4 / 64
第4話
しおりを挟む「はあ、本当に役立たずの愚図ね」
発情期の後に毎回訪れることだった。
柔らかなソファーに腰掛けて、目の前に対峙するのは、ローレンの母だった。長い銀髪をすべてまとめて、つり上がった目元はローレンに似ているのに、さらに無情なのだ。
ソファに深々と腰掛けて、足を組み直す。無駄のない体つきは年齢を感じさせない。深紅のルージュを引いた唇が、キセルを噛み、白い靄を吐く。
僕の妊娠検査が陰性だとわかると、これ見よがしにふかすのだ。
「申し訳ございません…」
膝の上で組んだ爪先を見つめながら、頭を下げる。そんなの一つも気に留めないで、義母は、ふん、と鼻を鳴らす。
「謝るくらいだったら、さっさと子どもを作って、我が家に貢献してくださる?」
僕はさらに頭を下げるしかなかった。
「医者の判断では妊娠できる身体らしいけど…、本当かしら?」
爪先から頭の先までじっとりと舐めまわすように僕を睨みつけて、義母はさらに笑った。
ぐ、と手を握りしめる。言われても仕方ない。僕は、この家を裏切る行為をしているのだから。
「申し訳ありません…」
「あなたが嫁として、ローレンを満たせてないからでなくて?」
ごもっともです、と思っても、それにうなずくことは許されない。ただ瞼を伏せて、耐え忍ぶしかなかった。
「嫌らしいオメガなんだから、そのくらいできなくて、他に何ができるの?」
とん、とキセルの先の灰を落とすと最後に大きくひと吸いして、義母は火をねじった。まだ長さがあるのにも関わらず。
義母は、アルファの女性だった。それでいて、あんなに立派な息子を産んだのだから、余計にプライドの高い人だった。
だからか、オメガであることを卑下してくる。おまけに、僕がオメガの男であるから、さらに気に食わないらしかった。
「もう、次の子は用意したから」
すら、と立ち上がった義母の言葉に目を見張って顔を上げる。
ふ、と口角を片方だけあげて僕を見下ろす。
「次の子は、あなたよりも由緒正しいお家柄の愛らしい娘さんなの。同じオメガだけど、まあ、女性オメガの方が妊娠しやすいと聞くし、そこは頑張ってもらうしかないわ」
「そ、…」
口を開いてから、すぐにつぐむ。僕が意見していいことではない。
彼が決めることなのだから。
義母は機嫌良さそうに饒舌に僕に教えてくれた。
「ここはローレンの本宅になるのだから、あなたは引っ越しの準備でもなさってて」
「…、はい…」
片眉を上げて得意そうに笑った義母に、唇を噛んだあと頷いて答えると、次には興味がなさそうに、この家を去っていった。
その背中を見送ったあと、僕は、ぼんやりと庭先に出ていた。
薔薇のアーチを抜けると芝生の広がる中に立派な噴水があるローレンに似合った華やかな庭だ。さらに、木々の間を縫って、奥へと進むと、小さなベンチのある場所に出る。そこが僕の庭だった。表の立派な庭を扱うには勇気がなくて、庭師がここを紹介してくれた。ベンチを囲むように設置された花壇には様々な花が育てられている。
僕の地域に多い小さい花をたくさんつける種類ものを多くおいている。庭師が分けてくれた株だ。どれも、旦那様からです、と庭師は言う。いつも笑顔のベテランの庭師の、優しい嘘なのだと僕はわかっている。だから、笑顔で受け取るのだ。
小さな丸いベルのような形をした花をたっぷりとつける木は、僕の庭にもあったものだ。他にも、桃色の花を茎の周りにみっしりと咲かせてまっすぐ太陽に向かって伸びていくものもあれば、置かれた土地によって色を変える花もある。
表の庭にある大輪の花を分けてもらって、そこにそっと、ここの花を添える。そうすると、大輪の花はより華やかに見える。ひそやかに脇に立つこの花々が引き立たせるのだ。
それに勝手に、感情移入させているのだ。
大輪がローレン。誰もの目を引く華やかな圧倒的美を持つ存在の彼。それにくっつく小さな僕。引き立て役の僕。
(僕は、そんな力も持ってないか…)
昨日見に来たときは蕾だった花がふっくらと開いている。思わず頬がゆるんで、その場にしゃがみこんで目線を合わせる。
花はこうして、棘の刺さった僕の心を柔らかにして、傷を癒してくれる。けれど、僕は、彼を傷つけてばかりだった。
(そろそろ、潮時なんだ…)
むしろ、二年も、よく置いてもらったと感謝すら感じる。
その二年の間、発情期の度に、彼は僕のもとに来てくれた。彼に精を注いでもらうと、驚くほど身体がすっきりと楽になるのだ。むしろ、発情期前よりも身体が軽くなる。ここに来てから、肌も髪もつややかになった気がする。
時節やってくる、彼の来客のアルファたちに熱心な視線をもらうこともある。しかし、直接お話しても、口下手な僕は相手を楽しますことができないから、それを知っているローレンに無暗に他人と口を利くなと釘を刺されてしまった。彼にこれ以上の不利益を与えてはならない、と、失礼を承知で、遠くから会釈をする程度にとどめている。
