9 / 13
サビ-1
しおりを挟む
正直きまずい。とてもきまずい。
「ほらジョージ早くー」
山都が背中を押すけど、どうにもこうにも……。あと軽率に触らないでくれ。意識しちゃうだろ、お前がなんとも思ってなくても。……考えてて情けなくなってきた。
俺は意を決してガラスのドアを開ける。
「あ、いらっしゃい。譲二に由真ちゃん」
受付には満面の笑みの兄貴が待ち構えていた。きまずい……。
「Aルーム取っといたからどうぞ。エアコンつけておいたから。ほんとは駄目なんだけど」
「ありがとうございまーす!」
うんうん唸ってる俺をよそに、兄貴も山都も楽しそうだ。
「ほら行くぞジョージ」
あぁぁ待ってくださいリュー先輩襟首引っ張らないでください! 絞まってます!
有無を言わさず俺はスタジオの中へと引きずりこまれた。
*
スタジオアスター。兄貴の職場である。
大小いくつかのスタジオを擁し、割安な値段で借りれることから学生にもアマチュアミュージシャンにも人気が高い。
「なんでそこまでイヤなのさー」
アンプにシールドを差し込みながら、山都は問い掛ける。俺だって別に嫌っていうわけじゃない。
「なんていうか……。兄弟に見られるのってなんか照れ臭さがあるじゃんか」
「えー? そう? リュー分かる?」
「分からん」
そうだった。ここは兄妹だった……。
夏休みも終わりに差し掛かって、曲の完成度も上がってきた。三年生の課外授業があるから平日は開いてる学校も、土日となると閉まってしまう。そうなるともう家で個人練習しかできないなぁと言ってたところに、兄貴の救いの手が差し伸べられたのだ。
「でも良かったじゃん? 家族割ってことで安くここ借りれて」
夏休みが明けたらすぐ文化祭だし、どうしよかと例に漏れずうんうん唸ってた俺に、兄貴は自分の職場を貸してくれることを申し出てくれたのだ。ほんとに頭が上がらない。
そんな言い合いをしてる間にも、アンプのセッティングが終わり、チューニングも済ませた。
「さて、と。では始めますか」
山都の掛け声が合図だった。リュー先輩がドラムスティックをカッカッカと鳴らす。
防音設備の整ったスタジオでは、やっぱり教室とは響きが違う。本番は体育館のステージだ。どこまでうまく山都の歌とギターを響かせられるか……。
あぁでも、やっぱりこの二人と演奏するのは気持ちいい。
山都の歌は言わずもがな、ギターもここってときに来てくれる。
リュー先輩のドラムは正確に刻まれていて、でも合い間合い間にスティックを回してみせたりして、意外と余裕がある。まぁリュー先輩だもんな。なんでも軽くこなしてしまいそうだ。時折笑みを見せるのは、ちょっと意外だったけど。
「んあー! ダメだ! 間奏のリフレインやっぱちょっとずれる!」
最後の一音を弾き終えて、山都は叫んだ。
「二フレーズ目をちょっと食い気味に弾くといいのかも。あと大サビ行く前に、目で合図してくれるとやりやすい」
「そっか……二フレーズ目……」
ぶつぶつ言いながら、山都はギターを鳴らす。
こいつのこういうところは、ほんとすごいなと思う。正直、さっきのとこは少しずれてても支障がないかなと俺は思っていた。許容範囲というか。
だけど山都は、不安要素は潰しておきたいと言う。これこそがノイズの人気たる所以だったんだろうな。
「ジョージごめん! 二番のサビからもう一回いい?」
そんな俺の視線に気づかず、山都は勢いよく言う。
「もちろん」
俺がそう言うと、山都もリュー先輩も驚いた顔をした。
え、なんだ? 俺なんか変なこと言ったか?
