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開墾作業が軌道に乗り始めたある日の午後。
アシュクロフト領の入り口に、王都で見かけるような立派な、しかしひどく泥に汚れた馬車が滑り込んできた。
リリアンは、新しく完成した排水溝の「水の流れる角度」を分度器で測っていた手を止め、不機嫌そうに眉を寄せた。
「ギルバート。私の計算によれば、今日は来客の予定などなかったはずですわ。不法投棄、あるいは道に迷った非効率な迷い人かしら?」
「お嬢様、その手に持っている泥だらけの分度器を隠してください。……あの紋章、ベルベット男爵家のものではありませんか?」
ギルバートが目を細めて告げると同時、馬車の扉が勢いよく開いた。
中から飛び出してきたのは、豪華なフリルがボロボロになり、髪を振り乱したマリア・ベルベットその人であった。
「リリアン様ぁぁぁ!! お会いしたかったですわぁぁぁ!!」
マリアはリリアンの足元へスライディングするような勢いで跪き、その泥だらけのブーツに頬を寄せんばかりの勢いで縋り付いた。
「……あら、マリア様。王都で王子様と『感動的な真実の愛』を育んでいるはずのあなたが、なぜこのような末端の地へ? もしや、王子が故障して返品(クーリングオフ)にでも来られたのですか?」
リリアンは真顔で、マリアの頭を指示棒で軽く突いて距離を取らせた。
「故障どころではありませんわ! あの王子、私がリリアン様の残したマニュアル通りに動かないと、すぐに『マリア、君は変わってしまった。もっと昔のように、無知で可愛らしく僕の腕の中で震えておくれ』なんて甘ったるい台詞を吐いて、仕事を止めるんですのよ!」
マリアは憤慨し、地面を叩いた。
「私が『殿下、甘い台詞を吐く時間は現在の執務効率を三二パーセント低下させます。まずはその予算案に判を』と申し上げたら、悲劇のヒロインみたいな顔をして寝込んでしまいましたわ! あんな低スペックな男、もう限界ですわ!」
「……マリア様。あなた、いつの間に私の思考回路に汚染……いえ、感化されたのですか?」
リリアンは驚きを隠せなかった。
かつてのふわふわとした「ヒロイン」の面影はどこへやら、今のマリアからは「効率を愛し、無駄を憎む」修羅のオーラが漂っている。
「汚染ではありません、啓示ですわ! 王都でリリアン様の事務処理の足跡を追いかけるうちに、私は気づいたのです。愛より、恋より、完璧に整えられた帳簿の方が、よっぽど心臓をときめかせてくれることに!」
マリアはキラキラとした(というか、少し血走った)瞳でリリアンを見上げた。
「お姉様! 私をここに置いてください! どんな下働きでも、計算の助手でも、肥料の計量係でも構いません! 殿下の相手をするより、あなたの下で数字の奴隷になる方が、よっぽど人間らしい生活だと思えますの!」
「……ギルバート。どうしましょう。予想外の『人的資源』が転がり込んできましたわ。しかも、メンテナンス費用が極めて高そうなタイプですわね」
リリアンが困惑してギルバートを振り返ると、彼は呆れ果てた顔でマリアを見下ろしていた。
「お嬢様。これ、追い返しても無駄ですよ。王都から一人でこの泥道を馬車で走らせてきた執念は、もはや計算の範疇を超えています」
「……そうですわね。マリア様、一つテストをさせていただきますわ。そこに、今日私が採取した土壌のサンプルが十種類あります。これらを五分以内に、水分含有量順に並べ替え、かつそれぞれの改善案を口頭で述べなさい。できれば、採用を検討しますわ」
リリアンが無理難題を突きつけた瞬間、マリアの動きが変わった。
「承知いたしました! 第一サンプル、砂礫混じり。吸水率低し。腐葉土の追加投入が必要! 第二サンプル……!」
マリアは泥の中に素手を突っ込み、目にも止まらぬ速さで土を選別し始めた。
その姿は、かつての夜会で可憐に踊っていた令嬢とは到底思えない、狂気すら感じる手際であった。
「……お、お嬢様。彼女、合格じゃないですか? 俺より土に詳しいですよ」
「ええ。まさか、私の隠れた『ファン』がこれほどまでのポテンシャルを秘めていたとは。計算外ですわ。マリア様、もう結構。合格ですわ」
「っ!! ありがとうございます、お姉様!!」
マリアは泥だらけの顔で、満面の笑みを浮かべた。
その様子を遠くから見ていた村人たちは、「魔女が二人になったぞ……」と、戦慄の面持ちで震え上がっていた。
「ただし、マリア様。我が領地に『タダ飯』はありませんわよ。あなたの生活コストは、あなたの生み出す利益から差し引かせていただきます。……あと、その『お姉様』という呼び方。私の情緒回路を乱すので、時給から十円減額しますわ」
「はい! 喜んでお支払いしますわ、お姉様!!」
リリアンは深いため息をついた。
有能な右腕が手に入った喜びと、それ以上に面倒な「ノイズ」が住み着いた予感。
