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第二章 浮遊霊は動き出す

15.沈黙

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 二人は土手を下ってのんびりと空を眺めながら遊歩道を歩いていた。まもなくあの場所、英介が川から引き揚げられ、そして大矢に起こされた場所だ。英介にとって気持ちの良い場所ではないが、ここへは頻繁に来ないといけないのが辛いところだ。

 幽霊は死んだ場所から長い時間離れることはできない。この制限がある限りこの嫌な場所にも来なければならないし、思い切った遠出も難しいだろう。

 遊歩道をしばらく歩いていた英介が足を止めた。ここは英介が落ちた場所である。

 コンクリートで固めてある護岸は、水辺を向いて座るには悪くない場所だ。あの日、あの時の出来事が現実だったのか改めて考えても整理しきれない。そもそもなぜ僕はあの日ここへ立ち寄ったんだろうか、と自問自答するも答えは思い浮かばなかった。

 いや、今は考えても仕方ない。それよりも今日見かけた女の子、色付きの人を探すことを考えるんだ。そして、そして? 見つけてどうする?赤の他人、しかも女の子に代理で井出達へ仕返ししてくれるよう頼むのか?何のかかわりもない人がそんなこと承知するはずないじゃないか。

 英介は不機嫌そうに足元の雑草を蹴り飛ばした。しかし、小さく細い雑草はびくともせず英介の足を受け流した。それはまるで英介の無力さを再確認させるように思えた。

 川沿いをしばらく下ると護岸が切れ、その先からは川原になっている。英介はこの川原から引きあげられそのまま息を引き取った。

 死んでしまったのが川から引きあげられる前なのか後なのか、川の中でもがいているうちに意識を失った英介にとってはどちらでもいいこである。川に落ち溺れ死んでしまい、そしてこうやって幽霊となったことがすべてだ。

 間もなくその現場だが、その手前にある橋の下まで来たところで二人はまた足を止めた。

「英ちゃん、あれなんだろぉねぇ」

「うん、こんなところに誰かいるのかな?見に行ってみよう」

 おそるおそる近づいてみると橋脚の根元には何冊もの漫画本が積み上げてあった。下側にある本は汚れているようだが一番上は新しそうだ。見覚えの無い表紙が並んでいるからおそらく最新号だろう。

「なんでこんなところに新品の漫画が置いてあるんだろう」

「なんでだろうねぇ。理由はどうでもいいけどぉ読みたいねぇ、英ちゃん」

 僕達は無駄だとわかっていたが手を伸ばしてページをめくろうとした。しかし当然のようにペラペラの表紙一枚めくることはできなかった。

「漫画一ページすら読むことができない。これは幽霊最大の弱点だな」

「最大は言い過ぎじゃないのぉ」

 大矢はまたケラケラと笑う。この場所が近づいて気が重くなっていた僕は、その遠慮のない笑い方にほんの少しだけ気持ちが軽くなった。

 幽霊になって行動を共にすることになったのが大矢で良かった。いや、二人とも死んでしまっているのだからちっとも良くはないが、それでも不幸中の幸い位に感じてもいいだろう。

 人付き合いの苦手な僕と、空気が読めないからと特に女子から嫌われがちな大矢は案外いいコンビなのかもしれない。これでお菓子つまみながら本を読んでゴロゴロできれば最高なんだけどなぁ。まあできない事をいつまでも嘆いても仕方ない。

「ねぇ大矢、いつまでここにいたらいいかわかる?なんというか、こう、充電完了みたいなのってわかるのかい?」

「うーん、それはぁ僕にも分らないなぁ。重子さんたちがそう言ってただけだからぁ、自分で確かめたわけじゃないしねぇ」

 そうりゃそうだ。自分で確かめて万一のことがあったら大変だ。そんな危ない橋を渡る必要なんてないんだから数日に一度は確実に戻ってくるようにしないといけないな。何十年も幽霊やっていた重子さんたちが言っていたことなんだから、きっと消えてしまった人たちもいたんだろう。

 しかし何というのか、車にはねられてもなんともないのはありがたいけど、行動に制限がかかるなんて、丈夫なのかひ弱なのかわからない状態だ。

「重子さんたちどうしてるかなぁ。本当にいなくなっちゃうのかなぁ」

「そうだねぇ、僕は知り合ったばかりでよくわからないけどいい人たちっぽかったよね」

「うんー、細かい事情は知らないんだけどぉ、重子さんと先生夫妻とあの病院の元院長が友達だったらしいよぉ。なんか事情が複雑そうだったしぃ昼ドラみたいなドロドロがあったんじゃないのぉ?」

「昔も今もそういうのって変わってないのかもね」

 僕は知ったような口をきいてはみたが、大人の恋愛観とか不倫みたいなものは理解できない。女の子と付き合ったこともないし、それどころかクラスメートと話すことさえままならない位だ。

 大矢も僕とそう変わりはないだろうと思っていたが、人と話しているところを見るとだいぶ違うように感じた。学校では受けが悪く、男子にはいじられ女子には避けられるという不遇な学生生活だったけど、幽霊になってからはなにか枷が外れたかのように明るく朗らかに見える。

 そんな大矢が思ってもみない言葉を口にした。

「僕ねぇ幽霊になって良かったよぉ。ママやパパには悪いことしたけどぉ、生きてる時みたいに何かしないといけないこともないしぃ誰かにいじられることもなくなったしねぇ」

「バカなこと言うなよ。生きてればできたことが何にもできなくなっちゃったんだぞ。死んで良かったなんて……そんなわけないよ……」

「そりゃぁそうかもしれないけどぉ……英ちゃんにはわからないよぉ……小学校の頃からぁ、ずっと……ずっと誰かの的にされてさぁ……ママは辛い時こそ笑いなさいって言うしぃ、パパは自分が正しいなら胸を張れって言うしさぁ。もう疲れちゃってたんだよぉ」

 僕はそれを聞いてなにも言えなくなった。僕は退屈で代わり映えのない毎日を過ごしていたけど、だからといって不満があったわけではないし、そもそも退屈だったのは自分の行動力の無さのせいだ。父さんにも母さんにも感謝こそすれ不満なんて何もない。

 けれど大矢は違うようだった。あの口ぶりだと両親にも不満を感じているところがあったように感じた。

 二人はその場に座り込んで黙ったままだった。聞こえるのは水の流れる音と虫の声くらいだ。月はもうかなり高いところまで登っていて辺りを白く照らしていた。

 しばらく会話もなく、ただ時間だけが過ぎる。何も追われず、何かに縛られることもない。

「こういうのんびりした時間もいいもんだね」

「うんー」

「死んでからの方が見えてくるもの、感じることが増えてる気がするよ。生きる、生きてるって何だったんだろう」

「なんだろうねぇ」

「なんだろうね!」

 え!?なに!?突然の予期せぬ出来事に僕らはびっくりして立ち上がった。
振り返るとそこには、僕らよりはるかに小さな背丈の振袖を着たおかっぱ頭の少女がニコニコしながらこちらを見上げていた。

 そしてその姿は僕らと同じ、そう、真っ白だったのだ。少女は僕の足に抱き付きながらこれまた想像を超えた言葉を発した。

「おにーちゃん、みーつけたー」

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