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アシュクロフト領の朝は早い。
鳥のさえずりが響く中、開墾予定地の湿地帯には、不釣り合いな金属音が響き渡っていた。
カツーン、カツーン、と規則正しく土を叩くその音の主は、あろうことか公爵令嬢リリアンであった。
「お、お嬢様! もう勘弁してください! 公爵家のお方が泥にまみれてクワを振るうなんて、見ているこちらの寿命が縮まりますだ!」
村長が、顔を真っ青にしてリリアンの後を追いかける。
だが、リリアンは止まらない。
彼女は昨日改造した「戦闘服」の裾をさらに捲り上げ、膝まで泥に浸かりながら、恐ろしい精度で地面を耕していた。
「村長、お黙りなさい。私の計算によれば、この区画の土壌は粘土層が不均一に重なっていますわ。これを人力の感覚で均さない限り、来年の収穫量に三パーセントの誤差が生じます。三パーセントですわよ!? 一万トンの収穫があれば、三百トンもの損失ですわ。そんな非効率、私の人生が許しません!」
リリアンは、額に飛び散った泥を手の甲で無造作に拭った。
その動作に迷いはない。
彼女が振るうクワは、物理学的に最も効率の良い放物線を描き、最小限の力で最大限の土を掘り返していた。
「……お嬢様。その『最小限の力』の基準が、一般人の三倍近いことに気づいてください。あなたは無意識に、ご自身の身体能力を最適化しすぎている」
傍らで同じく泥まみれになりながら、巨大な岩を軽々と放り投げているギルバートが口を挟んだ。
彼は彼で、リリアンから「あなたは重心移動が完璧ですから、岩石除去の担当が最も低燃費ですわ」と任命され、人間重機と化していた。
「ギルバート、あなたこそ口を動かす暇があるなら、その斜め四十度方向にある堆積岩をどかしなさい。そこが排水ルートのボトルネックになっていますわ」
「わかってますよ。……しかし、令嬢という生き物は、もっとこう、日傘を差して『まぁ、大変なお仕事ですわね』と微笑んでいるものではなかったんですか?」
ギルバートは、泥だらけになったリリアンの顔をじっと見つめた。
王都では「氷の令嬢」と恐れられ、近寄りがたい美しさを誇っていた彼女。
今、その美しい顔には泥がつき、髪には枯れ草が混じっている。
だが、今の彼女は、王宮のダンスホールにいた時よりもずっと、生命の輝きに満ちていた。
「日傘? そんな太陽光エネルギーを遮断するだけの無駄な装置、必要ありませんわ。ビタミンDの生成を阻害するだけです。……それより見てください、ギルバート。この土の感触。昨日よりも水分保有率が安定してきましたわ」
リリアンは、愛おしそうに泥を指で捏ねた。
「お嬢様は、ドレスよりも泥の方がお似合いかもしれませんね」
「あら、最大の褒め言葉として受け取っておきますわ。ドレスは着飾るためのコストがかかりますが、泥はタダですもの。しかも、この泥は将来的に金貨へと変わる魔法の資源ですわよ」
リリアンが再びクワを振り上げたその時、一人の少女が駆け寄ってきた。
村の子供たちが、リリアンにおやつ(という名の戦略的補給物資)を届けに来たのだ。
「お嬢様! おやつ持ってきたよ! お嬢様が教えてくれた、お砂糖入りのクッキー!」
「あら、助かりますわ。……計算によれば、私の現在の血糖値は限界値に近いところでした」
リリアンはクワを地面に突き刺すと、泥だらけの手をギルバートに差し出した。
「ギルバート、洗浄しなさい」
「はいはい……」
ギルバートが水筒から水を注ぎ、彼女の白い手を洗う。
泥が落ち、透き通るような肌が露わになる。
その一瞬の接触に、ギルバートはふと、彼女がやはり「守るべき貴婦人」であることを思い出し、胸の奥がわずかに騒いだ。
しかし、リリアンは手を洗うなり、クッキーを口に放り込み、咀嚼しながら次の指示を出した。
「ふむ……このクッキー、塩分が零・二グラム足りませんわね。発汗量を考慮すれば、もう少し塩味を強くすべきですわ。村長! 次回の配合比率を変更しなさい!」
「……お嬢様。子供たちの厚意に、まず感謝するというプロセスを挟めませんか?」
「感謝は成果で示しますわ。子供たちが将来、この肥沃な大地で贅沢ができるようになること。それが私の最大の謝意です」
リリアンはそう言って、再び泥の中に飛び込んでいった。
ギルバートは、空になった水筒を眺めながら、独り言のように呟いた。
「令嬢とは何か……。その答えを出すには、俺の知能指数では足りないらしいな」
彼が再び岩を掴んだ時、リリアンの楽しそうな笑い声が、開墾地の空に響き渡った。
