21 / 28
21
しおりを挟む
「……待てと言っているのだ、ラテ・ベルモンド! 王子殿下の要請を断るということは、公爵家への反逆、ひいては王国への反逆とみなされても文句は言えんのだぞ!」
逃げ帰るかと思った使者が、門の手前で急に足を止め、真っ赤な顔で喚き散らしました。
どうやら、手ぶらで戻れば自分の首が飛ぶことを思い出したのでしょう。
必死になるのは勝手ですが、唾を飛ばしながら叫ぶのは、衛生的に極めて不快ですわ。
「反逆、ですって? 大袈裟ですわね。私はただ、美味しいものを美味しいと言ってくれる人たちのそばにいたいだけですの。バラの香りのするお湯を飲ませるような場所、私にとってはそれこそが『国家への反逆的な不味さ』ですわよ」
「黙れ! 貴様のような悪女を、この不毛な辺境の野蛮人に預けておくのは国家の損失だ! おい、ヴォルフ領主! その女を引き渡せ! さもなくば……」
使者が、腰の飾り剣をチャラつかせながら、カシアン様に向かって指をさしました。
その瞬間。
辺りの空気が、まるで真冬の氷河の下に沈められたかのように、一気に凍りつきました。
「……野蛮人、と言ったか。今、この私に向かって」
カシアン様の声は、驚くほど静かでした。
ですが、その声の端々には、触れれば指が切り裂かれるような、鋭利な殺気が宿っていました。
「ひっ……! な、なんだ、その目は……! 私は王都の正使だぞ!」
「王都の正使だろうが、神だろうが関係ない。我が領の誇り高き騎士たち、そして何より、この地で平穏を求めて腕を振るう女性を侮辱することは、私が許さない」
カシアン様が一歩、前に踏み出しました。
ただそれだけの動作なのに、地面が震えているような錯覚を覚えます。
彼の背後に立つ騎士団の面々も、一斉に腰の剣の柄に手をかけました。
その数、数百。全員が「我が家のシェフを奪う奴は許さん」という、凄まじい眼光で使者を射抜いています。
「……ラテは、王子の所有物ではない。ましてや、お前のような口先だけの男に指をさされるような存在でもない」
カシアン様が、使者の鼻先でぴたりと足を止めました。
身長差もあり、見下ろされる使者は、まるで巨大な捕食者の前に放り出された小動物のようです。
「彼女は、このヴォルフ領にとって……。……いや、私にとって、かけがえのない……大事な料理番(仮)だ!」
「……。……。……は?」
使者の口から、間抜けな声が漏れました。
いえ、私の口からも、同じような声が漏れましたわ。
料理番……(仮)?
「……(仮)って何ですの、カシアン様! そこはせめて『専属シェフ』とか、もっとこう、プロフェッショナルな肩書きにしてくださいな!」
「お前は黙っていろ! 今はそういう話をしているんじゃない!」
カシアン様が真っ赤な顔で私を一喝しましたが、その瞳には隠しようのない熱い決意が宿っていました。
彼は再び使者を睨みつけ、地を這うような低い声で告げました。
「……三秒やる。今すぐ私の視界から消えろ。さもなくば、お前のその豪華なマントを、明日の朝食の『出汁取り用』にしてやる」
「そ、そんなもので出汁が取れるわけがないだろう! ……わ、わかった! 今日のところは引いてやる! だが、この屈辱、必ず王子殿下に報告してやるからなーっ!」
使者は、今度こそ全速力で、自分の馬が倒れんばかりの勢いで逃げ去っていきました。
彼が巻き上げた砂埃が落ち着くまで、城門の前にはしんとした静寂が漂いました。
「……ふう。……。……ラテ、怪我はないか?」
カシアン様が、ようやく肩の力を抜き、心配そうにこちらを振り返りました。
先ほどまでの死神のような威圧感はどこへやら。
そこには、ただの「照れ隠しで目を合わせられない騎士様」がいました。
「怪我なんてありませんわ。それよりカシアン様。先ほどの『料理番(仮)』という言葉……。私、少し傷つきましたわよ?」
「……。……。……あれは、その。まだお前との関係が、その……周囲に正式なものではないから、つい口をついて出ただけで……」
「関係? もちろん、師匠(私)と弟子(あなた)という、完璧な師弟関係ではありませんか! さあ、あんな下らない男の相手をしていたら、お腹が空いて倒れそうですわ。……今の言葉の責任、取っていただきますからね!」
「……。……責任?」
カシアン様が、ゴクリと唾を飲み込みました。
「ええ! 今すぐ厨房へ行って、私のために最高級の鹿の背ロースを、厚さ五センチにカットして焼きなさいな! (仮)を外したくなるような、私の素晴らしい食べっぷりを見せて差し上げますわ!」
「…………。……。……ああ。わかった。いくらでも焼いてやる」
カシアン様は、今度は本当に心から安心したように笑いました。
そして、私の手を引いて、夕焼けに染まる城内へと歩き出しました。
「カシアン様。お肉の味付けは、芥子と蜂蜜、それに少しだけ昨日の山椒を混ぜてくださいね!」
「……わかっている。お前の好みの焼き加減も、味付けも、すべて私の頭の中に叩き込まれている」
「あら。ストーカーみたいですわね」
「……お前に言われたくないな」
背後では、騎士たちが「よし、今夜も肉だ!」「シェフ万歳!」と勝鬨を上げています。
王都の陰謀も、王子のわがままも、私たちの胃袋を満足させる熱気の前では、霧散する運命にありました。
私は、カシアン様の隣で高笑いを上げました。
(仮)だろうが(本)だろうが、美味しい食事と、それを守ってくれる愛する人がいる。
それ以上に、この世に確かなものなんてありませんわ!