あとから聞いた話、このとき俺は、出会ってから初めて笑っていたらしい。
*
二学期が始まった。
夏休み最後の夜、英語の宿題だけ終わらせてなかった俺は、リュー先輩に罵倒されながらもなんとか終わらせた。おかげで新学期というのにもうHPはゼロだ。二日目の実力テストがまた追い討ちをかけた。
「ジョージ元気なーい! さぁやる気出して!」
ばちこーん! っと思いっきり背中を叩かれて、俺は前につんのめる。いつものことになりつつあるな、山都!
「でもほんとに元気出して? これから体育館だよ?」
山都に下から覗き込まれて、俺はぐっと怯んだ。
そう言うな。俺だって楽しみにしてたんだ。
文化祭を来週に控え、新学期から校内はなんだか浮き足立っている。どのクラスも夏休み中に出し物の準備を進めてきて、最後の追い込みに入った。
うちのクラスでは、絵本カフェをやる予定だ。「ぐりとぐら」とか「3びきのくま」とかに出てくるお菓子とかスープを、それっぽく出すらしい。俺は調理じゃなくて接客の方だから、詳しい作り方は分からない。
「そういう本が出てるんだよー。絵本から飛び出したようなの! まんまなの! すっごく可愛いんだよー」
山都がそう教えてくれるけど。
「お前も接客だろ」
「えへ。うちじゃリューのごはんがおいしいから」
スーパーシェフ・リュー先輩を擁する山都家(いや美里家?)では、料理する必要のなかった山都だ。案の定、調理係じゃなくて接客係に回されたようだ。
「ってことはお前もあのエプロンつけんのか?」
「そだよー。もう完成してるよん」
接客係は、男女別でお揃いのエプロンを作っている。男子は腰に巻くタイプの黒のシンプルなもの、女子は赤地に白の水玉でフリルのついたものだ。
あれを着るのか……。
「あー! あたしには似合わないって思ったでしょ! ジョージのいじわる!」
なっ……! 逆だ逆!
でもそんなこと、言えるはずもない。俺はぷんすか怒る山都の後ろを、ただついていくしかなかった。
体育館にはすでにリュー先輩が来ていた。
「おせーぞ」
じろりと睨みつけるのはもちろん俺だけだ……。理不尽だ!
山都はステージに立てるのがよほど嬉しいのか、ぴょんぴょん飛び跳ねてリュー先輩に纏わりついている。
「二時まではバレー部外練なんで、それまでに片付けてください。僕、他のとこの見回りあるんで、終わったら生徒会室まで報告お願いします」
「おう、分かった」
二年の文化祭実行委員かな? リュー先輩にぺこりと頭を下げると、小走りで体育館を出て行った。今の時期、実行委員は忙しいだろうな。
「わー! ライブだー!」
大声に振り返ると、山都はステージによじのぼってういるところだった。バッカお前……! 脇の控え室から行けよ! パンツ見えんぞ!?
でも気持ちは分からんでもない。ステージにはすでにアンプやドラムが用意してあった。ステージに立つということは、それがどこであろうとも興奮するものだ。
「美里センパーイ。マイクのセッティングもオッケーでーす」
音響室から男子生徒がぞろぞろと出てくる。
大中小。
スリッパが緑だから二年生か。
「おう、ありがとな。せっかくだから聞いてくか?」
「いいんすか!?」
「もちろん!」
「やった!」
これは……。心底リュー先輩に惚れ込んでるやつだ……。そしてリュー先輩は顎で使ってる……。三人とも、それでいいのか?
でも『美里』と呼ぶのを許してんのか。舎弟だけどお気に入りなんだろうな。
「あの、セッティングありがとうございました」
この三人の先輩が機材を運んでくれたのだ。俺がお礼を言うと、三人の目が一斉にこっちを向いた。
『大』の先輩にがしっと肩を組まれた。
「おい、一年ボーズ。下手な演奏したら許さねーからな」
「美里先輩の晴れ舞台だぞ。分かってるだろーな?」
「うまくやれよー」
圧が……。この人たちほんとリュー先輩を好きだな!