アシュクロフト領の発展スピードが、さらに一五〇パーセントほど加速しようとしていた。
アシュクロフト領の入り口に、王都で見かけるような立派な、しかしひどく泥に汚れた馬車が滑り込んできた。
リリアンは、新しく完成した排水溝の「水の流れる角度」を分度器で測っていた手を止め、不機嫌そうに眉を寄せた。
「ギルバート。私の計算によれば、今日は来客の予定などなかったはずですわ。不法投棄、あるいは道に迷った非効率な迷い人かしら?」
「お嬢様、その手に持っている泥だらけの分度器を隠してください。……あの紋章、ベルベット男爵家のものではありませんか?」
ギルバートが目を細めて告げると同時、馬車の扉が勢いよく開いた。
中から飛び出してきたのは、豪華なフリルがボロボロになり、髪を振り乱したマリア・ベルベットその人であった。
「リリアン様ぁぁぁ!! お会いしたかったですわぁぁぁ!!」
マリアはリリアンの足元へスライディングするような勢いで跪き、その泥だらけのブーツに頬を寄せんばかりの勢いで縋り付いた。
「……あら、マリア様。王都で王子様と『感動的な真実の愛』を育んでいるはずのあなたが、なぜこのような末端の地へ? もしや、王子が故障して返品(クーリングオフ)にでも来られたのですか?」
リリアンは真顔で、マリアの頭を指示棒で軽く突いて距離を取らせた。
「故障どころではありませんわ! あの王子、私がリリアン様の残したマニュアル通りに動かないと、すぐに『マリア、君は変わってしまった。もっと昔のように、無知で可愛らしく僕の腕の中で震えておくれ』なんて甘ったるい台詞を吐いて、仕事を止めるんですのよ!」
マリアは憤慨し、地面を叩いた。
「私が『殿下、甘い台詞を吐く時間は現在の執務効率を三二パーセント低下させます。まずはその予算案に判を』と申し上げたら、悲劇のヒロインみたいな顔をして寝込んでしまいましたわ! あんな低スペックな男、もう限界ですわ!」
「……マリア様。あなた、いつの間に私の思考回路に汚染……いえ、感化されたのですか?」
リリアンは驚きを隠せなかった。
かつてのふわふわとした「ヒロイン」の面影はどこへやら、今のマリアからは「効率を愛し、無駄を憎む」修羅のオーラが漂っている。
「汚染ではありません、啓示ですわ! 王都でリリアン様の事務処理の足跡を追いかけるうちに、私は気づいたのです。愛より、恋より、完璧に整えられた帳簿の方が、よっぽど心臓をときめかせてくれることに!」
マリアはキラキラとした(というか、少し血走った)瞳でリリアンを見上げた。
「お姉様! 私をここに置いてください! どんな下働きでも、計算の助手でも、肥料の計量係でも構いません! 殿下の相手をするより、あなたの下で数字の奴隷になる方が、よっぽど人間らしい生活だと思えますの!」
「……ギルバート。どうしましょう。予想外の『人的資源』が転がり込んできましたわ。しかも、メンテナンス費用が極めて高そうなタイプですわね」
リリアンが困惑してギルバートを振り返ると、彼は呆れ果てた顔でマリアを見下ろしていた。
「お嬢様。これ、追い返しても無駄ですよ。王都から一人でこの泥道を馬車で走らせてきた執念は、もはや計算の範疇を超えています」
「……そうですわね。マリア様、一つテストをさせていただきますわ。そこに、今日私が採取した土壌のサンプルが十種類あります。これらを五分以内に、水分含有量順に並べ替え、かつそれぞれの改善案を口頭で述べなさい。できれば、採用を検討しますわ」
リリアンが無理難題を突きつけた瞬間、マリアの動きが変わった。
「承知いたしました! 第一サンプル、砂礫混じり。吸水率低し。腐葉土の追加投入が必要! 第二サンプル……!」
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その姿は、かつての夜会で可憐に踊っていた令嬢とは到底思えない、狂気すら感じる手際であった。
「……お、お嬢様。彼女、合格じゃないですか? 俺より土に詳しいですよ」
「ええ。まさか、私の隠れた『ファン』がこれほどまでのポテンシャルを秘めていたとは。計算外ですわ。マリア様、もう結構。合格ですわ」
「っ!! ありがとうございます、お姉様!!」
マリアは泥だらけの顔で、満面の笑みを浮かべた。
その様子を遠くから見ていた村人たちは、「魔女が二人になったぞ……」と、戦慄の面持ちで震え上がっていた。
「ただし、マリア様。我が領地に『タダ飯』はありませんわよ。あなたの生活コストは、あなたの生み出す利益から差し引かせていただきます。……あと、その『お姉様』という呼び方。私の情緒回路を乱すので、時給から十円減額しますわ」
「はい! 喜んでお支払いしますわ、お姉様!!」
リリアンは深いため息をついた。
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