「地味でつまらない」と追放された令嬢、いつのまにか故郷で無双していました

きまま

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砦の空気が一変した。
伝令の声が石壁に反響し、鎧の打ち鳴らす音が次々と響く。
兵士たちは駆け出し、矢束を抱え、火薬樽を転がしながら配置へ散っていった。まるで砦そのものが呼吸を始めたようだった。

「魔物の大群が南方から接近中!数は百を超えるとのこと!」

再び同じ報告が廊下を貫くと、緊張が波のように押し寄せた。
アリシアは机の上の書類を一瞥しただけで、椅子を引き、立ち上がる。声に揺らぎはなかった。

「全兵を招集。砦門を閉じ、弓兵は城壁上に配置。避難路は……整備済みね?民を地下通路へ誘導させなさい。怪我人の搬送所も同時に開設を」

その一言ごとに、場の空気が締まっていく。
兵士たちは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐにその顔を引き締め、と一斉に動き出した。
その統率ぶりは、王都の貴族に見せてやりたいほどだった。

「私も行かなくては……」

小さく呟き、アリシアは壁際の棚から愛用の剣を手に取る。
柄を握った瞬間、掌に馴染む重みが懐かしくて、思わず息を整えた。王都にいる間は、ただの飾りとして封じられていた剣。けれど、この地では、それが彼女の声そのものだ。

鏡に映る自分の姿に、ふと目をやる。
淡い金髪を後ろで束ね、鎧の留め具を締める。
凛とした瞳の奥には、決意の炎が静かに宿っていた。

「……訛っていないといいのだけれど」

小さな冗談を口にして、口元に笑みを浮かべる。戦の前でも、その余裕を忘れないのが、彼女らしかった。



地鳴りのような咆哮が大地を揺らした。
南の空が濁った風で覆われ、獣の群れが黒い奔流となって迫ってくる。
牙を剥いた狼、岩のような皮膚を持つ巨躯の獣、そして空を裂くように羽ばたく翼の群れ——。
嗅ぎ慣れた血と鉄の匂いが、空気を重たく染めた。

兵士の背中を見渡し、アリシアは一歩前へ出る。灰のマントが風に翻り、冷たい光が彼女の剣に走った。

「恐れることはありません!」

その声は鋼のように響き、砦の壁に跳ね返る。

「この地には——私たちがいます!」

鼓動が一斉に高鳴った。
兵士たちの瞳が再び火を灯し、弓を構え、槍を立て直す。アリシアが剣を掲げた瞬間、角笛が鳴り、戦が始まった。

「撃て——!」

矢の雨が夜空を裂き、無数の影を貫いた。
獣の悲鳴と弓弦の音が交錯し、石壁を揺らす。
だが、敵は怯まない。門を爪で削り、牙で砕こうとする。砦の外壁が軋み、砂塵が舞った。

アリシアは息を吸い、前線へと駆けた。
鎧の金具が鳴り、剣が光を描く。
最初の一撃——銀の閃光が狼の首を断ち、黒い血が宙を舞った。
回転しながら背後の魔物の腕を切り裂き、足を払う。
その動きは流れるようで、まるで踊っているようだった。

「……懐かしい」

息の合間に、アリシアの唇がかすかに動いた。
剣を振るうたびに、身体が喜びを覚えていく。
誰かを守るために動く——その感覚が、王都ではとうに失われていたものだった。
思えば、あの宮廷で微笑んでいた王太子も、取り巻く令嬢たちも、何と脆く、醜かったのだろう。

アリシアは剣を振るう速度を上げた。
風が巻き、銀の軌跡が何度も光を放つ。
黒い血が飛び散り、足元の石畳を染める。
それでも彼女の瞳は曇らず、ただ前を見据えていた。

「アリシア様が前にいる!怯むな!」

兵士の叫びが響く。
次々と矢が放たれ、槍が突き出される。
砦全体がひとつの意志を持つかのように動き出す。

やがて、戦場の音が少しずつ遠のいていった。
断末魔が風に消え、黒雲のような魔物の群れが散っていく。
地面には焼けた匂いと、血の湿りが残るだけだった。

アリシアは剣を振り払い、刃についた血を風に流す。肩で息をしながら、空を見上げた。

——蒼い空。
戦の煙の向こう、わずかに光が差していた。

「勝ったんだ!」

最初の叫びは、まだ恐怖の余韻を引きずった震える声だった。
けれど次第に、その声が波紋のように広がっていく。

「勝ったぞ!」

「アリシア様がやってくださった!」

歓声が重なり、空気が弾けるように明るくなる。
血と汗の匂いに、笑い声が混じった。

アリシアは少し離れた場所で、その様子を静かに見ていた。
泥に汚れた兵士たちが肩を抱き合い、涙をこぼす者もいる。
彼女の胸に浮かんだのは誇りというより、深い息のような安堵だった。
生き延びた。皆、生き延びたのだ。
剣を鞘に収める音が静けさを取り戻す合図のように響く。

そして夜が明け、朝日が砦を照らした。
広場には民と兵が集い、戦勝の報せが広まる。
空気に漂う温かな蒸気と、焼かれた肉の香り。
それは生の匂いで、戦の後にしか感じられないものだった。

「アリシア様のおかげで助かりました!」

「これでまた、私たちは守られた!」

人々の声が次々と上がる。
涙を拭う老兵もいれば、子どもを抱いた母もいた。
彼らの目には、崇拝とも感謝とも違う、確かな信頼の光があった。

アリシアは微笑み、静かに頭を下げた。

「私は当然のことをしただけです。この地を守るのは、私の誇りですから」

風が頬を撫でた。
その声に、ざわめきが止まり、兵士たちは黙って彼女を見つめた。
そこにいたのは、かつて地味でつまらないと嘲られた令嬢ではない。
彼らを導く盾であり、灯だった。

「アリシア様、ばんざい!」

誰かがそう叫び、歓声が一気に爆ぜる。
笑いと涙と歌が交じり、砦全体が一つの鼓動を打つように震えた。

アリシアはその渦の中心で、そっと空を仰いだ。
夜明けの光が雲を裂き、遠い王都の方角を照らす。
——あの街では、今日も宴が続いているのだろう。
けれど、真に守るべきものは、ここにある。

微笑みを浮かべながら、アリシアは胸に手を当てた。

「この地こそ、私の誇り……」

その小さな呟きは、朝の風に溶けていった。
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