その背後からリュー先輩が三人にゴンゴンゴンと拳骨を落とす。
「おら、黙って見てろ」
頭をさする三人は、「はーい」と返事をして、大人しくパイプ椅子を出してきて座った。
……庇われた? 俺もリュー先輩の『内側』に入ってるのか……?
「ジョージー! 早くー!」
ステージを見上げると、山都はもうギターをかけて準備万端だ。
ハイハイ、ちょっと待ってろ。
体育館となると、やっぱ音の響きが違う。教室やスタジオはもちろんのこと、ライブハウスとは構造からして違うんだ。
しかも当日はたくさんの生徒や外部の人が入る。服が音を吸って、また違って聞こえるだろう。どうしたものか……。
「ジョージ! どう!? どう!?」
「あー、ちょっとアンプいじるわ。んでお前は半音上げ気味に歌ったがいいかも」
「そか! よしもう一回やろう!」
四曲ぶっ通しでやったのにまだ元気なのかよ。中学時代はこれくらい難なくこなしてた俺でも、久々のステージでそれなりに息上がってるのに。
「由真、飛ばしすぎるな」
「だーいじょーぶだよーう! ジョージいける!?」
「……おう」
元気っていうか、オーバーヒートしてるような……。
でも早く早くと山都に急かされて、俺は自分の立ち位置に戻った。
リュー先輩も心配そうな顔をしている。それでもスティックを鳴らしたから、俺はベースを鳴らした。
だがそれもすぐに止まる。ギターが入ってこないのだ。
「山都?」
彼女の方を向いて、ぎくりとした。山都の体は完全に固まって、顔は強張ってしまっている。その顔は蒼白だ。
「由真」
リュー先輩はスティックを放り投げて、山都の元へと駆け寄った。
山都の顔がこっちを向く。
「ジョージ……」
「由真、大丈夫か。どうした」
なんだ? なにが起きている?
「山都……どうしたんだよ」
「なんで……? なんでちゃんと喋んないの……? ちゃんと喋ってよ! 全然聞こえないよ!」
山都はがくりと崩れ落ちた。リュー先輩がそれを支える。
リュー先輩がなにか手を動かしている。あれは、手話か……?
「ジョージ、そいつらと片付け頼む」
リュー先輩は山都の肩を支えて体育館を出て行く。
俺はそれをただ見ていることしかできなかった。
*
機材の片付けを終えて、生徒会室に報告して、家に帰ってベッドに座ってじっとしていたら、もう日が沈んでいた。
メッセージが届いて、家を出た。『美里』の表札の下のインターホンを鳴らす。
「おう、呼び出して悪かったな。入れ」
出迎えたのは、リュー先輩だった。
テーブルの前に座った俺に、リュー先輩はよく冷えたお茶を出してくれた。変わった香りがする。ハーブティーってやつかな。
「山都は……」
「隣で寝てる。母さんが帰ってきてるから心配するな」
良かった……落ち着いたのか。
リュー先輩は俺の前に座って、ずずっと紅茶を飲んだ。沈黙が続く。
「耳は……聞こえるようになったんですか」
「……眠る前はまだ、聞こえてなかった」
それを聞いて、俺はなにも言うことができなかった。
山都の耳は、まさか……。
「一度、今日みたいに聞こえなくなったことがある」
その言葉に俺は顔を上げた。
リュー先輩はテーブルを睨むように視線を落としていて、目が合うことはない。その表情は、自分への憤りをなんとか抑えてるようにも見えた。
「耳のことが分かってすぐだ。『なんで自分が』と泣いて暴れて、聞こえなくなった」
馬鹿か俺は。
山都が耳のことを話してくれたとき、なんと思った?
強い決意がある?
覚悟を決めている?
そんなわけあるか。山都はまだ十六の女の子なんだぞ。不安な夜だってあったはずだ。
ただその恐怖を押し込めて、むりやり笑ってただけだったのに。
「……そのときは、どうやって治ったんですか?」
最高の演奏をできるように、なんて俺の思い上がりでしかなかった。
「……ライブの映像を見てたんだよ」
リュー先輩はぽつりと言った。
「ムジカであったライブ。ある日帰ってきたら、明かりも点けずに食い入るように見てた。……お前のライブだよ」
「え……?」
山都が見てた? 俺のライブを?
ムジカのオーナーがいつもステージを撮ってたのは知っていた。頼めばダビングしてくれることも。
だけどまさか、山都が自分たちのライブだけじゃなくて、俺のライブも見てくれてたなんて。
「ジョージとバンドをやりたいと言い出した由真は、もう聴力が戻っていた」
それってつまり……。
「由真はお前とバンドを組むためだけに、受験勉強を頑張ったんだよ。無事に受験を終わらせて、ジョージを探すってな。同じ学校だったのは嬉しい誤算だったがな」
入学式のときの山都の様子を思い出した。本当に嬉しかったんだろう。自己紹介のときに乱入してくるわ、帰り道ストーキングするわ、毎日つきまとってくるわ。
相手が俺ってところに照れ臭さがあるけど。
「見つからなけりゃ、諦めてくれたかもしれないのに」
リュー先輩は俺をギロリと睨みつけて言った。
びくりと身を竦ませてしまったけど、そうなのかもしれない。これ以上聞こえなくなったら、聾学校に通わざるを得ないだろう。山都には時間がない。
「……今日は、なんで聞こえなくなっちゃったんでしょうか」
「今日が楽しみで昨夜あんまり眠れなかったみたいだし、オーバーヒートしたんだろ。ちょっと知恵熱が出てた。検査結果も聴力以外は問題ない。ただな」
このままではライブをできない。
難聴といえども多少は聞こえているから、これまでやってこれた。それが完全に聞こえないとなると、勝手が違ってくる。
最悪の場合、ステージに立てないんじゃないだろうか……。
「久々に聞こえなくなったから、ショックが続いてるのかもしれない。なぁジョージ」
リュー先輩がまっすぐにこっちを見た。
話だけでも聞いてやってくれないか、とその言葉のあとに続いた。
「ほらジョージ早くー」
山都が背中を押すけど、どうにもこうにも……。あと軽率に触らないでくれ。意識しちゃうだろ、お前がなんとも思ってなくても。……考えてて情けなくなってきた。
俺は意を決してガラスのドアを開ける。
「あ、いらっしゃい。譲二に由真ちゃん」
受付には満面の笑みの兄貴が待ち構えていた。きまずい……。
「Aルーム取っといたからどうぞ。エアコンつけておいたから。ほんとは駄目なんだけど」
「ありがとうございまーす!」
うんうん唸ってる俺をよそに、兄貴も山都も楽しそうだ。
「ほら行くぞジョージ」
あぁぁ待ってくださいリュー先輩襟首引っ張らないでください! 絞まってます!
有無を言わさず俺はスタジオの中へと引きずりこまれた。
*
スタジオアスター。兄貴の職場である。
大小いくつかのスタジオを擁し、割安な値段で借りれることから学生にもアマチュアミュージシャンにも人気が高い。
「なんでそこまでイヤなのさー」
アンプにシールドを差し込みながら、山都は問い掛ける。俺だって別に嫌っていうわけじゃない。
「なんていうか……。兄弟に見られるのってなんか照れ臭さがあるじゃんか」
「えー? そう? リュー分かる?」
「分からん」
そうだった。ここは兄妹だった……。
夏休みも終わりに差し掛かって、曲の完成度も上がってきた。三年生の課外授業があるから平日は開いてる学校も、土日となると閉まってしまう。そうなるともう家で個人練習しかできないなぁと言ってたところに、兄貴の救いの手が差し伸べられたのだ。
「でも良かったじゃん? 家族割ってことで安くここ借りれて」
夏休みが明けたらすぐ文化祭だし、どうしよかと例に漏れずうんうん唸ってた俺に、兄貴は自分の職場を貸してくれることを申し出てくれたのだ。ほんとに頭が上がらない。
そんな言い合いをしてる間にも、アンプのセッティングが終わり、チューニングも済ませた。
「さて、と。では始めますか」
山都の掛け声が合図だった。リュー先輩がドラムスティックをカッカッカと鳴らす。
防音設備の整ったスタジオでは、やっぱり教室とは響きが違う。本番は体育館のステージだ。どこまでうまく山都の歌とギターを響かせられるか……。
あぁでも、やっぱりこの二人と演奏するのは気持ちいい。
山都の歌は言わずもがな、ギターもここってときに来てくれる。
リュー先輩のドラムは正確に刻まれていて、でも合い間合い間にスティックを回してみせたりして、意外と余裕がある。まぁリュー先輩だもんな。なんでも軽くこなしてしまいそうだ。時折笑みを見せるのは、ちょっと意外だったけど。
「んあー! ダメだ! 間奏のリフレインやっぱちょっとずれる!」
最後の一音を弾き終えて、山都は叫んだ。
「二フレーズ目をちょっと食い気味に弾くといいのかも。あと大サビ行く前に、目で合図してくれるとやりやすい」
「そっか……二フレーズ目……」
ぶつぶつ言いながら、山都はギターを鳴らす。
こいつのこういうところは、ほんとすごいなと思う。正直、さっきのとこは少しずれてても支障がないかなと俺は思っていた。許容範囲というか。
だけど山都は、不安要素は潰しておきたいと言う。これこそがノイズの人気たる所以だったんだろうな。
「ジョージごめん! 二番のサビからもう一回いい?」
そんな俺の視線に気づかず、山都は勢いよく言う。
「もちろん」
俺がそう言うと、山都もリュー先輩も驚いた顔をした。
え、なんだ? 俺なんか変なこと言ったか?
あとから聞いた話、このとき俺は、出会ってから初めて笑っていたらしい。
*
二学期が始まった。
夏休み最後の夜、英語の宿題だけ終わらせてなかった俺は、リュー先輩に罵倒されながらもなんとか終わらせた。おかげで新学期というのにもうHPはゼロだ。二日目の実力テストがまた追い討ちをかけた。
「ジョージ元気なーい! さぁやる気出して!」
ばちこーん! っと思いっきり背中を叩かれて、俺は前につんのめる。いつものことになりつつあるな、山都!
「でもほんとに元気出して? これから体育館だよ?」
山都に下から覗き込まれて、俺はぐっと怯んだ。
そう言うな。俺だって楽しみにしてたんだ。
文化祭を来週に控え、新学期から校内はなんだか浮き足立っている。どのクラスも夏休み中に出し物の準備を進めてきて、最後の追い込みに入った。
うちのクラスでは、絵本カフェをやる予定だ。「ぐりとぐら」とか「3びきのくま」とかに出てくるお菓子とかスープを、それっぽく出すらしい。俺は調理じゃなくて接客の方だから、詳しい作り方は分からない。
「そういう本が出てるんだよー。絵本から飛び出したようなの! まんまなの! すっごく可愛いんだよー」
山都がそう教えてくれるけど。
「お前も接客だろ」
「えへ。うちじゃリューのごはんがおいしいから」
スーパーシェフ・リュー先輩を擁する山都家(いや美里家?)では、料理する必要のなかった山都だ。案の定、調理係じゃなくて接客係に回されたようだ。
「ってことはお前もあのエプロンつけんのか?」
「そだよー。もう完成してるよん」
接客係は、男女別でお揃いのエプロンを作っている。男子は腰に巻くタイプの黒のシンプルなもの、女子は赤地に白の水玉でフリルのついたものだ。
あれを着るのか……。
「あー! あたしには似合わないって思ったでしょ! ジョージのいじわる!」
なっ……! 逆だ逆!
でもそんなこと、言えるはずもない。俺はぷんすか怒る山都の後ろを、ただついていくしかなかった。
体育館にはすでにリュー先輩が来ていた。
「おせーぞ」
じろりと睨みつけるのはもちろん俺だけだ……。理不尽だ!
山都はステージに立てるのがよほど嬉しいのか、ぴょんぴょん飛び跳ねてリュー先輩に纏わりついている。
「二時まではバレー部外練なんで、それまでに片付けてください。僕、他のとこの見回りあるんで、終わったら生徒会室まで報告お願いします」
「おう、分かった」
二年の文化祭実行委員かな? リュー先輩にぺこりと頭を下げると、小走りで体育館を出て行った。今の時期、実行委員は忙しいだろうな。
「わー! ライブだー!」
大声に振り返ると、山都はステージによじのぼってういるところだった。バッカお前……! 脇の控え室から行けよ! パンツ見えんぞ!?
でも気持ちは分からんでもない。ステージにはすでにアンプやドラムが用意してあった。ステージに立つということは、それがどこであろうとも興奮するものだ。
「美里センパーイ。マイクのセッティングもオッケーでーす」
音響室から男子生徒がぞろぞろと出てくる。
大中小。
スリッパが緑だから二年生か。
「おう、ありがとな。せっかくだから聞いてくか?」
「いいんすか!?」
「もちろん!」
「やった!」
これは……。心底リュー先輩に惚れ込んでるやつだ……。そしてリュー先輩は顎で使ってる……。三人とも、それでいいのか?
でも『美里』と呼ぶのを許してんのか。舎弟だけどお気に入りなんだろうな。
「あの、セッティングありがとうございました」
この三人の先輩が機材を運んでくれたのだ。俺がお礼を言うと、三人の目が一斉にこっちを向いた。
『大』の先輩にがしっと肩を組まれた。
「おい、一年ボーズ。下手な演奏したら許さねーからな」
「美里先輩の晴れ舞台だぞ。分かってるだろーな?」
「うまくやれよー」
圧が……。この人たちほんとリュー先輩を好きだな!
その背後からリュー先輩が三人にゴンゴンゴンと拳骨を落とす。
「おら、黙って見てろ」
頭をさする三人は、「はーい」と返事をして、大人しくパイプ椅子を出してきて座った。
……庇われた? 俺もリュー先輩の『内側』に入ってるのか……?
「ジョージー! 早くー!」
ステージを見上げると、山都はもうギターをかけて準備万端だ。
ハイハイ、ちょっと待ってろ。
体育館となると、やっぱ音の響きが違う。教室やスタジオはもちろんのこと、ライブハウスとは構造からして違うんだ。
しかも当日はたくさんの生徒や外部の人が入る。服が音を吸って、また違って聞こえるだろう。どうしたものか……。
「ジョージ! どう!? どう!?」
「あー、ちょっとアンプいじるわ。んでお前は半音上げ気味に歌ったがいいかも」
「そか! よしもう一回やろう!」
四曲ぶっ通しでやったのにまだ元気なのかよ。中学時代はこれくらい難なくこなしてた俺でも、久々のステージでそれなりに息上がってるのに。
「由真、飛ばしすぎるな」
「だーいじょーぶだよーう! ジョージいける!?」
「……おう」
元気っていうか、オーバーヒートしてるような……。
でも早く早くと山都に急かされて、俺は自分の立ち位置に戻った。
リュー先輩も心配そうな顔をしている。それでもスティックを鳴らしたから、俺はベースを鳴らした。
だがそれもすぐに止まる。ギターが入ってこないのだ。
「山都?」
彼女の方を向いて、ぎくりとした。山都の体は完全に固まって、顔は強張ってしまっている。その顔は蒼白だ。
「由真」
リュー先輩はスティックを放り投げて、山都の元へと駆け寄った。
山都の顔がこっちを向く。
「ジョージ……」
「由真、大丈夫か。どうした」
なんだ? なにが起きている?
「山都……どうしたんだよ」
「なんで……? なんでちゃんと喋んないの……? ちゃんと喋ってよ! 全然聞こえないよ!」
山都はがくりと崩れ落ちた。リュー先輩がそれを支える。
リュー先輩がなにか手を動かしている。あれは、手話か……?
「ジョージ、そいつらと片付け頼む」
リュー先輩は山都の肩を支えて体育館を出て行く。
俺はそれをただ見ていることしかできなかった。
*
機材の片付けを終えて、生徒会室に報告して、家に帰ってベッドに座ってじっとしていたら、もう日が沈んでいた。
メッセージが届いて、家を出た。『美里』の表札の下のインターホンを鳴らす。
「おう、呼び出して悪かったな。入れ」
出迎えたのは、リュー先輩だった。
テーブルの前に座った俺に、リュー先輩はよく冷えたお茶を出してくれた。変わった香りがする。ハーブティーってやつかな。
「山都は……」
「隣で寝てる。母さんが帰ってきてるから心配するな」
良かった……落ち着いたのか。
リュー先輩は俺の前に座って、ずずっと紅茶を飲んだ。沈黙が続く。
「耳は……聞こえるようになったんですか」
「……眠る前はまだ、聞こえてなかった」
それを聞いて、俺はなにも言うことができなかった。
山都の耳は、まさか……。
「一度、今日みたいに聞こえなくなったことがある」
その言葉に俺は顔を上げた。
リュー先輩はテーブルを睨むように視線を落としていて、目が合うことはない。その表情は、自分への憤りをなんとか抑えてるようにも見えた。
「耳のことが分かってすぐだ。『なんで自分が』と泣いて暴れて、聞こえなくなった」
馬鹿か俺は。
山都が耳のことを話してくれたとき、なんと思った?
強い決意がある?
覚悟を決めている?
そんなわけあるか。山都はまだ十六の女の子なんだぞ。不安な夜だってあったはずだ。
ただその恐怖を押し込めて、むりやり笑ってただけだったのに。
「……そのときは、どうやって治ったんですか?」
最高の演奏をできるように、なんて俺の思い上がりでしかなかった。
「……ライブの映像を見てたんだよ」
リュー先輩はぽつりと言った。
「ムジカであったライブ。ある日帰ってきたら、明かりも点けずに食い入るように見てた。……お前のライブだよ」
「え……?」
山都が見てた? 俺のライブを?
ムジカのオーナーがいつもステージを撮ってたのは知っていた。頼めばダビングしてくれることも。
だけどまさか、山都が自分たちのライブだけじゃなくて、俺のライブも見てくれてたなんて。
「ジョージとバンドをやりたいと言い出した由真は、もう聴力が戻っていた」
それってつまり……。
「由真はお前とバンドを組むためだけに、受験勉強を頑張ったんだよ。無事に受験を終わらせて、ジョージを探すってな。同じ学校だったのは嬉しい誤算だったがな」
入学式のときの山都の様子を思い出した。本当に嬉しかったんだろう。自己紹介のときに乱入してくるわ、帰り道ストーキングするわ、毎日つきまとってくるわ。
相手が俺ってところに照れ臭さがあるけど。
「見つからなけりゃ、諦めてくれたかもしれないのに」
リュー先輩は俺をギロリと睨みつけて言った。
びくりと身を竦ませてしまったけど、そうなのかもしれない。これ以上聞こえなくなったら、聾学校に通わざるを得ないだろう。山都には時間がない。
「……今日は、なんで聞こえなくなっちゃったんでしょうか」
「今日が楽しみで昨夜あんまり眠れなかったみたいだし、オーバーヒートしたんだろ。ちょっと知恵熱が出てた。検査結果も聴力以外は問題ない。ただな」
このままではライブをできない。
難聴といえども多少は聞こえているから、これまでやってこれた。それが完全に聞こえないとなると、勝手が違ってくる。
最悪の場合、ステージに立てないんじゃないだろうか……。
「久々に聞こえなくなったから、ショックが続いてるのかもしれない。なぁジョージ」
リュー先輩がまっすぐにこっちを見た。
話だけでも聞いてやってくれないか、とその言葉のあとに続いた。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる