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Episode3:崇弥の気持ち
④
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エレベーターホールまで進んだとき。
はっとした崇弥が、ぱっと瑛茉の手を離した。
「あっ、ごめん! 痛くなかった?」
「い、いえっ、大丈夫です」
崇弥の謝罪に、ふるふるとかぶりを振る。掴まれていたところが少々赤くなっていたけれど、気づかないふりをした。
ふたりきりのエレベーターは静かだった。乗っているあいだ、崇弥はずっと黙ったまま。深く思案に沈んでいるようだった。
会話を交わすことなく、揃って玄関へ入る。こんなにも暗い彼の表情を見たのは、知り合って以来初めてだ。
「……大丈夫ですか?」
なかなか靴を脱ごうとしない崇弥に、そっと声をかける。
濡れた前髪から覗く、翳りを帯びた黒い瞳。このとき、瑛茉はようやく崇弥と目が合った。
「ごめんね。嫌な場面見せて……巻き込んで」
「謝らないでください。……あの方はお父さん、ですよね?」
瑛茉のこの問いに、崇弥はこくりと頷いた。
崇弥の言う「巻き込んで」とは、付き合っていると発言したことだろう。突然のことに当然驚きはしたけれど、理解できないわけではない。あの場では、おそらくあれが効果的だった。
「呆れるでしょ? ほんと……前近代的過ぎて」
視線を落とし、悄然と笑う。そんな彼に対し、かける言葉が見つからない。
崇弥の住む世界は、自分の住むそれとはきっと違う。華やかで、鮮烈で、きらびやかで。想像することさえ難しい。
それでも、父と子の関係が、自分の知っているものとはあまりにもかけ離れていて、瑛茉は胸の抉られる思いがした。
言葉が途切れる。無言に陥る。
ややあって。
この沈黙を、瑛茉が静かに打ち破った。
「わたしは夕飯の準備をするので、そのあいだ、九条さんはお風呂で温まってきてください」
両のこぶしをぐっと握りしめ、全身に力を込める。
見上げた先の崇弥は、「え?」と目をしばたかせていた。
「いや、俺より瑛茉ちゃんのほうが濡れて……」
「大丈夫です」
自分はまだまだ子ども。世間知らずで、経験もない。こんなとき、大人ならどうするか、どんな言葉をかけるのか、見当もつかない。
せめて、日本人だったなら。
もう少し、気の利いた言葉をかけられたのかもしれない。
「大丈夫、です」
「……そっか。うん、わかった。そうさせてもらうね」
ありがとう、と瑛茉にひとこと謝意を伝えると、崇弥はスーツの上着を脱ぎながら家へと上がった。食材をキッチンまで運び、自室へと向かう。
少しだけ上向いた彼の背中を見送ったあと。
瑛茉は、夕飯の準備に取りかかった。
はっとした崇弥が、ぱっと瑛茉の手を離した。
「あっ、ごめん! 痛くなかった?」
「い、いえっ、大丈夫です」
崇弥の謝罪に、ふるふるとかぶりを振る。掴まれていたところが少々赤くなっていたけれど、気づかないふりをした。
ふたりきりのエレベーターは静かだった。乗っているあいだ、崇弥はずっと黙ったまま。深く思案に沈んでいるようだった。
会話を交わすことなく、揃って玄関へ入る。こんなにも暗い彼の表情を見たのは、知り合って以来初めてだ。
「……大丈夫ですか?」
なかなか靴を脱ごうとしない崇弥に、そっと声をかける。
濡れた前髪から覗く、翳りを帯びた黒い瞳。このとき、瑛茉はようやく崇弥と目が合った。
「ごめんね。嫌な場面見せて……巻き込んで」
「謝らないでください。……あの方はお父さん、ですよね?」
瑛茉のこの問いに、崇弥はこくりと頷いた。
崇弥の言う「巻き込んで」とは、付き合っていると発言したことだろう。突然のことに当然驚きはしたけれど、理解できないわけではない。あの場では、おそらくあれが効果的だった。
「呆れるでしょ? ほんと……前近代的過ぎて」
視線を落とし、悄然と笑う。そんな彼に対し、かける言葉が見つからない。
崇弥の住む世界は、自分の住むそれとはきっと違う。華やかで、鮮烈で、きらびやかで。想像することさえ難しい。
それでも、父と子の関係が、自分の知っているものとはあまりにもかけ離れていて、瑛茉は胸の抉られる思いがした。
言葉が途切れる。無言に陥る。
ややあって。
この沈黙を、瑛茉が静かに打ち破った。
「わたしは夕飯の準備をするので、そのあいだ、九条さんはお風呂で温まってきてください」
両のこぶしをぐっと握りしめ、全身に力を込める。
見上げた先の崇弥は、「え?」と目をしばたかせていた。
「いや、俺より瑛茉ちゃんのほうが濡れて……」
「大丈夫です」
自分はまだまだ子ども。世間知らずで、経験もない。こんなとき、大人ならどうするか、どんな言葉をかけるのか、見当もつかない。
せめて、日本人だったなら。
もう少し、気の利いた言葉をかけられたのかもしれない。
「大丈夫、です」
「……そっか。うん、わかった。そうさせてもらうね」
ありがとう、と瑛茉にひとこと謝意を伝えると、崇弥はスーツの上着を脱ぎながら家へと上がった。食材をキッチンまで運び、自室へと向かう。
少しだけ上向いた彼の背中を見送ったあと。
瑛茉は、夕飯の準備に取りかかった。
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