婚約破棄、ありがとう!二度近づかないでください!

鏡おもち

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セドリック王子を「強制退職」させてから数日後。
アシュクロフト領の領主室には、王都から派遣された最高位の伝令官が、震える手で一枚の書類を握りしめて立っていた。


彼は王命により、リリアンへの「再教育のための王都帰還命令」を伝えに来たはずだった。
しかし、彼の目の前でリリアンが広げたのは、巻物のように長い「請求明細書」であった。


「伝令官殿。王都へ戻る話の前に、未決済の債務についてお話ししましょう。……マリア様、読み上げなさい」


リリアンが冷徹に命じると、マリアが「待ってました!」と言わんばかりに、算盤を弾きながら前に出た。


「はい、お姉様! 件名:リリアン・ヴァン・アシュクロフトによる王家業務代行報酬、および損害賠償請求!
一、過去十年にわたる第一王子の教育・事務補助代行費用。
二、王宮の予算編成におけるコンサルティング料。
三、婚約破棄に伴う一方的な契約違反に対する違約金!
四、……そして、これまでの精神的ノイズに対する慰謝料ですわ!」


「な、何を馬鹿な……! 婚約者としての義務ではないか!」


伝令官が悲鳴のような声を上げる。
リリアンは、眼鏡の奥の瞳(伊達だが、知的に見えるので採用している)を鋭く光らせた。


「義務? 勘違いしないでください。私はボランティアで王子の世話をしていたわけではありませんわ。私の高度な演算能力を十年間も独占したのです。相応の対価を支払うのは、市場経済の基本ですわよ」


リリアンは、明細書の末尾に書かれた合計金額を指し示した。


「金貨、五万枚。……これ、現在の王国の国家予算の約二割に相当しますわね。お支払いは、一括でよろしいかしら? 滞納される場合は、年率一八パーセントの延滞利息を上乗せさせていただきますわ」


「ご、五万枚!? そんな額、払えるわけがなかろう!」


「あら、お困りですか? では、代替案を提示しましょう。……ギルバート、例の書類を」


ギルバートが、隣国レインワース王国の公印が押された、重厚な書簡をテーブルに置いた。
そこには、リリアンが事前にヴィクトール殿下と調整を済ませた「国際経済特区・認定証」が含まれていた。


「支払い能力がないのであれば、債務免除の条件として、アシュクロフト領の『完全自治権』および『永久免税権』を認めなさい。……つまり、この領地を事実上の独立経済圏として承認するのです。これを認めれば、王家の借金は全てチャラ……いえ、相殺して差し上げますわ」


リリアンの提案は、もはや絶縁どころか、王家に対する宣戦布告に近いものだった。
だが、その表情はあくまで「合理的な取引」を提案するビジネスマンのそれであった。


「そんな勝手なことが許されると思っているのか! 王がお認めになるはずがない!」


「お認めにならないのであれば、私はこの請求書を手に、隣国のレインワース王国へ亡命し、債権を彼らに売却します。……ヴィクトール殿下なら、この請求書を盾に、あなたの国へ強力な経済制裁を加える口実にするでしょうね。どちらが効率的か、王に判断させてくださいな」


リリアンは、冷たく微笑んだ。
彼女にとって、王家はもはや「敬うべき主」ではなく、「未回収の売掛金を抱えた破綻寸前の取引先」でしかなかった。


「さあ、その絶縁状……いえ、『債務整理合意書』を王都へ持ち帰りなさい。返答は三日以内。一分でも遅れれば、私はレインワースの軍艦……いえ、豪華客船を呼び寄せますわよ」


「……お嬢様。軍艦を呼び寄せると言ったほうが、脅しとしては効果的ですよ」


ギルバートが苦笑して口を挟む。


「あら。軍艦は維持費がかかりますが、客船なら観光客を運んで利益を生みますわ。私は平和的に、かつ収益的に解決したいのです」


伝令官は、顔面を土気色にして、逃げるように部屋を飛び出していった。


「……お姉様。これで、ようやく自由になれますわね」


マリアが、感慨深げに窓の外を見つめる。
そこには、活気に溢れ、自立した領民たちが忙しく立ち働くアシュクロフト領の風景があった。


「自由? いいえ、マリア様。これは始まりですわ。王家という足枷を外した今、我が領地は爆発的な成長期(グロースフェーズ)に突入します。……ギルバート、次はいよいよ、隣国との鉄道敷設……いえ、魔導馬車専用レーンの建設計画に取り掛かりますわよ!」


「はいはい。……結局、結婚してもお嬢様の頭の中は仕事ばっかりなんでしょうね」


「失礼ですわね。あなたの筋肉をより効率的に活用するための『家庭内福利厚生プラン』も、既に策定済みですわよ」


リリアンは、ギルバートの手をぎゅっと握りしめた。
彼女の指先からは、数字への情熱と同じくらい強い、彼への信頼が伝わっていた。


王都が未曾有のパニックに陥る一方で、アシュクロフト領は今日も、最も合理的に、そして最も幸福な未来へと向かって、算盤の音を響かせていた。
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