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母の案内で、部屋の扉を押し開けると、そこには昔と変わらない光景が広がっていた。
薄桃色のカーテンが揺れ、棚には幼いころに母と選んだ陶器の置物、机には古いレターセットが置かれていた。
どれも時間を閉じ込めたまま、私の帰りを待っていたかのようで、懐かしい。
部屋の隅には、季節が一つ巡る間、触れられずにいたはずのクッションがまるで大切な客人を迎えるように、ふっくらと整えられていた。
きっと母が気を利かせて直してくれたのだろう。その小さな気遣いがやはり温かく、胸を落ち着かせてくれる。
そのクッションを窓辺の椅子の上に置き、腰を下ろすと、かすかに花の香りがした。
庭から吹き上がってきた風が、長いあいだこの部屋に染み込んでいた少女時代の匂いと混ざり合い、胸の奥をそっと撫でていく。
懐かしさというより、もっと静かでやさしい感情が手を伸ばしてきて、触れた頬をしずかに包み込むようだった。
「どうぞ、お嬢様。紅茶でございます」
穏やかな声とともに、執事がそっとカップを差し出してきた。
この家の紅茶はどういうわけか都会のどんな高級茶よりも落ち着く。
カップを持つと、掌にじんわりと熱が伝わった。
懐かしさとか、想いとか。そういう優しい感情が込められているのかもしれない。
その優しさが喉を通るころには、胸のつかえが少しだけ薄くなった気がした。
それでも、胸の奥底にこびり付いたわだかまりは消えることはなく、むしろ、周りの小さなつかえが無くなった分、露骨に私の胸を縛りあげた。
「……忘れられないものね、やっぱり」
執事の去った後の独りになった部屋でそう零す。
呟いた声は自分でも驚くほど淡々としていた。感情が枯れているわけではない。
ただ、涙を流すほどそれを過去のものにするのには、まだ時間が経っていなかった。まだ、感情を整理出来ていなかった。
きっと、時間が必要だ。
一つずつ感情を解いて、一つずつ執着を剥がして、それを過去のものにするには。
ベッドの上に広げた薄手のブランケットに指を滑らせる。布は指先を吸い込むように柔らかく、ふわりと返ってくる感触がやさしい。
私に時間が必要なら、少しばかりの怠惰も許されるだろう。そう思いながら、ふっと息をつく。
「少し、昼寝でもしようかな……」
囁いた声は自分のものとは思えないほど柔らかかった。酷く疲れた心がようやく、重たい羽をおろすみたいに、ベットへと静かに静かに沈んでいく。
ベッドの縁に触れた腰が沈み、その沈みが脚へ、背へ、じわじわと広がっていく。
窓の外では春の風が、庭木の葉を揺らす音が、かすかに聞こえた。その穏やかな音は子守歌のように部屋の空気を満たしていく。
まぶたを半分閉じると、光がぼやけて金色の霧になり、ああ、休んでもいいのだと、ようやく自分に許せる気がした。
そう思ってしまう自分が酷く嫌だった。
薄桃色のカーテンが揺れ、棚には幼いころに母と選んだ陶器の置物、机には古いレターセットが置かれていた。
どれも時間を閉じ込めたまま、私の帰りを待っていたかのようで、懐かしい。
部屋の隅には、季節が一つ巡る間、触れられずにいたはずのクッションがまるで大切な客人を迎えるように、ふっくらと整えられていた。
きっと母が気を利かせて直してくれたのだろう。その小さな気遣いがやはり温かく、胸を落ち着かせてくれる。
そのクッションを窓辺の椅子の上に置き、腰を下ろすと、かすかに花の香りがした。
庭から吹き上がってきた風が、長いあいだこの部屋に染み込んでいた少女時代の匂いと混ざり合い、胸の奥をそっと撫でていく。
懐かしさというより、もっと静かでやさしい感情が手を伸ばしてきて、触れた頬をしずかに包み込むようだった。
「どうぞ、お嬢様。紅茶でございます」
穏やかな声とともに、執事がそっとカップを差し出してきた。
この家の紅茶はどういうわけか都会のどんな高級茶よりも落ち着く。
カップを持つと、掌にじんわりと熱が伝わった。
懐かしさとか、想いとか。そういう優しい感情が込められているのかもしれない。
その優しさが喉を通るころには、胸のつかえが少しだけ薄くなった気がした。
それでも、胸の奥底にこびり付いたわだかまりは消えることはなく、むしろ、周りの小さなつかえが無くなった分、露骨に私の胸を縛りあげた。
「……忘れられないものね、やっぱり」
執事の去った後の独りになった部屋でそう零す。
呟いた声は自分でも驚くほど淡々としていた。感情が枯れているわけではない。
ただ、涙を流すほどそれを過去のものにするのには、まだ時間が経っていなかった。まだ、感情を整理出来ていなかった。
きっと、時間が必要だ。
一つずつ感情を解いて、一つずつ執着を剥がして、それを過去のものにするには。
ベッドの上に広げた薄手のブランケットに指を滑らせる。布は指先を吸い込むように柔らかく、ふわりと返ってくる感触がやさしい。
私に時間が必要なら、少しばかりの怠惰も許されるだろう。そう思いながら、ふっと息をつく。
「少し、昼寝でもしようかな……」
囁いた声は自分のものとは思えないほど柔らかかった。酷く疲れた心がようやく、重たい羽をおろすみたいに、ベットへと静かに静かに沈んでいく。
ベッドの縁に触れた腰が沈み、その沈みが脚へ、背へ、じわじわと広がっていく。
窓の外では春の風が、庭木の葉を揺らす音が、かすかに聞こえた。その穏やかな音は子守歌のように部屋の空気を満たしていく。
まぶたを半分閉じると、光がぼやけて金色の霧になり、ああ、休んでもいいのだと、ようやく自分に許せる気がした。
そう思ってしまう自分が酷く嫌だった。
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