婚約破棄、ありがとう!二度近づかないでください!

鏡おもち

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昨夜の猪パーティーから一夜明け、アシュクロフト領の空気は劇的に変わっていた。


広場に集まった領民たちの目は、昨日までの「絶望と虚無」ではなく、「次はいつ肉が食えるのか」という肉食獣のようなギラつきに満ちている。


リリアンは、村で一番大きな木の切り株を演台代わりに、その上に颯爽と立ち上がった。


「皆様、おはようございます! 昨日の猪の消化効率はいかがでしたかしら? 良質なアミノ酸が筋肉に行き渡り、今日の皆様の労働生産性は平時の二五パーセント増しになっているはずですわ!」


「お、お嬢様……。おはようございます。肉は最高でしたが、その『ぷろだくしょん』とかいうのはよく分かりませんだ」


村長が、脂ぎった口元を拭いながら代表して答える。
リリアンは、手にした指示棒で空中に大きな円を描いた。


「簡単に言えば、私の言う通りに動けば、もっと楽に、もっと美味しいものが食べられるということですわ。……さて、本日の議題は『村の労働再編』についてです。ギルバート、例の資料を」


「はいはい。……これ、村人全員に配るんですか? 文字が読めない人も多いですよ」


ギルバートが、リリアンが夜通し(と言っても彼女は三時間の最適化睡眠で済ませたが)で作成した図解入りのビラを配り始める。


「文字が読めずとも、この図を見れば一目瞭然ですわ! 今までの皆様の農作業は、まさに『カオスの体現』。右の畑でクワを振るったかと思えば、左の井戸まで無駄に走り、途中で道端の草と喋って時間を溶かしている! 非効率の極みですわ!」


リリアンの鋭い指摘に、数人の村人が図星を突かれたように視線を逸らした。


「今日からは、私が策定した『シフト制』および『工程管理』を導入します。耕作班、運搬班、そして——ここが重要ですわ——おやつ班に分かれていただきます!」


「お、おやつ班!? お嬢様、俺たちは遊びに来てるんじゃねえんだぞ!」


一人の屈強な男が声を上げた。
だが、リリアンはその男を指差し、不敵に微笑む。


「あら、遊びではありませんわ。おやつ、すなわち糖分の摂取は、脳の演算速度を維持し、低血糖による作業ミスを防ぐための『戦略的補給』です。私が厳選した、高カロリーかつ保存性の高い特製クッキー。これを規定の休憩時間に摂取することで、午後三時以降の作業効率は統計的に見て一割改善されますわ」


リリアンが鞄から取り出したのは、公爵邸から持ってきた最高級の砂糖と、村で採れた木の実を練り込んだ試作品のクッキーだ。
その甘い香りが風に乗って広がると、村人たちの反論は一瞬で霧散した。


「糖分の配給を受けたい者は、まずこの『効率化宣言書』にサイン……いえ、指印を押しなさい。これは契約です。私は皆様に『快適な労働環境と胃袋の充足』を提供し、皆様は私に『最高の成果物』を納品する。Win-Winの関係ですわね?」


「……よく分からねえが、そのクッキーを食えば、もっと楽になれるんだな?」


「楽になるどころか、余った時間で昼寝をする権利さえ発生しますわ。私の計算では、この新方式を導入すれば、日没の二時間前には全ての作業が完了します」


村人たちの間に、ざわめきが広がった。
今まで、彼らは暗くなるまで泥にまみれて働き、それでも飢えていたのだ。
それが、おやつを食べて、昼寝ができる。
そんな夢のような話が、目の前の「計算魔女」の口から語られている。


「信じましょう! 俺は、お嬢様のあの猪の解体さばきを見た時から、ついていこうと決めてたんだ!」


「俺もだ! あんなに旨い肉を食わせてくれる主人が、嘘をつくはずがねえ!」


次々と指印を押していく領民たち。
リリアンは、その様子を満足げに眺めながら、隣のギルバートに囁いた。


「どうです、ギルバート。人間という生き物は、論理(ロジック)だけでは動きませんが、論理に『糖分』と『肉』というコーティングを施せば、これほどまでに素直に最適化を受け入れるのですわ」


「……お嬢様。それを世間では『丸め込む』とか『餌付け』と呼ぶんです。でもまあ、あんなに死んだような目をしてた連中が、今は生き生きとしてる。あんたのやり方は、毒だけど薬なんでしょうね」


「失礼ですわね。私はただ、彼らの人生の『損失』を買い取ってあげているだけですわ。……さて、契約完了! では全員、第一フェーズの『排水溝の直線化工事』に取り掛かりなさい! 遅れた者は、クッキーのチョコチップが一粒減りますわよ!」


「「「うおおおおお!!」」」


かつてない雄叫びと共に、領民たちが一斉に作業へと飛び出していった。
その動きは、昨日までのノロノロとしたものとは見違えるほど、統制が取れていた。


リリアンは、キラキラと輝く瞳でその光景を見守る。
彼女にとって、領民たちはもはや単なる「追放先の住人」ではない。
自分の理論を証明し、富を生み出すための、愛すべき「人的資本」へと昇格したのである。


「ふふ、ふふふ……。見ていなさい、王都の皆様。数ヶ月後、この『魔境』が、あなた方の年収を一日で稼ぎ出す『黄金の帝国』に変わっている様子を……!」


高らかに笑うリリアンの背後で、ギルバートは「とりあえず、隣国の王家に救援を頼む必要はなさそうだな」と、密かに安堵の息をもらしたのだった。
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