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第9話
しおりを挟むそよ風の揺れる大輪のダリアは美しく圧倒的な存在感を放つ。
僕の庭で唯一育てる大型の花だ。この国の象徴のようなものだ。
(僕がこの街にはじめて来た時に見たのも、この花だった)
膨らんだ大きなつぼみに触れると、繊細で柔らかなもので、すぐに手を引っ込める。
ふわふわと甘い豊かな香りがする。それに目を細めながら、最近のことを振り返る。
幾夜も同じような日々を過ごして、今や僕が彼の部屋で本を読むのは習慣になっていた。今までは、仕事や付き合いだと言って、帰宅するのだって僕が眠る頃合いだったけれど、どんどん早まってきている気がする。この前は、一緒にアフタヌーンティーを味わった。
最初の頃は、何か話さないと、とご機嫌をとろうとするが、彼はそれを全く気にしないようで、話を振れば簡潔に答えてくれる。黙っていても、機嫌が悪くなることはない。
決して言葉は多くないけれど、彼の隣で過ごす時間は、居心地が良くなってきていた。
紅茶はダージリンよりもアールグレイの方が好きだと知った。ジャムはブルーベリーよりもマーマレードが好きなこともスコーンにつける様子でわかった。
昨日も一緒に夕飯の、他国のスパイスの効いたライスを食べた。僕の分は色も薄い黄色い刺激の弱いものだったが、彼の分は、オレンジ色をしていて、香りも強かった。それでも、平気な顔でぺろりと食べきっていたから、スパイスも好きなのだと思う。
部屋を訪れると、彼がソファに座ってくつろいでいる。そろり、と隣に腰掛ける。彼が膝元で開いていた本を、僕に渡す。静かに受け取って、机の上に置いて指でなぞりながら読み上げる。
変わらない。毎日の一部となっていた。
その中で変わったことは、本が歴史書や地理書ではなく、物語になったことと、ほんの少しだけ、彼の身体の距離が近くなったことだ。
肩先に身体の熱気を感じる。息をすると、ふわり、と先ほどのスパイスと一緒に、薔薇のような豊かな甘い香りが漂う。
肩を撫でると昨夜の熱が残っているようで、背筋が震える。じわ、と頬に熱がこもっている。ダリアを前に、しゃがみこんで自分を抱きしめるようにじりつく身体を抑え込む。
(いけない、いけないんだ…)
もう、僕が彼から離れる日は近づいてきている。あの義母のことだ、もう次のオメガがこの家にやってくる日も算段がついているはずだ。
(だから、きっと、もうすぐなんだ…)
肩を撫でていた手に力がはいって、丁寧に伸ばされた張りのあるシャツに皺を作ってしまう。
心の中に灯る熱い何かを、漏らしてはならない。それが叶うとも思ってはならない。
終わりが見えている。彼がどうして、僕との時間を生み出しているのかはわからない。たまたまなのか、何か義務的なものなのか。考えても、僕ではわかりっこない。
ただ、その気まぐれを、僕は、心底嬉しいと思っている。
彼と一緒に食事をするようになってから、同じものを食べることの幸福を知った。それをおいしいと言葉に出して分かり合うのではない。けれど、同じ時間を過ごして、ほのかに変わる表情を読み取って、同じ気持ちを味わっているのかと思うと、胸が温かなもので満ちた。
指でなぞりながら読む物語は、僕の地域に古くからある童話のようなもので、昔、母からこうして読んでもらったな、と思い馳せながら、愛する人と共にそれを過ごしていることに不思議な感覚がある。そのあとに温かなハーブティーは僕好みの調合でおいしかった。日替わりのそれを、彼が選んでくれているのだと執事長から聞いた時は、どうしても鼓動は速くなってしまった。
「おや」
後ろから声がして、咄嗟に振り返ると、西にまわり始めた陽が金を透かしてたくさんの星を見せる。
「姫様、こんなところに」
急いで立ち上がり、頭をさげる。
(どうして、セオドール様が…)
僕と庭師しか知らない小さな僕の庭に、突然現れた人物に動揺が隠せなかった。
「そんな、かしこまらないでください」
セオドールは目の前まで長い脚であっという間にやってくると、僕の手を掬う。突然の接触に目を見張る。セオドールと目が合うと、彼は頬をほんのりと染めて、優しい笑みを浮かべる。
「ダリアが見頃だと教えてもらったので、庭を散策していたのですが、もっと美しい花を見つけてしまいました」
「あ…、え…、と…」
眦を赤くして、潤んだ翡翠は僕を見つめている。温かなものが見える気がするが、こんなに距離を詰めて、恋敵と対峙することになるなんて、想像もしていなくて、言葉が出ない。
「こんなところに、秘密の花園があっただなんて」
迷子も儲けものですね、と笑う彼は人好きのされるものに違いない。
「姫様とお会いするのは久しいですね。相変わらず、花嫁姿で見たときと変わらぬ可憐さだ」
僕の手をかかげながら、セオドールは自然な動きで片膝をついて、僕の目の前にかがんだ。
僕なんかに腰を低くしてくれた彼に驚いて、急いで取り繕う。
「や、やめてください、セオドール様…っ、恐れ多いです…」
「ああ、失礼。変わらず、ではありませんでした。会う度に、姫様は、お美しくなっております」
「そ、そんな…」
どうすれば良いのか戸惑っていると、彼は王子然とした歯の浮くセリフを言い募っては、上目で僕を見上げて、ウインクを送る。
そのおちゃめな仕草は、とても年上には思えぬ愛らしさがあった。
「私、一度姫様でゆっくりお話しをしてみたかったのです!」
いつもは邪魔者がいてだめだったのですが、今なら。と瞳を輝かせながら、セオドールは立ち上がり、僕より頭一つ大きい身体でずい、と顔を寄せてくる。一歩下がるも、捕まった手はそのままに、また一歩近づいてくる。
どうして良いのかわからずに言葉を濁していると、あれよあれよと、我が家のごとく執事に命を出して、僕の肩を抱いたままダリア咲き誇る大きな噴水前のガーデニングテーブルの前に腰掛けた。タイミングよく、温かな紅茶と焼き菓子が振る舞われ、セオドールは僕よりもよっぽどここに住んでいる者らしく、執事に気さくに礼を言う。執事たちも久々の訪問を喜んでいるようだった。
ちく、と身体の奥が痛んだ。
(まるで、僕のポジションは、彼の方がふさわしいようだ…)
誰にでもフランクで笑顔を惜しまないセオドール。そこにいるだけで、辺りがぱっと明るく照らされる。
黙りこくって、一つも本音を言えない僕とは、真逆の魅力あふれる人だ。ぎゅ、と握りしめた指先に、シルバーの光が肯定するかのように、ちかりと反射した。
「先日、姫様の地元にお邪魔しましたが…」
紅茶を一口飲んだセオドールが優雅に語り出す。執事たちのこだわっている細やかな柄の入った陶器がよく似合っていた。
「南方の羊は、角が生えていないのですね!」
からっ、と笑って僕に振り向く。その笑顔には何の他意もない。あまりにもまっすぐに爽やかで瞬きをして固まってしまう。セオドールは気づいているのかいないのか、続けて楽しそうに話す。
「こっちの羊たちは、角が立派で目つきも鋭いですが、南方の羊たちは温かい気候なのに、もこもことしていて愛らしいかった」
あれは暑くないのだろうか、と一人で指を額に当てて悩み出してしまう。
立ち姿は百合のように美しいアルファが、目の前できゃらきゃらと表情を豊かに変えて、南方での話を面白おかしくしてくれる。
北方の羊たちは気性が荒いが、南方の子たちは穏やかだったこと。広い大地でのびのびと生活していたこと。生まれてはじめて生のオリーブをかじった感想。セオドールの髪色が珍しくて現地の子たちに絵本の世界の人だと間違われたこと。
つい、ふ、と口角がゆるんでしまったのだ。
まったくその通りだ、と僕も出会った時に思ったから。
南方には、金色の髪の毛の人はいない。手足がすらりと長くて、颯爽としている美丈夫も少ない。どちらかというと筋肉質な浅黒い男の方が多い。だから、セオドールやローレンは、宗教画のような神秘的な作り物のように思えてしまったのだ。
この美丈夫を取り囲む、地元の黒髪や赤毛の少年少女たちを思い浮かべると、それは愛らしいものだった。
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