それは、どんな豪華な音楽よりも、この荒れ果てた領地を力強く震わせていた。
鳥のさえずりが響く中、開墾予定地の湿地帯には、不釣り合いな金属音が響き渡っていた。
カツーン、カツーン、と規則正しく土を叩くその音の主は、あろうことか公爵令嬢リリアンであった。
「お、お嬢様! もう勘弁してください! 公爵家のお方が泥にまみれてクワを振るうなんて、見ているこちらの寿命が縮まりますだ!」
村長が、顔を真っ青にしてリリアンの後を追いかける。
だが、リリアンは止まらない。
彼女は昨日改造した「戦闘服」の裾をさらに捲り上げ、膝まで泥に浸かりながら、恐ろしい精度で地面を耕していた。
「村長、お黙りなさい。私の計算によれば、この区画の土壌は粘土層が不均一に重なっていますわ。これを人力の感覚で均さない限り、来年の収穫量に三パーセントの誤差が生じます。三パーセントですわよ!? 一万トンの収穫があれば、三百トンもの損失ですわ。そんな非効率、私の人生が許しません!」
リリアンは、額に飛び散った泥を手の甲で無造作に拭った。
その動作に迷いはない。
彼女が振るうクワは、物理学的に最も効率の良い放物線を描き、最小限の力で最大限の土を掘り返していた。
「……お嬢様。その『最小限の力』の基準が、一般人の三倍近いことに気づいてください。あなたは無意識に、ご自身の身体能力を最適化しすぎている」
傍らで同じく泥まみれになりながら、巨大な岩を軽々と放り投げているギルバートが口を挟んだ。
彼は彼で、リリアンから「あなたは重心移動が完璧ですから、岩石除去の担当が最も低燃費ですわ」と任命され、人間重機と化していた。
「ギルバート、あなたこそ口を動かす暇があるなら、その斜め四十度方向にある堆積岩をどかしなさい。そこが排水ルートのボトルネックになっていますわ」
「わかってますよ。……しかし、令嬢という生き物は、もっとこう、日傘を差して『まぁ、大変なお仕事ですわね』と微笑んでいるものではなかったんですか?」
ギルバートは、泥だらけになったリリアンの顔をじっと見つめた。
王都では「氷の令嬢」と恐れられ、近寄りがたい美しさを誇っていた彼女。
今、その美しい顔には泥がつき、髪には枯れ草が混じっている。
だが、今の彼女は、王宮のダンスホールにいた時よりもずっと、生命の輝きに満ちていた。
「日傘? そんな太陽光エネルギーを遮断するだけの無駄な装置、必要ありませんわ。ビタミンDの生成を阻害するだけです。……それより見てください、ギルバート。この土の感触。昨日よりも水分保有率が安定してきましたわ」
リリアンは、愛おしそうに泥を指で捏ねた。
「お嬢様は、ドレスよりも泥の方がお似合いかもしれませんね」
「あら、最大の褒め言葉として受け取っておきますわ。ドレスは着飾るためのコストがかかりますが、泥はタダですもの。しかも、この泥は将来的に金貨へと変わる魔法の資源ですわよ」
リリアンが再びクワを振り上げたその時、一人の少女が駆け寄ってきた。
村の子供たちが、リリアンにおやつ(という名の戦略的補給物資)を届けに来たのだ。
「お嬢様! おやつ持ってきたよ! お嬢様が教えてくれた、お砂糖入りのクッキー!」
「あら、助かりますわ。……計算によれば、私の現在の血糖値は限界値に近いところでした」
リリアンはクワを地面に突き刺すと、泥だらけの手をギルバートに差し出した。
「ギルバート、洗浄しなさい」
「はいはい……」
ギルバートが水筒から水を注ぎ、彼女の白い手を洗う。
泥が落ち、透き通るような肌が露わになる。
その一瞬の接触に、ギルバートはふと、彼女がやはり「守るべき貴婦人」であることを思い出し、胸の奥がわずかに騒いだ。
しかし、リリアンは手を洗うなり、クッキーを口に放り込み、咀嚼しながら次の指示を出した。
「ふむ……このクッキー、塩分が零・二グラム足りませんわね。発汗量を考慮すれば、もう少し塩味を強くすべきですわ。村長! 次回の配合比率を変更しなさい!」
「……お嬢様。子供たちの厚意に、まず感謝するというプロセスを挟めませんか?」
「感謝は成果で示しますわ。子供たちが将来、この肥沃な大地で贅沢ができるようになること。それが私の最大の謝意です」
リリアンはそう言って、再び泥の中に飛び込んでいった。
ギルバートは、空になった水筒を眺めながら、独り言のように呟いた。
「令嬢とは何か……。その答えを出すには、俺の知能指数では足りないらしいな」
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