初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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第4話

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 それから、児童会選挙が行われた。壇上で、力強く堂々と演説をする彼に、全校生徒が釘付けとなった。

「誰も傷つかない、大切な人が幸せである学園を創ると誓います」

 そう、最後に彼が演説を終えると、体育館が揺れているのではないかというくらいの拍手が起こった。何千人という人の前に立ち、演説する彼を、なぜか僕は緊張して、手を握りしめて見つめていた。きっと、彼からは、僕は豆粒のひとつ程度しか見えないはずなのに、目があった気がした。そして、にこりと微笑んだ彼に、は、と気づいて、周りに遅れて拍手を送った。

「さすが咲弥くん…かっこよすぎ…」

 周りから、たくさんの感嘆の声が聞こえた。

「今回の選挙、最初嫌がってたんだけど、美久さんが背中を押したらしいよ」

 近くの子たちがこそこそと話す声が聞こえて、僕はどきり、とした。

「やっぱり、二人って付き合ってるのかな」
「美男同士で美しいよね…」
「お似合いだよ」
「噂だと、結婚の約束もしてるらしいよ」
「美久さんなら、咲弥くんを盗られても許せる」

 一体誰目線なの、と何人かがくすくすと笑っている声は聞こえなかった。
 彼が立候補を決めたのは、僕の後押しがあってだ、と思っていたのは、僕だけで、また自己中な考えをしてしまったんだ。と気づき、背中を嫌な汗がつたっていく。耳の奥がガンガンと響き、膝をさらにきつく抱えなおす。

「この度、児童会に立候補しました、夢木美久です」

 鈴のように透き通り、響く声に、はっと意識を取り戻し、前を向く。壇上には、先日、僕に話しかけてきた、天使がライトを浴びて、光り輝いていた。遠くからでも、スカイブルーの瞳が艶めいているのを感じる。
 夢木美久、さん。
 この人が、彼の…。
 どく、と頭が大きく揺れたような気がして、痛むこめかみを押さえる。寒気がして、身体が勝手にかたかたと震え出していた。壇上の天使に、みんなの視線が集まり、うんうん、とうなずいて、手を組んで、崇拝しているように見えた。その中で、僕だけが取り残されていて、同じ世界に住んでいないように感じた。僕が、おかしいのかな。
 人の間を縫って、前にいる彼を見やると、彼ですら、壇上にいる天使を一心に見つめているように思えた。
 それに気づくと、ひゅ、と息が鳴った。まずい、と思う前に、隣にいたクラスメイトが、背中を優しく叩いてくれた。

「大丈夫?」

 ぱ、とその声のした方に振り向くと、大きな黒目の優しい少年が、心配そうに僕を見ていた。
 それに、心底ほっとして、僕は握りしめすぎて、真っ白になった指先をほどいた。

「先生、呼ぼうか?」

 は、は、と短く浅い呼吸を繰り返し、冷や汗が、ぽたりと、膝に落ちたのに気づく。

「だ、いじょうぶ…」

 また、人に迷惑をかけてしまうかもしれない。
 それが急に怖くなった僕は、何とか口角をあげて、クラスメイトに返事をした。眉尻を下げながら、心配の言葉をまた並べてくれた彼の優しさに、だんだんと呼吸が落ち着いていくのを感じた。

「ありがとう…もう、大丈夫」
「そう…」

 そういって、彼はまた前を向いた。もう壇上での演説は別の人に代わっていた。心臓の辺りを何度も撫でて、落ち着け、と唱える。
 大丈夫、大丈夫。
 まだかすかに震えている身体を、ひとり、ぎゅっと抱きしめた。



 選挙の結果は、六年生を差し置いて、彼が圧倒的大差をつけて、まさかの児童会長となった。
 すごい…。
 昇降口に大きく張り出されたボードを見て、僕は、どきどきと心臓が高鳴り、視界が開けるようなわくわく感に包まれた。
 すごい…本当に、選ばれちゃうなんて…。
 自然と、頬がゆるんでいく。やっぱり、彼は特別なんだ。すごい。僕の王子様はすごいんだ。
 ふふ、と小さく笑いがこぼれてしまって、急いで口元を引き締める。