「さあカシアン様、急ぎましょう! お肉が私を待っていますの!」
逃げ帰るかと思った使者が、門の手前で急に足を止め、真っ赤な顔で喚き散らしました。
どうやら、手ぶらで戻れば自分の首が飛ぶことを思い出したのでしょう。
必死になるのは勝手ですが、唾を飛ばしながら叫ぶのは、衛生的に極めて不快ですわ。
「反逆、ですって? 大袈裟ですわね。私はただ、美味しいものを美味しいと言ってくれる人たちのそばにいたいだけですの。バラの香りのするお湯を飲ませるような場所、私にとってはそれこそが『国家への反逆的な不味さ』ですわよ」
「黙れ! 貴様のような悪女を、この不毛な辺境の野蛮人に預けておくのは国家の損失だ! おい、ヴォルフ領主! その女を引き渡せ! さもなくば……」
使者が、腰の飾り剣をチャラつかせながら、カシアン様に向かって指をさしました。
その瞬間。
辺りの空気が、まるで真冬の氷河の下に沈められたかのように、一気に凍りつきました。
「……野蛮人、と言ったか。今、この私に向かって」
カシアン様の声は、驚くほど静かでした。
ですが、その声の端々には、触れれば指が切り裂かれるような、鋭利な殺気が宿っていました。
「ひっ……! な、なんだ、その目は……! 私は王都の正使だぞ!」
「王都の正使だろうが、神だろうが関係ない。我が領の誇り高き騎士たち、そして何より、この地で平穏を求めて腕を振るう女性を侮辱することは、私が許さない」
カシアン様が一歩、前に踏み出しました。
ただそれだけの動作なのに、地面が震えているような錯覚を覚えます。
彼の背後に立つ騎士団の面々も、一斉に腰の剣の柄に手をかけました。
その数、数百。全員が「我が家のシェフを奪う奴は許さん」という、凄まじい眼光で使者を射抜いています。
「……ラテは、王子の所有物ではない。ましてや、お前のような口先だけの男に指をさされるような存在でもない」
カシアン様が、使者の鼻先でぴたりと足を止めました。
身長差もあり、見下ろされる使者は、まるで巨大な捕食者の前に放り出された小動物のようです。
「彼女は、このヴォルフ領にとって……。……いや、私にとって、かけがえのない……大事な料理番(仮)だ!」
「……。……。……は?」
使者の口から、間抜けな声が漏れました。
いえ、私の口からも、同じような声が漏れましたわ。
料理番……(仮)?
「……(仮)って何ですの、カシアン様! そこはせめて『専属シェフ』とか、もっとこう、プロフェッショナルな肩書きにしてくださいな!」
「お前は黙っていろ! 今はそういう話をしているんじゃない!」
カシアン様が真っ赤な顔で私を一喝しましたが、その瞳には隠しようのない熱い決意が宿っていました。
彼は再び使者を睨みつけ、地を這うような低い声で告げました。
「……三秒やる。今すぐ私の視界から消えろ。さもなくば、お前のその豪華なマントを、明日の朝食の『出汁取り用』にしてやる」
「そ、そんなもので出汁が取れるわけがないだろう! ……わ、わかった! 今日のところは引いてやる! だが、この屈辱、必ず王子殿下に報告してやるからなーっ!」
使者は、今度こそ全速力で、自分の馬が倒れんばかりの勢いで逃げ去っていきました。
彼が巻き上げた砂埃が落ち着くまで、城門の前にはしんとした静寂が漂いました。
「……ふう。……。……ラテ、怪我はないか?」
カシアン様が、ようやく肩の力を抜き、心配そうにこちらを振り返りました。
先ほどまでの死神のような威圧感はどこへやら。
そこには、ただの「照れ隠しで目を合わせられない騎士様」がいました。
「怪我なんてありませんわ。それよりカシアン様。先ほどの『料理番(仮)』という言葉……。私、少し傷つきましたわよ?」
「……。……。……あれは、その。まだお前との関係が、その……周囲に正式なものではないから、つい口をついて出ただけで……」
「関係? もちろん、師匠(私)と弟子(あなた)という、完璧な師弟関係ではありませんか! さあ、あんな下らない男の相手をしていたら、お腹が空いて倒れそうですわ。……今の言葉の責任、取っていただきますからね!」
「……。……責任?」
カシアン様が、ゴクリと唾を飲み込みました。
「ええ! 今すぐ厨房へ行って、私のために最高級の鹿の背ロースを、厚さ五センチにカットして焼きなさいな! (仮)を外したくなるような、私の素晴らしい食べっぷりを見せて差し上げますわ!」
「…………。……。……ああ。わかった。いくらでも焼いてやる」
カシアン様は、今度は本当に心から安心したように笑いました。
そして、私の手を引いて、夕焼けに染まる城内へと歩き出しました。
「カシアン様。お肉の味付けは、芥子と蜂蜜、それに少しだけ昨日の山椒を混ぜてくださいね!」
「……わかっている。お前の好みの焼き加減も、味付けも、すべて私の頭の中に叩き込まれている」
「あら。ストーカーみたいですわね」
「……お前に言われたくないな」
背後では、騎士たちが「よし、今夜も肉だ!」「シェフ万歳!」と勝鬨を上げています。
王都の陰謀も、王子のわがままも、私たちの胃袋を満足させる熱気の前では、霧散する運命にありました。
私は、カシアン様の隣で高笑いを上げました。
(仮)だろうが(本)だろうが、美味しい食事と、それを守ってくれる愛する人がいる。
それ以上に、この世に確かなものなんてありませんわ!
「さあカシアン様、急ぎましょう! お肉が私を待っていますの!」
1
あなたにおすすめの小説
婚約破棄?いいですけど私巨乳ですよ?
無色
恋愛
子爵令嬢のディーカは、衆目の中で婚約破棄を告げられる。
身分差を理由に見下されながらも、彼女は淡々と受け入れようとするが、その時ドレスが破れ、隠していた自慢のそれが解き放たれてしまう。
後妻の条件を出したら……
しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。
格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。
だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。
しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。
『皇族を名乗った伯爵家は、帝国に処理されました』 ―天然メイドは、今日も失敗する―
ふわふわ
恋愛
婚約破棄を経て、静かに屋敷を去った令嬢。
その後に残された伯爵家は、焦燥と虚勢を抱えたまま立て直しを図ろうとする。
だが、思惑はことごとく空回りする。
社交界での小さな失態。
資金繰りの綻び。
信用の揺らぎ。
そして、屋敷の中で起こる“ちょっとした”騒動の数々。
決して大事件ではない。
けれど積み重なれば、笑えない。
一方、帝国では新たな時代が静かに始まろうとしている。
血筋とは何か。
名乗るとは何か。
国家が守るものとは何か。
これは、派手な復讐劇ではない。
怒号も陰謀もない。
ただ――
立場を取り違えた家が、ゆっくりと現実に追いつかれていく物語。
そして今日も、屋敷では誰かが小さな失敗をする。
世界は静かに、しかし確実に動いている。
毒姫の婚約騒動
SHIN
恋愛
卒業式を迎え、立食パーティーの懇談会が良い意味でも悪い意味でもどことなくざわめいていた。
「卒業パーティーには一人で行ってくれ。」
「分かりました。」
そう婚約者から言われて一人で来ましたが、あら、その婚約者は何処に?
あらあら、えっと私に用ですか? 所で、お名前は?
毒姫と呼ばれる普通?の少女と常に手袋を着けている潔癖症?の男のお話し。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした
ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。
しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義!
そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。
「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」
怒らせてはいけない人々 ~雉も鳴かずば撃たれまいに~
美袋和仁
恋愛
ある夜、一人の少女が婚約を解消された。根も葉もない噂による冤罪だが、事を荒立てたくない彼女は従容として婚約解消される。
しかしその背後で爆音が轟き、一人の男性が姿を見せた。彼は少女の父親。
怒らせてはならない人々に繋がる少女の婚約解消が、思わぬ展開を導きだす。
なんとなくの一気書き。御笑覧下さると幸いです。
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる