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4.邂逅

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「翡翠様、新しいお饅頭とお茶、簡単ではありますが
塩むすびを持って参りましたのでよろしければお食べくださいね」

飲食と一緒に持ってきた暖かいおしぼりであんこで汚れた翡翠の手のひらを
優しく拭っていくうちに、少しずつ体の力が抜けていく。

「吉野のおむすびは美味しいのよ!ちょうど良いあんばいなの!」
「まぁ、お嬢様ったら。難しい言葉をお使いなさるのね」
「そうよ!香蘭は、もう立派なしゅくじょなのよ!」
「まぁまぁまぁ。淑女はお稽古事をさぼったりはなさいませんのよ」
「うぅ……」

ポンポンと軽快に進む会話に翡翠は目を丸くした。
あの館でこんな風に穏やかな会話をする人など見かけないから驚いている。
それから2人に促されて初めて塩むすびを食べた翡翠は、その美味しさに目を見開いて固まった。
それを見て嬉しくなった香蘭が饅頭も勧めて、饅頭を食べて翡翠はあまりの衝撃に震えた。

美味しくて、美味しくて———2人の優しさに、翡翠は泣いた。
そして、生まれて初めて人の優しさに触れながら食べた饅頭が翡翠の大好物になった。


それから、翡翠はちょくちょく香蘭に会いに行くようになった。
その度に吉野はさりげなく食べ物を与える。
翡翠はこれまでの食生活で胃がめちゃくちゃ小さくて、あまり食べられない。
1才しか違わない香蘭よりも食べられない事に吉野は気づいているようだった。

このまま、翡翠の心を守る場所が出来るといい、もしかしたら出来るかも———
そう期待していたある日、とどことなく雰囲気が変わった翡翠を訝しく思った使用人が
香蘭に会いに行く翡翠の後をつけ、その事を母親にチクりやがったのだ。

自分のライバルである正妻の館、しかもオシルシ持ちである憎い香蘭と仲良くしていると知った母親は激怒した。
激怒なんてもんじゃない。殺そうとした。
あまりにも荒れ狂った折檻に、チクった使用人は最初こそニヤニヤと笑っていたが、
洒落にならないと気づいたのだろう。顔面蒼白になっていた。

幾ら蔑ろにされている子供とはいえ”一応は”当主の実子である。
直接自分が手を下した訳ではないが、きっかけを作ったのは自分で、
かつ、実子である翡翠は本邸を含めた屋敷内の移動に制限はない(母親のせいで館から出られなかっただけだ)翡翠は別に悪い事をした訳ではないのだから、殺されるような謂れはない。
さすがに不味いのではないかと青ざめる使用人の顔を俺は、その顔を翡翠の目を通してずっと見つめていた。

時おり、目が合うと怯えたように逸らす。
だが、俺は決して外さなかった。絶対に許さないと決めたから。
あらぬ方向を見る翡翠にまた激怒してさらに激しくなる暴力に、
さすがに不味いかもしれないと思い始めた時に気づいた。

(あれ?俺の意思で体が動いてる?)

そういえば、さっきから目線も”俺の意思で”動いている。
(!!!!)
も、もしかして…今、体は俺が動かせる??
試しに右腕を伸ばしてみると動いた。え?ど、どういう事?!

「お前!私がまだ話しているというのに、聞いてるの?!」

自分の身に何が起きているのか把握するのに夢中で母親の存在を忘れていた。
そう、金切り声が聞こえたと思った瞬間、頭にガツンと強い衝撃が走ったと同時に鼻にきな臭いがして、何かが割れたような音と誰かの悲鳴が聞こえたかと思うと意識がプッツリと落ちた。

(どこだ、ここ……)

気が付いたら自分の体も見えないほどの真っ暗闇の中にいた。
恐怖や脅威は感じないため、取り敢えず適当に歩き出す。
視覚が何の役にも立たないせいか、はたまた自分が精神的な存在だからか、いくら歩いても疲れない。

最初こそ、何かあってぶつかったりするんじゃないかとおっかなびっくり歩いていたけど、
マジで何もないから大手を振って歩き出した。
ていうか、これまで自分の肉体を感じる事がなかったから、肉体があるという事が楽しくて仕方がない。
どうせ誰も見てないんだからとジャンプしたり腕をぶんぶん振り回したりして肉体の感覚を楽しむ。

一体、どのくらい歩いたのか分からないくらい歩いていたら、
すすり泣く声が聞こえてきてめちゃくちゃビビった。ひえぇ!幽霊っっ?!
———いや待って?俺自身が幽霊みたいなもんじゃね?よ、よし負けるな俺。気合だ俺。
意味もなく、シュッ、シュッと空にパンチを繰り出す。
第三者から見るとへろへろでへっぽこだろうとは思うが、生前読んでいたボクシング漫画を思い出し、
俺は〇めだと言い聞かせながらシュッシュ、シュッシュと腕を動かした。

いい加減パンチにも精神的に疲れてきた頃、恐怖が和らいだおかげかちょっと冷静になってきて、
さっきからずっと泣いている声がしっかりと聞けるようになってきた。

(なんか、すげぇ切ないな……)

その泣き声は子供と思われるもので、聞いていると胸が締め付けられるような感じがする。

「おい、そこの泣いているやつ!どこにいるんだ?」
「……」

俺の声が聞こえたのかぴたりと止んだ。

「なんも見えなくてさぁー、お前がどこにいるのかも分からないんだよ。
もし嫌じゃなかったらそっち行きたいと思うんだけどさ、行ってもいいか?」
「……」

なんとなく、気配は分かる。
向こうが戸惑っている事も伝わってくる。

「てかさー、俺もいい加減この暗闇んなか一人ぼっちは飽きたっつーかさ、
寂しいっつーか…まぁ、とにかくそっち行くわ」

とりあえず宣言してまた歩き出すと、気配が濃厚になった。おそらく、すぐ近くにいる。

「なぁー、近くにいるんだろ?なんも見えないからぶつかったりするかもしれないじゃん。
危ないからさ、声聞かせてくれよ」

体の感覚があるから、多分触れる事が可能だと思うんだよな。
って事は、間違えて蹴っちゃったりつんのめって潰しちゃうかもしれない。

「……ここ」
「ん?お、やっぱりすげぇ近いな。手探りすんぞー」

地面に四つん這いになって手をワイパーみたいに動かしながら慎重に進む。
俺の声がないと向こうも怖いかなって思ったから、歌を歌いながら進む事にした。
聞こえた声からにすると、かなり幼い子だ。
そんな子供に向かってハイハイしながら歌って近づく男……想像すると恐怖でしかないな。

「あるひーんけつ♪森のなーかんちょうー、熊さんにんにくー♪」
「ふふっ」

おっ。笑った。

「でーあぁーたんこぶ♪はなさっくもーりーのーみーちー♪翡翠にーでーあぁった♪」
「!!!!!!」

歌い終わったと同時に、とん、と手が柔らかく暖かい何かに触れて、その何かがびくりと震えた。

「おっ、いたな」
「………」
「翡翠であってるか?」
「な、なんで…」

やっぱりな。
最初は気づかなかったけど、探しながら冷静な頭で考えていると、いま俺は現実世界にいないだろう。
じゃあどこかと考えると、暗闇に落ちる寸前の事を考えると俺は気を失ったか死んだかだろう。
そうするとあの世か精神世界かはたまた異世界か?
一番可能性が高いのは夢———精神世界かなと。
そう考えると、いまここにいるのは俺と翡翠しかいないと思う。

そう思って、確かめたくて声を上げてもらおうとしたんだが
警戒した翡翠は当然ながらぜーんぜん声を出してくれない。
少しだけ聞いた声は、幼い子供特有の高く、甘い声。
泣いていたせいか少し鼻声だったけど。
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