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望みと契約、そして約束

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 シャワーから出るとキッチンには父さんともう一人がコーヒーを飲みながらバカ話をしていた。その相手は昨日の同僚さんだ。

「よお、カズ、おはよう。
 昨日は悪かったな」

「いえいえ、こちらこそ父さんが連れまわしてしまって、奥さんに叱られたでしょう」

「そんなことないさ、うちのやつは優しいんだから。
 だってさすがにまだ寒いからよ? ちゃんとお湯かけてくれたんだぜ」

「は、はあ……」

「おかげで朝からすっきりさ」

 まったくこの体力お化けどもはどういう体をしているんだ。長く野球をやっていただけでこんなになってしまうのだろうか。

 ちなみに父さんの同僚は江夏さんといって、同じく社会人野球の元チームメイトで高校からの同級生だ。ポジションはピッチャーで、僕が中学生の頃に秘伝の変化球を教えてくれた。その変化球とコントロールを武器に僕は中学時代、そして高校でもエースに登りつめることができたのだ。

「二人とももういい年なんだからあまり飲みすぎないでくださいね。
 そろそろ行かないと会社に遅れますよ」

「お、そうだな。
 じゃあ行ってくるよ、今日は早く帰ってくるわ」

「飲みすぎなければ好きにしていいよ。
 ご飯代は母さんからもらってあるしね」

「じゃあ軽く、かーるくにして帰ってくるからよ」

「わかったよ、行ってらっしゃい」

 父さん達が仕事へ向かうのを見送ってからコーヒーの後片付けをする。洗い物は帰ってきてからやればいいだろう。

 僕は食器棚から一番大きなマグを取り出し、冷蔵庫の牛乳を八分目ほど入れた。それを電子レンジでぬるめに温め、きな粉をドサッと入れてかき混ぜてから一気に飲み干した。これとバナナを食べるのが毎日の朝食なのだ。

 僕もそろそろ朝練へ向かわないといけないな。鞄にユニフォームや教科書、タオル等を詰め込んでから戸締りを確認する。

 もし咲と付き合ったりしたら一緒に登校したりできるのかな。学校では仲良く登校してくる奴らもいる。これまでは何とも思わなかったけど今は少しだけうらやましく思う。

 まあでも僕は朝の練習があるから登校が早いし、そもそも僕と咲は秘密の関係なのだから一緒に登校するなんて夢物語だろう。

 一通り戸締りを確認した僕は鞄を肩にかけ玄関を開けた。

「おはよう、これから練習かしら? いつも早いのね」

 僕は思わず後ずさりをし、無言で振り返り玄関に鍵をかけた。そして気を取り直して咲の方を向き直す。

「お、おはよう、びっくりさせないでくれよ。
 なんで僕が家を出る時間がわかったのさ」

「言ったでしょう、キミのことは手に取るようにわかるのよ」

 そんなことあるもんか。もしかしたら僕が出てくるのを待っていただけなんじゃないのか。でもそれじゃまるでストーカーだ。

「別に待ってたわけじゃないわよ。
 キミが昨晩私と別れた後、とても強く私の事を考えて求めてくれたこともわかっているわ」

 それを聞いた瞬間、僕は恥ずかしくて仕方がなく、また咲に対して悪いことをしたという気持ちでいてもたってもいられなくなった。

 僕がうつむいて返事ができないでいると咲が続けて口を開いた。

「誰かを想う気持ちに恥ずかしいなんてないのよ。
 キミの気持ちが伝わってきて、昨夜はとても気持ちよく眠ることができたわ」

「ぼ、僕もよく眠れたみたいで今日は調子がいいよ」

「随分朝早くからランニングかしら? 練習しているのね。
 一緒に走っていたのはお父様かしら?」

「やっぱり見てたのか、あの時二階にいたのは君だったんだろ?」

「そうよ、こっちを見てほしいって想いを送ったら振り向いてくれたからうれしかったわ。
 私たちの相性って抜群にいいのかもしれないわね」

「それはどういう意味?
 もうここまで来たら開き直って言ってしまうけど、僕は君が転校してきてから気になってるんだ。
 今まではどんな女子から交際申し込まれても興味もわかなかったのに、君にはどうしても惹かれてしまうんだよ」

「ええ、知ってるわ。
 だからこそ私はここに来たんですもの」

「昨日も言っていたけどそれって意味がわからないよ。
 僕は君が転校してきた日に初めて会ったはずだし、君だって僕を初めて見たんだろう?」

「人間って頭が固いわよね、自分が見たものだけが実態であり真実であると思い込む。
 でもね、精神のみが漂う世界ではそんなことないのよ」

「精神のみの世界ってなんだよ」

「キミが何かを望む、その想いが私に伝わった、そしてキミは私が望むものを与えてくれる。
 その関係が可能だと感じたから私はキミの前に現れたというわけよ」

「意味が全然分からないよ。
 まるでおとぎ話、ファンタジーの世界だ」

「ファンタジー、そうね、昔から人は空想し想像し夢を見てきたわ。
 でも誰も何も体験していないところから何千年もの間、次から次へと空想のお話が作られ続いていくと思う?」

「それは…… 僕にはよくわからないな」

「誰かの実体験を元に伝聞伝承が受け継がれ、それを元にお話を膨らませ続け長い時間を経て現代にまで続いているもの、それをファンタジーと称しているのではないかしら」

 どちらかというとオカルト的なものは一切興味がない僕には、咲の話が難しすぎてついていけない。結局何が言いたいのだろうか。

「僕の望みと君の望みが合致したというのはどういう意味?
 一度も会ったことなかったのにそんなことが起こり得るわけがないじゃないか」

「うふふ、そうよね、不思議よね。
 でもそれは事実であるし、必ずしも初めから見知った間柄である必要はないのよ」

 僕の頭はパンク寸前だ。せっかく今日は調子がいいと感じているのにあれこれと邪念が入ってしまう。これじゃ練習の時にまた調子が悪くなってしまうんじゃないだろうか。

「早く行かないとまた遅刻してしまうわよ。
 くれぐれも約束は守ってちょうだいね」

「あ、ああ、二つの、いや三つの約束だね。
 そりゃ守るけど、だからと言って君の言いなりにはならないよ」

「ええ、構わないわ、でもキミは自ら私を求めることになるわ。
 だって契約は交わしてしまったんですもの」

「契約? 約束じゃなくて?」

「そうよ、契約をしたからそれを続けるために約束を守る必要があるの。
 守らなくても罰はないけど、キミの求めるものは遠のいていくことになるかもね」

「僕の求めるもの…… 何のこと?」

「さあ? 私はキミの望むものを与えるためのお手伝いしかできない。
 それが何かを決めるのはキミ自身よ」

「僕自身が決めること……」

「少なくとも遅刻しないように学校へ一瞬でつく、なんてくだらない内容でないことは確かね」

 しまった、すっかり話し込んでしまったせいで完全に遅刻だ。さすがに二日連続の遅刻は木戸にどやされるどころか、例の罰ゲームをすることになってしまう。

「よくわからないけど早く行かなくちゃ。
 あの、その、まだ話し足りないんだけど……」

 僕は今にも走り出しそうに足踏みしながら返事をした。

「そうね、私ももっとキミのことを知りたいわ。
 また夜にでもお話ししましょう」

「そ、そうだね、学校では秘密だから夜しかないもんね」

「今日もお母様はご不在? もしそうなら私の家で一緒にご飯食べましょう。
 私、料理はそこそこできるのよ」

「う、うん、考えておくよ。
 じゃもう行くよ」

「行ってらっしゃい、私の愛しいキミ」

 咲はそういって僕の頬に軽く触れる程度に唇を寄せた。
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