「咲弥くん、やったね」

 遠くで甲高い声が聞こえて、そちらを振り向く。すると、みんなより、頭一つ、背が高い彼が、ありがとう、と笑っているのが見えた。すると、彼が僕を見つける。どき、と心臓が一瞬大きく鳴って、身体を温かいものが循環していくような感覚があった。思わず、微笑みかけてしまう。彼は、それを見ると、いつも僕に見せるとろけた瞳と、頬を上気させて微笑んだ。僕の大好きな、彼の笑顔。
 おめでとう、と声を出そうとした時に、後ろから大きな声が聞こえた。

「わあっ、咲弥くん、美久を見て笑ってる!」

 その名前に、びく、と身体が固まってしまう。

「咲弥くん、あんな笑顔するんだね…」

 うっとりと一人がつぶやくと、可憐な声が僕の耳を貫く。

「僕には、いつもああやって笑うよ?」
「やっぱり、演説で言ってた、大切な人って、美久のことだったんだ…」

 ふふ、と頬を染めて、愛らしく微笑む美久は、本当に天使だった。そして、手を振って、彼のもとへ駆けていった。すれ違わないように、僕は急いで人込みに紛れ込んだ。




 長い一日の終わりのチャイムが鳴ると、一目散の教室を抜け出す。今日の待ち合わせは、図書室だった。誰にも見つからないように、足音を殺しながら、静かに誰もいない図書室に入った。しん、と暗い部屋には、誰もいない。いつもの場所、部屋の奥まった、図鑑コーナーに陣取り、腰を下ろす。
 今日一日、なんて声をかけようか、ずっと考えていた。一日中、ずっと彼の話で、僕の教室も持ち切りだった。咲弥くんすごい。とたくさんの人たちが話す度に、自分のことのように誇らしかった。なんて、お祝いをしようかずっと、そわそわしていた。
 がらがら、と小さくドアが引かれる音がして、ぱ、と顔をあげると、入口で息を切らした彼がいるのを見つける。

「さくっ」

 思わず声が出てしまう。ぱっと立ち上がって、彼のもとへ足が勝手に動く。僕に気づくと、顔を輝かせて彼も走り、勢いよく抱きしめあった。

「さくっ、すごいねっ、すごい…っ!」
「うん」

 ぎゅうぎゅう抱きしめると、とくとくと早い心音が聞こえる。走って、この部屋まで来てくれたのかな。そう思うと、彼も僕と同じで、早く会いたかったのかな、と嬉しくなる。

「おめでとう、さく…本当に、すごい…」
「まあな」

 自信満々の彼の言葉に、ふふ、と笑いがこみあげる。

「演説もすごく、すごくすごくかっこよかった」
「それ、この前も聞いた」

 演説があったあの日に、何度もそう伝えたんだった。それでも、足りなくて、言葉が上手に出なくて、これしか伝えられない自分がもどかしかった。だから、その分力をこめて、大きな身体に抱き着くしかなかった。

「だって、本当にすごかったんだもん」

 おめでとう、と胸元に囁きかける。

「なあ、聖」

 そっと、肩を押されて、顔をあげる。高い鼻梁、涼し気な目元は甘く下がる。薄い唇は、見た目よりもずっと熱いのを、僕だけが知っている。何度見ても、見慣れない、美しい顔立ちの彼に、うっとりとしてしまう。そんな僕に気づいてか、彼は瞳を溶かして微笑む。

「俺、聖のために頑張ったんだ」

 繊細に、指先が僕の頬を、瞼を、前髪を撫でる。くすぐったくて、身をよじるけど、彼はそれを許さず、ずっと繰り返した。

「約束、覚えてるよな」
「…うん」

 約束をしたあの日から、ずっと考えていた。僕が彼にあげられるご褒美、というものを。
 おもしろいものも、お金で手に入るものも、僕よりも簡単に彼は手に入れられる。だから、すっごくすごく難しかった。でも、彼に喜んでほしくて、一生懸命考えた結果、僕は、今の僕が作れるものをあげようと思いついた。

「なあ、俺…」
「ちょっと待ってて」

 熱を持った瞳で彼は何かを訴えようとしたが、僕は身体をひねって、カバンをがさごそとあさる。分厚い教科書の中から、つぶれないように丁寧に扱ってきた、きれいな紙袋を取り出した。

「さくにご褒美って、すごく難しかった…さくは、僕が手に入るものは、なんだって簡単に手に出来ちゃうから…」

 これ…、とおずおず、小さな紙袋を渡した。僕の手元と目を何度か見返して、口を開けた彼はそれを受け取った。

「ご褒美になるか、わかんないけど…さくが幸せになりますようにって、祈りながら、作ったんだ」

 うるさい鼓動を押さえるように、胸元に手をおいて、彼に必死に伝える。恥ずかしくて、なんだか泣きそうになっていた。

「開けて、いいの?」

 うん、とうなずくと、昨晩、喜んでもらえますように、と祈りながら、貼り付けたシールを、彼は長い指先で丁寧にはがした。一つひとつの音がやけに大きく聞こえて、汗がにじむ。

「これ…」
「み、ミサンガ…はじめて編んだから、へたくそだけど…」

 袋から、はらり、と出てきたのは、彼が児童会への立候補を決めたあの日から、毎晩少しずつ編み続けて、ようやく昨晩完成したミサンガだった。何度も間違えては、編み直した。糸もほぐれてしまって、不格好になっている部分がある。それでも、僕にしか出来なくて、彼のためになるもの、と考えると、これくらいしか思いつかなかった。

「この前読んだ本に載ってたんだ。願い事を唱えながら身に着けて、切れたら願いが叶うんだって…」

 大好きな彼が、幸せになれますように。
 その隣に、僕がいたい。でも、それは、彼が選ぶことだから。
 もし、僕が選ばれなくても、ミサンガが傍で、彼が幸せになる姿を見送れるなら、それは嬉しいことだな、と思って、これにしたのものある。

「聖」

 名前を呼ばれて、おそるおそる視線をあげる。迷惑じゃなかったかな。僕、そういうのに鈍いから。
 早い鼓動が耳の中で響き、うるさく感じる。

「ありがとう。すごい、嬉しい」

 いつもの、ゆるゆるの溶けてしまうのではないかという微笑みで、彼は頬を染めながらミサンガを握りしめていた。全身で嬉しいと表現してくれる彼に、心底安堵し、同時に、嬉しくて僕も勝手にゆるゆると微笑んでしまう。

「よかった…僕も、喜んでもらえてすごく嬉しい」

 素直に、そう言葉にすると、彼は僕を強く抱き寄せた。熱い身体が、心地よく思えてしまう。

「ミサンガの色ね、さくの瞳の色にしたんだ」

 淡い色と濃い色とグラデーションになるように刺繡糸を選んで、五本組み合わせたミサンガ。光にあたると、七色に変化するさくの瞳を本当は表したかったけど、それは難易度が高すぎるため、いつもの海のような深い青色のものにした。
 ふふ、と胸元で嬉しくて、笑うと耳元にある心音がさらに早くなったような気がした。

「さくの瞳、本当はもっときれいな色なんだけど、手芸屋さんにはないから…」

 あの美しい瞳を覗き込むと、潤んだ青には、僕しか映っていなかった。

「聖のそういうとこ、本当に好き…」

 まなじりに優しくキスを落される。くすぐったくて、笑ってしまうと、彼もくすくすと笑う。温かくて、優しい時間が流れる。ずっと、彼と二人だけでいたい。

「どこにつける?」

 彼の手首をなぞって、ミサンガに触れる。

「…ミサンガって、切れたら捨てなきゃならないよな?」
「うん。役目を終えたから、近くにあっちゃならないんだって」

 それもまた気軽で良いと思ったのだ。
 こんなへたくそなものでも、役目を終えたら捨てられる。少しさみしいけど、ずっと手もとにこのミサンガがあるより、恥ずかしいからマシかもしれない。
 しかし、彼はそれが不服そうに眉を寄せて、手の中のミサンガを見つめていた。

「つけたくない…」
「ええ!」

 唇を突き出して、ふてくされたようにつぶやく彼に焦って、大きな声が出てしまった。

「それじゃあ、頑張って編んだ意味がないよ…」
「だからだろ?聖が頑張って編んだもの、簡単に捨てられない」

 しょんぼりとつぶやくと、彼は真剣な眼差しで僕に言った。その強い言葉に、ぐう、と息を飲んで、顔が熱くなる。

「ま、また編むから!だから、つけて?」
「ん~…」
「お願い、さく」

 ミサンガごと、彼の手を握りしめて、見上げて懇願すると、眉をあげて目線をそらされた。

「聖、わかっててやってるだろ…」

 そうつぶやかれたが、何のことかわからずに首をかしげる。彼がひとつ、大きく溜め息をついてから、僕と向きなおす。

「じゃあ、聖がつけて」
「ええ?さくが、願い事言いながらつけないとだめだよ」

 仕方なし、といったように眉をあげてから、彼は右腕の袖を捲る。

「え!そこじゃ、半袖になったときに見えちゃうよ!」

 先生に怒られちゃう、と彼に手を握って止める。

「え~…俺は、見せびらかしたいのに…」
「だ、だめだよ…足、足首にしよ。そしたら靴下で隠せるから!」

 え~、と乗り気でない彼の右足首に、そ、と触る。僕のものよりも、筋だっていて、どき、と身体が高鳴ってしまった。僕が一人でどきまぎとしていると、彼は、ズボンを軽く捲り、足首にミサンガを巻こうとする。

「あ~、難しい。無理だわ。聖やって」

 誰よりも器用な彼が、こんな簡単なこと出来ないわけがない。僕の方が何倍も不器用なのは、昔からわかっている。

「僕の方が不器用なのに…」

 つぶやくが、彼は膝に頭をのせて、じっと見つめてくる。仕方なしに、一つ息をついてから、彼の指先につままれたミサンガに指を絡める。細い糸を、きつくならないように結ぶ加減が難しくて、やっぱり苦戦が強いられた。ん~とうなりながらも、格闘していると、彼が僕の髪の毛を耳にかけてくれた。

「ひゃっ…」

 する、と耳朶をなぞられると、背筋がぞぞぞ、と痺れる。この感覚はいつになっても、慣れない。彼は愉快そうに、そうやって僕で遊ぶのだ。睨みつけると、思ったよりも近くに彼の顔があって、どきり、と固まってしまう。僕を見て、柔く微笑んでから、僕の指に触れる。

「ほら、結んで」
「う、うん…」

 いつもと変わらない長い睫毛の隙間から、促すように深い青色をした瞳が僕を見やる。彼の指が触れる、指先をもたもたとしながらも糸を結ぶ。

「聖とずっと、一緒にいられますように」

 きゅ、と結び終える時と同時に、彼はそう囁いた。じり、と身体の奥が焦げ付くようだった。そのまま、指先を絡めとられ、目線をあげると、瞳がじっと僕を捕らえた。

「そ、それじゃ、僕が編んだ祈りと違うよ…」

 むずがゆくて、そんなことを言ってしまう。こういう雰囲気は、最近、より恥ずかしく感じるようになってきた。キスなんて、何百回、何千回としてきたのに。

「同じだろ?」

 ゆっくりと顔が近づいてきて、額を重ねる。

「俺の幸せは、聖が隣にいることだから」

 音が鳴りそうな長い睫毛があがって、きら、と青が輝く。それに見惚れていると、そっと唇があわさった。

 僕だって、ずっと、さくの隣にいたい。

 そう願った十一歳の秋。



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