心をなくした私と、あやかし荘の住人たち

ホロロン

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第8話 忘れたくても、忘れられない

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神社から戻ってきた彼女は、縁側に一人座っていた。空は星がよく見えて、虫の声が静かに響いている。
あの狐……サクヤって言ったっけ。あんなに無邪気に笑ってるの、久しぶりに見た気がするな。

思い出すのは、少し前のこと。まだ、都会で暮らしていた頃。毎日が仕事と人間関係に追われる日々で、いつの間にか、自分が何を望んでいたのかさえ、わからなくなっていた。

家族に、「あんたは失敗作だ」と言われたとき。
同僚に裏で悪口を言われていたと気づいたとき。
何より、一番信じていた好きだった恋人に、他の人ができたと言われ、仕事でも……裏切られたとき。

何もかもが壊れた。壊れて、自分の中に何かが抜け落ちた。
でも「何か」がなんだったのか、まだわからない。でも、それを探すために、自分はこのあやかし荘に来たのかもしれない。

「また、眠れないのか?」

ふいに、白澤の声が聞こえた。

彼女は驚きもせず、軽くうなずいた。

「うん。なんか、いろいろ思い出してて」

白澤は彼女の隣に座った。いつものように無口で、けれどどこか温かい沈黙が流れる。

「思い出したくないこと、だな」

「うん……忘れたいのに、忘れられないの。いまだに、頭の中でその時の言葉がぐるぐるしてて」

彼女の声はかすれていた。
それでも、白澤は否定も慰めもせず、ただそっと言った。

「それは、まだお前がちゃんとその痛みを見つめてないからだ」

「見つめる?」

「逃げてるうちは、心はそのままだ。だけど、正面から見たとき、きっと何かが変わる」

彼女は俯いた。
見たくない。認めたくない。自分が全部失ったってこと。全部、自分のせいだってこと……

「……私、弱いから」

やっとの思いで出たその言葉に、白澤はそっと、静かに答えた。

「弱さは、罪じゃない。誰だって、壊れそうになる。大事なのは、そこからどう立ち上がるかだ」

しばらくの沈黙。

そして彼女は、ぽつりと口を開いた。

「昔ね、小さい頃から、家族とあんまりうまくいかなかったの。いつも比べられて、いつも怒られて……」

白澤は何も言わなかった。ただ、静かに聞いていた。

「やっと自立できて、やりたいことを見つけて、好きな人ができたって思ってたのに……全部、裏切られて、仕事も信用も、何もかも失って……」

声が震えた。目に涙が浮かんだのを、彼女は手でぬぐった。

「だから私、もう誰にも期待しないって決めてた。でも、ここに来て、みんなが優しくて……正直、どうしたらいいのかわからなくなった」

白澤は少しだけ目を細めて……そして、小さな声でこう言った。

「それでも、俺たちはお前を拒まない」

彼女は、その言葉に少し驚いた。

「……なんで?」

「お前がここに来たからだ。過去を背負っても、それでも前に進もうとした。その選択を、俺は尊重する」

しんと静まり返った夜の中で、その言葉が心に染み込んでいく。私は、まだここでやり直してもいいのかな……。少しだけ、心の扉が開いた気がした。

***

その夜、布団に入った彼女の夢には再び、あの会議室が現れた。でも今回は、あの日のように暗く冷たい部屋ではなかった。

優しい光の差す、静かな場所。そこに立つのは、かつての自分。でも、今の彼女は、ゆっくりとその自分に手を伸ばしていた。

もう少しだけ、自分を許してみようかな。
その言葉と共に、悪夢を見ることなく、夢は静かに終わった。

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