さらり、と肩甲骨を覆うまで伸びた黒髪が頬をかすめた。
僕たちのしきたりで、嫁ぎ先が決まってから、髪は、整えることは許されても、大きく切ってはならないというものがあった。つながった縁が切れなくあるように、という願掛けの一種のようなものだった。それを律儀に守っている。
その黒髪をひとつまみ持って眺める。ローレンのもとは全く違う、漆黒の髪だった。
(僕も、セオドールのように、美しい髪だったら…)
日に透けるような美しい金色をしていたら、もう少し、振り向いてもらえたのだろうか。
こちらの土地では、黒髪は珍しかった。赤髪や色素の薄い色の人が多い。だから、余計にこの髪色は目立つのだ。瞳の色も、青や緑、オレンジのような宝石を思わす美しい色味の人が多い。僕は色のぼけたオレンジとも黄色とも言いにくいものだった。
一般男性よりも大きい瞳と小さいつくりの鼻と唇は、こじんまりしていて、地味だと思う。
淡い色彩の人々の中にいると自分が以下に異質な存在かが際立つ。
目の前の花々のように、人目を引く温かな色味だったら、ローレンも好きになってくれただろうか。
手の甲に、ぽた、と雫が落ちて、雨が降ってきたのだと思ったら、空は雲っているだけで雨の気配はない。濡れた頬をこすって、立ち上がってベンチへと力なく座る。
(いつか、来る運命だったんだ…)
ローレンとずっとにいられる未来なんか、なかった。
それは僕自身が一番わかっていた。なぜなら、僕が願っていることはすべて、叶わないものだから。
叶わないものだから、僕は願っているのだ。
木製のベンチの足にアイビーが絡みついている。小さいものだから、手で引っ張ればすぐに離れていくだろう。
手を差し伸ばしたところで、ぴたり、と止まる。少し見つめてから、葉の先を淡く変色させる愛らしい模様を持つアイビーから手を離した。
(僕みたい…)
ローレンにいつまでも絡みつく、僕のように見えて、引きはがすことができなかった。
僕の小さな庭を見渡す。二人掛けのベンチは、僕以外に腰掛けたことはない。庭師は気を遣って、いつも立っているか、花壇の縁に腰掛けて僕の話し相手になってくれていた。
(いつか…)
ここに彼と並んで、僕の育てた楽園を見てもらいたかった。
想像しただけで、顔がゆるむ。
小さい花々を見て、きれいだと褒めてくれる。それから、ここにある花の株は、庭師が言っていたように本当に、ローレンがプレゼントしてくれたものだと教えてくれる。
それから、ここに並んで座って、手をつないで、僕をあの美しい宝石の瞳に映して、微笑みかけてくれる。少し冷たい風が吹けば、僕の体調を気遣って、抱き寄せて温めてくれる。
「ふ…」
ありえない妄想に、つい嘲笑が漏れてしまう。
じゃり、と足元を小さな砂利を踏みしめる。現実は、ここに独りぼっちなのだ。
ローレンの美しい瞳は、僕を映してはくれない。
優しい微笑みだって、セオドールにしか与えられない。
あの低くよく響く声が温かく、僕の名前を呼んでくれることも、ありえない。
僕を慰めてくれるのは、静かにたたずむ、花々だけなのだ。
444
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される
秋津むぎ
BL
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
冷酷なアルファ(氷の将軍)に嫁いだオメガ、実はめちゃくちゃ愛されていた。
水凪しおん
BL
これは、愛を知らなかった二人が、本当の愛を見つけるまでの物語。
国のための「生贄」として、敵国の将軍に嫁いだオメガの王子、ユアン。
彼を待っていたのは、「氷の将軍」と恐れられるアルファ、クロヴィスとの心ない日々だった。
世継ぎを産むための「道具」として扱われ、絶望に暮れるユアン。
しかし、冷たい仮面の下に隠された、不器用な優しさと孤独な瞳。
孤独な夜にかけられた一枚の外套が、凍てついた心を少しずつ溶かし始める。
これは、政略結婚という偽りから始まった、運命の恋。
帝国に渦巻く陰謀に立ち向かう中で、二人は互いを守り、支え合う「共犯者」となる。
偽りの夫婦が、唯一無二の「番」になるまでの軌跡を、どうぞ見届けてください。
巣ごもりオメガは後宮にひそむ【続編完結】
晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売
BL
後宮で幼馴染でもあるラナ姫の護衛をしているミシュアルは、つがいがいないのに、すでに契約がすんでいる体であるという判定を受けたオメガ。
発情期はあるものの、つがいが誰なのか、いつつがいの契約がなされたのかは本人もわからない。
そんななか、気になる匂いの落とし物を後宮で拾うようになる。
第9回BL小説大賞にて奨励賞受賞→書籍化しました。ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる