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第16話 湯気のむこうに
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風邪がようやく治った夕暮れが迫るころ、あやかし荘の台所には、いつになくにぎやかな音が響いていた。
「じゃがいも、これくらいの大きさでいいですか?」
彼女はエプロンの紐を結び直しながら、アサギに声をかける。
「ええ、それでじゅうぶんですよ。皮むきもとてもお上手ですね」
にこやかに返すアサギは、丁寧な所作で味噌汁の出汁を取っていた。所作も言葉も、まるでどこかの茶道の先生のようだ。
「俺、にんじん切る!」
「お、おいカナエ、包丁は危な……わっ、ひぃっ!?」
オオヤがビクついた声を上げ、カナエの手元から一歩引いた。
「おっきな体してビビりすぎだってば! ほら、見てて、ちゃんとできるもん!」
カナエはぷくっと頬をふくらませながら、器用ににんじんの皮をむいて見せた。
オオヤは情けない顔で彼女の後ろに隠れるようにしてつぶやく。
「人が持ってる刃物、怖いんだよな……」
「鬼が言うセリフじゃないですね」
アサギがふっと笑い、彼女も思わずくすりと笑った。
……なんだか、こんなふうに笑えるの、久しぶりかも。
しばらくは、ただ作ってもらっていただけだったごはん。でも今日は、自分の手で刻んだ野菜、自分の手で味見したお味噌汁。
鍋から立ちのぼる湯気の向こうに、誰かと並んで台所に立つ温もりがあった。
やがて、白澤が静かに台所をのぞいた。
「いい匂いがするな。……もう、台所に立てるほど元気になったのか」
「はい。まだぎこちないけど……楽しいです」
「それは、いいことだ」
白澤の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
その表情が、なんだか嬉しくて、彼女は手の中のじゃがいもをそっと見つめた。
私……少しずつ、戻れているのかな。
この場所で、この人たちと一緒に。きっと……今日のごはんが、きっといちばん美味しい。
みんなで囲んだちゃぶ台の上には、彩り豊かな料理が並んでいた。
肉じゃが、出汁のきいた味噌汁、炊きたての白ごはん。それから、アサギ特製の小鉢と、カナエががんばって握った、ちょっと形のいびつなおにぎり。
「いただきます!」
カナエの元気な声が合図のように、箸が伸びる。
「……お、おいしい」
彼女は思わずつぶやいていた。味だけじゃない。誰かと一緒に作って、誰かと食べる温かさが、舌よりも先に心に染み込んでくる。
「じゃがいも、君が切ったやつかな。火の通り、ちょうどいい」
白澤が何気なく言ってくれた言葉に、彼女は目を瞬かせた。
「ほんとに……?嬉しい……です」
「料理は心を映すというからな。丁寧に向き合えば、ちゃんと返ってくる」
そう言って、白澤はふと目を伏せるように、優しく微笑んだ。その仕草に、胸の奥がまた、じんと熱くなった。
どうしてだろう。白澤さんの一言って……なんか、ずるい。
「おい、俺の作った卵焼きも褒めてくれよ!」
と、横からツヅラが割って入った。
「ツヅラさん、ほんとに自分で作ったの?」
「……ちょっとだけ手伝ってもらったけど、味付けは俺だって!」
「甘すぎてデザートみたいなんだけど……?」
「そ、それは狙いだ!」
一同がくすくすと笑い声をあげる中、彼女はそっと白澤の方を見た。
その視線に気づいた彼は、ゆるやかに頷いた。
言葉にしなくても、通じ合える何かが、今、確かにここにある。
……たったひと皿の肉じゃがが、こんなにも心を満たすなんて。
そして夜。片付けも終わり、部屋に戻ろうとした彼女の背に、白澤の声が届いた。
「……無理は、しないように」
「え?」
「今は、できるようになったことより、休めることを忘れないでくれ」
それは、あの風邪の夜、何も言わず隣の部屋で気配を見守っていた彼が……やっと口にした、本音だった。
彼女は、胸の奥でそっとその言葉を抱きしめた。
「じゃがいも、これくらいの大きさでいいですか?」
彼女はエプロンの紐を結び直しながら、アサギに声をかける。
「ええ、それでじゅうぶんですよ。皮むきもとてもお上手ですね」
にこやかに返すアサギは、丁寧な所作で味噌汁の出汁を取っていた。所作も言葉も、まるでどこかの茶道の先生のようだ。
「俺、にんじん切る!」
「お、おいカナエ、包丁は危な……わっ、ひぃっ!?」
オオヤがビクついた声を上げ、カナエの手元から一歩引いた。
「おっきな体してビビりすぎだってば! ほら、見てて、ちゃんとできるもん!」
カナエはぷくっと頬をふくらませながら、器用ににんじんの皮をむいて見せた。
オオヤは情けない顔で彼女の後ろに隠れるようにしてつぶやく。
「人が持ってる刃物、怖いんだよな……」
「鬼が言うセリフじゃないですね」
アサギがふっと笑い、彼女も思わずくすりと笑った。
……なんだか、こんなふうに笑えるの、久しぶりかも。
しばらくは、ただ作ってもらっていただけだったごはん。でも今日は、自分の手で刻んだ野菜、自分の手で味見したお味噌汁。
鍋から立ちのぼる湯気の向こうに、誰かと並んで台所に立つ温もりがあった。
やがて、白澤が静かに台所をのぞいた。
「いい匂いがするな。……もう、台所に立てるほど元気になったのか」
「はい。まだぎこちないけど……楽しいです」
「それは、いいことだ」
白澤の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
その表情が、なんだか嬉しくて、彼女は手の中のじゃがいもをそっと見つめた。
私……少しずつ、戻れているのかな。
この場所で、この人たちと一緒に。きっと……今日のごはんが、きっといちばん美味しい。
みんなで囲んだちゃぶ台の上には、彩り豊かな料理が並んでいた。
肉じゃが、出汁のきいた味噌汁、炊きたての白ごはん。それから、アサギ特製の小鉢と、カナエががんばって握った、ちょっと形のいびつなおにぎり。
「いただきます!」
カナエの元気な声が合図のように、箸が伸びる。
「……お、おいしい」
彼女は思わずつぶやいていた。味だけじゃない。誰かと一緒に作って、誰かと食べる温かさが、舌よりも先に心に染み込んでくる。
「じゃがいも、君が切ったやつかな。火の通り、ちょうどいい」
白澤が何気なく言ってくれた言葉に、彼女は目を瞬かせた。
「ほんとに……?嬉しい……です」
「料理は心を映すというからな。丁寧に向き合えば、ちゃんと返ってくる」
そう言って、白澤はふと目を伏せるように、優しく微笑んだ。その仕草に、胸の奥がまた、じんと熱くなった。
どうしてだろう。白澤さんの一言って……なんか、ずるい。
「おい、俺の作った卵焼きも褒めてくれよ!」
と、横からツヅラが割って入った。
「ツヅラさん、ほんとに自分で作ったの?」
「……ちょっとだけ手伝ってもらったけど、味付けは俺だって!」
「甘すぎてデザートみたいなんだけど……?」
「そ、それは狙いだ!」
一同がくすくすと笑い声をあげる中、彼女はそっと白澤の方を見た。
その視線に気づいた彼は、ゆるやかに頷いた。
言葉にしなくても、通じ合える何かが、今、確かにここにある。
……たったひと皿の肉じゃがが、こんなにも心を満たすなんて。
そして夜。片付けも終わり、部屋に戻ろうとした彼女の背に、白澤の声が届いた。
「……無理は、しないように」
「え?」
「今は、できるようになったことより、休めることを忘れないでくれ」
それは、あの風邪の夜、何も言わず隣の部屋で気配を見守っていた彼が……やっと口にした、本音だった。
彼女は、胸の奥でそっとその言葉を抱きしめた。
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