国郊外の村で暮らすエミールは、盗賊団に襲われた際にオメガ性が顕現し、ヒートを起こしてしまう。
オメガの匂いに煽られた男たちに体を奪われそうになったとき、狼のように凛々しいひとりの騎士が駆け付けてきた。
騎士の名は、クラウス。サーリーク王国の第二王子であり、騎士団の小隊長でもあるクラウスに保護されたエミールは、そのまま王城へと連れて来られるが……。
クラウスとともに過ごすことを選んだエミールは、やがて王城内で湧き起こる陰謀の渦に巻き込まれてゆく。
『溺愛アルファの完璧なる巣作り』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/504363362/26677390)スピンオフ。
騎士に全霊で愛されるオメガの物語。
(スピンオフにはなりますが、完全に独立した話ですので前作を未読でも問題ありません)
【完結】王のための花は獣人騎士に初恋を捧ぐ
トオノ ホカゲ
BL
田舎の貧村で暮らすリオンは、幼い頃からオメガであることを理由に虐げられてきた。唯一の肉親である母親を三か月前に病気で亡くし、途方に暮れていたところを、突然現れたノルツブルク王国の獣人の騎士・クレイドに助けられる。クレイドは王・オースティンの命令でリオンを迎えに来たという。そのままクレイドに連れられノルツブルク王国へ向かったリオンは、優しく寄り添ってくれるクレイドに次第に惹かれていくがーーーー?
心に傷を持つ二人が心を重ね、愛を探す優しいオメガバースの物語。
(登場人物)
・リオン(受け)
心優しいオメガ。頑張り屋だが自分に自信が持てない。元女官で薬師だった母のアナに薬草の知識などを授けられたが、三か月前にその母も病死して独りになってしまう。
・クレイド(攻め)
ノルツブルク王国第一騎士団の隊長で獣人。幼いころにオースティンの遊び相手に選ばれ、ともにアナから教育を受けた。現在はオースティンの右腕となる。
・オースティン
ノルツブルク王国の国王でアルファ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる