初恋と花蜜マゼンダ

麻田

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ep.2

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 柔らかな日差しに、瞼をくすぐられて目を覚ますと、目の前には愛おしい彼の寝顔があった。ここ一週間、毎日そうやって目を覚ましているのに、彼の寝顔は一切見慣れないし、ずっとドキドキしてしまう。昨晩も明け方までどろどろに愛し合っていた身体は甘くだるさが残る。こっちにきてから、すっかり昼夜逆転の生活になってしまった。日中も夜も関係なしに目があえばキスをするし、彼は愛を囁く。気づけば互いの身体が高めあっていて、欲望のままに溶け合った。
 時間を確認しようと枕元に手を伸ばす。昨夜、放置され電源を失った携帯を充電器に刺したら、充電が完了するまで、と言いながら、彼にのしかかられてしまって、喜んで手を回したら今になってしまった。コードを抜いて、電源を入れると、自動でアメリカ設定になった日付と時間が表示されていた。もう昼時を回っていた。

「聖…」
「わっ」

 身体を起した僕を彼が長い腕で抱き直して、その中に閉じ込めた。彼はまだ寝ぼけているようで、唸りながら僕の髪の毛に高い鼻先を埋めて、深く息を吸ってから、また規則正しい寝息を立て始める。大柄の彼が子どものように擦り寄ってくるのが、愛らしくてくすり、と笑ってから、彼の腕越しに携帯を操作して、メールボックスを開く。日付の下に、本日が合格発表日だということがスケジュールからの知らせが入っていたからだ。さすがに、ホームぺージをダウンロードしている時間は、一人どきまぎと変に目に力が入ってしまう。
 ダウンロードが終わり、ぱっと目の前に結果が表示される。
 もちろん自信はあって、予想されていた結果だけれど、じわあ、と指先からだんだん熱が全身を包んでいく。

「ん…、聖…?」

 ふるふると携帯を持って噛み締めていると、ぼんやりと目を覚ました彼が色香の強いかすれ声で僕の名前を囁く。こめかみに優しくキスをして、顔をあげた僕の唇に当たり前のように淡く吸い付いた。へにゃ、と力なく笑う彼の美しい顔は僕にしか見せない情けないかわいいものだ。急いで画面を見せると、目を細めて彼はその文面を読んでいるようだった。しばらくすると、思い切り抱きしめられた。

「聖、おめでとう…!」

 力強い抱擁に、彼の高い体温が伝わってくる。
 この世で一番大好きな人が、僕の嬉しいことを自分のことのように喜んで祝ってくれる。その瞬間を一緒にいられる。僕が、どれだけそのことに焦がれていたことか。
 頬が熱くなり、勝手に頬を緩んでしまう。

「ありがとう、さく」

 ふふ、と微笑みながら、彼の胸元に擦り寄った。ふわ、と甘い香りが鼻腔をくすぐる。少し早い心音が心地よい。毎日、彼と素肌をあわせているのに、未だに、そこに彼が本当にいるのだということを実感すると、胸がいっぱいになる。
 そ、と顔をあげると、無造作に前髪が垂れた彼の瞳が、甘くゆるやかに細められている。その青と視線が交わると、とろけてしまう。ゆったりと瞼を降ろすと、願い通りに唇があわさって、淡く吸われてしまうと、鼻から声が漏れてしまう。

「んぅ…」
「おめでとう」

 しっとりと濡れた唇を、ぺろりと舐められると背筋が震えて、彼の吐息が肌を撫でた。潤んだ瞳をあげると、彼は唇を赤い舌で舐めて微笑んでいた。

「よく頑張ったな」

 大きな手のひらが髪の毛をさらりと撫でる。何度も往復する指先が心地よくて目を細めて頬がゆるむ。

「体調も悪かったのに、ちゃんと勉強進めて…聖はやっぱりすごいな」

(そんなことない…、さくがいてくれたから、頑張れただけ)

 隣に立っていても恥ずかしくないように。それをきっかけにまず頑張っていただけ。
 でも、今は、自分の夢に向かって、それを叶えられる最善の場所が彼と同じということが嬉しく思える。

「さくの恋人だからね」

 すごいでしょ? と、くすくすと軽やかに笑ってしまう。彼は少し瞠目した後に、より深く目を細めて、僕の頬を包んだ。

「ああ…俺も、頑張らないとな」
「うん、頑張ろうね」

 そうやって、二人で頑張れたらなんて素敵な関係なのだろうと考えていた。
 彼が、頑張らないと、と言葉にしてくれて、何より嬉しかった。そういう関係になりたかった。彼のモチベーションの向上のきっかけになれるなら、僕の存在意義が高められた気がする。必要とされているとより強く思われる。

「お祝いは何がいい?」
「ん?」

 彼の唇に、ちゅ、と吸い付くと彼が尋ねてくる。何がいいだろう…と思案していると、今度は彼がキスをしてくる。その時に、ふと思いついた。

「さくの指輪がいい」

 自分の左手で拳をつくると、すっかり馴染んだ指輪が薬指にはまっていた。
 それとお揃いのものを彼の左薬指にはめたい。
 これ、と顔の横に左手を持ってきて、彼に指輪を見せる。

「それじゃ聖へのプレゼントじゃなくなるだろ」

 眉を下げて仕方ないと言わんばかりに小さく溜め息をつきながら口角をあげたままで囁いた。する、と左手に彼の右手があわさって、指が絡み合う。きゅ、と握り返すとかさついた彼の手のひらが温かい。

「でも、僕だけ指輪つけてて…」

 さみしい、と彼の薬指に口づけをして、上目で顔を覗く。ぐ、と彼の喉仏が引っ込んで、ごくり、と上下した。

「でも、さくの指輪をさくが買うって、変だね…」

 僕へのプレゼントなのに、自分の指輪を買うって変か。
 そう思い直して、思考を巡らす。でも、彼の指にも同じものがあってほしい。うんうん唸る僕の頭上でくすり、と彼が笑った。

「じゃあ、ペアリングにしよう」

 そうしたら変じゃないだろ?と彼が微笑んだ。思わず目の中が、きら、と輝いてしまう。その後すぐに、でも、と言葉を濁らせた。

「でも、そしたらこの指輪が…」

 眉をひそめて彼に告げる。大切な、彼からの贈り物。

「この指輪と同じ指輪、ないかな…」

 それ理想だった。
 僕の薬指にぴったりとはまっている、ピンクゴールドの細いリングが、彼の節ばった指にもはまっていたら、とても嬉しい。
 彼を見上げると、どうだろう、と考えてこんでいるようだった。

「これを買ったのは、もう四、五年前だからな…」

 彼がつぶやいて、うーん、と唸っている。僕は、その言葉から、は、と一つ疑問に思うことがあった。

「四、五年前って、どういうこと…?」

 そういえば、これをもらった時、「中学生の俺から」と彼に言われた、あの冬の喫茶店を思い出す。
 包みは有名なブランドものだった。それを中学生の彼が購入したことも、なぜ僕へのプレゼントとして手に入れていたかもわからなかった。
 中学生の僕たちは、一言も口をきいていなかった。僕は、彼が生徒会に入り、会長をつとめていたから、壇上に上がる姿がいつも、じ、と恋焦がれて見つめていたのを覚えている。でも、その視線はもちろん僕だけでなくて、たくさんの生徒たちも同じだった。その時の僕は、その他大勢の中のたった一人だった。
 彼と目があえば、瞬時にその瞳はそらされた。彼の隣には、いつも違うオメガがいた。だから、僕宛て、だなんて、おかしいのだ。
 不可思議さに不安が混じり、彼を見上げる。彼は、あー…、とバツが悪そうに言葉を濁らせて視線を泳がせていた。やがて、僕をちらり、と見下ろすと、目を丸くして僕の肩を掴んだ。

「違うぞ、聖! 聖が不安になるようなことにはなってない…」

 はずだ…、と彼の語尾が弱まった。その弱気な姿にますます眉間に皺が寄ってしまう。彼がちらちらと僕を見ながら、ぽそりと話をしはじめる。

「その…、当時、少し、株をはじめてな…」

 少し儲けが出たんだ。と彼は続けるが、それがどうつながるのかわからなくて、怪訝に彼を見上げる。

「初めて、自分で稼いだ金は特別だと言われた。だから、俺は…聖に使いたかった…」

 眦を、じわ、と赤く染めた彼は小さくつぶやいた。ぱちぱち、とまばたきを大きく繰り返す。僕から腕を抜いて、彼は、身体を起した。ふわ、と布団が彼から落ちて、引き締まった肉体が現れる。僕に背を向けて、ベッドから足を降ろして、腰掛けた。

「色々考えた結果…中学の卒業式を終えたら、もう一度聖に、プロポーズをしようと思って、買った、んだ…」

 プロポーズ。

 その言葉を理解するのに、少し時間がかかってしまった。彼は大きく溜め息をついて、頭を抱えた時に、ようやく彼の愛に気づいて、全身の熱が高まるのがわかった。

「さく…」

 項垂れる広い背中は、大きな肩甲骨が浮かび上がっていた。身体を起すと、するり、と彼と共に温まっていた布団が肌を撫でて落ちていく。そ、とその背中に触れると、ぴくり、と彼が反応して顔を上げた。耳先が赤く染まっていて、中学の卒業式で立派に卒業生代表として言葉を述べていた今よりも幼い彼を思い出す。
 親も含め、数千人の前で堂々と話す彼は、凛々しくて、誰もが溜め息をつくほどのかっこよさだった。マイク越しに聞こえる、声変わりを終えた低い、彼の声は、僕の名前を囁かない声だったけれど、それでも彼の声をこの耳で聴いて、瞳で彼の姿を捕らえられるなら、しあわせだと思っていた。

「結局、卒業式の後、聖には会えなくて…」

 隣に腰掛け、彼の顔を覆う手首に触れると、温かな手で包まれた。ちら、とこちらを見やる彼の瞳は潤んでいて、つややかに光る。頬は赤く染まり、あの時よりも清廉された大人の男の彼が僕を見つめていた。

「いつか渡す時が来ると信じて、ずっと、持っていたんだ…」

 彼が僕に向き合うように身体を動かした。そして、僕の左手を彼は右手で包んで、親指で指輪を撫でた。それを見下ろしてから、顔をあげて、僕に微笑んだ。

「今、聖の手元にあって…あの時の俺は、報われた…」

 ありがとう、と彼は囁いて、大切そうに僕の左薬指にキスを落とした。早鐘の心臓が、どくん、と大きく跳ねると、視界が滲んでくる。
 あの時、目が合ってもそらされて、彼の隣には違う人がいて。
 自分なんかは、彼の中に一つもなくて、むしろ嫌われて避けられる存在なのだと、何度も悲しんだ。つらかった。苦しかった。その度に、もう彼を思うのは止めようと決めるのに、次の日には彼のことをまた考えてしまっていた。そのつらい毎日の過去が、僕も報われたのだと思うと、大粒の涙がぼろり、と溢れた。

「アメリカの行く前に、聖の虫除けのつもりでこれを渡したが、こうやってつけてもらえると…」

 僕の手を額にもっていって、祈るように彼は長い睫毛を伏せて、つぶやいた。

「どうしようもなく、嬉しいものだな」

 僕は、そのまま彼に飛びつくように抱き着いた。大人になった彼は、僕に微笑みかけながら、優しく背中や頭を撫でた。僕は、嗚咽をつきながら、当時の気持ちのままに、がむしゃらに好きだと彼に伝えた。知ってる、俺もだ、と何度彼が答えても、僕は今までの分、すべて伝えられるように、言葉にして、大好きな彼をきつく抱きしめた。



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